[5―1]シャイガールに届け、謝意
俺がまぶたを上げると、圧迫感のある空間だった。〈塔〉の墓場の棺桶に似ている。
されども違う。周囲は機械的な計器であふれていた。
モニタリング用らしき電極が、体のあちらこちらに貼りついてる。俺は軒並みはがした。続いてプラスチック製の透明な天板を押し開ける。
上半身を起こして見渡すと、俺は楕円形のカプセルの中にいた。
ヒュプノスポッド。
俺たち思念体をナイトメアのどん底にたたき落とした、凶悪デバイスだ。
俺はカプセルの上に立ち、タラップを使わず飛び降りる。何十時間も寝っぱなしだったせいか着地が決まらず、よろけた。かろうじて立て直し、歩を進める。
広々としたフロアには、ヒュプノスポッドが所狭しと並んでいた。縦横無尽に、どこを見てもカプセルだらけ。まだアバターの本体が装置内で眠りについている。
棺が整列する霊安室と、なんら変わらない。俺は苦笑いした。
ここがリアル世界だろうと、特段歓喜もない。俺の心は凪のようにフラットだ。
カプセルの間を縫い、大窓のある一画へと進んでいく。俺は上下一体型の患者服を身にまとっていた。シューズも靴下もない。裸足での歩行は床のひんやり度が足の裏へじかに伝わって、心地よかった。この感覚だけじゃ、ここが現実かは判別できないけど。
俺ははめ殺しの一枚窓の前まで来た。戸板代わりに窓をノックする。
「俺の声、届いてますか」
窓の奥は研究室だった。いや、モニタールームかもしれない。
数名の白衣をまとう研究員たちが詰めており、プロジェクトの被験者を監視している。
現在彼らは右往左往していた。誰も彼もが俺に、亡霊みたいなまなざしを注ぐ。
無理もないか。だって俺は彼らの承諾を得ず、こちらに舞い戻ってきたのだから。
『あ、ああ。聞こえているよ』
室内にいる、一番年配らしき白髪交じりの中年研究員が答えた。
「よかった。おはようございます、皆さん」
俺はとびきりの営業スマイルを浮かべてみせた。
でも彼らの警戒心の払拭までは、かなわない。
「早速ですが、俺のお願い、かなえてもらえませんか」
『な、なんだね。水分が欲しいなら、ミネラルウォーターを──』
「今すぐ実験を中止してください」
俺の要求は、研究員たちにとってセンセーショナルだったらしい。
「聞き取れませんでしたか。彼らを、一人残らず起こしてもらいたいんです」
『そ、そうは言ってもだね君。わたしどもの一存では、なんともできない。国も絡んでる一大事業なのだ。おいそれとリカバリーはきかない』
「俺は無知蒙昧なんで、政治的な話はとんと分からない。でも?これ?を言いふらしたら巷が騒然となるであろうことは、把握してますよ」
『君は、何を知っている?』
「【マインド・リセット】計画の全容」
俺の回答に、研究者たちは目に見えて青ざめた。
俺は自らのこめかみで、指をとんとんする。
「機械の不具合かな。どうやら俺には記憶があるみたいで」
『わたしたちを、脅しているのか』
俺はベテラン研究員に肩をすくめてみせる。
「まさかまさか。半人前の子供が、大の大人を脅迫できるわけない。ましてや、あなたはエリート様で俺は虫けら。歯向えば、ぷちっと潰される末路をたどるでしょう」
人差し指と親指で、つまむパフォーマンスをする。
「だから頼んでるんです。俺の願いをかなえてくれるなら、きっとみんなハッピーになれますよ。【マインド・リセット】の『ま』の文字さえ、インターネットを介して全世界に発信されることなんて、ないでしょうね」
『それを我々の価値基準では、「脅迫」と定義するのだが』
「あはっ。そうなんですか。おかげで処世術を暗記して、また一つ賢くなっちゃった」
壊れた笑いをしつつ、俺は窓をぶん殴る。強化ガラス製なのか、ヒビ一つ入らない。
でも研究者を縮み上がらせるには充分だった。
「ご高説たれてないで、さっさとやれ。あんたら、マスコミにつるし上げられて一網打尽になりたいのか。牢屋で余生を過ごしたいなら、責任転嫁や保身を思う存分やってくれて構わないが」
ドスを利かせたことで雌雄は決した。
若い研究員が備えつけ電話でどこかと連絡を取り、ベテランの彼にゴーサインを出す。
『要求を飲む。代わりに、あとで誓約書に署名してくれないか』
白髪の研究者は、俺にねたましげな目線を送ってきた。
「サインだろうとコサインだろうとタンジェントだろうと、なんでもしてやる。鶴の一声があったんだから、早くしろよ。それと忘れるな。夢の中で奪った自我も本人に返却するんだ。実験開始前と同一の状態にしろ」
『自意識のサルベージ、か。やってやれないことはないが、多少なりと時間はかかるぞ。それにプロジェクトの根幹を覆す決断ということも』
俺はかしわ手を打ち、彼を黙らせる。
「御託はいりません。時間がかかるなら、へ理屈ぶちまけてないで、仕事してください」
ベテラン研究員が露骨に舌を鳴らす。
『つけあがりおって。くれぐれも夜道の独り歩きに、細心の注意を払うことだな』
なんて安い殺し文句だ。俺がブルって指令を撤回するとでも、思っているのかね。
「ご忠告どうも。お願いついでに、覚醒時に向こうの記憶を残したりは」
『できないな。「やらない」んじゃない。不可能だ。プログラムを一から書き換えないといけないのでな』
世の中甘くないな。何かを得るには、相応の対価を支払わねばならない。万人が至れり尽くせりのサービスを享受できるなどという、虫がいい話はないか。
さして期待してなかったはずが、殊のほかへこんだ。
「分かりました。では最善を尽くしてください。数々のご無礼、すいませんでした」
俺はきびすを返した。おっさんと言い争いの泥仕合するよりも、彼女たちを迎え入れるほうが先決だから。
振り返り際、研究者がパソコンのキーボードをたたくのが見て取れた。その作用なのか、施設内に変化が訪れる。カプセルが林立するホールにけたたましいサイレンが響き渡り、パトランプがせわしなく点滅した。
音と光の洪水がやむと、カプセルがひとりでに開いていく。しばらくすると、内側から人が出てきた。まるでサナギから羽化する、チョウの群れみたいな光景だ。
俺は人々の中に、会いたい彼女の幻影を探す。歩きながら右に左に視線を彷徨させるも、一向に発見できない。
俺が歩いているメインストリートのそばに、顔見知りがいた。筋骨隆々のゴリラ男だ。患者衣がピチピチになっている。
「おはよーっす。あのときはホモ扱いして、すいませんした。めでたく帰ってこれたのを機に、わだかまりは捨て去りませんか」
知人に会えてテンションが上がり、俺はのべつ幕なしにしゃべった。
するとゴリラーマンは何か言うどころか、眉をひそめる。顔に書いてあった。
「ってゆーか、おめえ誰だよ」
失念していた。記憶がなくなるとは、こういうことなのだ。
俺たちは夢の世界でしか対話していない。つまるところ、こっちでは赤の他人も同然。
「あ、ごめんなさい。人違いっす」
俺はゴリラ男に会釈して、横を通り過ぎた。
加速度的に不安が押し寄せてくる。同じことが彼女にも起こるかもしれない。果たして俺は、能面のような顔でいられるだろうか。
望んだときは見つからないのに、望んでないときは容易に発見できる。世知辛い世は、だいたいそんなふうにできているものだ。
ついに、俺は視界にとらえた。
プラチナブロンドの長髪に、群青の瞳。スレンダーボディで、立ち姿も様になっている。現役JKの読者モデルで、芸名は『ソフィー』だ。
しかして本名、宝翔ソフィア──俺と旅を続けた、仲間の女の子。
ソフィアは奥まったカプセルの中にいたらしい。立ちあがり、心細そうに周りに目線を配っている。
俺はヒュプノスポッドの間をジグザグに進み、彼女のもとへ歩いた。けれども足が重い。鉛のパワーアンクルを巻かれたみたいだ。
ソフィアはなおも観察を続けている。彼女が動かない以上、着実に距離は縮まった。
とうとう俺はソフィアの近くまで来る。もう世間話が可能な間合いだ。
ソフィアはタラップを降りている。一瞬俺と目を合わせたものの、すぐに足元へ視線を戻した。
俺のことなど眼中にないのでは? 止めどなく、胸が苦しくなる。
俺はソフィアの前で止まった。彼女も床に降り立ち、直立している。俺たちの間に遮るものはない。
すぐに言葉が出てこなかった。「おはよ」という簡易な挨拶すら、のどに詰まる。
俺が何も言えずにいると、ソフィアはけげんな面持ちになった。不審に思っているのは一目瞭然。
俺は認めるしかなかった。
たぶん彼女、夢の中の記憶がない。俺を、面識ない不審人物と思っている。『こいつ、なぜ私に絡んでくるのかしら』という疑問が、脳内で旋回してるんだろう。
分かってたことじゃないか。ドッペルちゃんだって未来視してくれた。こうなることが、ごくごく自然なのだ。今の俺とソフィアの間に、つーかーの絆なんてない。
切なくたって受け入れろ、阿部倉ケン。せめて別れ際に、感謝の意を届けるんだ。
ソフィアがいないと、俺はがんばれなかった。受難の盛り合わせにたちまちへこたれ、くじけてしまったに違いない。
今の俺があるのは、君のおかげなんだ。
たったそれだけ伝えればいい。よし、やるぞ!
「は、はじめまして。俺は阿部倉ケンといいます」
ソフィアはじっと耳を傾けていた。
覚悟したはずなのに俺の声、震えている。情けなさマックスだけど、乗りかかった船だ。続けるしかない。
「『初対面なのに何言い出すんだ、この野郎』と思うかもしれない。だけど伝えたくて。どうもありがとう。君に出会えたから、俺は俺でいられたんだよ」
当の恩人は感涙にむせぶどころか、当惑しきりだ。出会い頭の『ありがとう』の意図を測りかねているらしい。




