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[4―8]善悪の彼岸さえかすむ美談

「にしてもびっくりだよ。ただ者ではないと思ってたけど、まさか天使とは。君が仕える神様は、何を司っているの? やっぱり『慈愛』とかかな」

「紛らわしく、大仰な言い方でしたね。正確には、この世界の神々の一角です」

「つまり『装置が生み出した夢の中の』ってことかい」

「イエス、マイマスター」

「それでも神聖なことに変わりないよ」


 ドッペルちゃんは口元をほころばせる。


「惜しむらくは、影響力の乏しい零細な神でして」

「どういうことかな」

「はい。わたくしが信奉する神は、この世界を形成する、あまねく善意をエネルギー源としております」


【スリーピングビューティー】計画にかかわる人間の善意が、起源か。途方もなく規模のでかい話だ。


「希望の神様ってことだよね。弱小ってわけじゃないと思うけど」


 ドッペルちゃんがかぶりを振る。


「ケン様ならご存知でしょう。善悪が両天秤にかけられた場合、人はあしきものに惹かれやすいと」


 悲しいかな人間、魔が差して大なり小なり、悪事に手を染めることがままある。事例を一つ挙げるなら、【マインド・リセット】計画なんて象徴的だろう。


「ですから善なるものをかき集めても、全知全能とはほど遠いのです。しかも神は概念の存在であるため、思念体の皆様に直接的な奉仕ができません。そこで神は英知を働かせ、活力を分けてくださる皆々様へ、二つのものを提供することにしました。一つがわたくし。神の御業を代行する、自律思考型インターフェイスです。もう一つはケン様たちがご活用なさっている、異能力でございます」


 マテリアライズって神様が授けてくれた力だったのか。道理で研究員の連中が関知してないわけだ。


「しかしながらわたくしは、つい先日まで己の本分を見失っておりました」


 ドッペルちゃんが顔を伏せる。


「記憶喪失か何か?」

「いいえ。わたくしの神とのアクセスを阻害され、機能を最小化されていたのです」

「傲岸不遜な野郎だ。君をなぶるなんてお天道様が許しても、俺は許さないぞ」


 ドッペルちゃんは顔を上げ、見つめ返してくる。


「まさにあなた様が気づかせてくれたのです。ケン様はわたくしの目の前で、特殊能力を使ってくださいました。あれが契機となり、わたくしは使命に立ち返れたのです」


 そういや俺、下手くそなキリスト像作ったっけ。


「君の力になれてよかったよ。いつも助けてもらってばかりだから」


 ドッペルちゃんは自身のほっぺに、俺の手を添える。


「いいえ。わたくしはケン様に、かけがえのないものを授けていただきました。あなた様と触れ合うたび、わたくしの心は温かいもので満たされたのです」


 困ったな。もうちょい言い回し工夫してくれないと、脈があると先走っちゃいそう。


「そっか。ところで天使であるドッペルちゃんは、こっちに残らなくちゃいけないよね。でも君をがんじがらめにするやつがいるんだろ。平気なの?」

「ええ、今後は我々も共存していかねばならないでしょうし。ちなみに、くだんの〝彼〟ならそちらで息を殺していますよ」


 彼女が光の花道と逆側を向いたので、俺も倣った。そして心胆寒からしめられる。

 巨大なドラゴンがいるのだ。

 漆黒のうろこに覆われ、体長は優に数十メートルはあろうかというビッグサイズ。深く裂けた口も、俺なんて軽く丸のみしそう。

 俺はビビりながらもドッペルちゃんの前に立つ。この黒竜から彼女を死守しないと。


「ケン様のお手を煩わせることはありません。彼は何もしてきませんので」

「ど、どうして」

「彼はわたくしと真逆の存在です。この世界の悪意を動力とした、邪神の手足。それゆえ、かように巨躯なのです」


 ドッペルちゃんが痩身で、ドラゴンは巨体。これが善と悪の比率って寸法か。

 つくづく人間って生き物は、業が深い。


「こいつの出自は分かった。でも手出ししてこない理由は?」

「普段の彼とわたくしの存在感には、歴然とした差があります。もちろんわたくしが及ぶべくもありません。というか、わたくしはまんまと取りこまれておりました。ケン様とて、幾たびも煮え湯を飲まされたはずですよ」


 俺は熟慮してみたが、ピンとこなかった。


「俺はついぞ、ドラゴンと会ったことなんてないよ」

「そばにいたではありませんか。彼は夢の世界で別形態をとっておりました。ケン様たちが心血注いで挑まれた、〈塔〉です」


 なぬっ。すると悪の化身の眷属である黒竜の体内を、俺たちは何往復もしてたのか。


「非常に難敵ではありますが、この瞬間において彼は非力です。なぜなら今現在、こちらの世界は希望に満ち満ちておりますゆえ。彼は弱体化するばかりか、わたくしに手を出すことにより、善意に染め上げられる事態を危惧しているのです」


 そうか。絶望が糧の黒竜にとって、希望は劇物なのだ。

 俺たちアバターは現実への帰還という共通認識で、一丸となっている。最終ミッションに参加してくれた者は言わずもがな、直接的に関与してない思念体も期待に胸膨らませているかもしれない。

 エントロピー的な総量でいうと一時的に希望が過半数を占めており、パワーバランスはドッペルちゃんに軍配があがっているのか。


「納得したよ。んじゃ、ちょっくら釘を刺しておくかな」


 俺は息を吸いこむ。


「おまえには、めっちゃ手こずらせてもらったよ。それはいい。もう終わったことだから。でもこの先、彼女を軟禁なんてするな。そんなことしやがったら、俺がじきじきにおまえをとっちめるからな」


 ドラゴンが不快そうに目を細める。しかしそれだけだった。火を吹いてきたりしない。

 承認、と受け止めていいのだろうか。


「ケン様。わたくし、うれしゅうございます」


 俺は龍に背を向けて、彼女と向き直る。


「困ったことがあったら、どしどし言って。すぐに駆けつけるから」


 それが実現可能か、分からない。でもきっとやれると思うんだ。


「はい」


 ドッペルちゃんの幸福そうな笑顔を見て、腹が決まる。


「俺、そろそろ行くよ」

「お待ちください。最後に攻略者へ、褒章の授与がございます」

「何かもらえるの?」

「ええ。わたくしができる範囲のことを、なんなりと一つお申しつけください」


 俺は頭上から煙が出るほど熟考した。

 そして素晴らしいアイデアに至る。


「教えて、ドッペルちゃん。俺がこのまま帰ったら、ここでの記憶がなくなるよね」

「恐らくは」

「君の力で、記憶をとどめたままにできるかな」


 ドッペルちゃんは絶句した。おもむろに口火を切る。


「可否で申せば、できます。しかしわたくしは、再考すべきと具申します」

「なぜだい」

「あなた様が、おつらい思いをなさると考えるからです」

「ん~。俺、ドM星人じゃないよ。自虐趣味なんてないけどな」

「あなた様は覚えてるのに、周囲の誰も記憶がない状況をご想像くださいませ。思い出を共有できないばかりか、ケン様は虚言癖すら疑われかねません。それが他人の仕打ちなら、まだしも耐えられましょう。されど気が置けない仲の榊さまや宝翔さまにされたら、胸が張り裂けるのではと」


 この娘は意地悪で反対してるんじゃない。俺を思って、異論を唱えてくれてるんだ。

 それが俺の胸の奥をほっこりさせてくれる。


「ありがとう。でもね、忘れたくないんだ。ソフィアやツバサと旅をしたこと。君と愉快なやり取りしたこと──そういったもろもろを、まっさらにされるほうが、俺にとっては断腸の思いだから。ドッペルちゃん、頼むよ」

「分かり、ました」


 ドッペルちゃんは言ってから、唇を噛んだ。


「わがまま言って、ごめん。君は、俺の無茶ぶりにも応じてくれる史上最高のメイドさんだよ。だから機嫌を直してくれないか。お別れはお互い、笑った顔でしたいんだ」


 俺は彼女の頭を、いたわるようになでた。


「まったく、自己中心的なご主人様です」


 ドッペルちゃんは渋々笑ってくれる。


「もうちょい和やかだと、なおよしなんだけど」

「注文が多いですよ。敬愛するマスターとの別離を控えて、喜色を浮かべられるわけないでしょうに」


 俺は手を止めた。彼女の言う通りだ。

 俺たちは今までみたいに頻繁には会えなくなる。


「ケン様まで辛気くさい表情、なさらないでください」

「あー、くそ。悪い。湿っぽい展開にするつもり、なかったのにな」


 俺は髪の毛をかきむしった。


「また、会えるよね?」


 問いかけると、


「ケン様が望まれるのであれば、いつでも夢の中にお邪魔します」

「分かった。んじゃ、今夜はどうかな」

「忍耐力がありませんね。そんな腑抜けで、どうしますか」

「うわ。こりゃ一本取られた」


 俺たちは、どちらからともなく吹き出した。

 やはりこうでなくちゃ。これは今生の別れじゃない。

 俺たちはきっと再会できるから。


「んじゃ俺、今度こそ行くよ。今は形式的にさよならしよう。達者で。愛すべきドッペルちゃん」


 俺は彼女を見据えつつ、後ろ向きで虹の扉へと遊泳した。


「とわにお慕い申し上げます。親愛なるマイマスター」


 ドッペルちゃんは恋してしまいそうなほど輝かしいスマイルで、見送ってくれた。

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