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[4―7]未来へつながるミラクル

『すがすがしいほどの負け惜しみ、痛み入る。ではごきげんよう。いい夢に没頭してくれたまえ』


 主任が嫌味ったらしくホットラインの終わりを告げた。


『すまない、ケン。自分を律しきれず、任務が尻切れトンボになってしまった』

「んなことねぇよ」


 聞こえてないであろうツバサに、俺は言う。


「あのゲスを相手取って、耐え忍んだほうだぜ。俺なら三秒でケンカ腰になったろうし。あと男前な捨てゼリフ、最高にしびれたぞ。ほれてまいそうだよ」


 うん。ツバサは健闘した。

 実際オンラインの特異点は、射程圏内。下界からはゴマ粒ほどしかなかった赤い丸が、今や俺が十人並んでもまだ余るくらいのサイズになっていた。

 ただし通信が断絶されたことで、真紅の円に黒い影が差し始めている。両側から閉じていき、現在は三分の一ほどが漆黒に侵されていた。赤色がなくなれば、オフラインという流れなのだろう。

 一度閉じてしまえば、二度と開かない。暴虐な生体実験が果てしなく続く。

 そんなの、認めてなるものか。

 けど俺の意気ごみと裏腹に、円柱の上昇スピートは頭打ちだった。接点の閉まる速度を鑑みて逆算すると、寸ごうの差で間に合わないだろう。

 加えて寒い。眉毛やまつ毛に霜がついている。マイナス二桁になっているかもしれない。体の動きがとろくなっており、取っ手にしがみつくので精いっぱいだった。酸素も薄くて吸えども吸えども、息が苦しい。意識が朦朧として立ちくらみもする。

『こんな苦汁をなめるくらいなら、さじを投げて楽になりたい』という思いがよぎった。

 ……見下げ果てたぞ、阿部倉ケン。諦めてどうする。

 もうゴール目前じゃないか。心持ち手を伸ばせば届く距離だ。

 ラストスパートがしんどいのは、万国共通。そして音を上げて楽になったら、しわ寄せはどうなる?

 俺が憂き目を見るのはいい。身から出たサビだから。けれど影響はアバター全体に及び、みんな涙をのむ羽目になる。

 俺は凍傷になりかけの手で、自身の頬をはたいた。ひざにムチ打ち、立ちあがる。

 赤色のライフラインは、残すところ五分の一。九分九厘、無理ゲーだろう。

 円柱を足場に両ひざを曲げて、力を蓄える。


「うおおぉぉーーーー」


 俺は閉まりかけている出口へ、乾坤一擲の大ジャンプをした。

 効率厨からすれば『悪あがき』にしか映らないだろう。無様なのも承知だ。俺は向こう見ずに風車へ突撃をかます、ドン・キホーテかもな。

 けど敵前逃亡はしない。タイムリミットまで、もがきまくってやる。

 それがソフィアとツバサ、お膳立てしてくれた人たちに対する最低限の礼儀だから。

 されども現実は、俺の信念をあざ笑う。

 あと一歩というところで出入口がふさがった──かに思えた。

 自分でもめちゃくちゃな表現だと思う。ただ、俺だって我が目を疑ったのだ。

 天空にドッペルちゃんがいる。光を帯びた幼女メイドが、左右に腕を広げ、リンク先が閉じるのを妨げていた。

 俺は虫の息で、幻覚を見ているのだろうか。でも事実、黒の侵食は足踏みした。

 もうなんだっていい。俺はドッペルちゃんに向け、がむしゃらに手を伸ばす。


「届けぇぇーーーー」


 彼女に触れたと思った瞬間、気が遠くなり、俺は夢の世界から退場した。



≒ ≒ ≒ ≒ ≒



「……さま。起きて……さい」


 耳元で鈴を転がすような声がして、俺はまぶたを開けた。

 薄暗い中にも、ほんのり明るみがさしている。夜明け前──黎明の世界だった。

 天も地もなく辺り一面が薄闇に覆われた、風光明媚なガーデン。そこで俺は、あてどもなく浮遊している。〝天国〟ってのは、こういう場所なのかもしれない。


「死んじゃったのか、俺」

「お戯れを。夢見心地から脱してください、マイマスター」


 聞き覚えのあるフレーズに、俺は視線をさまよわす。

 いた。おさげ髪に、愛嬌たっぷりの容貌、そして小さなボディのメイドさんもふよふよと滞空している。


「ドッペルちゃん──って、なんでヌードなの!?」


 彼女はエプロンドレスを脱ぎ捨て、一糸まとわぬ艶姿だった。

 いくら幼女といえど全裸待機は、コンプライアンス的にまずいんじゃないか。

 ダメと思いつつも、チラ見してしまう。抗いがたい、男が抱えたカルマによる条件反射なので俺に非はない……はずだ。


「ケン様だって、お召し物がないじゃありませんか」


 ドッペルちゃんはころころ笑った。

 言われて俺は自分自身を眺める。

 なんと! 着ていたはずの学生服がない。どっか落としちゃったのかな。

 それより隠さないと。マイマグナムがお目見えしてしまう。

 俺は下腹部に手をやろうとして、異常事態に気づいた。見慣れた膨らみがない。

 別に『俺の息子がポークビッツ』なんて、ひわいなオチをつけたいわけじゃないが、影も形もないのだ。

 どこへやった? こっちを遺失した深刻さは、学ランの比じゃないぞ。

 俺がキョロキョロと挙動不審だったからだろう。


「何かお探しですか、ご主人様」


 まさか「俺のナニが」などとバカ正直に答えられない。途方に暮れてドッペルちゃんを見やると、やっと得心いった。

 彼女の肢体にも、都条例に抵触しそうな突起物がない。顔面以外、肌色の全身スーツをまとうようなフォームだ。それは俺の体にも該当する。

 双方とも至極健全な画で、俺は胸をなでおろした。


「ごめん。俺の勘違いだった……って、ぬおぉっ」


 天丼気味に、俺は奇声をあげた。ドッペルちゃんの肩付近を指さす。


「は、羽が生えとる」


 ドッペルちゃんの背面に、純白の羽が一対あるではないか。


「ああ、これですか。気になさらないでくださいませ。あなた様のもとへ参上するうえでノーマル形態では何かと不便ゆえ、カスタマイズしました」


 こともなげに言うドッペルちゃん。


「君も具現化能力を使えたってこと?」

「わたくしのは、ケン様たちの源流みたいなものです」


 頭の中がごちゃごちゃになってきた。いったん整理しないと。

 俺は地上からみんなの協力を得て、天空のリンク先に飛びこん──


「俺が失神間際に見たのは、幻視じゃなかったってこと? 現実世界への出口が閉まるの、君が防いでくれたよね」

「さようでございます。ケン様たちが粉骨砕身なさっていましたので、わたくしもわずかながら助力させていただきました」


 俺は空中で平泳ぎし、ドッペルちゃんに接近する。そして彼女の手を握った。


「わずかどころじゃない。君がいなければ、俺たちの努力は水の泡だった。本当にありがとう。思念体の皆を代表して、お礼を言うよ」

「そうおっしゃってくださると、労苦が報われます。やったかいがありました」


 感動的なシーンだ。ハリウッド映画なら、抱き合ってエンドロールだろう。

 俺は彼女の矮躯にハグしようとして、ふと閃いた。


「あれ……。つーことはだよ。俺、リアル世界へ帰れるの?」

「あ、申し訳ありません。一等初めに申すべきでしたね」


 ドッペルちゃんがぺこりとおじぎする。


「ミッション・コンプリートおめでとうございます、阿部倉ケン様。ここは夢の最果て。始まりと終わりの地平でございます」


 彼女のセリフを飲みこむまで、俺はあんぐりとしていた。徐々に充足感が湧いてくる。

 やった。やってやったぞ!!

 俺はドッペルちゃんの手を取り、小躍りした。彼女も嫌な顔せず、付き合ってくれる。

 二人だけの舞踏会。ただ手を取り合い、ぐるぐる回っているだけで、社交ダンスの型もマナーもあったもんじゃない。

 ひとしきりはしゃいで、俺は二人だけのメリーゴーランドを止める。


「できればどんちゃん騒ぎで、ほかの仲間とも達成感を分かち合いたかったよ」

「実現したら、さぞや心躍るパーティーだったでしょうね」

「君の絶品手料理で舌鼓を打つのが、俺プロデュースの宴会プランだったのにな。こっちの世界に思い残し、また一つ増えちゃったよ」


 ドッペルちゃんが目を細める。


「言ってくださればお祝いの席でなくとも、腕によりをかけたごちそう振る舞うくらい、いたしますよ。ところでケン様。向こうに光の扉があるの、ご覧になれますか」


 ドッペルちゃんの顔の向きを目で追うと、風景を額縁のごとく切り取ったような、七色に輝くエリアがあった。


「うん。じゃああそこが」

「ケン様の日常と幻の大地の、境界でございます」


 ドッペルちゃんが息を吹きかけると、扉めがけて光の筋が二本伸びていく。夢の終わりまで続く道筋だった。しかも両脇に色とりどりの花が咲き誇る。

 まさしく『花道』だ。


「こんなことまでできるのか。すごいな、君」


 俺は彼女のお手並みに敬服した。こんなマネ、物質化や事象改変を駆使しても単独では到底不可能だろう。


「驚くほどのことではありません。それよりわたくしにも、感謝させてください。ケン様のおかげで、わたくしは自分が何者なのか、思い出せました。ありがとうございます」

「君は、どういう存在なの?」

「そうですね」ドッペルちゃんが思案する。「有り体に申せば『神の代行者』、あるいは『天の使い』でしょうか」


 眼前には、白い羽を有した美幼女がいる。

 ありきたりな言葉が脳裏をかすめ、俺はそのまま口に出した。


「ドッペルちゃん、マジ天使」

「それは、褒めてくださっているのですか」

「もちろんだよ。最大級の賛辞さ」

「ふふ。再三再四のご親切、感謝いたします」


 ドッペルちゃんは相好を崩した。

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