[4―6]富国強兵への宣戦布告
『なるほど。欠けた二人とも、タッグで被験体と行動していたので、観測者の交代が困難というわけか。厄介なことになったものだ』
主任の忌々しげな声が、夢の世界に響く。
『はい。我々はいかがいたしましょう』
ツバサが指示を仰いだ。
こいつは役者としても一流だな。俺を親友と信じこませていたわけだし、面目躍如か。ツバサが雑務をこなしてくれるので、俺はサヨナラホームラン一択のバッターボックスに入ることができたのだ。
そろそろ、俺たちの立てたプランのネタバレでもしとこうか。
まずツバサがプロジェクの上層部に、双方向通信で虚偽申告する。窓口でのやり取りをリアルタイムで共有するため、広域に拡散放送させて。スピーカー状態になってることは、現場の研究員たちには知る由もないらしい。
ツバサが交渉する間に、残りの思念体が現実への出口を探す。こちらとのホットラインを確立するってことは、どこかしらに通信回線を設けなければならない。そのリンク先が出入口になるはずと、俺たちは考えた。
ただし接続部の出現箇所に関する手がかりがないため、アバターは三々五々散らばったのだ。そして見事、お日様の中に特異点を発見したってわけ。
そこに飛びこむのが俺の役割だ。ソフィアが難色を示したのも、このこと。
彼女の不安は正確だったと言えるだろう。だってあんな高高度にリンクが現れるなんて、誰も夢想だにしてなかったから。最難関のアドベンチャーだ。確率的には失敗する見込みのほうが圧倒的に、違いない。
されど俺の中には不思議と悲壮感がなかった。根拠はないけど、とんとポカをやらかすビジョンが像を結ばないのだ。
たぶん俺が孤独じゃないからだと思う。
あまたの仲間が背中を押してくれている。だから俺はひるむことなく挑めるんだ。
『切り捨てたまえ』
主任研究員が宣告した。
『とおっしゃいますと、データサンプルをみすみす取りこぼすことになりますが』
『構わんよ。標本は、のべ四十以上ある。一つ二つ破棄したところで、大局的な視点では極めて軽微な損失だからね』
俺は吐き気を催した。
一つ二つ、だと? このおっさん、俺たち思念体を所有物か何かだと思ってやがる。
俺たちは地に足つけて世の荒波にもまれながらも、より良く生きようとしてるんだぞ。おまえたちにもてあそばれるため、生まれてきたわけじゃない!
『承知、しました』
『どうした。いたく不服そうだな』
『差し出がましいようですが、快くはありませんね。うわさが実証されたのかと、気落ちしております』
『うわさ、とはなんだね』
ツバサは逡巡するように、言葉をためた。
うまいな、と俺は脱帽する。相手に違和感を与えることなく、自然な流れで会話を引き延ばしている。
ツバサの役目はホットラインをつなぐことと、時間稼ぎなのだ。俺の到達前にせっかく確立した接点が消えてしまっては、元の木阿弥だから。
『我々エージェントも実験対象者ではないか、という疑惑です』
『どこのどいつだ。流言飛語に近い、低俗な風聞を広めるのは』
『ソースは明かせません。プライバシーの侵害になりますので』
ふんっ、と腹立たしげに中年主任が鼻を鳴らす。
『撹乱を企図した風説の流布に決まっているだろう。私たちと君らは、強固な信頼関係を築き上げた密接なパートナーだ。万に一つも、寝首をかくわけがない』
俺はツバサやソフィアに諭されるほど、人の心の機微が分からない。されど彼の言い分が詭弁の常套句であるくらいは、読み取れる。
ツバサが解読できないはずはない。失笑しているのだろう。
『しかし現実へ帰投する際、記憶を消去されたら手も足も出なくなります。契約不履行があっても、泣き寝入りするしかありません』
『心配症だな、君は。ビジネスはギブ・アンド・テイクのうえに成り立つものだ。君らは有益なデータを収集してくれる。私どもは働きに見合った高額な給料を支払う。その図式を根底から覆しては、我々の沽券にかかわるどころか、信用が失墜するだろう』
言いくるめる口実ってのが透けて見える。腹黒い大人のやりそうな手口だ。
『信じるしかない、というわけですね』
ツバサも折れざるを得なかったらしい。闇雲に粘れば、こちらの腹を勘ぐられる。適切な引き際といえるだろう。
『いかにも。で、もう通信を切っていいかな。私も業務が山積していてね』
まだ太陽まで距離があった。このままでは到着前にリンク先が閉じてしまう。
ここまで来れたのに……。俺の中に不完全燃焼の閉塞感が立ちこめる。
円柱の上昇は更に加速した。恐らく能力者全員が、フルパワーを振り絞ってくれている。中には力尽きて昏睡した者もいるかもしれない。
見えはしないけど下に目をやると、めまいがするほどの高さだ。肌寒いどころか、体の芯まで冷えてくる。ソフィアのダウンがなければ、低体温症になっていただろう。
柱の持ち手も冷たく、吐く息は真っ白。それどころか呼吸もままならない。気圧低下によって酸素が薄くなっているのだ。それに伴い、意識もぼんやりしてくる。
俺は頭を振った。
ここで終わってたまるか。ネバーギブアップだ。最後の瞬間まで、俺は諦めない。
『一つだけ、質問よろしいでしょうか』
ツバサが問いを投げた。
『なんだね。コンパクトにしてくれたまえ』
主任研究員は億劫そうだった。
『【スリーピングビューティー】計画──いえ、【マインド・リセット】計画は本当に、人民のためになるのですか』
『なぜ一兵卒の君が、そんなことを気に病む?』
『この試験運用でぼくらは、運営側にいられます。けどヒュプノスポッドが市販化されると、ぼくも管理される側ですよね。立場が正反対になる寄る辺なさから、うがった見方をしているのかもしれません』
主任は即答せずに沈黙する。
やばい、悟られたか。俺は先行きを懸念した。
『私見だが、これからの日本には必要な制度だと思う』
食いついてきた。この人、政治談義に目がないのかも。
『その心をうかがってよろしいでしょうか』
ツバサの表情が手に取るように浮かんだ。『してやったり』って面差しに違いない。
『戦後復興、高度経済成長期を経て、日本は経済大国となった。しかしバブルははじけ、景気が低迷する。今や新興国に追い越され、かつての栄光は見る影もない』
ツバサは相づちを打つ程度で、口を挟まない。彼にうんちくをしゃべらせ続けたほうが、間が持つと考えたのだろう。
『昔の日本には共通のスローガンがあった。衰退した社会を再建したい。裕福になって、いい暮らしがしたい。でも今はどうだ。「個性の時代」などという耳触りのいいまやかしが蔓延し、貧富の差は拡大する一方。資金は海外に流出し、見る間に国は退廃していく』
テレビのコメンテーターみたいな論調だな、と俺は思った。
『だからヒュプノスポッドで、民草を同じ方向に誘導するのですか』
我が意を得たり、という感じで中年主任が続ける。
『このシステムさえあれば、日本は不死鳥のごとくV字回復を遂げるだろう。列強の国々に肩を並べ、もうでかい顔はさせん』
『ぼくたちはさしずめ、そのための〝礎〟でしょうか。犠牲、とも言い換えられそうですけど』
『土台の脆弱な建造物ほど、トータルコストのかさむ物はないからな。益体もない一生を漫然と過ごすより、大事業のベースとなれる恍惚を噛みしめて欲しいものだよ』
このおっさん、とうとう馬脚を現したな。
ツバサは辛酸をなめるのが「ぼくたち」と言った。それを否定しないのだから、夢の中の思念体はエージェントもろとも人柱に捧げる、と明言したも同義だ。
もしかしたら彼は、典型的な国粋主義者なのかもしれない。国の衰弱を憂うあまり狂気の沙汰へ暴走してしまう、旧態依然とした保守派の構成員。
『ぼくはそう思わない。自縄自縛の気がしてなりません』
『なんだと』
『次世代機を使っても、貧富の格差は是正されないと思います。富める一部の特権階級が、凡百の思考力を持たない貧しき人々に恵みを施し、真綿で首を絞めるだけでしょう』
『それの、何がいけないんだね』
『奴隷と大差ないからです。いや、もっと惨事だ。召使でも、傲慢な主人から逃げようとする分別くらいあります。けどヒュプノスポッドの効力が発動されたら、支配されることを疑問視しなくなる。国が陣頭指揮をとる洗脳です。遅かれ早かれ国際社会から糾弾され、日本は瓦解しますよ』
『汚れ仕事を生業とするドブネズミの分際で、知ったような口を利くな!』
主任が怒声を発した。
『主任は支配者たるエリートでありたいわけですね。ぼくたちは搾取され、施しを受けるしか能のない烏合の衆ってとこですか。「出来損ないは黙って、特権階級から指図されていろ」とお考えになっておられる』
『結局貴様は何が言いたいんだ。質問したかと思えばおちょくって、首尾一貫性がない。あたかも私とよもやま話で時間を──もしや貴様ら、共謀して反乱するつもりでは』
ツバサは何も答えない。
『その無言、謀反の意思ありとみなすぞ。直ちに通信を遮断しろ』
中年主任が指示を出した。部下に命じたのだろう。
とうとう俺たちの狙いがバレた。
ツバサが舌打ちする。
『主任、最後に一言だけ物申したい』
『急場しのぎでこびへつらっても、手遅れだ。貴様らの生殺与奪権、我々が掌握していることを忘れたのが、転落の岐路だったな』
『では開き直りましょうか』ツバサが息を吸う。『ぼくたちは落ちこぼれかもしれない。けど徒党を組んだ有象無象の団結力、見くびるなよ、頭でっかち野郎』




