[4―5]夢とうつつの決戦勃発
ツバサとソフィアが思念体に取り囲まれ、押し合いへし合いになっている。いきさつを知らぬ第三者からしたら、多勢に無勢のリンチにも映る光景だった。
「ということで皆さん、一つよろしくー」
俺は小声で閉会の挨拶をした。階段を用いず、壁を隆起させて足場にする。ごった返す人波を一足飛びして、ドッペルちゃんのもとへ戻った。
「ケン様は皆様に模範演技、なさらなくていいのですか」
「うん。俺って人に教えるセンス、からっきしみたいなんだ。ポンコツからにわか仕込みされるより、金八先生並みの名教師二人に委託したほうが、スムーズでしょ」
ドッペルちゃんは首を横に振る。
「お言葉ですが、わたくしはそう思いません。欠陥のある方では、ああも胸打つスピーチができないでしょうから」
公衆の面前で土下座する演説なんて、下の下だと思うけど。
「ケン様、もう一つお願いしたいことがございます」
今度は何かな。ベロチューとか求められたらどうしよう。
「先ほど、ご主人様たちの前でなさった特殊能力を、披露していただけないでしょうか」
なーんだ、がっかり。ディープキスのほうが良かったのに。
ってのは冗談で、俺は笑い返す。
「お安いご用さ。どんな物を作って欲しい?」
「マスターのイメージなさる、神様を」
彼女のリクエストは『ゴッド』だった。
俺は無宗教なので、神と言われてもすぐにピンとこない。だから十字架につるされた、イエスキリストを思い浮かべた。
我ながら、稚拙なブロンズ像が仕上がる。敬虔なキリスト教徒に教化されそうだ。
ドッペルちゃんのリアクションはというと、
「あ、あぁ……」
俺は何が起こったのか理解するのに数秒を要した。
ドッペルちゃんが手を祈りの形に組み、両目からぽろぽろ大粒の涙をこぼしている。
「どうしたの!? どっか痛むとか──」
「そうではありません。わたくしのレゾンデートルを取り返したのです」
謎めいた述懐をし、ドッペルちゃんは涙を流し続ける。
俺は彼女が泣きやむまで、ひとえに待ちぼうけするしかなかった。
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丸一日かけて協力者のアバターに対する異能の教練が完了した。ただし最終作戦に参加するのは全メンバーじゃない。七十名弱というところだろう。
十人ほどは、無気力化が著しく進行しており、練習すらまともにできなかった。残りの二十名近くは不参加を表明した思念体になる。拒否理由はバラエティに富んでいるものの、とにかく俺たちと袂を分かつ決断をした。
俺としては残念だが、強要するつもりもない。そんなことすれば、一億総マリオネット化の促進を画策する輩と五十歩百歩だから。
俺は誰にも無理強いしないし、お仕着せされたくもない。だから拒絶の意志であろうと尊重するのだ。
いずれにしても、夢の世界での戦いは最終局面を迎えた。
泣いても笑っても、ラストチャンス。どうせなら有終の美を飾りたいものだ。
「みんな、準備はいいか」
俺が声をかけると、周辺から「おう」という応答があった。
ここは〈塔〉の外苑だ。三十名ほどのアバターが各持ち場に待機している。
天上には雲一つない青空が広がっていて、絶好のカウンターアタック日和だ。天も味方してくれていると信じたい。
さあ思念体の命運をかけた、総力戦のはじまりはじまりだ。エリートども、首を洗って待っていろ。あんたらになじみのない雑草魂ってやつ、お見せしてやるぜ。
「ケンくん……ホントに大丈夫?」
俺の傍らで、ソフィアが浮かない顔をしていた。
俺は力こぶを作ってみせる。
「お任せあれ。昨日熟睡したから、エネルギー満タンだよ」
「そうじゃない。一人は、危なくないかなと思って。なんなら私も一緒に」
「ソフィア」俺は真正面から彼女の肩をつかんだ。「みんなで話し合って決めたことだろ。かいより始めよ、さ。言い出しっぺの俺が、急先鋒になるべきなんだ」
ソフィアは金色の眉を下げる。
「何が起こるか、分からないんだよ」
「予見できないからこそ、少数精鋭がいいんだ。天災級のハプニングが起こってアバター全体が共倒れなんて、シャレにならないし」
「でも、しくじる可能性のほうが高──」
俺は人差し指で彼女の唇をふさいだ。
「それ以上は、思っていても非公開にしないと。協力してくれるみんなに顔向けできなくなっちゃうだろ。可能性はゼロじゃない。だったら試す価値は充分あるよ」
ソフィアがこわばった面差しで、うなずいた。
「それに一寸先は闇なのが、冒険の醍醐味さ。先の展開が予測できる物事なんて興ざめで、ちっともワクワクしないじゃん」
ソフィアがかすかに笑う。無理した作り笑顔だろう。
彼女の心遣いで気が楽になる。俺だって心から『楽しい』と感じているわけじゃない。胸は不安で押し潰されそうだ。
でも、たとえ怖くても、やらなくちゃいけない。『世界を救う』とか、大それた目的を果たすためじゃない。俺の私利私欲だ。
俺は現実に帰りたい。そして向こうで、ソフィアやツバサと再会するんだ。
『あー、あー。聞こえるかね』
スピーカーを通した中年のだみ声が、夢の世界一円に響いた。
『はい。音質・受信感度、ともに良好です』
今度はツバサの声が、山びこのように響き渡る。
「始まったぞ。総員、打ち合わせ通りに進めてくれ」
俺はソフィアの肩から腕を外し、周囲に号令をかけた。
俺が伝令するまでもなく、思念体は各々行動に移っている。ある者は望遠鏡を顕現させ、またある者は物質化した双眼鏡で捜索していた。
『私は本プロジェクトの主任研究員だ。君のエージェント識別番号を述べよ』
『はっ。識別番号、T0682であります、主任殿』
ツバサが軍人めいた口調で返した。
『あぁ、君か。人事担当から、秀逸な仕事ぶりと耳にしているよ』
『とんでもないです。ぼくは若輩者なので』
『卑下することはない。こちらとしても、それに見合うだけの報酬を支払ってるのだから。で、その優秀なエージェントの君が、どういう了見でこのホットラインを使ったのだね。双方向で話し合わねばならぬほど、火急の用件なのだろうな』
中年主任の言葉には、嫌味といらだちが内包していた。
『はい。ではご報告申し上げます。我らエージェントの中に二名、欠員が出ました』
『欠員だと? 過度な死亡による弊害──虚脱状態ということかね』
『主任のおっしゃる通りです。詳細をご説明します』
ツバサはきびきび肯定したものの、根も葉もないでまかせだったりする。無気力な状態に陥っているのはスパイ以外のメンツだ。
どうしてツバサが方便をのたまっているかというと──
「見て。合図よ」
熟女アバターが空を指さした。
そこには一筋の白煙が立ち昇っている。
俺はのろしのあがる先を見やった。あごを上向けていくも、それらしきブツは見当たらない。どんどん仰いでいくと、ついに太陽へ行き着いた。
こちらの時刻は正午近くになっており、ほぼ中天にお日様がある。
まぶしかったので、俺は手をブラインド代わりにした。
本当に、そんなとこにあるのかよ。疑念を持ち始めたとき、
「太陽の中だ。やつら、逆光で見えづらくしてやがる」
サングラスをしたアバターが状況報告した。
俺も眼を細めてみる。
あった。ケシ粒みたいにちっちゃいけど、黒点ならぬ赤い点がある。あんなもの、元来の太陽にはない模様だ。
つーかよくこんなの見つけたな。『野鳥の会』の会員でもいるのだろうか。
「俺も目標物を捕捉できた。当初の予測地点より幾分シビアだけど、あそこまで行くよ。サポートしてくれ」
俺は〈塔〉の根本に手を置き、円形に隆起させた。一人用のまん丸い柱がせり上がる。
「ケンくん、これを着て」
ソフィアがダウンコートを具現化させ、差し出してきた。
「適温で悪寒はないけど」
「高度が上がれば上がるほど気温は低下するの。たぶんあの高さだと、氷点下だから」
なるほど。たどり着く前に凍死、ってバッドエンドもあるのか。
「ありがたく着させてもらうよ」
俺は制服の上にダウンを羽織る。
あっとぅい。汗がにじむほどだけど、じき快適になるだろう。
あとソフィアに見守られているような安心感もあった。これは俺にとって、ロトの鎧と同等の代物だ。
「酸欠にも留意するんだ。空の上は空気が薄いから」
壮年アバターがアドバイスくれてから、地面に手をついた。それと連動して、俺が乗る円柱の高さも増す。彼が事象改変を上乗せしてくれたのだ。
「あと振り落とされないようにしたほうがいいかも」
アラサーくらいの女性思念体が、お立ち台に手持ち部分をあつらえてくれた。
確かに取っ手を握れば、ぐらつかずに安定感が増す。そして、より円柱が高くなった。
そろそろ地上とも、おさらばしなくちゃならない。俺の声が届かなくなってしまう。
「行ってきます。リアルでまた会おう」
俺は柱の上に立って、警察式の敬礼をした。
「いってらっしゃい」「あばよ」「グッドラック」
思念体の仲間が口々に返してくれる。
「ケンくん、無理しないでね。ダメなら私のところに戻ってきていいから」
ソフィアが両手をメガホンのようにして、ひときわ声を張った。
あーあ、言っちゃったよ。「ダメ」とか「無理」は禁句だってのに。
まぁ肩が軽くなったけどね。俺には帰る場所がある。
それを守るためにも、立ち向かわないといけないんだ。
俺は、照りつけるお天道様にガンをつけた。
最後に同志の勇姿を視覚に焼きつけるべく眼下を見下ろすと、散開していたアバターが続々と集結していた。合流するや、事象改変に連携していく。
おかげで等比級数的に、円柱の上昇する速度が増大していった。




