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[4―1]耽溺させる出来レース

 ツバサの自白後、俺もソフィアも口を利けなかった。

『ツバサが俺の友じゃない』に匹敵するほど、インパクト大だったのだ。

 誰かが〈塔〉の頂点で旗を振ると思っていた。そう考えるのは俺だけじゃないはずだ。賞金目当てなど動機は千差万別でも、皆一位を目指し、しのぎを削っているのだから。

 なのに、終点がない。

 そりゃないだろう。世まい言であって欲しい。

 だって大前提を揺るがすどころの騒ぎじゃない。レギュレーションなんてご破算にする反則だ。『最上階に行ける』と信じて挑み続ける思念体への、背信行為じゃないか。

 俺が失意に暮れる間も、ツバサは去らない。更なるマル秘情報をくれるつもりだろうか。大盤振る舞いだな。

 それによって、戦う気力がなえるかもしれないけど。


「ゴールがないなら、ボーナスの一千万はどうなる?」

「払うつもりなどないし、予算にも組みこまれていない。あれは実験動物をおびき寄せるための餌だ」


 ツバサが放つ言葉の数々は、刃となって俺の身をえぐる。

 ときに真実が何よりも残虐になりうると、俺は初めて学んだ。


「じゃあ【スリーピングビューティー】計画の狙いはなんだ」

「平たく言えば、無尽蔵のジェノサイドによって、思念体を疲弊させること。そしてそのプロジェクトは有名無実だ。裏ではこう呼ばれてる。【マインド・リセット】計画、と」


 ツバサの感情には起伏がない。交渉を有利に進めたいとか、情報通ぶりを誇示したいといった欲求が皆無だ。

 すなわち欺瞞じゃない、ってことなのだろう。


「俺たちの虐殺を続けることで、何が起こる?」

「アバターはいわば、意識の集合体。だから血流がなく、死してもよみがえる。ただ完全無欠の復活を遂げるわけではない。失われるものもある」


 俺はツバサの暴露を話半分で聞きたいと思う一方、否定もできなかった。

 地下の霊安室で何かが抜け落ちていったのを実体験したから。


「魂、か?」

「そんなスピリチュアルな夢物語じゃない。もっと救いがないものだ。先ほどぼくは口にしたろう。意識の寄り集まった存在が、アバターだと。ぼくたちが再起するとき、自我が摩耗するとのことだ。その現象が死に際なのか、生き返るときに起きるかは定かじゃない。とにかく自意識の一部分が欠損する」


 俺はその意味を反すうする。しかしお手上げだ。


「自我がなくなることで、俺たちにデメリットがあるのか」

「逆に問おう。ケンが決断を下す際、何をより所とする?」

「そりゃ、自分で培ってきた経験則だろうよ。意図するしないにかかわらず、おのずから身につくものだ」


 ツバサが首肯する。


「個々人のアイデンティティによって、導く答えが変わるはずだ。ではその根幹をなす、自我を奪われたらどうなるか、イメージしてみるといい」

「お、おいおい。まさか個人の自由な思考力がなくなる、とかじゃないよな」


 ツバサは言いきる。


「遺憾ながら、そのまさかだ」


 俺は茫然自失になった。少なくとも正答を誇る心境にはなれない。


「【マインド・リセット】プロジェクトの本懐は思念体を何度となく殺して、自我を縮小させることにある。それを手際よく実施するための装置が、〈塔〉だ。ゆえに完走なんてされたら、ほとほと困るのさ。五体満足で帰すつもりなんて、毛ほどもないのだから」

「自意識が限りなく小さくなった人間の末路は──」


 俺が飲みこんだセリフを、ツバサが継ぐ。


「『廃人』だろうな。己の頭で一切考えられなくなる」


 脳裏に墓場で邂逅したメガネ青年と、妙齢の女性がよぎった。ひょっとすると彼らは、〈塔〉で命を失いすぎて、考える力を減退させたのだろうか。

 だとすると、これほど空恐ろしいことはない。対岸の火事ではなく、『明日は我が身』なのだから。


「植物人間を量産したくて、ヒュプノスポッドが開発されたの?」


 血の気のうせた顔のソフィアが尋ねた。


「まさか。でくのぼうを大量発生させたら、国が滅んでしまう。むしろそうならないためのデータ収拾が、試作テストの真意だろうよ。デッドラインを見極めたいんだ」


 またしても物騒な単語が、ツバサの口から飛び出した。

 後味悪さてんこ盛りで、感覚が麻痺しかかっているのだろう。だんだん驚かなくなってきている。


「どこまでやれば廃人になり、何回死ねば操り人形になるのか。この実験を通じ、線引きしたいのだと、ぼくは考えてる。要は為政者に唯々諾々と従うイエスマンを仕立てあげるデバイスが、ヒュプノスポッドだ」

「操り人形だって? ふざけるな。俺たちはモルモットでもマリオネットでもない」


 驚愕の代わりに、ふつふつと怒りが湧いてきた。人の尊厳を軽視した蛮行じゃないか。

 まるで隔離施設にとらわれた囚人だ。

 あぁ……今更ながら、姉が正しかったのだと俺は知る。

 チナツ姉は本計画を『人体実験』と称した。俺は相手にしなかったけど、姉の悪い予感が的中したのだ。

 夢の世界は広大な実験場で、思念体はナンバリングされた家畜も同然だった。でもそれを洞察したところで、あとの祭り。だって悪夢からエスケープできないのだ。

 アバターが自らの意志で現実に帰還する手段は、〈塔〉を制覇すること。なのに最上階へは立ち入れないのだから。

 打つ手なし。すでに詰んでいる。


「思念体は『供物』なんだよ。『人柱』といってもいい。アバターの動向を逐一観察するのがぼくら、エージェントの役目だ」


 ツバサが暗澹たるチェックメイトの現況を総括した。


「ぼく〝ら〟って、おまえ以外にもいるのか」

「運用試験時アバターはツーマンセルで、こちらに送られる。うち一人は無邪気で無知な被験体。もう一人は思念体になりすました試験官だ。ケンが前者で、ぼくは後者」

「じゃあ、最初私と一緒にいた男性も……」

「ご名答だ。ぼくら監視役に課せられた任務は、おおまかに二つ。一つはありとあらゆる逆境をくぐり抜け、死なないこと。もう一つは監視対象アバターの一挙一動を、依頼主に報告することだ。そのためエージェントには、苦難を退けるだけの優れた身体機能などが求められる。ソフィアくんの付添人が不運だったのは、記憶操作が十全に機能しなかったことだ。よってぼくが君のモニター役を引き継ぐ運びとなった」

「おいツバサ……ってゆうか、おまえは『ツバサ』で相違ないのか?」


 俺が尋ねると、ツバサは笑みの形に唇を曲げた。


「問題ない。ファーストネームは親から授かったものだよ。名字の『榊』は偽りだがね。というか榊電子の社長に息子などいない。ググれば一発で調べがつくことだ」


 夢の中だからこそ通じる詐称、というからくりか。もしネット環境があったとしても、世情に疎い俺は、疑いもしなかったろうけど。


「ならツバサ、俺がおまえを『親友』と思いこんでたのが、記憶操作なんだよな。じゃあ思念体は総じて、記憶をいじくられているのか」

「肯定する。夢幻の世界へ旅立つ際、実験体は例外なく作為的に記憶を植えつけられる。でないと傍らにいる隣人に、不信感を抱くからな。ついでに言っとくとリアル世界へ帰投する折も、記憶の改ざんがなされる」

「おいおい、帰るときもかよ。今度はどんなダミーメモリー、上塗りされるんだ」


 ツバサは首を左右に振る。


「逆だ。抹消されるのさ。夢の中で経験した一切合切の記憶は蓄積されない。跡形もなく消される手はずだ。場合によっては、おまえたちのように本計画の真相にたどり着く者が現れることを想定してな。『人権侵害だ』などと声高に叫ばれては、ことだろう?」

「じゃあおまえが洗いざらいしゃべってくれたのも──」


 ツバサは即時応答しなかった。一拍言葉をためる。


「それも、ある。ぼくが何を吹きこもうと、実験終了時にケンたちの記憶は初期化されるからな。このアルバイトは表向き、所感をレポート化することになっているが、一枚たりと集まらないだろう」


 こういうのが『完全犯罪』なのだろうか。

 大金をぶら下げて金の亡者たちを釣り、秘密の人体実験に投入させる。欲しいデータを採取して、あまつさえ記憶も奪取し、抗議の声を封じこめるシナリオ。

 自らの手は汚さず、水面下で狡猾な罠を張る、お役人の考えそうな悪巧みだ。ほころびが見つからな──


「待ってくれ、ツバサ。おまえ、俺たちの動きをクライアントに報告している、と言ったよな。やつらとコミュニケーション取る手段がある、ってことか?」

「よしんば、それを足がかりに彼らとのコンタクトを考えてるなら、案から外したほうがいい。ぼくらは一日に一度、指定された通信施設で定時報告の義務がある。しかし基本、それは双方向のネットワークではない。エージェントが一方的に状況を伝え、彼らが思い思いのタイミングで受け取る。向こうから追加の注文があれば、電報形式で文が届くことはあるけどな。通信手段としては電話より、メールを想像したほうが近い」

「緊急事態が起こったときも、そんなまどろっこしい方法で連絡取るのか? 一分一秒を争う事態だって、発生しそうなものだけど」

「『基本』と断ったろう。緊急時のホットラインはある」


 俺は思わず身を乗り出す。


「あるじゃんか! なら早速利用して」

「そんなイージーな話じゃあない。実現までに段階を踏まねばならないからな。ぼくたちエージェントが総意で承認しなければ、向こう側とは連絡取れない仕組みだ。五十名弱の監視役が意思統一して初めて、話し合いのテーブルにつける」

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