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[3―8]フー・アー・ユー?

 俺はきめられている手のひらに、意識を集中する。


「ツバサ、とくと食らいやがれ!!」


 リーサルウェポンが火を吹いた。


「ふん、こけおどしとは腰抜けな──」


 ツバサのセリフが途切れた。目と鼻の先で俺が具現化した物体を、凝視している。

 少ししてから〝あれ〟独特のにおいが広がった。好物の人には食欲をそそり、嫌悪する人種には冷や汗もののスメル。


「まさ、か……まさか、おまえ。なんてことを!」


 ツバサは怨嗟の叫びをあげ、寝技を解除した。ベッドを飛び越え、ドアへ続く通路まで退却する。


「ふぅ、あっぶねーな。あとちょっとで、ひじ関節があさっての方向にひん曲がってたぞ。ちっとは手加減しろよ」


 俺はひじをさすりつつ毒づいた。

 ツバサが呪詛の言葉を吐く。


「よくもそんなもの、ぼくに突きつけたな。鬼畜め」

「人の腕関節をクラッシュさせかけたやつが言うセリフかね。こんなの、おまえの所業に比べりゃ子供だましだぜ」


 俺はマテリアライズした物質を、ツバサに差し向ける。

 ツバサは鼻をつまみつつ、眉間にしわを寄せた。

 物体の名すら口にするのをいとうご様子だ。なにせ、あいつ自身が言っていたからな。

 忌み名、と。

 無為に引っ張りすぎも能がないか。答え合わせをしよう。俺が想像で創造した物。

 ずばり『納豆』だ。

 においがしないとか、ひきわりとか、卵醤油タレをかけるといった亜種じゃない。王道オブ王道──糸を引いてばっちり臭みのある、大粒納豆だ。

 俺が一歩近寄ると、ツバサも同じく一歩後退した。まるで汚物を見るようなまなざしを注いでくる。

 失礼しちゃうぜ。俺は慣れたものだからいいとしても、納豆に固辞の態度は感心しない。全国の生産者と、納豆フリークに平身低頭するといい。


「どうした、ツバサ。俺の息の根を止めるんじゃなかったのか」


 形勢逆転し、俺は強気の姿勢を見せた。


「非人道的だぞ。おまえの血は何色だ」

「赤に決まってるだろっ。こっちじゃ確かめるすべ、ないけどな」


 納豆一つで、こうまで侮辱される筋合いはない。どんだけ毛嫌いしてるんだよ。

 ツバサは俺が次にどんな奇行に打って出るか、用心深くうかがっていた。取りも直さず、俺以外の事柄には注意力がおろそかになっている。

 こいつには阿部倉ケンと一対一で戦っている、という先入観があるのだろう。俺は一言だって、そう言ったつもりないけど。

 俺の張り巡らせた奇策は、もう一つあるのだ。実はそっちが本命だったりする。

 頃合いだな。もう解禁していいぞ、子猫ちゃん。

 心中がテレパシーで伝わったかのように、ユニットバスルームの扉が開いた。ちょうどツバサの真後ろの位置取りになる。

 ツバサの背後でソフィアが通行止めした。両手をお盆の形にして、何かを持っている。

 掌中にあるのは真水じゃない。


「許して、ツバサくん」


 最終兵器彼女は手中にある大量の納豆を、ツバサにぶちまけた。

 とっさにツバサは払いのけようとする。されど涙ぐましい努力は徒労に終わった。

 納豆の粘りを侮るなかれ。しつこい大豆製品は、ちょっとやそっとじゃ取り除けない。

 納豆まみれのツバサはゲシュタルト崩壊でもしたのか、糸が切れた人形のように倒れた。痙攣するだけで反抗する素振りはない。

 こうして反逆者の粛清は、納豆アタックによって幕を閉じた。



≒ ≒ ≒ ≒ ≒



「もう一度聞く。おまえはどこのどいつだ。榊ツバサというのは、偽名なのか?」


 俺は何べんもやった尋問を反復する。


「…………」


 ベッドの足にくくりつけられたツバサは物言わない。

 ツバサが気絶後、ひとまず両手両足を電源コードで縛った。次に目隠しだ。たとえ四肢の自由に制約を設けたところで、俺たちには物質化能力がある。知恵を絞ってなんらかの物体を具象化すれば、逃げることも夢じゃない。

 だから念には念を入れ、視界を潰させてもらった。自滅覚悟で無闇に能力を行使すれば打破できるかもだが、リスクマネジメントに長けたツバサのことだ。自らを危険にさらす一か八かの賭けはしないだろう。

 最後にベッドへ縛りつけて一丁上がり。監禁を実行する誘拐犯になった気分だ。

 ハンドソープで手洗いしたソフィアが進言する。


「ケンくん、このままじゃらちが明かないよ。何か別の手を打たないと」

「つってもな。まさか拷問するわけにいかないし」

「つくづく平和ボケした甘ちゃんだな。仮に拷問されたところで、ぼくは口を割らないが。そういった訓練も一通り受けているのでな」


 やっと口を開いたと思ったら、俺を小バカにしてくる。この点に関しちゃ、ブレることがないな。快いかどうかは別次元として。


「俺だって、仲間だったやつに虐待や折檻なんて、したかないっての」

「じゃあどうする。口封じでもするか? おとがめなしでぼくを放逐すれば、いずれ災禍が降りかかるぞ」

「一理あるな。いいよ、分かった。おまえの意をくんでやる」


 俺は新たなイメージを固めて、質量を伴った物体に変換する。


「ケンくん、話が違うよ。暴力沙汰までしないはずなのに、刃物持ち出すなんて」


 ソフィアが俺を押しとどめようと物申した。

 俺が顕現させたのは、サバイバルナイフなのだ。

 俺は彼女に答えず、ツバサの正面でしゃがむ。

 ツバサは『刃物』という単語で、体をこわばらせた。ただし弱みを見せたくないのか、口元に不敵な笑みをたたえる。


「殺れ、ケン。人間なんて一皮むけば、野獣より冷酷で残忍になれるのだから」

「悪いな、ツバサ。ご期待には添えないよ」


 俺はナイフの刃先でケーブルを切断した。ツバサの手足を禁縛する物に続き、ベッドにくくりつける用途のコードも真っ二つにする。

 にわかに信じられないらしく、束縛を解いたというのに、ツバサは立とうとしない。


「いいの、ケンくん」


 ソフィアが俺の意図を探った。


「うん。このまま続けても、どん詰まりだよ。ツバサは何もしゃべらない」


 俺の言葉を聞き、ツバサは釈放されたと認識したのだろう。腕をさすって立ちあがる。ついでに目隠しを自らほどいた。

 ソフィアが身構える。何かしてくると、警戒したらしい。

 俺は彼女の前に立ちふさがった。ツバサが何を仕向けてこようと、ソフィアは俺が守る。それが騎士としての務めだ。


「解せんな。なぜゆえ、ぼくを解き放つ」

「おまえとこんにゃく問答続けるのが、時間の無駄と思ったんだ」

「言ったはずだぞ。ぼくを無罪放免にしても遺恨を生むだけ、と」

「将来訪れるであろう不幸せを憂いて、ナーバスになったってしょうもないだろ。災いが起こったとき考えるよ。とにかくおまえは自由の身だ。どこへなりと、行くがいい」


 ツバサが無表情で告げる。


「ぼくを仕留め損なったこと、いずれ後悔するぞ」

「くどい。俺はな、仲間を手にかけるのが嫌なんだ。そんなことすりゃ必ず悔やむだろう。どの道後悔するのなら、胸くそ悪くないほうを選ぶまでさ」

「だまされるほうがマシ、か。ぼくには共感できない思考ロジックだな。あと訂正箇所が一つある。ぼくは今も昔も、おまえたちの仲間じゃない。物分かりの悪いケンには、良い教訓になったと思っていたが」


 俺は肩をすくめてみせる。


「おまえと俺は顔なじみじゃなかった。俺らの過去は、ニアミスすらしてない。でも仲間だったよ。少なくとも、〈塔〉に挑んでいる間はな」

「現実を直視できないのか。ぼくはケンを」


 俺はツバサの発言にかぶせる。


「おまえこそ、きちんと現状を許容しろ。おまえは俺の命を救ってくれた。それも一度や二度なんかじゃない。確かにそれは仕事の一環だったかもしれないな。でもそんなのは、瑣末なことだ。結果的だったにせよ〈塔〉の攻略に貢献してくれたおまえを、俺は『仲間』と思ってる。俺にとっておまえは、同志『榊ツバサ』以外の何物でもない」


 ツバサは沈黙して言葉を探す。


「過ちを認めたくない、ということか」

「違う。俺は仲間を憎みたくないんだ。おまえとの思い出を美談のまま、ピリオド打っておきたい。だから頼む、もう引いてくれ。俺はおまえと醜悪な戦争したくない」


 俺の頼みをツバサは咀嚼していた。

 ソフィアが、背後から俺の手を握る。俺が振り向くと、うなずいた。


「私も同じ気持ち。ケンくんは、間違ってないよ」


 俺のわななく指先が、見えたのだろう。安心させるため握ってくれたのだ。

 俺も、逡巡なくツバサを解放したわけじゃない。葛藤はあった。

 でももう迷わない。ソフィアが後援してくれるから。


「二人になって、どうする?」


 ツバサが疑問を口にした。


「〈塔〉の攻略続けるよ。おまえが抜けて、戦力ダウンは否めないけどな」

「なるほどな。では返礼として、耳寄り情報をやろう」

「何に対する礼だよ」

「一度ならず二度までも、死に瀕したぼくの命を長らえさせたことだ。借りを作っておきたくない」


 杓子定規なこと言うやつだ。「ありがとう」の一言で、おあいこにするのに。


「ケンとソフィアくんの勇猛果敢な挑戦は、無益になる」


 ツバサが不吉な予告をした。


「どういうこったよ。俺とソフィアじゃ、力不足と言いたいのか」

「いいや。力の有無が問題じゃない。ぼくがいたって同じことさ」


 続く展開が読めない。こいつは何を示唆しているんだ。


「実質、この〈塔〉には〝ゴールがない〟のだから」


 俺は何を言われたのか、分からなかった。耳から音声は入ってくるものの、右から左で認知に至らない。なのでオウム返しする。


「ゴールが、ない?」

「ああ。〈塔〉は無限ループしている。ぼくらのチャレンジは凄惨で滑稽極まる茶番さ。アバターは誰も彼も、頂上にたどり着けやしない」


 ツバサの断言で、足元が揺らぐ。立っていられなくなり、俺はベッドに座りこんだ。

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