[3―7]得るものなきデュエル
「偉いな。ぼくが手を下すまでもなく、自ら起きるとは」
701号室に入るや否や、ツバサが皮肉をぶちまけてきた。
俺は布団をたたみ、ベッドに腰かけている。出撃の支度と心構えは万端。心身ともに、戦場へ臨む武士のごとしだ。
「ツバサ、覚えているか。ガキのころの話だ」
「昔話なんて、どういう風の吹き回しだ。感傷的になっているのか」
「そうかもしれない。おまえと心ゆくまで語り合いたい気分なんだ」
ツバサはうろんな面構えでワークチェアに腰を下ろした。
続きを話してよし、という合図なのだと自己完結する。
「一緒に行ったピクニックで、俺が蛇に噛まれたときのことだよ」
「ああ、かすかに覚えている」
「犯行に及んだ蛇は噛み逃げしたけど、俺泣きわめいて身じろぎさえおぼつかない有り様だったろ。家族がテント張ってるキャンプ場へ、とても一人じゃ帰れそうにない。だからおんぶしてもらったんだ」
ツバサは、やや言葉をためた。
「そんなことも、あったな」
「本当に感謝してる。俺はあのときの広い背中を、すげー心強く感じたもんだ」
「感謝されるいわれはない。苦境にあえぐ人がいて、救える力が自分にあれば、手を差し伸べるのが人情だろう。ましてやぼくたちは親友じゃないか。おまえを助けるのは、半ば義務みたいなものだ」
「俺を救うのは義務、か」
ソフィアの話がなければ俺も額面通り、ツバサのセリフに感じ入ったろう。
自分で仕組んだことなのに、言い知れぬわびしさを覚えた。
「すまない、ツバサ。カマをかけさせてもらった」
「なんの、ことだ」
問い返すツバサ。こいつには何がカマかけか、不明確なのだろう。
当たり前だ。だって幼少期の俺たちに、〝接点などない〟のだから。
「俺が蛇に噛まれて立ち往生したのは真実だ。でも肩を貸してくれたのはおまえじゃない。俺の姉さん、阿部倉チナツだ。生意気に指図するのが板についているけど、姉はここぞというとき、弟の俺を甘やかすんだよ。それが放任できないゆえんでもあるけどな」
ツバサが絶句した。続いて舌打ちする。
「何がしたいんだ、ケン。ドッキリにしても、品性に欠けるぞ」
「そりゃ、こっちのセリフだぜ」俺は悪友を見据える。「おまえも俺をずっとたばかっていたろうが。『親友』なんつー、まことしやかなデタラメ引っさげてさ」
「気でも触れたか。ぼくがおまえをたばかり、どうなるっていうんだ」
「だから、それが聞きたいんだよ! 俺の『腐れ縁』などと粉飾して、おまえにどんな得がある。おまえはいったい、どこの誰なんだ!!」
けしきばむ俺に、ツバサもしらを切り通せないと腹をくくったのかもしれない。大きく嘆息する。
「どこで気づいた。ボロを出したつもりは、なかったが」
「正直なところ、俺が見抜いたわけじゃない。ソフィアだよ。俺が死んだときのおまえの立ち居振る舞いに、不審な点を見いだしたらしい」
ツバサが長い脚を組んで、乾いた笑いをあげる。されど瞳の奥は微塵も笑ってない。
「女の第六感は侮れんな。しかし察知するとしたら、彼女だと思っていた。もっとも『女だから』なんて、取ってつけた理屈じゃない。ソフィア嬢が慎重で弱腰だからだ。肝っ玉の小さい生き物は自分の身を守るため、外部刺激の些細な変化さえ目ざとく嗅ぎ取ろうと専心する。ぼくの偽装工作では、そのセンサーをかいくぐれなかったか」
寡黙なツバサはどこへやら。いつにもまして饒舌だった。
「言い訳じみているが、彼女をぼくの監視下に置くことは反対だった。おまえだけでも手を焼くのに、正体が露呈しかねないリスクを背負いたくはなかったから。しかし上の判断でね。一介の雇われ人には、異議を申し立てる権限がない」
「つまりおまえは、誰かに金で雇われてるってことか。クライアントは誰だ。俺をだます目的は?」
「質問攻めされても、答えられない。ぼくもプロの末席を汚す者。守秘義務がある」
予期した展開とはいえ、ショックを隠せない。俺の中にどこか『虚偽であってくれ』と願う部分があったのだ。
でも今の言葉で確定した。
ツバサは俺やソフィア側の陣営じゃない。なんらかの組織か権力を有する人間に、派遣された思念体なのだ。〝敵〟ということにさえ、なるかもしれない。
ツバサがイスから立つ。
「察知された以上、おまえを野放しにできない。ただしぼくの独断に余る案件だ。処遇は上に委ねる。それまでしばし勾留させてもらうので、あしからず」
「できれば……おまえと争いたくない」
俺が哀願するように言うと、ツバサは刹那言葉に詰まった。
「真相を暴いたのが、運の尽きだ。世の中には──知らなくていいこともある」
ツバサが片手にマインゴーシュを顕現させた。
「やるしか、ないのか」
俺もベッドから腰を上げた。
「ひと思いに無力化してやる」
ツバサが短剣を手に、躍りかかってきた。
「黙ってやられると思うなよ」
俺は毛布を手に取り、投げつけた。
「小ざかしい。目くらましのつもりか」
ツバサが宙に舞う毛布を一刀のもとに切り伏せた。
俺の真意は別のところにある。ツバサの注意をそらしたかったのだ。
「出し惜しみ、しているのか」
ツバサが俺の手もとを眺め、眼光鋭く目をすがめた。声色に怒気をはらんでいる。
俺は間隙を縫い、武器を物質化させた。ツバサは俺が生み出した得物に対して、批判的な態度を取っている。
俺が具象化したのは鍛錬用の剣、木刀だった。
「まさか。俺は戸愚呂弟も真っ青の、百二十%フルバーストだぜ」
「ぼくもコケにされたものだ。木刀ごときでいなせると、高をくくられるとは」
「だから過小評価なんかしてないっつーの。おまえが格上なのは重々承知している。サシの決闘じゃ、俺に勝ち目はない」
歯がゆくなったのか、ツバサが語気を荒らげる。
「だったら真剣でも出して、殺す気で来い! 生半可な気迫で、ぼくを討てると思うな」
俺は含み笑いを禁じ得なかった。
敵に塩送ってどうするよ。受け取りようによっちゃ、エールと変わらねぇぜ、それ。
俺はもう一つの確信に至った。
ツバサは俺たちを裏切っていたかもしれない。でもこいつは極悪人じゃないのだ。仕事だからヒールを演じている。
それが分かれば言うことなし。俺なりのケンカを全うできる、ってもんだ。
「おまえの尺度で測るなよ、ツバサ。俺はおまえを殺さない。というかおまえだって俺を殺せない。これはデスマッチじゃないんだ。いがみ合いによる同士討ちさ」
ツバサがギリっと歯を噛み、剣先を向けてくる。
「おまえこそ、自分のせせこましい物差しで測った気になるな。ぼくはおまえを血祭りにあげられる。赤子の手をひねるようにな。今から実践してやろう」
カーペットを蹴り、ツバサがマインゴーシュを振りかぶった。
袈裟切りを俺は木刀で受ける。勢い余り、刃が木の刀身にめりこんだ。
ベッドとベッドの間で双方、つばぜり合いする。
「どうしたよ。もうネタ切れか、ツバサ」
「たわけ!」
ツバサが俺のひざにローキックを見舞う。
命中。俺の体勢が崩れた。同時に集中が切れ、木刀が消える。
「なにくそっ」
俺は諦めず、警棒を出現させる。創造するや、下方から切り上げた。
「遅い」
ツバサが横っ飛びでよけた。警棒の一閃が空を切る。
「勝負あったぞ。敗因は非情になりきれないことだ」
ツバサが横合いから『面』を食らわそうとしていた。
俺は崩れた体勢からの反撃を空振り、いよいよ姿勢制御もままならない。警棒を消して防具をマテリアライズしても、手遅れだろう。
手詰まりだ。あとは刃が振り下ろされる様を座視するのみ。俺は運を天に任せた。
待てど暮らせど、短剣が襲ってこない。ツバサは上段に構えたまま、手を止めている。
『非情になれない』のは、俺限定じゃなかったな。
「ほらな。やっぱできないじゃん。おまえは俺との縁を、断ち切れないんだよ」
「おまえの八つ裂きに、刀剣など過当で不要」
ツバサはマインゴーシュを手放し、俺に足払いを仕掛けた。すってんころりん、と俺は転ぶ。すかさず手首をきめたまま、ツバサが寝転がってエビぞりになった。
腕ひしぎ十字固め。
相手のかいなを粉砕する寝技だ。
「降参してぼくに服従するなら、離してやる」
「や、やだねったら、やだね」
俺は『きよしのズンドコ節』をインスパイアし、否定してみせた。
「ふむ。片腕はいらないとみえる」
ツバサが体をのけぞらせ、俺の腕に対する負荷を増加させた。
「いだだだだだっ」
もはや強がりも出てこない。腕の節々がきしみ、断末魔をあげていた。
こいつは俺を死に追いやれないかもしれない。さりとて腕の一本や二本くらいならば、躊躇なく破壊できるだろう。
このままじゃ俺は、隻腕のアバターになってしまう。
それと同時に俺の中に別の疑念が去来していた。ホールドされた二の腕から伝わる感触が妙だ。元来あるべきものが欠落した、空虚感。
こいつ、よもや──
「おとなしく軍門に下れ、ケン。さもなくば腕、脚の順で腱を断裂させる」
「い・や・だっ。降伏するものか」
「是非もない。ぼくは『やる』と言ったらやる男だ」
ツバサが一層腕に力を入れた。
マジであとがない。数ミリねじりが加わるだけで、間違いなく腕の可動域を超える。
潮時、か。背に腹は代えられない。〝伝家の宝刀〟の出番だ。
可能ならば振りかざしたくなかった。相手の弱点をほじくり返すのは、フェアじゃないから。でも俺たちがやっているのはスポーツじゃない。ルール無用の果たし合いだ。
俺は言った。タイマンでは勝算がない、と。
けどそれは規則にのっとる試合の場合だ。倫理観や道徳を無視すれば、俺にだって勝機は残されている。
俺はソフィアに宣誓した。『生き残って現実世界に帰る』って。
だから、討ち死にするわけにいかないんだ!




