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[3―6]味方による斬新な見方

 俺は絶句した。

 彼女の説、荒唐無稽すぎる。でも反論できない自分もいた。

 ──記憶の中でたたずむ、合成写真のごとき榊ツバサ。

 ──コラージュめいた来訪者を、親友と盲信する俺。

 ソフィアの推定で、一応つじつま合わせはできる。しかしだとすれば不審点が氷解するとともに、身の毛もよだつ事態が浮上しないだろうか。

 俺の目の前にいる女の子が宝翔ソフィア、という保証が希薄になる。

 それどころか俺が『俺』と標榜する存在だって、マシンが描き出すフィクションの人格という疑惑すら出てくるじゃないか。

 俺には父母がいて、チナツって口うるさい姉がいる。慎ましくも平凡な生活を送る傍ら、冒険に憧れて【スリーピングビューティー】計画に志願した。

 そういったもろもろのパーソナルデータが、砂上の楼閣のごとく崩れ去る。

 俺は『阿部倉ケン』という人間なのだろうか?

 偉人の哲学者デカルトは述べた。


「我思う、ゆえに我あり」


 俺は物事を自分の頭で考えている。けどそれすらも『機械の演算処理ではない』と立証するすべがなく、俺がホモ・サピエンスだと言い張れる論拠にならない。

 もしや俺は、電子空間に漂流するデジタル数値の集積体なのでは?

 そう考えると、存在証明のよすがが崩れ落ちた。何を信じればよいか見当もつかない。

 なぜなら俺自身、人かどうかすら漠然たる有り様なのだ。

 どうやら俺は顔面蒼白にでもなっていたらしい。


「ケンくん、顔色悪いよ。リラックスして」


 ソフィアが俺を触ろうと手を伸ばしてきた。

 防衛本能が働き、俺はとっさに身を引いて彼女の手から逃れる。


「ごめんね。あなたに心理的負担をかけるつもりじゃ、なかったの」


 ソフィアが白い手を引っこめた。

 ツバサが友でないとしたら、ソフィアだってどんな思惑のもとにコンタクト取ってるか知れたものではない。俺は強迫観念にとらわれていた。


「…………」


 俺が何も語らず、おびえた目つきをしていたからだろう。ソフィアが立ちあがり、俺に近寄ろうとする。


「周りが全部敵に見えちゃう気持ちも分かる。でも私は、ケンくんの味方だよ」


 俺は分厚い殻に閉じこもるように、己の体を抱く。


「それを裏づける手段が、ないじゃないか。俺だって君を信じたい。だけど言葉なんて、どうとでもねじ曲げられる。口先だけで信用できるほど……心に余裕ないんだ」

「うん、そうだね。じゃあ私は、命をかけて誓うよ」

「どういう、意味?」

「こうするの」


 ソフィアは出刃包丁をマテリアライズした。

 その刃を俺に突き立てるつもりか?

 一瞬考えてから、自己嫌悪を覚えた。マジで俺はどうかしてる。発狂寸前だ。

 善良なソフィアがシリアルキラーなわけ、ないじゃないか。

 でも次の瞬間、彼女の取った空前絶後の行動に、俺は肝を潰した。

 ソフィアが包丁を両手で持ち、切っ先を己の首筋に当てている。


「信じて。私はケンくんと敵対したり、害を加えたりしないから」


 されど戸惑いと恐怖が錯綜してるのだろう。包丁が小刻みに振動するせいで、かえって危なっかしい。手もとがわずかでも狂えば、頸動脈を断絶させかねない。

 ただ、それでも俺は彼女の一挙手一投足を妄信できなかった。

 パフォーマンスという可能性だって、なきにしもあらずだ。果たしてその先ソフィアにどういった利益があるのか、俺には想像も及ばないけれど。


「やらせの狂言自殺、って思ってる?」


 ソフィアが俺の心を見透かしたように言った。

 俺の無言を『肯定』と解釈したらしい。


「そうだよね。元はといえば私の軽はずみな発言で、ケンくんを人間不信にさせちゃったんだもの。私が責任取るの、道理だね」


 俺には彼女の述べる『責任』が、何を暗示しているのか紐解けなかった。

 ソフィアは俺にというより、自分に言い聞かせるようつぶやく。


「へっちゃらよ。だって復活できるんじゃない。これでケンくんの疑いを晴らせるなら、安いもの。今が踏ん張りどきでしょ」


 俺は雲行きが怪しくなったのを肌で感じた。

 やにわに彼女の手の震えが、収まったからだ。か細い首筋に鋭利な白刃がぴたりと添えられている。


「これだけは言っておくね、ケンくん。私は宝翔ソフィア。気弱で助けられてばかりいる小心者。そしてあなたをほうっておけない、ただの女の子よ」


 ソフィアがほほ笑んで、目をつむる。

 俺は総毛立ち、脊髄反射で四肢を動かせた。ソフィアに向かって飛びかかる。

 彼女は一息に包丁の刃を滑らせた。


「痛っ」


 ソフィアの声ではない。俺の口から発せられた音声だ。

 間一髪で右腕が届き、俺は出刃包丁を手で握った。そのはずみで、手のひらが切れる。生命線が一本増えたかもしれない。

 勢いづいて慣性のまま、俺はソフィアをベッドに押し倒した。

 もみくちゃになって布団にうずまり、彼女は俺を見上げてくる。


「どうして、ケンくん」

「それはこっちのセリフだ。どうして自暴自棄なマネを」

「だって私のせいだし、信じてもらいたくて」


 ソフィアは決まり悪そうに顔を横に向ける。そこで包丁を離した俺の手を見たらしい。目を見開く。


「大変。深い切り傷になってる。すぐに治療しないと」


 ソフィアが刃物を消すとともに、泣きそうな顔で俺を見返してきた。


「大したことないって。むしろ傷ついてせいせいしてるんだ。これは俺の罰。君を疑ってかかった罪に対するバチが当たったんだよ。ってか、ソフィアの首こそ、ちょっと切れてるね。重ね重ね申し訳ない。女の子を傷物にするなんて、仲間失格だ」

「大げさよ。私のほうこそ軽傷だから。つばつけとけば完治しちゃうだろうし。それよりケンくん、私『仲間』でいていいの? まだ完璧には信じきれないんじゃ」


 自殺未遂するほど追い詰めた男に対してなお思慮深くいられる彼女を目の当たりにし、熱くこみ上げるものがあった。

 もう少しでソフィアを失ったかもしれない。俺は女々しくも悲劇に陶酔するだけで飽き足らず、取り返しのつかない愚行を犯したんだ。


「それを尋ねるのは俺のほうだよ。こんな愚かな俺だけど、君の仲間でいさせてもらっていいかな。謝って済む問題じゃないのは分かってる。でも俺は、ソフィアと一緒に冒険を続けたいんだ。それが飾り気のない本心だから」

「私も──私もケンくんと別れたくない。怒ってないし、それで気が済まないならあなたの罪を許す。だから、泣かないで」


 ソフィアの頬に、しずくが落ちた。彼女の流した涙ではない。

 泣いているのは──俺だ。せきを切ったように、次から次へとあふれてくる。俺の意志に反して、ちっとも止まらない。


「これは……違うんだ。悲しいから泣いてるんじゃない。君が一命を取り留めて、心から良かったなと思ううれし涙で、それで」


 自分が何を言っているやら不明になってきた。へどもどして言葉がまとまらない。

 ソフィアが手を掲げ、指で俺の涙を拭う。


「分かってる。何も言わなくても、私は分かっているから」


 あぁ、この娘は俺を理解しようとしてくれている。

 俺は決心した。もうソフィアを疑ったりしない。

 この先何があろうとも、だ。

 俺が彼女にアドバイスしたんじゃないか。

 他者の意向に左右されず、自分の流儀でいこうぜって。

 俺は俺だ。『阿部倉ケン』という人間は現存する。そしてソフィアを大切に思う気持ちも、またしかりだ。

 そんなことしないだろうけど、彼女にならだまされたって構いやしない。俺がソフィアを信じたいんだ。それ以上に満たすべき要件なんて、あるだろうか。


「ソフィア、〈塔〉をクリアして、ともに現実世界へ帰ろう。あっちで君に伝えたいことがあるんだ」


 ソフィアがたおやかに笑う。


「ここじゃ、都合悪いの?」

「うん。夢の中だと、言葉があぶくみたいに消えちゃいそうで」

「おかしなとこ凝り性というか潔癖だよね、ケンくん」


 バツが悪くなって、俺は後頭部をかく。


「ソフィアにはかなわないな」

「覚えておくといいよ。信念を持った女子は、強いんだから」


 彼女の信念が何に由来するか知りたくもあり、知るのが恐ろしくもあった。

 だから深入りはしない。


「心に刻むよ。ところで〈塔〉への挑戦を再開する前に、決着つけたいことがあるんだ。手助けしてくれるかな」

「私言ったでしょ。『宝翔ソフィアは、あなたをほっとけない女の子』って。逆にお尋ねしますけど、私がケンくんの頼みをすげなく断ると思う?」


 俺は押し倒した現況にかこつけて、抱きしめたい衝動を抑制するのに苦労した。〈塔〉の六階で幻のマオが侮蔑をこめて彼女に放った暴言は、あながちざれごとじゃなかったのだと悟る。

 ソフィアには、男を惑わせる才覚が備わっているのかもしれない。

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