[3―4]リバースからのリユニオン
ううん、一つ訂正。真なる闇ではないな。上の隙間から光が漏れている。
俺は手を突き出した。木製の肌触りだ。
力をこめるとフタが開き、煌々と光が降り注いでくる。
「まぶしっ」
たまらず前腕をひさし代わりにし、眼を閉じた。
しばらく待つと明順応してくる。俺は薄目で景色を眺めた。
梁のついた天井がある。
俺は上体を起こし、パノラマを一望した。全体的に石造りの内装で、窓がなく、照明は控えめにしてある。
人工物が散見されるってことは、三途の川でも天国でもない。
アバターが死して復活を遂げる〈塔〉の地下室か。
「にしても、この扱いはどうよ。俺はドラキュラじゃないっての」
俺を収納していた筒状の調度品を小突いた。
死人が永眠する〝棺桶〟なのだ。フタがしてあったので、暗かったというオチ。
至る所にずらりと棺が整列していた。皆フタが閉まっておらず、中に思念体がいる気配もない。現時刻で死亡したのは俺だけなのだろう。
そこはかとなく劣等感を覚えるな。落伍者の烙印を押されたみたいだ。
俺は苦笑しつつ、棺から立ちあがった。四方八方にある棺桶の間を縫って、壁まで行く。壁伝いに一周すれば、一階へ通じるエレベーターにたどり着くはず。
壁際まで行って、俺は息をのんだ。
俺のほかにも思念体がいる。
大学生ふうでメガネをかけた線の細い青年が、うずくまっていた。壁の一点をうつろに見つめ、ぶつぶつと独りごちている。念仏か呪文でも唱えているのだろうか。
「こんにちは。気分がすぐれないのですか」
出会い頭ということもあり、俺は気さくにしゃべりかけた。
口にしてから悟る。彼も俺と同様にリタイア組。「健康なのかい」なんて質問は、愚の骨頂だ。
「216、217、218」
メガネの青年は俺の呼びかけをシカトして、体育座りのまま心ここにあらずでぶつくさ言っている。
「あのぅ、もしもーしっ」
手応えなくて悔しかったので、腹から声をしぼってみた。
メガネ青年が『なんだ』って感じで、俺に顔を向ける。
この人、生きてるんだろうか。
身もフタもない感想だ。死んだ魚の眼で、ピントも合ってないように見える。『わいは幽霊やで』と自己紹介されても、俺は疑義を差し挟んだりしない。
それほど、彼からは生きとし生ける者の情熱を感じなかった。
「ここで何してるんですか」
「……何も」
メガネ青年の回答はツバサ以上に淡白だった。
「でも数を数えていたような」
「ああ、レンガの数をね」
要領を得ない。膨大にあるレンガなど数えて、何になるのだろう。
とりあえず俺は掘り下げず、問いかけを変更してみる。
「上へのエレベーターって、どこにありますか」
彼は一度反すうしたのか天井を仰ぎ、左に顔の向きを変えた。
そちらを見やると、隅っこにエレベーターの扉がある。
「ありがとうございました。あなたは行かないんですか」
「自分は、いいんだ」
何がよいやら意味不明だ。問い返そうとしたものの、メガネ青年がまたぞろ『1』からカウントアップをスタートさせたので、話しかけられなくなる。
「さようなら」
挨拶だけして、彼の横をすり抜けていく。
へんてこな人だった。ぶっちゃけ、かかわりたくないタイプだ。
レンガを数えるのがNGなわけじゃない。あの無気力な感じが、勘弁して欲しくなる。ああいうのは大抵他力本願で、自ら声をあげようとしない。他者からの働きかけを、一日千秋の思いで待っている。
俺はああなりたくない──と、いつも思っていたはずだ。なのに、今は何も感じない。受容したわけじゃないが、反発心も湧かない。
『ふーん、そんな人もいるんだ』という感慨しか去来しないのだ。
どうしちゃったんだろ、俺。一度死んで解脱し、寛容になったのだろうか。
なるべく考えないよう努めてエレベーターまでの道のりを進み、
「ーーーーっ」
俺はすんでのところで叫ぶのをこらえた。
さっきのメガネ青年とうり二つの、妙齢の女性がいるのだ。
容姿がそっくりなんじゃない。エレベーターの近くで三角座りして、うわの空の表情をしているではないか。
自分の同類が最下層に複数人いたことも驚きだけれど、窓際族スタイルが思念体界隈のマイブームなのかな。俺はそんなトレンド、乗っかりたくないや。
ただ内心はおくびにも出さない。彼女に話しかけず(彼女も俺へ視線すらよこさない)、すっと回り道する。
異様な光景を目に焼きつけて、俺はエレベーターに入った。
≒ ≒ ≒ ≒ ≒
扉が開くと、俺はラグビー式のタックルをされた。何者かにがっぷりおつで、ぶつかり稽古されたのだ。どこかの部族の洗礼か通過儀礼だろうか。
「よかった。ホントに生き返って、よかったよ~」
格闘家にしてはなよなよした声色だ。しかも体つきは丸みを帯びていて弾力性がある。極めつけが、びーびー泣いていた。
「って、ソフィアじゃん」
ソフィアが俺の胸に顔を押し当て、泣きじゃくる。
「ひっく。け、ケンくん、体は? ぐ、ぐすっ。どこか痛くない?」
これじゃどっちがどっちの身を案じるのか、示しがつかない。
「俺のことより、そちらのお加減いかがでしょうか、泣き虫姫さま」
ソフィアはわずかに顔を離し、ねめ上げてくる。
「な、泣いてなんかないもん」
じゃあそのほっぺたに筋を残している液体は、なんなのでせう。
さりとて彼女と対立するのは俺の本意じゃないので、足並みをそろえる。
「俺の見間違いだったよ」
俺はプラチナブロンドの頭をなでた。
「子供扱いはやめて」
言いつつも、ソフィアは俺の腕を払おうとしない。
「本当にどこもケガしてない?」
「うん。真に受けられないってんなら、全裸になってもいい。身体検査でもする?」
「け、ケンくんのエッチ!」
大声を出し、ソフィアはハグを解いた。
オーマイゴッド。もっと女体の包容力を味わっていたかったのに。
「けど得体のしれない現象ね。完全消滅したのに、何もかも元通りになるんだもの。殊更『死』を恐れることないのかな」
「いや、体験者としておすすめはしないよ」
「どうして」
「だって死ぬほど痛いんだぜ」
ソフィアはやっと笑ってくれた。彼女には泣き顔より笑顔が断然似合う。
もっとも、百パーたわごとでもないんだけど。現に復活する前と後で、自分自身に微々たる差異を感じる。
思念体の墓場で覚えた、心境の変化。そこに一抹の焦燥を感じないでもない。
ただし変わらないものもある。ソフィアへの名状しがたい想いだ。
彼女の豊かな感情表現につい見とれちゃうし、ユニークな挙措にはドキドキさせられる。今だって抱きつかれて胸が高鳴った。俺の鼓動ときたら、早鐘を打つほどだったよ。
うむぅー。俺に発症したのは、インフルエンザみたいな流行性の病気じゃないらしい。とすれば本格的に考察しないといけないかも。
『恋煩い』の可能性を。
考えだすと迷走しそうだし、ひとまず棚上げするか。
俺の内面にはもう一つ、健在なものがある。
たぎる熱き血潮──冒険心だ。〈塔〉の攻略を念頭に置き、こっちから着手したほうが建設的だと思う。
「俺がいなくなってからの状況を教えて、ソフィア。俺、どのくらい不在だったの」
「え。う~んと、一時間、くらいかな。時計見ながら待ってたわけじゃないから、あまり正確とは言えないけど」
「『待ってた』って、どこで?」
「ここでに決まってるでしょ」ソフィアが地団駄を踏む。「私がホテルで優雅にケンくんのよみがえりを待つほど、思いやりがない冷血女とでも!?」
「お、思わないよ。だから怒りを鎮めて」
「私は平常心だしっ」
ソフィアがぷんすかとほっぺをむくれさせた。
これで憤ってないと断ずるやつがいたら、俺は『空気読め』と忠告するだろう。
「エレベーターが開くたび一喜一憂したのよ。『ケンくんが帰ってきた』と思ったら全く別人だったりして。アバター全員に、『寸劇のレッスンに余念がない、おつむの弱い子』って目で見られたんだから」
「それは大変失礼しました」
「反省したなら、もう絶対死なないこと。何があっても『生き続ける』って約束しないと、許しません」
ここは、引きも切らず危険がつきまとう〈塔〉だ。ほいほいと「僕は死にましぇん! あなたが好きだから」なんて請け負えない。
でも──
「うん、誓うよ。俺は死んで、もう君を悲しませたりしない。ずっとそばにいる」
俺は安請け合いした。大言壮語かもしれないけど、自分に対する戒めでもあるから。
ソフィアがプルプル唇をとがらせる。
「だから、ちょいちょい思わせぶりなこと言うの、やめてくれないかな。勘違いをうのみにしちゃうでしょ」
言葉の裏をいまいち読解できなかったけど、俺は「気をつける」と答えた。
「ところで例の八階はどうなったの? 俺が棄権したから、未達成とか」
「いいや。クリアはできた」
俺とソフィアの話に入ってこなかったツバサが、きっぱり言う。
「そっか。んじゃ早速九階にチャレンジでもいいぜ。ツバサとソフィアの体調が万全なら、だけど」
「ぼくは問題ない。一時間の休息で、想像力の消耗も解消されたからな」
「重畳だな。ではレッツゴーだ、友よ。見果てぬ冒険が、再び俺たちを待ってるぜ」
俺が手招きしても、ややしばらくツバサはエレベーターに入ってこなかった。
やっと来たと思ったら一言だけ、
「迷惑かけたな、ケン」
それっきり口を閉ざした。これで『謝罪終了』ってことだろう。
気位が高くて気難しい猫みたいな塩対応だ。ツバサらしいっちゃ、らしい。
ツバサとの付き合いが浅いせいか、ソフィアは難しい顔をしている。
じきに彼女も偏屈王子のあしらい方を学ぶだろうけど、慣れるまでカルチャーショックが絶えないかもな。




