[3―3]デスサイズの報復DEATH
俺の秘策は〝脚立〟だ。高所で作業する際に用いる道具。
要するに迷路を鳥瞰して、正解のルートを導き出すってこと。
言われてみれば『陳腐』と思うだろう。けど子供でも閃きそうな答えが、最良の結果を生むことだってある。
脚立作戦は効果的だった。俺が上から順路の指示を出す。ソフィアとツバサはロープを一本牽引しつつ、俺の言葉通りにてくてく歩いた。
余談だけど、この紐は童話『ヘンゼルとグレーテル』のパンくずに準じて物質化させたものだ。つまりロープをたどっていけば、ゴールに行き着くって寸法。遅れて出発する俺が五里霧中にならないための道筋だ。
具現化能力に頼らなくとも、総当りのローラー作戦で正答に至れないことはないだろう。袋小路だったら引き返し、分かれ道からやり直せば、いずれゴールは可能だ。
ただしそれは、ポピュラーな迷路だったらの話。この鏡のラビリンス、間違ったルートに入ると、しっぺ返しが待っているから始末におえない。
行き止まりの床に、のこぎりらしき異物が埋まっているのだ。道を誤ると何かの拍子であの刃が襲いかかるのだろう。全面鏡張りにしたのは平衡感覚の翻弄のみならず、凶刃をカムフラージュするためかもしれない。
毎度毎度、陰湿な罠を仕掛けてくるものだ。製作者には、得も言われぬ鬱憤がたまりにたまってるのか。人間何歳になろうと、ストレスはつきものなのかも。
達観したおかげか、脚立上の眺望で俺は悟った。
フロアの高い壁と床は鏡で覆われており、下からの眺めも反射する。すなわちスカートを履いた女の子に大敵の、けしからんアングルではないか。がんばれば男子垂涎ものの、ソフィアの秘蔵ショットを拝めるやもしれないのだ。
されど俺は道順のナビゲーション、って大役を担っている。後方支援をほっぽり出し、『チラリズムで眼福ツアー』にはせ参じられない。
くっ、なんたる瑕疵だ。一生の不覚。
ツバサは気づいているだろうか。利口でむっつりな、やつのこと。むしろ知らないなどあり得ない。ウキウキウォッチングの独り占めなど、ずるいぞ。
俺はなんの気なしで別行動としたことに、ほぞを噛んだ。
上から見下ろす限り、俺の憂慮は見当外れだったらしい。ツバサは常にソフィアの前を歩き、後ろを振り向く気配さえなかった。どちらかというと、ソフィアがツバサに歩調を合わせ、さしずめ競歩のごとく脚の回転数を上げている。
俺みたいに劣情にとらわれない高潔さはあっぱれだけど、もうちょい女子を尊重しても良かないかな。男女平等の昨今、関白宣言なんてはやらないだろうに。
一方で胸をなでおろす自分もいる。ツバサがお下劣な行為に走らなかったことに対する安堵なのか、あるいはソフィアの下着が不可侵のまま保たれたことに対する感情なのか、我がことながら不透明だ。
今すぐ答えを出さなきゃならぬ設問でもあるまい。
ここは八階。三人の旅路は、まだまだ道半ばだろうから。
俺は脚立を抱えて、仲間たちの軌跡であるロープを手繰り寄せた。
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入り組んだ迷路も終盤、最後の直線まで来た。もう俺がナビするまでもない。
従って温存とエネルギー節約のため、想像製の脚立も消し去った。
「ツバサくん、突出して列を乱さないで。ケンくんを待とうよ」
ソフィアが声がけした。
一番手のツバサは、なおも前進を続行する。
「待ったところで、彼氏と乳繰り合うのだろう。お邪魔虫になりたくないので、一足先にゴールさせてもらう」
「おまえらしくないな。ひょっとして、やいてるのか」
最後尾から早歩きしつつ、俺はジャブ程度の気持ちで軽口をたたいてみた。
ツバサが体を反転さぜ、後ろ歩きをしたまま出口を目指す。
「ほう。なめくさった口を利くじゃないか。読者モデルの彼女ができたからって、天狗になるなよ。実態の伴わぬ鼻っ柱、ぼくがへし折ってやろうか」
「だからツバサくんが考えるような恋人じゃないんだって」
今度はソフィアが横から口を出した。
噛み合わない混沌とした無駄話や。どうやってオチをつければいいのやら。
時間の問題か。ゴールすりゃたるんだ気分も、おのずと引き締まるだろうから。
九階へ挑む前にはっちゃけるくらい、無礼講だよな。
「いきがって悪かったよ。だから前向いて歩け、ツバサ。脇見運転は事故のもと、だぞ」
「まさかケンから、勝ち組のオーラを見せつけられる日がこようとはな。ぼくの立つ瀬がないではないか」
ツバサはムーンウォークをやめず、思索にふけりだした。
ゴール寸前だからって注意力散漫すぎだろ。こけても知らない──
俺の視界の隅に、きらめくものが映りこんだ。九階への階段の直前に、注意を払わないと見逃してしまうほどの細長い閃光が停滞している。
あれは──ピアノ線!?
なんの趣向だろう。挑戦者をずっこけさせたいのか?
教室の出入口に黒板消しを挟める感覚に近いとか。目的地に達したと油断したところにチョークまみれの一撃を見舞う、「やーいやーい」といった遊び心。
そんなわけあるか。
〈塔〉にその手の茶目っ気はない。引っかかると命をも落としかねない罠のオンパレードだったじゃないか。あのピアノ線だって、なにがしかの致死性があるに違いない。
「ツバサ、止まれっ。足元にトラップだ!!」
俺は猛ダッシュでソフィアの脇を走り抜けた。
後悔先に立たず。かかとがピアノ線に触れ、ツバサは転倒した。
クモの糸のごとき線が、音もなく切れる。
「罠だと? いったいどこに」
ツバサが尻もちつきながら周辺をサーチした。
「あっ」「なにっ」
俺とツバサが異変に気づいたのは、ほとんど同時だった。ツバサから見て右手、俺から見て左にまがまがしい物体がある。
のこぎり……もとい大鎌だ。死神が生者の命を刈り取る〝デスサイズ〟の刃先が、地面からのぞいている。間違った道を行くと、この鎌のサビになったのかもしれない。
けれど俺たちはノーミスでクリアしたのだ。なのに最後の最後でこんな仕打ちなんて、あくどいにもほどがある。
ツバサは体勢を崩しており、即時の回避行動に移れない。刃が急所以外に刺さるよう、体の位置をずらすのがせいぜいだろう。
俺がなんとかするしかない!
火事場のクソ力で最高速に達する。
からくも間に合った。俺はツバサの傍らに立つ。
「もうだいじょう──ぶっ」
背中から内臓にかけて激痛が駆け巡り、言葉が途切れた。目線を下にやると、土手っ腹からデスサイズの穂先が生えている。
背から腹まで貫通したらしい。
「いやああぁぁーーーー」
ソフィアの悲鳴をどこか遠くで聞きながら、俺は横ざまに倒れた。不可解なことに、俺の体躯を貫く鎌が消えてなくなる。残ったのは、腹にぽっかり開いた大穴のみ。
「ケン、どうして」
ツバサが立ちひざのまま、にじり寄ってきた。
「おまえ、ケガは、ないか」
「ぼくは無傷だ。でもおまえは」
ツバサは二の句を継がなかった。
でも言葉尻を濁すまでもない。自分の肉体のあんばいは、俺自身がリアルタイムで把握できる。
これは致命傷だ。俺はもう長くない。
「ケンくんケンくんケンくん」
俺の名を狂ったように連呼しつつ、ソフィアがやってきた。鏡の床に座りこみ、ひざの上に俺の頭部を載せる。
「平気、よね。私のそばから、いなくならないよね」
彼女は号泣していた。次から次へと涙があふれ、俺の頬へこぼれ落ちる。
「ごめん……。今度ばかりは、ダメみたい」
ソフィアに吐血や失血死する有り様を目撃させないでよかった。繊細な彼女が血の海に浸かったら、PTSDになるかもしれないし。
「そんなのって、ないよ。だって私、何もできなかった」
そんなことないよ。君にひざ枕で看取られるんだ。こんなに光栄なことはない。
でもろれつが回らず、言葉にできなかった。
だからせめて嗚咽するソフィアの涙を拭ってあげようと、手を伸ばす。
願いはかなわなかった。体が言うことを聞かなかったわけじゃない。
指が風景に溶けていくのだ。横たわる俺の体はほのかに発光し、指先や足先から次第に霧散している。
これが夢の世界の末期──思念体の消失現象らしい。
人間は自然死の間際、全身麻酔に近い状態になるという。不幸中の幸いか、こちらにも適用されるようだ。
先ほどまで体中を焼いていた責め苦が、きれいさっぱり消えている。
感じるのは猛烈な眠気だけ。俺の身体が、安らかに機能停止しかけている。
その前に伝えないと。
「泣か、ないで。また会える」
「から」と言いきる前に、俺の視野がブラックアウトした。
≒ ≒ ≒ ≒ ≒
俺は浮遊する感覚に満ち満ちていた。目が開かないので、状況把握がおぼつかない。
生暖かい水の中で、あてもなくたゆたっているらしい。夢心地だ。
ひょっとしたら、おなかの中の『羊水』だろうか。俺は胎児になって、へその緒で母親とつながっているのかもしれない。
そんなとりとめないことを考えていると、場面が転換した。
「へっくしょん」
唐突に寒けを覚えて、俺は盛大にくしゃみした。ついでに身震いする。
温かいものに満たされた極楽気分が一転して、北極に追放された感じだ。かてて加えて、何かが抜け出たような心もとなさもある。
『魂魄』とかいう、ブラックユーモアだろうか。
「どこだよ、ここ」
まぶたを上げたのに真っ暗で何も見えない。背中の感触で、あおむけであるのは分かる。腕を横に広げることもままならぬ、細身で筒状の寝床にて就寝中らしい。




