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[2―4]虚実ないまぜな巨躯の守護獣

 四階の出口に到着し、我先にソフィアとツバサがまろび出た。むせつつも、新鮮な空気を吸いこむ。一段落したのか、二人そろって俺へ非難がましい視線をよこした。

 俺も鼻を押さえながらエレベーターを出る。


「俺に非はないって。ドッペルちゃんのもらい物、無下にできないだろ」

「ならケンくんが責任持って処理してね」

「右に同じ」


 ソフィア&ツバサが丸投げのハーモニーを奏でた。至急五階への階段を登ってしまう。

 この珍品、俺一人には荷が重すぎるよ。廃棄するわけにもいかず、学生服のポケットにしまった。二人に追従して段差へ足を運ぶ。

 美男美女は階段の頂点で立ち止まっていた。何かをじっと見据えている。

 俺も頂上へ行き、二人と同じ光景を目の当たりにした。


『コロッセオ』


 ざっくばらんに抱いた、当エリアの第一印象だ。

 俯瞰して見下ろすと、円の上下に直線が伸びたフロアリング。そこ以外の部分は暗黒が広がっていて、落ちたらどうなるか分からない。

『場外 = ゲームオーバー』って趣向なのかも。悪趣味と言わざるを得ないが。

 通路の外が死に直結しようと、縁から落ちなければ済む話だ。幸い石造りの土台が頑丈そうなので、崩壊を案じなくていい。注意深く歩めば取るに足らないだろう。

 ただし目下のところ、まっすぐ進めそうもないのが大問題なのだけど。

 フロア中央の円形広場に、異形の生き物が鎮座している。

 三つ首で、虎と同等の巨体を有した四足歩行動物。鋭い牙の間から絶えずよだれが垂れ、空腹であることを示唆してる。とがった爪が石畳をこするたび、耳障りな音が鳴った。


「地獄の番犬──ケルベロス」


 こわごわとソフィアが端的につぶやいた。

 三つ首の大型犬がフロアの中心を守護してる。やつは円形闘技場から出られないらしく、俺たちから目線を外さず虎視眈々と待ち構えていた。

 ケルベロスは人語をしゃべらないものの、「テリトリーに一歩でも侵入したら噛み殺す」という殺気を如実に醸し出している。


「弱肉強食か。ふむ。自然の摂理だな」


 言下にツバサが得物をマテリアライズする。刀剣を砕く防御主体のマインゴーシュではない。抜群の切れ味を誇る、攻撃特化の〝日本刀〟だ。

 右手と左手に一本ずつ出現させる。鞘のない抜き身の白刃が不気味にきらめいた。


「殺し合い、するつもりなの? 積年の恨みがあるわけでもないのに」


 ソフィアがかすれ声で問うた。


「ならば君は自ら進んで、獣の栄養価に成り果てる気か。ぼくはご免だね」


 一蹴され、ソフィアは唇を結んで黙りこくった。

 ツバサが畳みかける。


「能力者三名でかかれば、いかな怪物といえど短時間で片をつけられるだろう。なるたけ苦痛なくほふるのが、せめてもの供養となる」

「容赦ねぇな。頭ごなしにいじめるなよ。ソフィアはか弱い女の子だぜ」


 ツバサが俺をギロリと一瞥する。


「性差など知ったことか。ぼくは生死の話をしている」

「ったく、ときどき天然っつーか石頭になるよな、おまえ。悪い癖だぞ」


 俺はうなじをぼりぼりかいた。


「どういう了見だ」

「通せんぼするワンちゃんをどかす必要あるんだろうけど、誰も『殺せ』とは命じてないじゃん。『殺害ありき』と決めてかかるなよ」

「あれが侵略者を生かして、『どうぞ』と道を譲るタマに見えるか」

「見えないね。だからアイデアを持ち寄るんだろ。三人寄ればなんとやら、だ」


 ツバサが眉根を寄せる。


「殺処分以外の具体案を提示してみろ」

「これからひねり出すんだって。襲撃の気配もないから、ふんだんに時間使えるし」

「ノープランか。論外だな」


 ツバサが血のりを払うように二刀を振った。すると刃と峰の位置が入れ替わる。

 殺傷に不向きな〝逆刃刀〟だ。


「おまえの行き当たりばったりにくみする気はない。ぼくは独自に動かせてもらう」


 刀身をさらし、闘技場へと歩みを進めるツバサ。

 あまのじゃくだよな。憎まれ口たたいておきながら、生かさず殺さずの武器に変形させちゃうんだもの。そういう不器用気質は嫌いじゃないが、伝わりにくいったらない。


「ソロで平気かよ。おまえこそ、出たとこ勝負じゃないのか」

「ケンと一緒にするな。相手の力量を計測するだけだ。ポテンシャルが未知数では作戦の立てようもないだろう」

「そーかい。瀕死の前に引き返せよ」

「いらぬ心配するより、妙手を捻出しろ。ぼやぼやもたついてると、ぼく一人で片づけてしまうからな」


 小憎たらしいセリフを吐き、ツバサは刀を構えて駆けだした。

 ケルベロスが外敵へ過敏に反応。三つに分かれた首が、一斉に近寄る標的をとらえた。鼻にしわを寄せて迎撃態勢を整える。


「ごめんね。私のせいで、ツバサくんと仲たがいさせちゃって」


 ソフィアが伏し目で言った。


「この程度で俺たちの腐れ縁に亀裂入ったりしないよ。あんなの日常茶飯事だし」

「うん。なら、いいんだけど」


 ソフィアが中央広場へ視線を転じた。

 ツバサがケルベロスと一進一退の攻防を──いや、ツバサが防戦一方かもしれない。

 敵の武器は三つの口にある牙と、両足のカギ爪。

 他方、ツバサの装備は二振りの逆刃刀だ。不利なのは自明の理。五方向からの多角的な攻撃を織り交ぜられたら、二刀流でもさばくのに苦戦する。


「ツバサくん、大丈夫かな。私も何か手伝えること、あればいいんだけど」

「下手に手出ししないほうがいいよ。バトルはあいつの領分だから」


 劣勢にかかわらず紙一重で持ちこたえる武勇は、「さすが」の一言に尽きる。ソフィアの戦闘技能が劣るとかってことじゃなく、ツバサの動体視力が常軌を逸してるのだ。

 俺が加勢したところで、なんの足しにもならないだろう。化け物の敵意に畏怖して足がすくんじまうかもしれない。


「俺たちは、俺たちのやれることをしよう」

「適材適所だね。背伸びしたって悪循環になるだけだし」


 ソフィアが至言を述べた。

 ただ一点、腑に落ちないことがある。


「ソフィアさん、どうして俺と一定の距離をおいているのかな」


 彼女は俺から離れて、だいぶ闘技場に寄っている。取り越し苦労と思いたかったけど、俺が前進するのに合わせてソフィアも連動し、間合いが縮まらないことで確信した。


「うんと、なんと言いますか……ケンくんその、におうから」


 ソフィアは言葉を選びつつも、はっきりと避ける原因を口にした。

 ショッキング。チーム紅一点に『臭い』と明言されるのは、男として死刑判決に等しい。恋が芽吹く可能性、限りなくゼロに近いじゃん。俺の明日はどっちだ。

 意気消沈する俺に天の啓示があった。

 悪臭、か。

 使えるかもしれない。ってか、災い転じて福となったかも。阿部倉ケンは転んでもただでは起きない男。どうせなら、とことんまでにおってやろうじゃないか。


「ソフィア、フルフェイスのガスマスクってイメージできる?」

「や、ヤブから棒にどうしたの」

「ヤブでもドブでも構わない。物質化可能か否か、聞きたいんだ」


 ソフィアは下あごに人差し指を当て、


「おぼろげに形が分かる程度だから、無理かな」

「だったらシンクロナイズドスイミングで用いたりする鼻栓は?」

「いけると、思うけど」

「上等だ。俺、ツバサの助っ人するから、鼻栓してて」

「作戦あるなら、ちゃんと説明してよ」


 ソフィアの制止を一顧だにせず、俺は円形広場へ走った。組んずほぐれつのツバサたちに接近すると、番犬の左頭が俺を捕捉する。

 思った通り手ごわい。野生の鼻腔の裏をかくのは、一筋縄じゃいかないな。もっとも、そのずば抜けた感覚器官が今回は命取りとなるのだけど。

 ケルベロスが目の前のツバサからターゲットを変更する。俺のほうがザコ、と勘で察知したのだろう。


「ツバサ、鼻の穴をふさげ!」


 俺は鼻孔を片手で閉じた。

 ケルベロスが牙をむき、俺へ飛びかかろうとする。


「何するつもり──」


 ツバサの疑問を耳からシャットアウトし、イメージを収束させる。

 こい!

 俺は空いた手に、魚の干物を召喚した。

 番犬が警戒感をみなぎらせる。


「きゃいん」


 次の瞬間悲痛な叫びをあげて、のたうち回った。


「くっ。それは……よもや」


 ツバサが表情を苦悶にゆがめた。指で鼻をふさいだ程度じゃ、防ぎきれないらしい。

 俺の鼻の奥にも、アンモニア臭に近いものが蝕んでくる。


「ああ。珍味の〝くさや〟だよ」



≒ ≒ ≒ ≒ ≒



 俺がくさやを顕現させた理由は単純明快だ。

 犬の嗅覚は、人間の一億倍も優れているという。だとしたら人でも手を焼く痛烈な臭みをぶつけてやれば、戦意喪失するに違いない。そう踏んで実行したまで。

 俺の読みはドンピシャだったらしい。

 恐怖心が骨の髄まで刻みこまれたのか、くさやを霧散させたのにケルベロスは俺がそばに寄るのを嫌がった。わずかでも近づくと、マッハで闘技場の最も離れた地点へ退散してしまう。

 その様子が気の毒で、俺はソフィアに頼んでドッペルちゃんのお弁当マムシサプリとすっぽんドリンクを献上することにした。

 飢餓状態だったのか、ケルベロスはがっつき、即座に平らげる。そして現金なことに、ソフィアになついた。忠犬気取りで彼女を飼い主と認めたのかもしれない。

 お散歩する地獄の番犬と金髪美少女。

 ううむ。近所のおじいさんおばあさんが卒倒しそうな絵面だな。

 ともかく俺たちは五階を踏破した。無論三つ首わんこは連れていけない。エレベーターに乗せられないもの。

 ソフィアが三つの頭を順番になで、名残惜しげな大型犬とお別れする。


「バイバイ。元気でね」

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