辻隆弘②
『のりこさんの手口……巧妙になって来ていると思います』
電話の向こうで、矢野氏が眉を顰めているのが目に浮かぶようだった。実際に顔を合わせたのはまだ二回だけだけど、隆弘は彼女のそんな表情ばかり見ている。笑顔の記憶の方が曖昧なのは、やはり特殊な出会い方と関係だから、だろうか。隆弘が矢野氏の笑顔を見る機会が今後あるかどうかはさておき――
「そうですね……」
のりこさんが過去の経験を踏まえて学習しているのは確か、と言っても良いかもしれない。
亡くなったモデル――葉月千夏の一件で、のりこさんは学んだのだろう。炎上は、フォロワーを増やす効果がある、と。ただし、事件を起こして「のりこさん」のアカウントへの注目を集めさせたとしても、切っ掛けとなった被害者のアカウントが削除されてしまっては、熱もすぐに冷めてしまう。
だから……なのかどうかは分からないけれど。今度は、「のりこさん」自身のアカウントで事件を起こした。「のりこさんごっこ」への不快感を表明した後で、彼女を「パクった」女子高生を――殺した。こんな良いタイミングでただの事故死や病死ということはないだろう。女子高生は、のりこさんによって殺されたのだ。のりこさんの脅威を知る隆弘や矢野氏はもちろん、多くのフォロワーやSNSユーザーだってそう思う。そして恐怖し――中には、次の事件を期待する者だって出て来るだろう。
多分、のりこさんはそんな期待にも応えようとしている。隆弘に待ち合わせを持ち掛けたのは、彼女のアカウントを削除し得る彼を始末しようとしてのことだと思っていた。実際、それも狙いではあるのだろう。でも、それだけではなく、更なるフォロワーを引き寄せるための布石でもあるとしたら。のりこさんと対決するつもりで、隆弘たちは彼女の術中に嵌ってしまっている、のだろうか。
『辻さん……やっぱり、危険だと思います。のりこさんは、思ってる以上に色々考えているのかも。……本当に、行かれるつもりですか?』
「はい。そこは変わりません」
耳には、矢野氏の不安げな声。目に映るパソコンのモニターでは、のりこさんが新しく誰かの投稿を拡散している様が表示されている。いずれも、女子高生の死に言及し、のりこさんへの興味を示す投稿だ。自撮り画像、イラスト、アニメのキャラクター、ペットと思しき犬や猫、風景写真――様々な種類のアイコンが、それだけ幅広い人からこの件が注目されていることを示している。無数のネットからの視線の先に、自分が置かれることになるのかもしれないと思うと、不安に肌がひりつく感覚がある。心臓の鼓動が早まって、それこそあの白い手に締め付けられているような気さえする。
でも、矢野氏がおずおずと提案したことに頷くことはできなかった。
「パスワードさえ合っていればあいつを消せるのは変わらない。どういう形かは分からないですが、会ってからでも遅くはない」
『今、それをやろうとは思われないんですね……。もしも、違っていたらどうするんです……?』
「……あいつが俺を狙っているということは、俺が知ってる、考えてるものだろう、と思ってます」
矢野氏は、のりこさんだけでなく隆弘のことも――少し――怖がっているだろう、という気がした。彼の予想しているパスワードが間違っている可能性はもちろん、武井法子への情によって判断を誤ることも懸念されている気配があった。彼自身にも、恋人でもなかった人間のことをどうしてここまで気に懸けるのか、矢野氏の当然の心配をどうして退けるのか分からないのだから無理はない。
「……そんな、凝ったことをするような奴じゃなかったんですよ。だから、大丈夫だと思います」
『辻さん……』
「当日は別行動ですから。矢野さんに託す、ということで……この前、お話した通りです」
どれほど不安と不信があっても、矢野氏はこれで黙ってくれるはずだ、という甘えのような確信が隆弘の中にはあった。遺体を発見してきちんと葬儀を行うことができた長谷川氏と違って、武井法子本人の行方は知れないままだ。そして、彼女のアカウントも、本来の持ち主ではない何者かにのっとられたまま。矢野氏自身の手でアカウントを葬ることができた長谷川氏とは、やはり事情が異なっている。
多分、彼にとっての武井法子よりも、矢野氏にとっての長谷川氏の方がずっと大事な存在だったのだろうけど――だからこそ、亡くなった人への心の区切りというものは、この人は尊重してくれるはずだった。
『……のりこさんの目的って、何なんでしょうね……』
案の定、というか。矢野氏は諦めたような溜息で雑音を起こしつつ、話題を変えてきた。答えの出しようがない、愚痴のような雑談ではあったけれど、押し問答を続けるよりははるかに建設的だろう。だから隆弘は、ぱっと思いついたことを述べてみた。
「フォロワーを増やしたい、注目されたい、ということでは……?」
『洋平の――彼のメモにあったんです。のりこさんが現れるのは、友達の輪から外れて、新しい輪に紹介された時。拡散希望、の元々の性質と併せて、何か伝えたいことがあるんじゃないか、ということだったんですが』
そのくだりは、隆弘も記憶に残っていた。長谷川氏は、その「伝えたいこと」を、のりこさんが殺した犯人ではないかと推理していたということだった。幽霊が無念を伝えようとしている、というのはとてもありそうなストーリーではあるし。
そして、長谷川氏がのりこさんに接触して、出てきた名前が彼のものだ。自身を脅かし得る存在だと認識して探していたのか――あるいは、救済を望む、武井法子の意志も入っていたのかもしれないけれど。
でも、彼女たちは既に彼を見つけている。目的はまだ果たされていないにしろ、その算段はついている。にもかかわらず、今現在の炎上沙汰だ。のりこさんは、まだ満足していない、のだろうか。
「俺を見つけて……始末、した後はどうする気なんでしょうね……」
『はい。心配する必要がなくなれば――無事に、削除することができれば良いんですが。――辻さん!』
心もとなげに呟いた矢野氏が、一転して鋭い声を上げた。反射的に携帯電話を耳から離した隆弘にも、その理由は分かっている。のりこさんが、新しい投稿を行ったのだ。矢野氏の方でも、パソコンの画面で彼女の動向を見守っていたに違ない。
その、のりこさんの投稿は――
――○月○日、××公園に△時。皆来てね☆彡
隆弘と約束したまさにその場所、その日時だった。
『辻さん、これは……』
「……予想通り、ということですよ。予想の範囲内だ。予定を変える必要はない……!」
怯えたように引き攣った声の矢野氏に対して、隆弘は努めて冷静な声を繕おうとした。そうだ、これは分かっていたことのはずだ。隆弘を始末するために、その場所に現れるために、のりこさんはフォロワーを利用しようとする。予想していたことがたまたま目の前で呼び掛けられたからといって、ことさらに怯える必要はない。
――のりこさん、そこに来てくれるの??
――行くよ~ヾ(*´∀`*)ノ
――営業妨害とかにならない? 何が起きるんだろ・・・
――良いカメラ持って行きます!
――残念、地方の身がつらい……(´;ω;`)
のりこさんの呼び掛けに次々と応えるコメント、「いいね」や拡散の数と勢いに気圧されたとしても。実際にその場に現れる人がどれだけいるかは分からないし、来たところでその人たちは隆弘の顔も名前も、存在すら知らないのだ。
(怖がる必要は、ない。そうしたら、あいつの思う壺だ……!)
「……また、前日くらいにご連絡しますので。その時に、改めて詰めましょう」
『はい。……お気を付けて』
「矢野さんも」
矢野氏を宥めるようにして電話を切った後、隆弘はパソコンを落とし、ルーターの電源も切った。彼のこれまでの習慣であるという以上に、のりこさんを寄せ付けないためのせめてもの用心として。
そして、携帯電話の画面についた皮脂を拭こうとして――メールの通知が来ていることに、気付いた。矢野氏との通話中に受信していたらしい。受信フォルダを開いてみると、SNSでメッセージが来ているという通知だった。……彼のアカウントの存在を知っているのは、ひとりしかいない。
――もうすぐだね。楽しみにしてるね^^
「はは……」
だから、のりこさんからのものだったとしても、驚くことではない。彼が本当に来るのかどうかの念押しにしろ探りにしろ、彼女も乗り気なら彼としても願ってもない状況のはずだ。
「落ち着け……」
だから、この段階で彼女に疑いを持たせてはならない。あくまでも旧友の武井法子に会うつもりだと、間抜けにも騙されているのだと、信じ込ませなくては。
――俺もだよ。絶対行くね。
震えそうになる指を深呼吸で抑えながら、隆弘は短いメッセージを返した。




