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のりこさんによろしく  作者: 悠井すみれ
のりこさんごっこ
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矢野朱莉①

 朱莉(あかり)が封筒から手を離すと、ポストの中でかたん、と音がした。どうやら中にはまだあまり封筒が積もっていなかったらしい。休日の午前中だから、だろうか。それとも、今時はわざわざ郵送で何かを伝えようとする人は少ないのかもしれない。ビジネスシーンならまだしも、個人のやり取りでは、特に。


 投函した封筒は、洋平(ようへい)の両親に宛てたものだ。彼のパソコンやスマートフォンから取り出した画像やブログ記事のうち、彼の日常が窺えそうなものを選んでプリントアウトして、それぞれにちょっとした解説を添えた。

 肉筆で手紙を書くなんて、本当に久しぶりだったからペンを持つ手が緊張して肩が凝ったし、書き損じた便箋を何枚も無駄にした。それでも、力が入った手の痛みや、今ひとつ自信の持てない手書きの文字にどこか安心してしまったのは、ここ最近、現実に足をつけないと、と思わせられることがあまりに多いからだろう。ネットだのSNSだの、幽霊だの。恋人の死の悲しみさえ上書きしてしまいそうなショックが立て続けに朱莉を襲って、心のどこかが麻痺してしまったような気がしてしまうから。自分の手で何かをする、ということは、ある意味で良いリハビリになったかもしれない。


 もちろん、長谷川夫妻への手紙には、洋平の本当の趣味――というか、()()のりこさんや、怪談やら都市伝説に関わることは書いていない。朱莉が勝手に判断するのもどうだろう、とは思うのだけど、長谷川(はせがわ)夫妻には彼のそういう面を教えなくても良いのではないか、と思ったからだ。多分、あの年代の人たちには理解しづらいことだろうし。洋平が、自然死ではなくて訳の分からないモノに殺されたのかもしれない、なんて知らせて、悲しみと混乱を深めさせるのは忍びない。


 だから、()()は朱莉がやることだ。

 (つじ)隆弘(たかひろ)氏と協力して、のりこさんの正体と目的に迫る。(あば)く。できれば――消す。長谷川夫妻に教えることはできなくても、少なくとも朱莉の中ではひとつの区切りになるはずだ。洋平の、仇を取ることができる、という。

 辻氏の方では、また少し目的が違うようなのが、不安ではあるのだけど。朱莉としても、亡くなったと思われる武井(たけい)法子(のりこ)の行方は、気になってはいるのだけど。


(助けて、もらった訳だし……)


 白い手に首を絞められた感触が肌に蘇って、朱莉はそっと首筋を撫でた。この世のものとは思えない、身体の芯まで凍り付くような冷たさは、思い出すだけでも怖かった。そこを助けてもらった恩を承知で、とにかく早く()()アカウントを消してしまいたい、武井法子の真実を闇に葬ってでも、とにかく安心したい、と思ってしまうほどに。でも、そんなことは辻氏が認めないのだろう。そもそも、アカウント削除のためのパスワードは――洋平の時と違って――彼しか手掛かりを知らないから朱莉にはどうしようもない。


「……行かないと……」


 だから朱莉は小さく呟くと、鞄を抱え直した。中には、長谷川夫妻宛てのものではない書類が一そろい、クリアファイルに入れられている。洋平のメモの類を改めてプリントアウトしたものだ。辻氏に先日会った時に一式渡してしまったから、朱莉のためのセットということになる。


 鞄を抱えて、朱莉は駅へと足を向ける。今日はこれから、辻氏に会いに行くのだ。身体を持たない、SNS上の存在のはずののりこさんが、辻氏に待ち合わせを持ち掛けたというから。のりこさんの意図は何なのか、会ってどうするのか、何を警戒すべきか――また、実際に顔を合わせて話さないと。電話で話した時の辻氏の興奮振りは少し異様にも思えたし――武井法子のことを聞き出すにしろ、問答無用でアカウント削除を試みるにしろ、朱莉一人でできることではない。彼と会って話すのは、絶対に必要なことだと思えた。




 待ち合わせの場所は、最初に会ったのと同じ駅、同じ改札だった。双方の住まいの中間点で行きやすいところ、となるとやっぱりここになる。


「矢野さん――」

「辻さん。お疲れ様です」

「どうも、お疲れ様です」


 休日だというのに、絶対に疲れてはいないのにお決まりの言葉を口にしてしまうのは、きっとお互いに社会人だからだろう。普段言っている言葉が、自然と出てきてしまうのだ。はしゃいで手を振ったりハグをするような関係では、断じてない訳だし。


「場所、調べてきたんですが」

「私もです。多分、こっちです」


「作戦会議」をどこでやるかは意外と難しい問題だった。前回のように駅中のカフェでは、周囲の目や耳が気になってしかたない。ファストフードやファミリーレストランの店でも環境はさほど変わらない。個室のある店も考えたけど、ふたりだけ、それも食事がメインではないのに長居するのはマナー違反だろう。不思議な縁でこうして度々会うことにはなったけど、朱莉と辻氏の関係は友人でも恋人でもない。だから、デートのような店を選ぶことは、お互いに何となく遠慮したようにも思う。


 電話越しに悩み合った末に、ふたりはカラオケボックスを使うことにした。これも個室というか密室ではあるけれど、人目を気にせず長居できるというのは良い。さらに朱莉としては、男女の仲方面でも特別なことではないと――誰に対してのものかは分からないのだけど――、言い訳できる気がしていた。


「その――例の場所を、調べてみたんですよ」


 マイクを取る訳でも曲を検索するのでもなく、テーブルに紙を広げて頭を寄せ合う二人に、店員は少なくとも見た目上は不審の色を見せなかった。カラオケの客も色々いて、この程度のおかしさでは目に留まらないのか、それとも研修が行き届いているのか、どちらだろう。


 宝石のような色と名前とデコレーションのドリンクを、取りあえず脇に置いて。朱莉は、辻氏が広げた某所の地図を覗き込んだ。全国的にも有名な、とある大きな公園だ。名前を聞いたことがあるのはもちろん、イベントの様子がテレビに流れることもあるから、朱莉も何となく景色は頭に浮かぶ。というか、近くを通ったことだってあるはずだった。自身の経験と、報道での映像と。それぞれの情報を擦り合わせても、幽霊が出そうな薄暗さや不気味さとは無縁だったと思うのだけど。


「心霊スポットみたいな噂は、ないですよね……? どういうつもり、なんでしょうね……?」


 でも、のりこさんが、辻氏と会いたいということで指定したのがこの公園なのだ。確かに、待ち合わせ場所としても有名だし、分かり易い場所ではある。時間が、深夜でさえなければ。仕事があるから、というのがのりこさんの言い分だったそうだけど、もちろんそれが口実でしかないのは朱莉も辻氏もよく承知している。


「園内の写真、一応プリントしてみました。……隠れる場所も、沢山あるっぽいとは思うんですが」

「隠れるも何も……のりこさんには、身体はない……、です、よね?」


 辻氏が紙をめくると、地図アプリを利用したらしい公園内の風景が何枚も出てきた。通常の道路でなくても、広い公園だとその内部も地図情報として網羅されているらしい。どれも、朱莉の漠然とした記憶を裏付けるのどかな眺めだった。もちろん、辻氏が言う通り、木陰や東屋(あずまや)などの死角はあるのだろうけれど。物理的な肉体をもたない相手が、隠れ場所を気にするとは思えなかった。

 辻氏も、のりこさんの狙いを測りかねているのだろう。宙を掴むような仕草をしながらの彼の口調は、いかにも自信なさげだった。


「あの()……あれは、パソコンからも出てきてましたよね。こう……周りのビルとかに、モニターがあるとか……? CMの映像が流れてるのとか、あるでしょう」

「何百メートル伸びるのか、って話ですけどね……」


 ビルの間を縫って舞う白い()を想像して、朱莉は口元を引き攣らせた。怖いからでもあるし、あまりにも荒唐無稽な光景だからでもある。それに、多分そんなことはさすがにのりこさんでもできないではないか、と思えた。


「あれは、SNSにログインした状態だったからじゃないかと思っています。あの時見てたのは洋平のページだったけど……私、彼と繋がってたので。……で、のりこさんは彼のアカウントを()()()()()たから、見られてるのに気付いたんじゃないか、って――」


 洋平のアイコンが、全く彼らしくない投稿を繰り返しているのを目の当たりにした、あの時。画面から伸びる白い手に襲われたあの時。蘇る記憶に、朱莉は鳥肌の立った二の腕を擦った。そして、思い返してみるとやっぱり直感的に感じたことは間違いない、と思う。ネット経由ではのりこさんに敵わない。ウェブやネット――それこそ蜘蛛の巣みたいに、どこからか伸びる手に絡め取られてしまうのだ。


「じゃあ、のりこさんと繋がってる人が近くにいれば、とか……? 携帯なら、まず皆持ってるし……」


 辻氏は、どこか気遣うような労わるような目を朱莉に向けながら、またひとつ提案してきた。衝撃の記憶に思いを馳せたことで、朱莉はよほどひどい顔色になってしまったのかもしれない。

 でも、自分の顔色なんてどうでも良いことだった。朱莉は大きく身体を乗り出して、テーブルに置きっぱなしだったカラフルなドリンクを激しく波立たせた。稲妻のように、脳裏をアイディアが閃いたのが分かった。


「……辻さん。それ、かもしれません」


 洋平も辻氏も、SNSでのりこさんとやり取りしていた。のりこさんは、フォロワーからの呼び掛けに応じることもあるのだ。フォロワーだけじゃない、閲覧者も含めれば、のりこさんの投稿を目にする人は万の桁に余裕で届くだろう。


 その中には、のりこさんに言われるまま深夜の公園を訪ねてみようとする人もいるかもしれない。だって、そもそもが怪談話を面白がるような人たちなんだから。

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