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気がつくと、最後の投稿から大分開いてしまいました。
ぼちぼち再開するのでよろしくお願いします。
パチリ、と目が開いた。
「ここは……」
ゆっくりと首を巡らせ、ミーシャは目を瞬く。
明かりがないため薄暗く良く見えないが、ほとんど物のない狭い部屋のようだった。
床に直接敷かれた布団の上に寝かされているようで、視界が低い。
「確か……海に落ちて……」
薄い敷物は床の堅さを感じさせるがさらりと乾いていて、お日様の香りがした。
(足……動く。指……も、動く)
少しだるさは感じるが、四肢が問題なく動くことを確認すると、ミーシャはゆっくりと体を起こした。一瞬、クラリと視界が回るが、目を閉じる事で耐える。
「そうだ…薬湯」
体を動かしたことでふわりと衣服や布団から薬草の香りをかぎ取り、ミーシャはキョロりと辺りを見渡した。
夢うつつの中で、年老いた女性に薬草を飲ませてもらった事を思い出したのだ。
その時はすぐそばに囲炉裏があり、そこに薬湯を作る鍋がかかっていた。
今、側に人の気配はなく、ミーシャは改めて部屋を見渡した。
布団を敷けばいっぱいになってしまいそうな小さな部屋だった。
今は閉められているが、片側の壁には小さな木戸の嵌められた小さな窓があり、立て付けが悪いせいでその隙間から光が漏れていた。そのおかげで、部屋の中をかろうじて見渡せるほどの明るさがあるようだった。窓の下には小さな台が置かれていて、こまごまとした何かが乗せられているのが見える。
「客間……?病室かしら?」
クンと鼻を鳴らせば、布団どころか部屋中に染みついているらしい薬草の香りに包まれていることに気づいて、ミーシャは小さく首を傾げる。
海に落ちたのを拾われ、意識がなかったから治療できる人の元へと連れてこられたのだろうとあたりをつけた。
「どれくらい意識を失っていたのかしら?伯父さん達はどうなったのかな?それに、レン……」
戦闘終了の鐘が鳴ったのだから、制圧自体はうまくいっているはずだ。
だが、自分を助けるために襲い掛かったレンはどうなったのかと考えると、不安ばかりが募る。
男はナイフを持っていたのだ。吹き飛ばされて、手すりに体を打ち付けた衝撃でほとんど意識を飛ばしていたミーシャには、その後を知る術はなかった。
自分の喉元に突き付けられていた凶器が、大切なレンに向けられていたらと思うと、ぎゅっと胸が引き絞られるような気がする。
不安な気持ちに耐え切れず、ミーシャはゆっくりと立ち上がると、フラフラと覚束ない足取りで歩き始める。
幸か不幸か、布団を敷けばいっぱいの小さな部屋である。
倒れる暇もなく、壁へとたどり着いた。
そのまま、ゆっくりと壁伝いに進むと、窓とは対照の位置にある壁に薄い板で作られたらしき引き戸があることに気づく。
いまだどこかボンヤリとする意識のまま、ミーシャはその引き戸を開けた。
(囲炉裏……最初の部屋かしら?)
板敷の部屋の中央に、囲炉裏が作られていた。
「部屋の中で直接焚き木をする場所があるって、なんだか不思議」
ミーシャの暮らしの中では見たことのない光景に、少し好奇心を刺激されて、ミーシャは、まじまじと囲炉裏を眺めた。
中央には鍋がかけられ、ほとんど灰になった炭がかすかに赤く燃え、温めているようだ。
蓋がかぶさっていて中身は見えないが、辺りには良い匂いが漂っていた。
(お腹……すいた、かも)
クゥ、とミーシャのお腹が可愛らしい音を立てた。
海賊に襲われたのが夜明け前で、そのまま海に落ちて意識を失くしていたのだから、当然その間は何も食べていない。どれくらい意識を失っていたかは定かではないが、体温を取り戻してたっぷり休息をとることができたミーシャの体が、今度は栄養を欲しがったのは正常な反応だろう。
(さすがに、勝手に食べたらだめだよね)
脳裏に幼い頃に呼んだ昔話がよぎるが、現実の世界で、見知らぬ家で家人のいない間に食事をとるのは非常識が過ぎると、ミーシャは肩を落とした。
(そもそも、勝手に部屋を抜け出したら良くないんじゃないかしら?)
空腹を思い出したことで、ようやく頭がはっきりしだしたミーシャが、自分の行動を反省して元の部屋に帰ろうと踵を返した時、外から悲鳴のような声が飛び込んできた。
「誰か!お願い誰か、助けて!!」
その声が耳に入った瞬間、ミーシャは走り出していた。
まだ、どこか違和感のある体を叱咤して、前へ前へ。
一段高くなった床から土が剥き出しの地面へと飛び降り、半分開いていた扉から外へと飛び出す。
そうして見つけた声の主は、少し離れた隣家の前に座り込んでいた。
その腕に抱えられた小さな子供の姿を見て、ミーシャはすぐさま駆け寄った。
本来健康的な薄紅に染まっているであろう顔が白く、唇が紫になっていることを見てとった瞬間、ミーシャは何か考えるよりも先にその小さな体を母親の腕から奪い取った。
「……なにを「いつから!」
突然現れた見知らぬ少女に腕の中の大切な我が子を奪い取られ、一瞬呆気に取られた母親が我に帰り、文句を言おうとするよりも早く、鋭い声が飛んだ。
「いつって……」
その声の鋭さと真剣な瞳に射抜かれて、母親は思わず言葉を飲み込んだ。
「何か食べてた?」
口籠る母親をよそに、ミーシャはまるでひきつけのようにヒクッヒクッと体を引き攣らせる子供の唇を開かせ、その口中を覗き込む。
フワリと微かに甘い香りがした。
「わかんないよぅ。昼の準備をしてて、気づいたら後ろでこの子が倒れてたんだ」
年若い母親は、その時の衝撃を思い出して半泣きで叫んだ。
漁に出ていた夫と義父の食事を用意しようと、よく寝ていた子供に背を向けて料理をしていただけだったのだ。
それなのに、物音に気づいて子供が起きたのかと振り返ったら、真っ赤な顔をした子供が声も上げずにもがいていたのだ。
「わかった」
ミーシャは子供の喉元に引っ掻いたような跡を見ると、素早く片膝をたて、その上に小さな体をうつ伏せに置いた。
「吐きなさい。咳をして、出すのよ!!」
そして、その背中を強い力で叩いた。
一度。二度……。
突然の暴挙に再び固まった母親は、今度こそ我が子を取り戻そうと、ミーシャに掴みかかろうとした。
母親には、ミーシャの行動が今にも死にかけている息子にとどめを刺そうとしているようにしか見えなかったのだ。
しかし、憎しみさえ込めた母親の手がミーシャに届きそうになったその瞬間。
「ウェッ……。ヒュッ、ゴホッゴホッ‼︎……フェェーーン」
ぐったりと青い顔で細い息を繰り返すだけだっただけの子供の口から何かが吐き出され、激しく咳き込むと、弱々しく泣き出したのだ。
「なに…なんで……」
「よしよし。頑張ったね。えらいえらい」
突然反応を始めた子供に、母親は呆然と立ち尽くした。
ミーシャの長い髪を掴み、引き倒してやろうと伸ばされていた手が力無く落ちる。
そんな母親の目の前で、ミーシャはさっきの鋭い瞳が嘘のように柔らかな笑顔で、徐々に泣き声を大きくする子供をあやしながら、その体を色々と調べていた。
顔を覗き込み、手足の動きを確かめ、小さな胸へ耳を当てる。
そうして、一通り確認した後、いまだに呆然としたように立ち尽くす母親の腕に子供を返した。
「もう大丈夫ですよ。大きな声で泣いているし、呼吸が止まっていたのもほんの少しの間だったから、問題はなさそう。お母さんが、すぐに大きな声で助けを呼んでくれたおかげです」
柔らかに細められた翠の瞳に見つめられて、母親はまるで体中の力が抜けてしまったように、その場にへたり込んだ。
そして、母親の腕に戻され、甘えるように泣いている我が子の温かな体を抱きしめる。
その頬も唇も可愛らしい紅色に戻っていた。
いつもなら、うるさいと顔を顰めるその大きな泣き声も、今は何物にも変え難い尊い音楽にすら聞こえた。
「あぁ……。生きてる。あったかいよぅ。元気に泣いてる。生きてるよぅ」
腕の中の温もりももう離さないようにしっかりと抱きしめると、母親もまた、泣きだした。我が子を失う恐怖から解放された安堵に耐えられなかったのだろう。
「食事を作ろうとして置いていた野菜か何かを齧って、喉に詰まらせちゃったんですね。間に合ってよかった」
地面に落ちていた薄黄色の塊を拾い上げながら、ミーシャは誰ともなく呟いた。
「ああ。たぶんノビ芋だね。この時期、よく食べるんだ。で、あんた誰だい?」
そんなミーシャの手元を覗き込みながら、声をかけてきたのは恰幅のいい女性だった。
その声に顔をあげたミーシャは、いつの間にか周囲に人が集まってきていることに気づいて、目を瞬いた。
子供の救助に夢中で、周囲に意識が入っていなかったのだ。
パチパチと何度か目を瞬いて状況を理解したミーシャは、微かに頬を染めると、慌てて立ち上がった。
「あの、ミーシャと言います。船から落ちて、多分、誰かに拾ってもらったんだと………」
ミーシャとしては船から落ちてからの記憶がほとんどないので、自分をなんと紹介していいのか分からず口ごもる。
「あぁ、あんたが噂のみ使い様が連れてきたって遭難者かい」
困ったように小さく首を傾げるミーシャだったが、周囲にとってはその挨拶で十分だったようだ。
ミーシャに向けられていた、警戒したような視線が少し和らぐ。
「しかし、見事な早技だったねぇ。まるで昔のババ様を見ているみたいだったよ。一体何をしたんだい?」
「子供の様子とお母さんの言葉から、何かを喉に詰まらせたと思ったので、背中を叩いて刺激して吐き出させたんです。奥の方まで入り込んでいなくて助かりました」
女性の言葉に簡潔に答えながら、ミーシャは服についてしまった砂埃をパンパンと叩いて落とした。
無造作に地面に座り込んでしまったせいで砂だらけだ。
幸い地面が乾いていたから、軽く叩いたらほとんど落とすことができたが、ここにきてようやくミーシャは自分が着替えさせられていることに気づいた。
ついでに、肩から流れてきた髪がまだ茶色に染まっていることに、ほっと胸を撫で下ろす。
髪を染めた染料はラインの調合した『森の民』の特製レシピであり、水に浸かったくらいで色が落ち無い事は知っていたが、用心に越した事はない。
(目の色は戻っているんだろうな)
瞳を染めた目薬は水に弱いのが欠点で、改良のためミランダと盛り上がったことは記憶に新しい。残念ながら、改良版は研究中でまだ手元にないため、きっと漂流している間に色は落ちてしまった事だろう。
「ふぅん。ミーシャはまだ子供みたいだが、お医者様の心得があるのかい?」
感心したように頷きながらそう聞いてきた女に、咄嗟に薬師だと答えそうになり、ミーシャは言葉を飲み込んだ。
髪は茶色だが、瞳の色は戻っているのは確実だ。
ここがどこであるのかも、自分の現在の立ち位置もわからない状況で全てを詳らかにするのは危険なのではないか。
咄嗟にそう考えるほどには、ラインとの旅の中でしっかりと学習していたミーシャは、なんと答えるのが正解なのかと視線を彷徨わせた。
その瞬間、その場にグウゥ〜と、なんとも言えない間の抜けた音が響き渡った。
一瞬、何の音かとその場にいたみんなが顔を見合わせる。
そう、ミーシャ以外の。
「……ごめんなさい、お腹がなっちゃいました」
赤い顔でお腹を抑え呟いたミーシャの言葉を補足するように、再びグウゥ〜と音が鳴った。
もう言葉もないようで、赤い顔で情けなく眉を下げるミーシャに、プッと吹き出したのは向かい合っていた女で。
その笑い声につられるように、周囲からも和やかな笑いが起こる。
「そうだね。もう昼だ。男衆も帰ってくるし解散だよ!この子については、後でババ様が教えてくれるだろうさ」
女が笑いながら、ミーシャの背中を押して、ミーシャが飛び出してきた家の方へと促す。
家の扉の前では、しわくちゃの小さな老女が杖を手に立っていた。
「やれやれ、起きた途端にご活躍だね」
少し呆れたような顔で、それでも優しく笑う老女に、ミーシャと共にやってきた女が大きく頷く。
「あぁ、おかげさまでうちの大事な孫が命を救われたよ。後で礼をさせとくれ」
「え?あれ?」
ポンと気安くミーシャの頭を叩くと、突然の言葉に目を白黒させているうちに女はさっさと踵を返してしまう。
そのまま、まだ子供を腕に抱いて泣いている母親の元へと遠ざかる背中に、ミーシャは慌てて声をかけた。
「あの!目立った傷は見えなかったけれど、詰まらせた食べ物で喉の奥を痛めているかもしれません。1日は柔らかな食事を与えて様子を見てください」
「はいよ。なんかあったら相談させておくれ」
背中から飛んできた声に目を丸くしながら振り返ると、女はニカリと笑って、今度こそ嫁と孫の元へと行ってしまった。
すぐそばに膝をつき、声をかけてから立ち上がらせている様子をなんとなく眺めていたら、その肩をトントンと硬い感触が叩いた。
振り向くと、老女が曲がった腰を伸ばしこちらを見上げている。
「病み上がりが無茶するんじゃないよ。中にお入り」
そういって、ゆっくりと踵を返し扉を潜る背中を、ミーシャは急いで追いかけた。
読んでくださり、ありがとうございました。
出来るだけ詰めて投稿できるように頑張ります。
と、何度目になるかも分からない決意表明をしてみる……。
なんかすみません。
無事、3巻分の書籍化作業が終了したので、少しはこちらに専念できると思い……たいです。
次回、ようやく老婆の名前が!(笑)




