27
小さな紙包を手に、ライアンは廊下を足早に進んでいた。
小さな包みしか持っていないはずの手がひどく重く感じられた。
表情こそ冷静のままだったが、ライアンの心の中はグチャグチャだった。
手の中にあるのは、不治の病の特効薬。
それは、今まさに死に瀕しているものにとっては正に値千金、命そのものであった。
ただ、それは、ほんの数人分ほどしかなく、苦しむ人々全てに行き渡る筈もない。
ライアンの脳裏に苦しそうに咳をするラライアの顔が浮かんだ。
そして、集められた名も知らぬ病に倒れた国民達の顔が。
ミーシャの伯父と名乗った『森の民』の男は、ライアンにこの薬を託すと言った。
このまま誰かに使うも良し、成分を解析するために使うも良し………。
気付けば、足早に進んでいたはずの歩みがゆっくりになり、そして止まっていた。
1人の人間として家族を愛する心と、王として国を救いたいと願う心。
2つの心に引き裂かれそうな思いで、ライアンは強く唇を噛んだ。
様々な光景が脳裏を巡る。
そうして、最後に浮かんだのは、誰よりも尊敬するただ1人の顔だった。
常に穏やかな笑みを浮かべ、誰よりも家族をそしてこの国を愛していた。
幼いライアンを膝にだき、「民あっての国」なのだと繰り返し教えてくれた。
「国王」だから偉いのではない。
「国民」を守るために、「偉いふりをする必要があるんだ」と笑いながら、そう言っていた。
「国王」は1番高貴な「民の奴隷」なんだと言ったその言葉の意味が、幼いライアンには良く分からなかった。けれど、そう言った父王の笑顔がどこか誇らしげだったから、きっとそれは「いい事」なのだと思って一緒に笑った。
呆れた顔で笑う王妃や兄達、そしてまだ生まれたばかりの小さな弟妹。
それは、幸せだった日々の何気ない一幕であり、今のライアンを形作った大切な時間であった。
国民の不安を少しでも癒すためにと王都へ留まり、最後まで民に寄り添った父を為政者としてみるなら、半数の人間は「愚か」だと評するだろう。
しかし、自らの信念を貫いた彼の人を、ライアンは父としても王としても尊敬していた。
そして、それはあの騒乱を生き延びた兄弟達も皆、同じだった。
そう。今も病に苦しんでいるはずのラライアですらも。
生まれつき体が弱く、少しでも無理をすれば寝込んでしまう。
王族として動くには不具合がありすぎる自分を、ラライアは誰よりも疎んじていた。
それでも、少しでも体が許せば、本を読んでは知識を増やし、国を知り、様々な言葉を習っては少しでも外交の糧にしようと、自分なりに努力を重ねていたのだ。
その努力を人に気づかれる事を嫌がった為に、わがままで引きこもりがちな役立たずの姫と言われる事もあったが、「ろくに役に立ってないのは事実だから」と反論もせず甘んじていた。
生き残った兄弟の中で、誰よりも王族としての心意気が高いのは、ラライアであるとライアンは思っていた。
そんな彼女に、薬を見せたとして、なんと言うかなど分かりきっている。
「…………「民あっての国」だな。今さら迷うなど俺らしくないとどやされるところだったな」
ライアンの噛み締められていた唇がほどけ、笑みの形になる。
そうして、再び歩き出した歩みに迷いの色は、もう無かった。
「イーダ。今すぐ、その薬をラライア様に投与してくるのじゃ」
「ちょっと待て、どうしてそうなる?!」
コーナンの言葉に、薬を手に迷いなく立ち上がろうとした医師の体を、ライアンは慌てて押しとどめる。
コーナンの元に行き、集まっていた医師達に薬の存在を示して成分の解明を依頼したライアンは、予想外の展開に目を白黒させた。
「ただでさえ僅かしかない薬を使ってどうする。素人考えで良くは知らぬが、研究材料は少しでも多いにこしたことはないだろう?」
「もちろん、研究に使わせてはいただきます。しかし、それよりもまずはラライア様が先でございます」
キッパリと言葉を返すコーナンに、ライアンの肩が落ちる。
「例え、ラライアに持っていったところで飲まんと思うが?」
「そんなもの、内訳を知らせねば良いのです。飲んでしまった薬はもう戻せませんからのぅ」
ニッコリと笑顔で言うコーナンに、その場にいた医師や薬師も同意を示す。
「王族とだからと優先するいわれはない。民こそ国の宝だ。1つの命のために100の命が犠牲になるやもしれんのだぞ?!」
「ラライア様なればこそ、我らはお救いしたいのです」
自らの王としての矜持に眉を寄せるライアンに、コーナンも真剣な顔で返した。
「恐れながら申し上げます。王は、ラライア様が今どこにいらっしゃるか、ご存知ですか?」
ふいに薬師の一人が声を上げた。
にらみ合いのように見つめあっていたコーナンとライアンの視線が逸れる。
本来なら、王に直接声をかけれるような身分の者ではないのだろう。
そこには、恐れに顔を青ざめながらも、必死の形相で見つめる顔があった。
「ラライア様は今、紅眼病を患い集められた場所へと赴いておられます。すでに罹患した自分が恐れる必要もないと、患者達の間を周り、一人ひとりに声をかけ、決して希望を捨てぬようにと励ましておられるのです」
居室で大人しくしているものとばかり思っていたラライアの思わぬ現状にライアンは目を見張った。
「ご自身も苦しい身の上でありますのに、「病には慣れているのよ」と笑って、重症者の汗を手ずから拭い少しでも楽になるようにと息のつき方を教えてくださり………」
話しているうちに感極まったのか、薬師の目からポロポロと涙がこぼれ落ちてくる。
「私の祖母も症状を発した1人です。すでに赤跡も出て家族ですら戸惑う姿になっています。それなのに、その手を握りしめ「頑張って。ともに生きましょう」とお言葉を下さった。その姿に、本人だけでなく家族も救われているのです」
泣き崩れる薬師の肩を同僚が支えるように抱いた。
幾つもの瞳が、まっすぐにライアンを見つめる。
「どうぞ、ラライア様に薬を」
「お願いいたします」
「きっとあの場にいた民の全てが、我らと同じ気持ちです」
「ラライア様をお救いください」
そうして、あがるいくつもの声にライアンは息を飲んだ。
「1つの命を尊ぶ事で、後に千も万もの命を救う事になるでしょう。王族の命とはそれ程までに重いのです。…………ですが、そんな建前はどうでもよろしい。
ワシらは、民を思いやれるそんなラライア様を救いたい。何よりも国を想うライアン様の大切なものを、ワシらも護りたいのですじゃ」
まるで幼い子供に言い聞かせるかのようにゆっくりと穏やかな声でコーナンが語る。
真っ直ぐな瞳に包まれて、ライアンの体からストンと強張りが抜けた。肩が落ちる。
「…………拙くとも、私は王だ。なのに、私を優先しても良いのか………?」
小さな、…………小さな声だった。
しかし、苦悩に包まれたその声は不思議なほど部屋の中に響いた。
コーナンをはじめ、その場にいた者達が一同に膝をつき、こうべを垂れる。
「ワシらの願いも同じですじゃ。どうぞ、民の声をお聞き届け下され」
部屋に落ちた沈黙を破ったのは、唐突に響いた拍手だった。
「王は民を思い、民は王を支える。理想通りじゃねぇか。良い加減、あんたの悪趣味も満足しただろ?爺さん」
そうして、開かれた扉からミーシャを伴ったラインがズカズカと入ってくる。
「悪趣味とは失礼だな。試練と言ってもらおうか」
突然の乱入者に驚いていたライアン達の耳に、憮然とした声が飛び込んでくる。
反射的に顔を向ければ、部屋の隅で薬師のローブを着た小柄な老人が立ち上がるところだった。
パサリと被っていたフードを落とせば、見事な白髪と長く伸ばした立派な白ひげが、まるで物語の中のドワーフのような印象を与えた。
「何が試練、だ。あんたのはどっちかといえば悪魔の囁きじゃないか」
「囁いとらんわ。ここでは大人しく傍観しておったわい」
ラインの悪態にあっけにとられている人垣をかき分けるようにして、老人が前に出てくる。
「…………ライン殿。お知り合いか?」
2人を見比べながら、困惑顔のライアンにラインが肩をすくめる。
「今回の紅眼の研究者だよ。そして、言いたくないが一族の長老の1人でもある」
「言いたくないとはどういう事じゃ!失礼なやつじゃな。年寄りはもっと敬わんか!」
本気で嫌そうに顔をしかめるラインの頭を老人が手にした杖でポカリと殴りつけた。
「試練と称して意地の悪い問題を投げかけてそれをニヤニヤと眺めてる年寄りなんて、害悪以外の何者でもないだろうが。敬って欲しけりゃ、もっとそれらしい事しろよ」
殴られた頭を抑えながらも言い返すラインに、老人は再び杖を振り上げかけて、ラインの背後で目を丸くするミーシャを見つけ、手を下ろした。
「ほぅ。お主が噂の娘っ子じゃな。幼い頃のレイアースによく似ておる」
手のひらを返したように笑顔になり、ニコニコと近寄ってくる姿は好々爺にしか見えなかった。
「………はい。レイアースの娘、ミーシャと申します。長老様」
戸惑いながらも膝を折って挨拶をするミーシャに、老人はさらに眦を下げた。
「おぉ、可愛いのう。ワシの事はネル爺と呼んどくれ」
そうして頭を撫でようと伸ばしたネルの手を、ラインがすげなく弾いた。
「呑気に挨拶してる場合じゃないだろ。さっさと現状と今後の説明をしなきゃ手遅れになったらどうする」
「………なんじゃい、こっちは本当に可愛くないノゥ」
ペシリと叩き落とされた手を痛そうにさすりながら、ネルが唇を尖らせた。
「ジジイがそんな顔しても気持ち悪いだけだから」
冷たい視線を送るラインを無視して、ネルは訳がわからないものの黙って成り行きを見守っているライアン達の方に視線を投げかけた。
「既に治療院の方にはミランダをやって、ある分の薬を順次投与させとるわ。あぁ、お主らの望み通り、お姫様にも飲ませるようにしとるから、安心せい」
「…………薬が、あるのですか?!」
ネルの言葉に、ライアンが叫ぶ様な声をあげる。
それにうるさそうに目を細めながら、ネルが頷いた。
「一応な。臨床試験はほとんどしとらんが、まぁ、地元のものが飲んでいる薬じゃ。おそらく大丈夫じゃろう。数が足りん分も、追って届く手はずがついておる」
ライアンはまるでキツネにつままれた様な気分で隣にいるコーナンと顔を見合わせた。
つい先ほどまで、手が届かなかった救いが、すぐ目の前にポンッと出されたのだ。
喜びよりもむしろ戸惑いの方が強くともしょうがないだろう。
「それでラライア様やみんなが良くなるんですか?」
無言で顔を見合わせる男達の呪縛を破ったのは、ミーシャの嬉しそうな問いかけだった。
「そうじゃな。重症化しているものは難しいかもしれんが、チラッと見かけた限り、お姫様は大丈夫じゃろう」
ラインの背から飛び出し、ジッと自分を見つめるミーシャにネルが顔が再び綻んだ。
そして、ミーシャの瞳をマジマジと覗き込む。
「良い色じゃのう。レイアースに似ておるが、それよりもさらに濃く鮮やか。伝承にある始祖の彩はもしかしたらこの様な色であったのかもしれんのう」
ニコニコと瞳の色を褒められて、ミーシャは目を瞬いた。
突然飛んだ会話に一瞬頭がついていかなかったのだ。
そんなミーシャの側で、ラインが苦虫を噛み潰したかの様な顔をしている。
「ミランダが指揮をとってるんだろうが、人手は多い方がいいだろう。治療院へ行くぞ、ミーシャ」
グッと肩を掴まれ方向転換をされたかと思えば、そのままの勢いで背中を押されて歩き出す。
「爺さんは、きっちりそこの王様と王医殿に話をしてこいよ。じゃあな!」
そのまま、スタスタと歩き去るラインの背中を、ミーシャをさらわれたネルは舌打ちしながら見送る。
確かに、王族と関わることになった以上、『森の民』の代表として幾つかの取り決めを交わさなくてはならない。それには、一族のまとめ役でもある長老のネルが話をするのは、必然だった。
(まぁ、今後話す機会もあるじゃろて)
外の男に惚れて一族を離れた将来有望だった少女の娘。
存在の確認だけはしていたものの、掟のルールに従い正式に一族を離れた存在に表立っての接触は出来なかった。ゆえに、心の隅で気にかけながらも、動くことはなかったのだが、状況は大分変化した。
見えなくなるまで2人の背中を見送った後、ネルはため息ひとつで気分を切り替え、自分を見つめる存在へと視線を移した。
「さぁて、今回の事について、改めてはなしをさせてもらおうかのぅ。レッドフォード王国の国王よ」
僅かにすがめられた翠色の瞳に、先ほどまでの好々爺の色はなかった。
相手を冷静に値踏みするその視線は、ライアンにとっては馴染みのあるものだった。
スッと頭の中がクリアになり、先程からの出来事に混乱していた意識が「ライアン」から「国王」としてのものに切り替わる。
パチリとスイッチが切り替わるかの様に、為政者の瞳へと変わったライアンに、ネルは面白そうに微かに笑った。
「では、場所を移させていただこう。『森の民』の長老殿よ」
ライアンの声に壁際に控えピクリとも動かなかった執事姿の男が先導に立った。
その後をライアンとネルが歩き出せば、人がスッと2つに割れ道を作り出した。
残されたその場で、コーナンは手短に部下達に指示を出すと、先に動き出した2人の背中を追う。
王宮筆頭医師とは、実質、国の医療関係のトップである。
これからの話し合いの場に、自分が入る事は不自然ではないはずだ。
そこで自分に何ができるかはまだ分からないが、確実に自分の知らなかった新しい「何か」が齎される予感に、コーナンは内心湧き上がる好奇心を抑えられずにいた。
(人の命のかかっている時に不謹慎じゃが………まぁ、しょうがないじゃろ)
いそいそと2人が向かった謁見の間へと向かいながら、その足取りは軽かった。
治療院にある小さな小部屋で、ラライアはハァッと体の中の熱を逃がす様に大きく息をついた。
薬で抑えてはいるものの完璧ではない為、体の奥深くにマグマの様に渦巻く熱の根源の様なものを感じていた。
人目のあるところでは「慣れているから大丈夫」と笑って見せていたが、最近改善はして来たものの元々人より弱い体だ。
倦怠感はひどく、気を抜けば膝から力が抜け崩れ落ちてしまいそうな状態を、どうにか気力でもたせているのが現状だった。
「ドレスの膨らみを今日ほど感謝した事はないわね……」
嵩張るドレスはそれだけで重く動くだけで体力を奪う為、ラライアの天敵だった。が、今はその膨らみのおかげで立っているだけでみっともなく震える足に気づかれる事は無い。
咳のため水分を飲み込むのも辛い喉を誤魔化しながら少しずつ薬湯を流し込みながら、ラライアは苦笑した。
今にも遠ざかりそうになる意識を繋ぎとめているのは、ラライアの王族としての矜持だけだった。
不安に震える民の前で無様な姿を晒すわけにはいかない。
あくまでも優雅に、誇り高く。
そうでなければ、ここにいる意味など無いのだと、ラライアは自分に言い聞かせていた。
そして、どうしても苦しくて笑顔が歪みそうになった時には、休憩のために確保したこの小部屋へと戻ってきて一息をつくのだ。
薬を飲み、喉を潤し、そうして再び笑顔を浮かべるために。
本音を言えば、ラライアとてこのまま気を失ってしまいたい。
「苦しい」「死ぬのは怖い」と泣いてしまいたい。
しかし、それをしてしまえば、自分は本当にただの穀潰しだろう。
『王族は民の愛により生かされているのよ。だから、ラライアも愛を返してあげてね?かあ様たちのことを愛してくれている様に、民の事も愛してあげて?』
幼い頃に母親が優しく語りかけてくれた言葉を、ラライアは今でも忘れる事はなかった。
あの言葉の本当の意味を今でもちゃんと理解できているか、ラライアにはよく分からなかった。
だけど、自分の差し出した手で少しだけでも安らかになれるのならば、いくらでもそうしたいと思ったのだ。
だから。
「さぁ、もう大丈夫よ。次の部屋に参りましょう?」
手に持っていたカップの最後の一口を飲みほすと、心配そうに部屋の隅に控えている侍女にニッコリと笑いかけ、ラライアは震える足を踏みしめて立ち上がった。
本来ならば、部屋でおとなしくしているべきなのだろうが、紅眼病を発症したと気づいた時、ラライアは、侍女に命じて外出の準備を整えさせた。
寝る間を惜しんで兄達は対策の為に駆けずり回っている。
政務に携わることの出来ない自分が、それでも王族として出来ることなど、1つしか思いつかなかった。
発症して仕舞えば、その恐怖に怯える事もない。
ならば、かつての母を真似るのは至極当然の事だ。
「治療院に行くわ。今こそ民に寄り添う時よ」
体調不良をおこしているのに外出の準備を命じられ戸惑う侍女に、ラライアはニコリと綺麗な笑みを浮かべて見せた。
「父や母には及ばずとも腐っても王族よ。少しは希望にもなるでしょう?」
「かしこまりました」
止めるべきかと一瞬迷った侍女は、まっすぐに見つめるラライアの瞳に気づけば膝をつき頷いていた。
そうして訪れた治療院で、ラライアはベッドに横たわり苦しむ一人一人の手を取り、声をかけ、額の汗を拭っていった。
重症者の、身内ですらも慄く紅い跡の浮き出る手を握り、穏やかに話しかけるラライアの姿は、病に疲れ切っていた人々の心を確かに救っていく。
ラライアの額に浮かぶ汗やかすかに震える手、そして抑えきれずに溢れる咳が、確かに目の前の王女の身体を病が蝕んでいる事を示していた。
しかし、同じ様に苦しいはずのラライアは穏やかな笑顔を崩す事なく、励ましてくれる。
「頑張れ」ではなく「ともに生きよう」と。
確かな治療薬もなく絶望の中死を待つだけとなっていた人々は、そこに確かな希望の光を見たのだ。
王城で王自ら采配をふるい救う為の模索をしているという、その言葉を信じよう、と。
誰よりも民のそば近く寄り添ったラライアの行動が1つの形になった瞬間であった。
そして、遠かったはずの希望の光は、白金と翠の色彩と共に目の前に現れた。
「王の願いに我ら『森の民』の一族が応え、薬を持って参りました。順次投与していこうと思いますので、どうぞそのまま安静にお待ちください」
部屋の入り口に立ち優雅に礼をする女の姿に、ベッドに横になっているもののその間を忙しく歩き回っていたものも、等しく見惚れて動きを止めた。
何よりも、女の口から発せられた言葉が信じられなかったのだ。
「………薬を持ってきてくださったのですか?」
ちょうど、その部屋にいたラライアも同じく信じられない気持ちで身体を起こし女を見つめた。
「この病を癒す薬を?」
ゆっくりと女の方へと歩み寄るラライアの姿をみんなが固唾をのんで見守った。
「はい。確かに」
前に立つラライアに臆する様子もなく、女はしっかりと頷くと再び軽く膝を折った。
「とりあえずこの場を預かることとなりましたミランダと申します。薬は持って参りました」
まっすぐに自分を見つめる翠の瞳に(ミーシャと良く似た色だわ)と思いながら、気づけば、ラライアの頬を涙が伝っていた。
そして、背後でワッと歓声が上がる。
「ただし、現在、数に限りがございます」
しかし、その歓声も続いてかけられた言葉にスッと消えて無くなった。ラライアの眉間にかすかにシワが寄る。
「手配はしておりますが、特殊な薬草ゆえ遠方からの取り寄せとなり、いつ届くかは今の所不明です。ですから、薬の投与の順番はこちらの指示に従っていただきます」
冷たく響くミランダの声に、皆は顔を見合わせた。
「…………わかりました」
そんな中、素早く頬を流れる涙を拭い去ったラライアが、ゆっくりと頷いた。
「どうぞ、1つでも多くの命をお救いください、ミランダ様」
そうして、ゆっくりと膝をおり礼をする。
一国の王女が、身分もないただの薬師に礼を尽くす異例の事態に息を飲む音が各所で響いた。
しかし、ラライアは自分の行動を恥ずかしいとは露ほども思っていなかった。
大切な民の命を救ってくれる存在に感謝を捧げるのは当然の事だと思っていたからだ。
「薬師様、お願いがございます」
そんな沈黙を破ったのは、先ほどまでラライアと話をしていた患者の1人だった。
「お考えはあるかと思いますが、まずはラライア様にお薬をいただけないでしょうか」
その声にざわりと空気が動いた。
突然の申し出にラライアの目が驚きに見開かれる。
「私ならば、まだ、大丈夫ですわ。それよりも重症な者はたくさんおります。そちらを優先してくださいませ」
「いいえ!ラライア様を!!」
「そうです。薬師様。どうぞラライア様にお薬を」
「お願いいたします」
驚きながらも首を振るラライアの言葉に被さるように方々から声が上がった。
「ラライア様がお飲みになられないのならば、我々も飲みません」
「お願いでございます」
苦しそうに顔をしかめていた患者がかすれた声を絞り出す。それを見守っていた家族や看護していた者たちも縋るようにミランダを見つめた。
沸き起こる懇願の声にラライアは戸惑ったように部屋を見渡した。
「ラライア様は我々の希望なのです」
「尊いお方なのです」
「ラライア様!」「ラライア様」
青ざめた顔で先ほどまで身体を起こすことも辛そうだった患者まで、どうにか半身を起こし、唇を動かしていた。
咳にひび割れた声がラライアの名を呼ぶ。
(これが愛が返ってくるということなの?お母さま………)
ラライアの頬を再び涙が伝った。
懇願の声を遮るように、ミランダがパンパンっと手を打ち鳴らした。
「皆様の希望は分かりました。どうぞ安静にされてください」
静寂が戻る中、ミランダはフワリと笑うとラライアの頬を流れる涙をハンカチで拭った。
「どうぞこちらに。ラライア様が薬を飲んでくださらない限り、他の治療は進みそうにありませんわ」
そして、そっと手を差し伸べると優しく背中を押した。
「良い民をお持ちです。愛されておいでですのね」
「…………はい」
噛みしめるように小さく頷くと、ラライアは促されるままに震える足を踏み出した。
読んでくださり、ありがとうございました。
王族兄妹のお話でした。
父王は、本当に国を愛した人でした。
その後の国の行く末を考えて、病を押しとどめるために王都を閉ざし、その不満を緩和するために自分の命を使うのも惜しまないくらいに。
愚直なほど「国」と「民」優先で、そんな父王を兄妹は尊敬してます。
血に拘る人から見たら失格の王様なんでしょうけど、王権よりも民主主義よりの考え方をしていたため、国民の支持はすごく厚かったし、現在もその風潮は強いです。
そして、ネル爺の性格がチョット悪いですが、概ね『森の民』ってこんな人が多いです。
一族最優先で他への興味は薄く、自分の研究第1。
多分、ライアンやラライアの行動が気に入らなければ、本当にそっぽを向いていたと思われます。
ミーシャがいるから一応薬のレシピはあげるけど、ミランダに丸投げ。
国を通して動くのと、見知らぬ薬師が「この薬特効薬だよ〜」って配るのじゃ、浸透の速度がだいぶ違うので、被害は拡大してたことでしょう。




