18
おはようございます。
「………ドキドキして口から何かが飛び出してしまいそう、です」
綺麗にドレスアップされ、最後に髪を整えてもらいながら、ミーシャはポツリとつぶやいた。
舞踏会は夜に開かれる。
その為、軽い昼食を取った後、ミーシャは侍女たちの手によって浴室に放り込まれ、いつもは許される入浴後の肌の手入れ(それは全身に及んだ……)を今日ばかりはと強行され(二人がかりで挟まれて泣き落とされた………)、全身ピカピカのツヤツヤにされた後、ドレスを着せられた。
普段、町娘が着るようなワンピースを好んで身につけているミーシャにとって、コルセットから始まる『正式なドレス』はなかなかに苦行だった。
「ミーシャ様は細いからそんなにキツく締め付けてはいませんよ?」
サラサラの髪を綺麗に編み込みながらイザベラが柔らかく微笑んだ。
鏡ごしに目を合わせたミーシャは小さく肩をすくめる。
「そういう意味じゃなくって……」
「そうですよ〜。スゴイ人は侍女どころが男の人の力を借りて締め上げますからね〜!ミーシャ様のコルセットなんて本当に形だけですよ?」
ニコニコとアクセサリーの準備をしながら口を挟んで来るティアに、ミーシャは今度は肩を落とした。
「そんなに力一杯締め付けたら呼吸困難や血行障害になりそうなんだけど……」
「そうですね。毎回、お倒れになられる方がいらっしゃるので、そういう方たちのために何部屋か救護室をご用意しています」
いつの世も女性は美を追求するためには多少の無理をするものなのです、と澄まし顔で答える侍女たちにミーシャは唖然とした顔で黙り込んだ。
「さぁ、できましたよ?」
イザベラの声に顔を上げると、いつもはハーフアップの髪が今日は珍しく全て上に上げられていた。
ミーシャのすんなりと細い首が晒されている。
匂い立つような色香はないものの、若木のようなしなやかさは人の目を集めるには十分の美しさだった。
慣れない髪型に浮かぶ戸惑いは、「失礼します」との言葉とともに首にかけられた微かな重みで消えていく。
少し広めに開けられたデコルテを飾る美しい翠の輝き。
「やはり髪はアップにした方が、飾りが映えますね」
賛辞の言葉と共に、耳にも翠が輝いた。
母親の形見の宝飾を手にしたときに、どうしてもつけてみたいという衝動が抑えられなかったミーシャは、侍女たちに相談したのだ。
せっかくコーディネートしてくれたけど………と恐縮するミーシャに、ラライヤの用意してくれたドレスとの相性も悪くなかった為、周囲は快く受け入れてくれた。
代わりに「似合う髪型の研究」に付き合わされたり、「全体を一度見てみましょう」と再び着せ替え人形にされたのはご愛嬌だ。
結果、ドレスの襟元のデザインが急遽変更になったのだが、ミーシャに文句がつけれるわけもなかった。
「本当にお綺麗です」
「ええ、本当に………」
全てを飾り終え、イザベラとティアはほぅ、っと感嘆のため息をついた。
そんな二人にも気付かぬ様子で、ミーシャは鏡に映る自分の姿をまじまじと見つめていた。
普段は背中に下ろしていることが多い髪をアップにし、化粧までされた自分の顔は、自分というよりも母親に似ているような気がした。
何より、エメラルドのネックレスは絵姿で見た母の結婚式を思い出させた。
「……母さん」
そっと鏡を指先でなぞれば、目元が熱くなり、ミーシャは慌てて鏡から目をそらした。
ここで泣いてしまってはこの数時間の二人の苦労が水の泡だろう。
だから、振り返ると精一杯の笑顔で見守ってくれているティアとイザベラに笑いかけた。
「綺麗にしてくれて、ありがとう。自分じゃないみたいでビックリ!」
少しおどけた口調に、しんみりとした空気を吹き飛ばそうとするミーシャの心を感じて、二人はニッコリと笑顔を浮かべた。
「どこの国のお姫様よりもお綺麗ですよ!」
「本当に。ミーシャ様が1番です」
まだ、会場への移動まで時間があるから、と、ミーシャはティアたちとお茶を楽しんでいた。
「ところで、エスコートはどなたになったんですか?」
本来、主従が共にテーブルに着くのはあり得ないのだが、この部屋の中に限りで良いからとミーシャが強請って、2人も共にテーブルについていた。
「それが、当日を楽しみにしてて、とラライヤ様が仰って、誰も教えてくださらないんです」
ティアの質問にミーシャが困ったように答える。
「あら?やっぱりミーシャ様にも内緒なんですね。私たちにも、教えられていないんですよ。よほどミーシャ様を驚かせたいんですねぇ」
おっとりと笑うイザベラに、ミーシャはほぅっとため息をついた。
「……まさか、ライアン様が来られることはないですよね?」
最大の懸念事項を恐る恐る口にすれば、ティアとイザベラは顔を合わせた。
流石に、それはないと思う。
けれど、ミーシャに対するラライアの態度やライアンの対応を見る限り絶対にないとは言い切れないのが辛いところだ。
護衛も兼ねて壁際に控えるキノを、3人で振り向けば、しばしの沈黙の後、小さく首を横に振られた。
「流石に、公式の場に王と入場すれば大変なことになりますから。ラライア様と共に最後に入られると聞いております」
淡々と返された答えに、知らず緊張していた女性陣の肩が落ちる。
キノが言うのならば間違い無いだろう。
「ですよね!じゃぁ、誰かしら?後、お知り合いなのはジオルドさんと、トリスさんと〜〜」
指折り数えるメンバーが実は錚々たる面子だと言うことに、ミーシャだけが気づいていなかった。
「あ、でもお城の大広間ですごくたくさんの人が集まるんですよね?コソッと入って隅っこにいれば目立たないで済むかな?」
最大の懸念が消えたことでニコニコと笑顔になったミーシャはサクサクとクッキーをかじり軽い調子で呟いた。
(((いや、無理でしょう)))
気持ちはわかるが、ラライアがそばに呼ばないわけがないし、それを抜きにしても何かと話題の少女が注目を浴びないわけがない。
表立った場に今まで出たことがないからこそ、噂がうわさを呼び、この国の貴族の上位から下位まで興味津々になっていることを使用人ネットワークで3人とも知っていた。
その人物が初めて公の場に出るとあって、今回の夜会はいつにも増して大盛況。
基本、花月祭の夜会は貴族籍さえ持っていれば希望者は誰でも参加できる。
王は最初から顔を出し最後までいて挨拶を受けるのだが、人数がそれなりになるため貴族たちは前半低位貴族、後半高位貴族が主になり順々に交代していくのが暗黙の了解となっていた。
しかし、今年はどうも様子が違うと会場設営メンバーが青くなっていたのだ。
その原因がミーシャであるのは確かだろう。
隣国の公爵令嬢で客人。
身分だけ見れば高貴だが、本人はまだ10代前半の幼い少女で夜遅い夜会への参加は危ぶまれる。
公爵本人がいればまた違うのだろうが、今いるのはあくまで幼い少女のみ。
つまり、どの時間帯に現れるのかまるっきり分からない状態なのだ。
だが、伝手がない以上、この機会を逃せば姿を見れるのは次がいつになるのか分からない。
貴族社会は情報社会。
ここ1番の話題に乗り遅れたくない。
そんな純粋な野次馬根性や、少女に繋ぎを取ることで得られる利益の皮算用をした少し黒い願望などなど。
そんなこんなが渦巻いて、暗黙の了解などどこ吹く風。
最初から居座ろうとするものなど可愛いもので、中にはミーシャの現れる時間帯を教えろと直球勝負に出た強者もいたらしい。
そんなゴタゴタからミーシャを守れる者はそう多くはない。
「……ジオルド様だと、立場はあるけど平民出身でいらっしゃるから、貴族達の盾にはなりづらいでしょうし、トリス様は基本表立った場所に立たれないですし………ねえ?」
結果、予想がつきにくく首をかしげることになったのだが、そこに響いたノックの音が、全ての答えを連れてきた。
「お迎えが参りました」
開かれた扉の向こうにいたのは………。
「コーナンさん?」
「ほほ。ミーシャちゃん。3日ぶりじゃの?」
ニコニコと笑う白髪の紳士。
筆頭王宮医師のコーナンだった。
「コーナンさんが私のエスコート役をして下さるんですか?」
見慣れた穏やかな姿に、ミーシャは笑顔で駆け寄った。
ラライアの治療を通じて知り合って以来、何度となく会話を交わしたコーナンにミーシャは「おじいちゃんってこんな感じかな?」と懐いていた。
さらには医師としても知識が豊富なため、話をしていても楽しかったというのもある。
どんなものでも、知らない知識を得ることはミーシャにとって喜びだった。
「これでも一応侯爵様じゃからな?壁役として白羽の矢が立ったんじゃよ」
「そうなんですね。誰もエスコート役のことを教えてくれなくって。コーナン様で嬉しいです」
ニコニコと笑うミーシャにコーナンは軽く肩をすくめてみせた。
「いや?ワシはうちの国の貴族どもの壁役じゃ。正式なエスコートは彼じゃよ」
「え?」
ニンマリと笑ったコーナンの影に立つ人物に気づき、ミーシャは驚きに目を見張った。
「カイト?!なんで?!」
「…………公爵様の代理を承った」
そこには、見慣れない貴族礼装に身を包んだカイトが居心地悪そうに立っていた。
「………どうしてこうなった?」
ため息を噛み殺し、何度目かになるつぶやきをこぼす彼に答えをくれる者などいなかった。
強いて挙げるならば、返ってくるのは生温かい視線だけだろうか?
「………俺が公爵代理など。どう考えても荷が重いだろう」
宿から移動の馬車の中のぼやきに、馭者台の方から陽気な声が飛んできた。
「そりゃあ、今回のお使いでお前の身分が1番高くて、ミーシャの顔見知りで、かつ見栄えもいいからだろ?諦めて胸張って、国の代表してこい」
楽しげな声は恐ろしい内容を軽々と返してくる。
「身分なんて、あとを継ぐ予定もない伯爵家の三男なんていないも同じだし、ミーシャの顔見知りならここにいる全員でしょう?!」
やけのように叫び返したカイトに、笑い声が返ってきた。
「じゃあ、ミーシャの隣に並んでも負けないそのお綺麗な顔」
カイトと共に馬車の中にいた正装の仲間達は(あ、言っちゃった)と、顔を見合わせた。
いつもの騎士装束ではなく貴族礼装に身を包んだカイトは、どこから見ても貴族令息に見えた。
仕立てのいい礼装に負けることなく、いつもは無造作に一つにまとめている髪を丁寧に櫛でとけば本来の艶を取り戻し、凝った組紐で纏められている。
どちらかといえば、叩き上げな雰囲気の漂う仲間内では、この空気感を出せる者などいない。
「そんな事で代行を決めないで下さい」
ついにがっくりと項垂れたカイトを慰めるものはいない。
下手に同情して自分にそのお鉢が回ってきては溜まらないからだ。
客分としてヒッソリと会場隅で料理に舌鼓を打つのは大歓迎だが、隣国の貴族の注目の中王族と挨拶するのはごめんだ。
「……まぁ、美しく着飾ったミーシャ様に1番最初に会えるんだし、役得だろ?」
「大人に囲まれて心細いだろうし、しっかり守ってやれよ?」
あくまで目線を合わさないまま心無い慰めの言葉をかける仲間にカイトは恨めし気な視線を投げかけた。
そもそも、この舞踏会に参加するのはあちらを出る前から分かっていた事だったはずなのだ。
で、なければ荷物の中から自分の礼服が出てきた訳が説明つかない。
しかも、実家にいた時にすら袖を通したこともないような高級品。
なのに、自分には何の話もなかった。聞いたのは昨夜のことだ。
仕組まれていたとしか、思えない。
「まぁ、まぁ。娘の晴れ姿を見れない公爵様の思いも汲んでやれよ。代理の看板まで預けたんだから、わかるだろ?」
「……その重すぎる看板も憂鬱の原因の一つなんですけどね」
今回、他に自国よりの参加者はいない。
と、いうことは、「公爵家」どころか「国」の看板を背負ってるに等しい行為なのだ。
さっさと後継から逃れ、一騎士を目指した身としては重すぎて、愚痴の一つもこぼしたくなるというものだろう。
まぁ、現実問題。
どれほど愚痴ろうが、逃げたかろうが、主命となれば逆らえるわけもなく。
歩みを止めない馬車は速やかに目的地へと到着するのである。
「じゃ、楽しんでこいよ〜〜」
荷物を下ろした馬車の馭者台で、シャイディーンが呑気に手を振って見送っていた。
読んでくださり、ありがとうございました。
と、いうわけで、エスコートはカイト+αでした。
悩んだのですが、無難なところに落ち着きました(笑
そして、新事実。
カイト君は貴族のご子息。
私設騎士団とはいえ、公爵家だし、後継外れた貴族令息が混ざっててもおかしくは無いだろうと。
そんなこんなで、もう少し舞踏会は続きます。




