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お久しぶりです。
朝靄のかかる庭園をミーシャはゆっくりと歩いていた。
空気がヒヤリとして肌寒さを感じるほどだが、森の中で暮らしていたミーシャにとっては、ここ最近の王都の蒸し暑さよりよほど心地よいものだった。
計算され尽くして配置された花々が柔らかな花弁を綻ばせ、ミーシャの目を愉しませる。
大きく深呼吸をすれば、初めて嗅ぐ甘い香りがした。
「これは……ケイランの花かしら?」
辞典の中でしか知らない花の形にミーシャは僅かに首を傾げた。鮮やかな黄色の花弁を持つ花は夏に咲くもののはずである。
ここ最近の暑さに植物が季節を取り違えてしまったのだろうか?
そっと1輪手折り、香りを楽しみつつミーシャはゆっくりと歩み始めた。
もう少ししたらラライアの朝食の為の準備が始まる。
この早朝の早い時間は、現在のミーシャの貴重な自由時間だったのだ。
決まった時間にラライアを起こし、朝食を食べさせる。
最初の頃こそラライアを起こすのに苦労したものの、今では体が慣れたのか、癇癪を起こすこともなくアッサリと起き、朝食を摂るようになった。
この調子なら、そろそろ朝の起床をラライア付きの侍女に任せても大丈夫だろう。
(今日は、ジュースにインラを混ぜてみよう)
滋養の多い木の実ではあるが独特の酸味が強い。ごまかす為には何がいいだろうと考えながら、ミーシャはのんびりと歩みを進めた。
ラライアの食事メニューはすでにコックへと伝えてあったが、どちらかというと薬の意味合いが強いミックスジュースだけは、ミーシャ自ら作っていたのだ。
(それにしても………)
手にした花をクルクルと指先で弄びながら、ミーシャはそっとため息をついた。
現在、ミーシャが薬を提供しているのはラライアのみ。
今までは手持ちの薬草で賄っていたが、そろそろ心もとなくなってきた。
おそらく頼めば『誰か』が手配してくれるのだろうが、今まで全ての薬草を自らの手で採取したり、どうしても自分で採取出来ないものは実際に見て選んできたミーシャにとって、『誰か』の手で用意される薬を調合して使うのはひどく違和感があった。
尤も、王族へ薬を提供するのに、どこで採取されたとも知れないミーシャの手持ちの薬草を使っていたことこそ特例なのだということを、ミーシャだけが気づいていなかった。
「どうしようかなぁ………」
「何か困り事?」
思わず零れたミーシャの言葉に、不意に横合いから声がかかり、物思いに沈んでいたミーシャは、驚いて顔を上げた。
「おはよう、ミーシャ。早いのね」
「ミランダさん!」
いつの間にかすぐそばに立っていたミランダの姿にミーシャは目を丸くした後、嬉しそうに飛びついた。
「どこに行ってたの?!もう、帰ってこないんじゃないかって!」
「知り合いに会ってくる」と出て行ったまま、10日も連絡のなかったミランダにミーシャはヤキモキしていたのだ。
「ごめんなさいね。知人を見つけるのに思ったより手間取ってしまって、予定より遠くまで足を延ばす羽目になったのよ」
サラサラの髪を撫でながらミランダは穏やかな声で謝った。
その優しい声に我に返ったミーシャは、まるで小さな子供のような自分の行動に気づき、頬を染めるとそっと離れた。
「………おかえりなさい、ミランダさん。朝食がまだなら一緒にどうですか?」
少し恥ずかしそうに誘ってくるミーシャにミランダは笑顔で頷く。
「朝一番の馬車でついたから、お腹ペコペコよ」
「じゃぁ、たくさん用意しますね」
ミーシャはミランダの手を引くと足早に自分の部屋へと向かった。
「………お部屋を移動したの?」
そうして連れてこられた場所にミランダは微妙な表情で首を傾げた。
連れてこられたのは庭園の隅にある小さな古い小屋だった。
おそらく庭番の家族でも住んでいたのだろうそこは、古いなりによく手入れされてはいたし、居心地は良さそうではあったが、王宮の客室に比べれば明らかに見劣りする。
誘われるままにキッチン兼リビングらしき場所のテーブルへと着いたミランダの少し険しい表情に、戸惑いを浮かべたミーシャは、ハッと思い至り、慌てて首と手を横に振った。
「違うの、ミランダさん。ここに移りたいってお願いしたのは私なのよ?!」
ぶんぶんと目が回りそうな勢いで首を横に振るミーシャに、ミランダはキョトンとした顔で首を横に傾げた。
それにミーシャは必死で言葉を重ねる。
「私、お母さんと森の中で暮らしてたから、贅沢なお部屋やたくさんの人が身近にいる生活にどうしても慣れなくて。
お散歩してる時に使われていないこのお家を見つけて、王様にお願いして、無理やり引っ越して来ちゃったの。
ここなら1人になれるし、水場もあるから薬草を扱うのにも都合が良かったから」
「こんな場所に」と難色を示すライアン達を必死で説得した時間を思い出して、ミーシャはヘニャリと眉を下げた。
もしかして彼等は、ミランダのこういう勘違いも含めて止めていたのかと思えば、申し訳なさも募る。
そして、その説得劇を面白そうな顔で眺めていたジオルドをちょっと恨めしく思った。
(分かっていたなら、教えてくれれば良いのに。絶対こうなるのをわかって面白がってたんだわ)
ミランダはミーシャの表情に嘘がないのを見てとって、肩の力を抜いた。
確かに、ミーシャに聞いていたレイアースとの生活を思い返せば、きらきらしい城での生活はさぞかし窮屈だろう。
プライベートな気の抜ける空間を欲しがったとしても納得だ。
改めてクルリと部屋を見渡せば、風通しが良い日陰には乾燥した薬草の束がぶら下げられ、水場の片隅には調合に使う道具がキチンと整理されて置いてあった。
ミーシャの居心地の良い空間が着実に作られている。
それでいて、今ミランダが座っているテーブルセットなどは、シンプルながらもしっかりとしていて、座り心地も良い。
おそらく、かなり質の良いものをミーシャに気づかれないように、それとなく運び込んだのだろう。
(この調子なら、まだ見てないけど、他の部屋も同じような感じなのでしょうね)
万が一身内に見られても、決してないがしろにしていたわけではないと訴えられるように。かと言って、高級品だとミーシャに気づかれたら、きっと困り顔をされるのは目に見えている。
必死のバランスに、城の人間の苦労が透けて見えて、ミランダはコッソリと苦笑した。
「そう。ミーシャが望んだなら問題ないわ。こじんまりとしていいお家ね。私の部屋もあるのかしら?」
「もちろん。ミランダさんが嫌じゃなければここにいて下さい」
嬉しそうに微笑むとミーシャは手早く朝食の準備を始める。
たっぷりとバターとミルクを使ったフワフワのオムレツにはカリカリのベーコンを添えて。新鮮な数種類の野菜を混ぜたサラダにはさっぱりとしたビネガードレッシング。スープは、数種類の根菜と豆がコンソメで煮られていた。さいの目に切られたオレンジとリンゴの上にはヨーグルトとはちみつがかけられていた。パンはバターロールとデニッシュの二種類がかごに盛られている。
「材料だけ分けてもらって、自由にさせてもらってるんです。お口に合えばいいんですけど」
最後に大きなポットを持ってきたミーシャは、香りのいい紅茶をカップに注ぎ、ミランダに手渡した。
「お待たせしました」
「おいしそうね。頂きます」
向かい合わせに座ったところで食事が始まった。
ふんわりと焼けたオムレツは半熟でかけられているトマトのソースによくあった。
ドレッシングは酸味が効いていて、故郷で食べていたレイアースのものと同じ味がした。
(あの頃は酸っぱすぎるってよく喧嘩になったっけ)
なつかしさにこみあげてくる何かをパンと共に飲み下すとミランダは、上品にカトラリーを使い食事をするミーシャを眺めた。
気取ったふうでもなく自然な様子から、ミーシャが日常の中でそれらの扱いをしっかりと身に着けてきたことが伺えた。レイアースは、母親として娘がどこに行っても恥ずかしい思いをしないで済むだけの作法をしっかりと教え込んだのだろう。
「そういえば、ミランダさんがいなくなった日から頼まれてラライア様の体調管理をしているんです」
食事があらかた終わったころ、ミーシャは現在の状況をミランダに報告した。
ラライアを内診する機会に恵まれたこと。その後、治療に携われることになった事。食事改善から始め、処方している薬の種類。
「・・・そうね。その方法で体調が好転してきているのなら続けてみていいと思うわ。ただ、心臓の雑音は少し心配ね。徐々に改善しているというならあなたの予想通り成長とともに塞がってきているんだとは思うけど、ラライア様の年齢的にも体の成長は止まってきているでしょう。足りていなかった栄養が入ることでもう少し変わるかもしれないけれど。後、貧血の原因が本当に栄養不足だけだったのかしら。その後の観察はちゃんとしている?」
紅茶を飲みながら、ミランダは気になった点をいくつか挙げていく。
「顔色や瞼の内側の色なんかは少し改善しました。倦怠感なんかも薄れてきているそうです」
突然、真剣な顔に変わったミランダに戸惑いながらもミーシャは頷く。
「・・・・・・・・そう」
頷くとミランダは首を傾げた。
何か考え込む様子で黙り込んだミランダにミーシャの中の不安が募る。
しかし、ミランダはそれ以上ラライアの事には言及することなく話題を変えた。
「じゃあ、悩んでるのはそのことじゃないのね?さっきは、何を悩んでいたの?」
突然の話題転換についていけなかったミーシャは一瞬面食らうものの、すぐにミランダが何のことを言っているのか思いつく。
「ああ。手持ちの薬草が底をつきそうなので、どうしようかな・・・って思って。街の薬草屋さんに連れて行って貰うか山に採取に行きたいんですけど、皆さん忙しそうだし、どうも一人で街には出してもらえなさそうなので」
困り顔のミーシャに、ミランダは苦笑した。
ミーシャ本人にその自覚がなくとも、現在のミーシャの立場は同盟国の王弟の娘であり『遊学』の為に訪れた客人である。
うかつに街に出して何かあれば、とたんに国際問題へと発展するのは、目に見えていた。
国力的には圧倒的に弱いブルーハイツ王国であり、本来ミーシャは人質的な存在になるはずの立場であった。
しかし、ミーシャの付加価値故にレッドフォード王国はミーシャをないがしろには出来ない。
そんな存在へとなっているのだ。
もっとも、そんな政治的判断など森の中で隔離されるように暮らしていたミーシャに分かるわけが無い。
ミランダは、どうしたものかと考え込んだ。
自分が引率者となれば外に連れ出すことは可能だろう。護衛の騎士の2〜3人は付くだろうが、それは誰が引率となっても同じ事だ。
だが、『森の民』として自分にも監視が付いている状況で、下手な薬草屋を利用するのは少し都合が悪い。
そこから、たどれるとは思わないが、相手に渡す情報は少ないにこした事はない。
ただでさえ、「ミーシャ」の存在は『森の民』の中でも微妙な立ち位置なのだ。
『一族を離れた存在の産んだ娘』
それを一族の一員と認めるか認めないか。
ここから一族の住む森までは遠く、連絡手段も限られてくる。
本来ならばミランダ自身が森へと帰り説明できればいいのだが、それだと長くミーシャの元を離れなければならない。
今の不安定な立場の少女から目を離してしまうには不安があり、今回、ミランダはどうにか仲間へつなぎをとって連絡を任せたのだ。
母親亡き今、森へと連れ帰るのが正統と言う派閥と、一族を離れたものの血筋をそうそう簡単に受け入れるのは如何なものかと警戒する派閥が出来るのは目に見えていた。
コレがミーシャが普通の娘ならば問題がなかったのだろうが、古いものといえど『森の民』の知識を持ち、本人も薬師を志している。
さすがレイアースの娘だけあって頭の回転もよく優秀だ。
現在は荒削りで偏りがあるものの、育てれば、間違いなく今後の『森の民』を左右する人物になるであろう。
(頭の固いご長老達をどう説き伏せるか………微妙なところだわね)
「ミランダさん?」
考え込んでいたミランダは少し戸惑ったようなミーシャの声で我に返った。
少しうつむいていた視線をあげれば、ミーシャが困り顔でこちらを見つめていた。
「あら、ごめんなさい。ちょっと考えに没頭してたわ」
肩をすくめて笑って見せるミランダにミーシャもなんとなく笑顔を返して、肩の力を抜いた。
「えっと、薬草、よね…………。そういえば、王宮管理の薬草園が出来たって噂で聞いたけど、そこは利用できないのかしら?」
ふと思いついたように告げるミランダにミーシャは目を見開いた。
「そんなものがあるんですか?」
「聞いてない?確か2年ほど前に王様の提案で試験的に開始したんじゃなかったかしら。個人の物はあっても国が音頭を取って薬草園を始めるなんて珍しいから気になってたんだけど。その後潰れたとも聞かないからまだあるんじゃないかしら?」
「・・・・・・王立の薬草園」
ミーシャは何とも甘美な響きにうっとりと目を細めた。
貿易も盛んなレッドフォード王国ならば、ミーシャが見たこともない異国の薬草もあるかもしれない。
そこまで希少なものではなくても、乾燥させたものや粉状になったものでは使ったことがあっても生の状態を見たことが無い物だってたくさんある。もしかしたら、そういうものもあるのではないだろうか。
きらきらと瞳を輝かせ未知の薬草に思いをはせるミーシャの顔はまるで恋する乙女のようだった。
思いをはせる先が薬草というところが全く色気のかけらもないが、ほんのりと頬を上気させる表情は文句なしに可愛らしい。
「・・・・・・・潰れたとは聞かないけど反対に何かを成し遂げたって情報もないんだけど・・・・・聞いてないわね、これは」
そんなミーシャを少しあきれた顔で見守りながら、ミランダは少しぬるくなってしまった紅茶を飲んだ。
読んでくださり、ありがとうございました。
久しぶりのミランダさん登場です。
この人がベッタリだと、ミーシャの見せ場が無くなりそうなので今後もちょくちょく消える予定です。御都合主義ですみません(汗)
補足で。
ミランダさんは通り一般の知識はあるけれど、基本は情報収集と一族の繋ぎ要員な為、医療行為は行いません。
ミーシャの成長のため頼られれば導いたり助言はしますが、前に出る事もありません。
現在、思いっきりつまづいておりまして、続きの投稿のめどは立っておりません。気長にお待ちいただけると幸いですm(_ _)m




