⑥
「おはようございます、ラライア様。お加減はいかがですか?」
にっこり笑顔で元気よく。
ミーシャは挨拶とともに部屋の扉を開けた。
それから、返事を待たずに中に入ると未だ締め切られたカーテンを遠慮なく開けた。
朝の、というにはだいぶ高くなった日差しが薄暗かった部屋へと差し込んでくる。
さらに、うんともすんともいわないベッドへと近づくと、最後の砦の天蓋を容赦なく開けた。
「うぅぅ…………」
大人が3人はゆうに寝れそうな広いベッドの中央が薄っすらと盛り上がっている。
中から、微かなうめき声が聞こえてきて、ミーシャはクスリと笑った。
「朝ですよ、ラライア様。布団まで取り上げられちゃう前に潔くご自分で出てきてくださいな」
楽しそうな口調でポンポンとベッドの端を叩いて促すミーシャの言葉に返ってくるのは残念ながら意味不明の唸り声だけだった。
「ラライア様。今、出てこられるなら、朝のお薬は蜂蜜を足しておきますよ?」
やんわりとした声で言っているのは明確な脅しだった。
「あ………あの、ミーシャ様。ラライア様は昨晩は遅くまで寝付けないご様子でして………」
入ってきてからのミーシャの行動をオロオロとしながら見守っていた優しそうな中年の女性が声をかけてくる。ラライアの幼い時から側仕えをしている侍女だそうで名はキャリーと言うのだと初日に挨拶してくれた。
「ですから、眠りが足りなくてお加減が悪いのでは無いかと………」
主人思いのキャリーはどうにかミーシャの暴挙を押しとどめようと声をかけるが、それに、ミーシャはわざとらしいくらい大きく目を見開き驚いてみせた。
「まぁ、でしたらなおのことお顔を出してくださいな!状況を見てお薬を変えなければならないのですから!」
そうして、羽の詰まったシルクの布団の端をムンズと掴んだ。
「と、いうわけですのでサッサと出てきてくださいな。3秒だけ待ちます」
あくまで笑顔の宣言に、見えていないはずの布団の中の主も雰囲気で察知したらしい。
何しろ、ミーシャが部屋にやってくるようになりもう3日目だ。
下手に逆らえば何をされるか。悲しいことにラライアは既に学習してしまっていた。
モソモソと膨らみが動き、出てきた青い瞳が恨めしげにミーシャを睨んだ。
「おはようございます、ラライア様。ようやくお顔を拝見する事が出来ましたね。僭越ながら、眠るときに頭まで布団をかぶるのはお勧めできませんわ。呼吸の妨げになりますし、こもった熱で具合が悪くなる事もございますから」
だが、そんな恨みがましい視線もどこ吹く風でにっこりと微笑んだままのミーシャは、挨拶と共に注意を口にした。
ラライアの眉間のシワが深くなる。
「寝ている時は顔は出してるわよ。誰のせいだとっ………」
噛み付くような口調で反論しかけたものの、変わらぬ笑顔のミーシャに毒気が抜かれてしまい、結局、ラライアは黙り込んだ。
そんなラライアにミーシャはお湯の入ったタライを差し出した。
「お食事に致しましょう。今日は、ラライア様のお好きな果実をたくさん用意しましたよ」
柔らかな声に促されラライアは諦めたようにノロノロと朝の準備を始める。
いかにもイヤイヤな様子に内心苦笑しながらも、ミーシャはここに至るまでのやりとりを思い出していた。
初めてラライアに会った夜、ライアンより夕食のお誘いがあった。
これ幸いと受けたミーシャであったが、ライアンも同じ人物の事で話があったらしい。
ミーシャが口を開くより先に、話題に出してきた。
「妹が世話をかけたようだな?ありがとう」
「いえ………」
首を横にふるミーシャに苦笑が返される。
「あの子は生まれた時から体が弱かったもので家族みんなで甘やかしてしまったんだ。おかげでずいぶんわがままな子に育ってしまった」
ため息と共にこぼされる言葉は、だけどとても柔らかな響きを持っていた。
ライアンの顔には優しい微笑みが浮かんでいたが、その中に僅かな陰りが見え、ライアンがラライアのことをとても気にかけている事がミーシャにも伝わってきた。
ミーシャは少しだけ話したラライアとの会話を思い出した。
確かに上から目線で随分と一方的な会話だった。けれど、病がちで限られた人との対応しか知らないのだと思えば、そんなものだろう。
長く患っている人間ほど、頑なになりやすいのは、そう多くない往診経験の中で知っていた。そういう人ほど実は寂しがりやなのだという事も。
「ラライア様が気を失い倒れるのは良くあることだと伺いました。原因は分かってらっしゃるのですか?」
食事の席の話題としては微妙かもしれないが、夕食の後も仕事が残っているというライアンの言葉で給仕が始まってしまったので仕方がない。
ミーシャは、薬師としてどうしてもラライアの症状が気になったし、どんな対応をしているのか、興味もあった。
「ええっと、何だったかな?あの子はしょっちゅう色んなところを患っているものでね。
確か、心臓が悪いのと虚弱体質、血も薄いと言っていたな。………肺もなにか言っていたような………」
首を傾げながら指折り数えるライアンの様子に、ミーシャは思わず胡乱な眼差しを向けた。
(妹の病状も把握できていないなんて信じられない!それとも、上位の方々ってこんな感じなのかな?)
ミーシャの冷たい視線を感じ取ったのか、ライアンが少し困ったような顔で肩を落とした。
「情けない事に、詳しい事は分からない。もし、興味があるようなら担当の医師に話を聞けるようにしよう」
明らかに気落ちした様子のライアンにミーシャの罪悪感が刺激される。
だが、何と言って慰めていいのか思いつかず、気まずい沈黙が落ちた。
しばらく、2人とも無言で料理の皿を片付けていく。
メインの肉料理が終わったところで、ミーシャは、ようやく勇気を出して顔を上げた。
「お医者様のお話、聞いてみたいです。もし、今のお薬があっていないようなら、少しは手助けができるのではないかと思うので」
「ミーシャが診てくれるのか?」
途端、嬉しそうな笑顔が返ってきて、ミーシャは目を瞬いた。
「え……え………っと、皆様がお嫌でなければ」
戸惑いがちに頷くとライアンが「明日にでも手配しよう」と宣言する。
すぐさま、視界の端でキノが動いたところを見ると、今から、根回しなりの手配を始めるのだろう。
ミーシャは次の皿に手をつけながら明日の診察に必要になりそうなものを頭の中でピックアップしていった。
(ミランダさん、今日は帰って来るのかな?相談乗ってくれるかな?)
上の空のままの夕食が終わり自室に帰ったミーシャを待っていたのは「2〜3日帰れません」というミランダからの伝言だった。
しょんぼりと肩を落としながらも、だいぶ慣れてきた部屋の雰囲気に、安眠作用のあるハーブティーの効果もあり、1人でもグッスリと眠ることができた。
おそらく、ミーシャの様子から1人にしても大丈夫なタイミングを計ったのであろうミランダの慧眼にミーシャは素直に感服する。
放浪する一族の監視及び管理が仕事だと言っていたし、人の心理を観ることに長けているのだろう。
(病を見分けるのはすぐに出来るようになったけど、精神的なものを掘り起こすの苦手だったんだよね……。足りないのは人生経験かなぁ)
とりあえず、苦手だろうとなんだろうと「診たい」と言った以上は全力を尽くそう。どうしても分からない時は調べればいい。
ミーシャは母親と薬師の勉強をしていた時に使っていた覚書のノートを思い出して、ため息をついた。
内容は全部覚えているつもりだったけど、再確認の為にもやっぱり持ってくるべきだったのだ。
尤も、バタバタと忙しそうな屋敷のみんなを見ていると、とても1日を使って森の家に帰りたいとは言い出せず、今に至っているのだけれど。
幸いにも国境周辺に踏み込まれただけですんだとはいえ、やはり戦争の残した爪痕は大きかった。
踏み荒らされた田畑や家屋、亡くなってしまった人達の補償など、やるべき事は山積みで病床のディノアークにも指示を仰ぐ部下が列をなしている状況だった。
1人で馬に乗れないミーシャが森に帰るには誰かに送ってもらわなければならない。
しかも、公爵令嬢の看板を背負って隣国へと行く身となれば、護衛の兵も1人2人ではすまないだろう。
そう、理解してしまえば、わがままも言えず、何より、母親との思い出に溢れたあの家に帰ってしまえば、そのまま動けなくなるような気がして、ミーシャは怖かったのだ。
ともかく、今はタラレバの話をしてもしょうがない。
気持ちを切り替えて、ミーシャは早々に眠る事にした。
寝不足の頭では冷静な判断は出来ない。
薬師とは誰よりも自身の体調に気を配らなくてはならないとは、母親に最初の方に言い含められた教えの1つだった。
そろりと首に下げた守り袋を撫でてミーシャは瞳を閉じた。
(おやすみなさい。母さん)
(まぁ、1国のお姫様で王位継承権も持っているみたいだし、…………こうなるよねぇ)
約束の時間に呼びに来た侍女に案内されるまま訪れた部屋には、たくさんの人が集まっていた。
ミーシャは驚きとともにぐるりと部屋を見渡した。
ライアンやトリス、おそらく医師らしい年配の男性、その後ろには弟子なのか助手なのか数人の若い男達が控えていた。
更には護衛を兼ねているのだろうが端の方にジオルドの姿まで見つけて、ミーシャはため息を飲み込んだ。
目があったジオルドは、ニヤリと笑ってコッソリと手を振って見せる。
強面に似合わない戯けた仕草に、ミーシャは知らないうちに緊張で強張っていた身体からスッと力が抜けたのを感じた。
隣国より遊学の名目でやってきた少女が『森の民』の血をひいているという情報は、城に勤める医師や薬師の間であっという間に広まっていた。
垣間見た少女の姿は噂通りの色彩だったし、過去の戦の中でジオルドと同じ様に『森の民』と関わりを持ったものも存在していたのだ。
その少女が、王の願いで王妹の診察をするとなれば、好奇心を持つなという方が無理であろう。
長年王医を務めてきたコーナンも例外ではなかった。
王妹のラライアをそれこそ生まれ落ちた瞬間より診てきたコーナンは、ラライアの病が一筋縄ではいかないことを知っていた。いくつもの症状が絡み合い、どれが主症状なのか、何の病がメインなのかを分かりづらくしていたのだ。
(まずはお手並み拝見、じゃのう)
突如現れた『森の民』の看板を背負った少女に多少意地の悪い思惑があったのは否めない。
本来の自分の弟子だけでなく、希望したもの全てを引き連れて来たのも、そういうわけだった。
果たして、約束の時間ちょうどに現れたミーシャは部屋にひしめき合う大人達に目を丸くしていた。
自分を観察しようとする意地の悪い視線を敏感に感じ取ったのだろう。
だが、その表情が強張ったのは一瞬で、ミーシャは、ため息ひとつでその緊張を取り払って見せた。
その度胸と切り替えの速さにコーナンは内心舌を巻いた。
明らかに味方の少ないこの場所で萎縮せずに立っていられるだけでも大したものだ。
更には繰り出された言葉に拍手を送りたくなる。
ミーシャは、何の気負いもなく、診察の邪魔になるので関係のない人間は出て行って欲しいと言い出したのだ。
「通常の診察をするだけです。この様な大人数の医師団は必要ありません。患者が余計な緊張を強いられるのは好ましくないですから。それとも、ラライアさまの診察にはいつもこの様に大人数で当たられているのですか?」
倒れるのが日常だからとそれくらいでは医師も呼ばれない、という情報をミーシャは忘れてはいなかった。
それを踏まえての言葉は、痛烈な皮肉以外の何物でもない。
更には、まっすぐにライアンを見つめて、ミーシャは言葉を続けた。
「ラライアさまが心配なのは分かりますが、いくら血の繋がった兄君とはいえ、年頃の女性が診察のためとはいえ肌を見せるのは抵抗があると思います。遠慮していただけませんか?」
サッサと出て行けと言わんばかりの不敬とも取られそうな言葉だが、言われたライアンは
特に気にする様子もなく、肩をすくめた。
「隣の部屋までは行かない。けれど、その後の話を聞くくらいは良いだろう?いちいち治療法の許可を取りに来なくてもすむ」
二度手間を省くためだと主張するライアンにミーシャはもう一度ため息をつくと、コーナンの方へと視線を移した。
「医師さまとお見受けいたします。薬師のミーシャと申します。この度はこの様な機会を設けてくださり、ありがとうございました」
しっかりと膝を折り挨拶をするミーシャに、齢60ほどの白髪の紳士は、その飴色の瞳を柔らかく綻ばせた。
「ご丁寧にどうも。ワシは畏れ多くも筆頭殿医を賜っておるコーナン=シャイターンじゃ。」
挨拶を返すコーナンに対し、ミーシャは微笑み返した後、その後ろに控える男達にぐるりと視線をやった。
「普段、ラライア様に関わっていらっしゃる方はこの中にいますか?」
その言葉に、男達は顔を見合わせた後、2人が前に進みでる。
「では、その方達以外の方は退出願います」
柔らかな笑顔を浮かべたままでそういうと、ミーシャは手のひらで扉を指し示した。
「それはっ!」
男達から驚いた声が上がる。拒否の意を示そうとする集団にミーシャはスッと笑みを消した。
「手伝いは必要ありません。何か質問があればコーナン様に伺います。あなた方がここに居る意味はないでしょう?実地研修がしたいのであれば、医療院にでも行かれてください。ラライア様も私も、見世物になる気はありません」
キッパリと言い切られた言葉にはハッキリとした棘があった。
その棘を隠す気もない様で、ミーシャは表情を消した顔のまま、集団をじっと見つめた。
「どこの馬の骨ともしれない人間がラライア様を診るのが不安だというのなら、見張りはコーナン様とそこの2人がいらっしゃれば十分でしょう?
私のすることが気になるというのなら、後でコーナン様達にご確認下さい。別に隠す様なことは何もありませんから」
ミーシャの妖精めいた整った顔立ちが表情を消せばこんなにも迫力を持つのだと部屋の隅に控えていたジオルドは驚きを持って見つめていた。
そこにいるのはジオルドのよく知るふわふわとした可愛らしい少女とは別人の様だった。
(いや、そういえば患者を診ている時や薬作ってる時はこんな感じだったか?)
と、すれば、これは薬師としての顔なのだろうとジオルドは自分を納得させた。譲れないものに相対した時、人は顔つきを変えるものだ。
「そうだな。コーナン、他のものは退出させよ」
緊迫した部屋の空気を断ち切ったのはライアンのひと言だった。
「興味を惹かれるのは分かるが、ラライアは人見知りも強いし、何より医師や薬師を天敵の様に嫌っている。こんなにも他人の気配がしていれば布団の中から出てこないだろう」
肩をすくめてライアンがそういえば、コーナンが苦笑とともに頷いた。
「そうですな。姫は苦手なものが多くございますから」
王や上司に頷かれてしまえばそれ以上逆らうこともできない。
医師や薬師の集団はがっかりした様な顔でゾロゾロと部屋を出て行った。
その背中を見送るミーシャに、ライアンが苦笑とともに声をかける。
「あの様な言い方をしては敵を作る」
短い言葉に気遣いを感じてミーシャは苦笑した。
「そうですね。珍しく頭に血が昇ってしまって。見世物になるのは気持ちのいいものではないですし、ね」
それから、チラリとライアンと後ろに控えるトリスへと目をやった。
「何やら、私に対しての噂話が随分と広まっているみたいですね?どうせ広めるなら、きちんと真実を流してくださればいいのに」
「さて、なんのことだか?」
すまし顔のトリスにミーシャは深々とため息をついた。
証拠もなく、推測の域を出ない以上、トリスに何を言っても無駄だろうという事は、浅い付き合いの中でもなんとなく察せられた。
言うだけ無駄と判断して、ミーシャはコーナンへと視線を移す。
「どの様な噂が流れているのか、詳しい事は分かりませんが、これだけは。私の母親は確かにかの一族の者だった様ですが、私の生まれる前に故郷を離れ、それ以来かの地を踏む事はありませんでした。母親より幼い頃より鍛えられたとはいえ、私自身は駆け出しの薬師に過ぎません。
そんな存在に王妹様を任せることに不安がおありの様なら、今のうちにおっしゃってください」
キッパリと言い切ったミーシャにコーナンは驚いた様に眼を見開いた後、ふわりと笑った。
その笑顔は、先程までの何か企む様なつくられたものではなく、弟子の1人を眺める様などこか好ましいものが含まれていた。
「ラライア様は、幼い頃より続く体の不調とそれを一向に取り去ることのできぬワシらに不信感を抱いておられる。最近では「何をしてもムダ」とクスリもろくに飲んでは下さらなくての」
「………それは」
コーナンの困り顔で伝えられる情報は、薬師としてとても受け入れられるものではなかった。
慢性病の中には継続的に飲み続けることでようやく効果が出てくる薬だってあるのだ。
「年の近いお嬢さんの言葉なら、もしかしたら聞いてくださるかもしれん。どうか姫様を診てくだされ」
哀しそうなコーナンの表情にミーシャは、この医師が心よりラライアを心配し、なかなか改善しない症状に心を痛めている事を知る。
医師を呼ばない、のではなく、もしかしたら駆けつける医師をラライア自身が拒んでいるのではないかというところまで読み取って、ミーシャは少しだけ持っていた不信感を放棄した。
「ラライア様に、お会いしてきます」
いろいろな思いを込めて、ミーシャはぺこりと頭をさげると、隣室へと続く扉に足を向けた。
読んでくださり、ありがとうございました。




