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「屋根の上は降ろさないの?」
「ああ、あれくらいなら大丈夫だ。暖気が屋根裏にも上がるようにしたから、そのうちに溶けるだろう」
家の周囲を終えて屋根を見上げるミーシャの隣にラインが並んだ。
「暖気が屋根裏に?」
意味を問うように見上げてくるミーシャに、ラインが一瞬悩むように眉をしかめた後、ポンと手を叩いた。
「そうか。ブルーハイツの暖炉とこっちの方は作りが違ったな」
「暖炉?そういえば、こっちの暖炉はすごく大きいうえになんだか不思議な形をしてたね」
他にも見たり考えたりすることがたくさんありすぎて、暖炉にまで注視していなかったミーシャは、ラインの言葉に記憶を探った。
台所と居間を間仕切るようにレンガを組んだ大きなそれは、ミーシャの感覚では言われなければ暖炉と認識できないような形をしていた。
その一部が見慣れたコンロやオーブンの形をしていなければ、ただの変わった形のレンガの壁だと勘違いしていただろう。
「あれはペチカといって、あのレンガの部分に蓄熱するように造られているんだ。詳しい説明はまた後でするけど、その熱を屋根裏へと誘導することもできるように造ってあるんだよ。屋根の温度をあげる事で雪を溶けやすくするんだ」
「あの暖炉、そんな事ができるの?」
おどろいて目を丸くしたミーシャは、次の瞬間には不思議そうな顔をした。
「あれ?それなら、最初からいつも屋根裏まで温める様にしていたら、そもそも屋根に雪がつもらなくていいんじゃないの?」
「そこに気づいたか」
ミーシャの疑問に、ラインがニヤリと笑う。
「着眼点は良いが、却下だな」
「なぜ?」
「単純に燃料の問題だよ。温める範囲を広げれば、それだけ燃やす薪は増える。いくらペチカが普通の暖炉よりも熱効率がいいとは言っても、屋根裏までまんべんなく温めようとすれば相当な量になる」
「そっかぁ。確かに、村中の家がそんな事してたら、山の木が無くなっちゃいそうだね」
ラインの説明に納得したように頷くミーシャの肩を、ラインが軽く押した。
「そういう事だ。それよりこっち来いよ、ミーシャ。面白いものが来るぞ」
ラインはそのままミーシャを家の敷地を区切る柵の方まで連れていく。
外門までは雪かきを完了させたが、その先はまっさらな雪原だ。昨夜までは確かにあった村の中央へと続く道は降り積もった雪で完全に埋もれていた。
「何?おじさん。一休みしたから、今度は道の雪かき開始?……て、何の音?」
「そんな面倒なことしねぇよ。ほら、来たぞ」
人や馬の声とガタゴトと何かがぶつかる音に交じって、シャンシャンと涼やかな音が聞こえてくる。
それがだんだんと近づいてくるのだが、その正体は一頭立てのそりに乗った男性だった。
「お~す、おはようさん。雪かきは順調かい?」
もこもこの毛皮の帽子と襟巻で目の部分しか見えない男性が、二人に気がついて陽気に声をかけてきた。
「ああ。悪いな、こんな外れまで」
「いや。お仲間が帰ってきたんだからめでたい事さ。それに、どうせ墓参りに行きたがる奴らがいるんだから、ラインが帰ってなくてもこっち迄来るんだよ」
ラインの言葉に、男性は笑いながら答えると家の横を通り過ぎていく。
「え?・・・・・・えぇ?なんで?!?」
この家が目的地ではなかったのかとそのそりを見送ろうとしたミーシャは、驚きの声をあげた。
そりが通り過ぎたその後に、小型の馬車が通れるくらいの道ができていたからだ。
響き渡ったミーシャの声に、通り過ぎようとしていた男性が手綱を引いた。
「おや、お嬢ちゃんは除雪用馬車は初めて見るのかい?」
「ミーシャの暮らしていた国ではそれほど雪が降らないからな」
不思議そうに首を傾げる男性に、ラインが笑いながら答えた。
その間に、ミーシャは門ギリギリまで駆け寄って、まじまじと観察していた。雪の中を進んでくるのだからてっきりそりだと勘違いしていたが、男が乗っていたのは車輪のついた馬車だった。そのかわり、御者台の前の部分が少し変わった形をしている。
「先の部分がまるで船のようにとがっていて、進むことで雪をかき分けているのね!」
雪が無くなった仕組みに気づいて感激しているミーシャに、男性は目を丸くした後、ニヤリと笑った。
「惜しいな、お嬢ちゃん。その答えじゃ半分正解だ。実際はもう一個仕掛けがあって、馬車の中央辺りに同じように斜めにした板があってそっちにはブラシがついてて残った雪をもう一度払ってるんだ」
ミーシャは、今度こそ門から飛び出すと馬車の横にしゃがみ込んだ。
「本当だわ!!二重にすることで、より綺麗に雪が避けられるのね!」
汚れるのも構わずに、地面に這うようにして馬車の下を覗き込むミーシャに、男性は声をあげて大笑いはじめた。
「好奇心旺盛なお嬢ちゃんだな。ラインも大変そうだ」
「まぁな。振り回される事も多いが、何を見せてもいい反応するから面白いぞ」
ラインは肩を竦めて見せるが、その顔は楽しそうに笑っていた。
「確かにな。嬢ちゃん、興味あるなら今度乗ってみるかい?」
今度は前の方から馬車を観察しているミーシャの、興奮に赤くなっている頬をほほえましく眺めながら、男性はミーシャに声をかける。
「いいんですか?乗ってみたいです!」
そして、弾かれたように返事をするミーシャに、もう一度大きな声で笑うのだった。
男性はニルスと名乗り、普段は大工と木こりを兼任しているのだが、冬の間は仕事が激減するので村の雪かきをしていると教えてくれた。
本当に今度、除雪用の馬車に乗せてもらう約束をしたミーシャは、ご機嫌で昼食用のパイをつくっている。
今日は雪かきで体力を使ったので、たっぷりとお肉を入れたミートパイだ。ペチカのオーブンを使ってみたいという事で決まったメニューでもある。
鼻歌交じりに調理しているミーシャを横目に、レンはペチカの前でのんびりと体を伸ばし、ラインは書き物をしていた。
「おじさん、なにを書いているの?」
ラインは眉間にしわを寄せながら、ときどき悩むように手を止めては宙を睨んでいる。
「旅の間の報告書みたいなものだ。いくつか試薬を使ったから、その使用感とかのまとめだな」
「いつの間にそんなもの書いていたの?」
ミーシャはラインの手元に散らばるメモに目を丸くした。
小さな文字で走り書きされたそれらは、専門的な略語で書かれているようで、ミーシャにはほとんど読み取る事ができなかった。
「面倒だが、この村でしか作られていない道具や薬は多いからな。報告書を提出しないと、それらを使えないからしょうがないんだ」
ひと段落ついたのか、ペンを放り出したラインが空になったカップを手に寄ってくる。
「新しい薬を作ったとしても、実際に使ってみないと効果があるかは分からない。この村にいる人間は限られているから、外に出る人間に託して効果を確認してるんだ。で、結果を見て改良や再開発をする。俺たちは改良された薬や道具の恩恵を受ける。社会は何事も持ちつ持たれつで回っているんだよ」
ペチカの上で保温していたヤカンからお茶を注ぎながら、ラインが小さく肩を竦めた。
「とはいえ、必要な事と分かっていても面倒な事には変わりない。ミーシャ、早く色々覚えて、俺の代わりに書けるようになってくれ」
「……おじさん、せっかくいい話にまとまりかかってたのに」
ミーシャは呆れたようにため息をつくと、止まっていたパイをつくりを再開した。
「そうは言うが、本当に面倒なんだよ。その都度記録していればいいのかもしれないが、旅先で運べる物量が決まっているのに、紙の束なんて運びたくもないし。かといって、時間が経てばたつほど、記憶は薄れる。しかも年単位になると、膨大な量で書きだすのも一苦労だし。物書き大好きな研究者たちと一緒にするなと声を大きくして言いたい」
「せめて数か月に一度でも書いて、近くの協力者に託せばいいのに、年単位で報告書をため込むからでしょう?自業自得よ」
うっぷんが溜まっているのか珍しく愚痴を言うラインに目を丸くしていると、呆れたような声が横から飛んできた。
「ミランダさん!」
いつの間に家に入ってきたのか扉の所に立つ姿を見て、ミーシャが嬉しそうな声をあげる。
「こんにちわ、ミーシャ。スープのおすそ分けに来たの」
手にしたバスケットを掲げてニコリと笑顔を返すミランダに、ミーシャが歓声をあげた。
「今からミートパイを焼くの。ミランダさんも一緒にお昼食べよう!」
「あら、いいの?」
「もちろん!大きなパイを焼いてるから。あ、でもミランダさんがいるなら、デザート用に甘いパイも焼こうかな?」
はしゃぐミーシャにくすくす笑いながら、ミランダはバスケットからスープの入った小鍋を出してペチカの上に置いた。
「それなら、奥の棚にブルーベリーのコンポートを置いていたはずよ」
「素敵!!バタークリームも作っちゃおう!」
楽しそうに相談を始めた女性陣に、ラインは大きなため息を一つ落とすと、食事の前に少しでも終わらせてしまおうと再びペンをとるのであった。
「そういえば、ミーシャ、この後時間あるかしら?」
しっかりと食後のデザートまで平らげてまったりとしていたら、ミランダがふと思い出したように誘ってきた。
「集会場の奥に村人ならだれでも使える公衆浴場があるのよ。今の時間ならすいていると思うから、一緒に行ってみない?」
「え?公衆浴場があるの?こんな時期に大丈夫?」
この家にはきちんと風呂の設備が整っていて、昨日は久しぶりのお風呂だからと沸かしてもらっていた。しかし、風呂桶一杯の湯を準備するには大量の薪を消費するため、毎日は無理だろうなとミーシャは諦めていたのだ。
目を丸くするミーシャに、ミランダがにこりと笑う。
「そう。実は、温泉が湧いているの。こんな山奥に籠ろうとご先祖様が決めた一因でもあるのよ」
「行きたいです!!」
予想外の情報に面食らうより先に、ミーシャは本能で手をあげていた。
あまりに素早い反応にびっくりした後、ミランダがたまらず笑い出す。
「だってぇ。冬の間は毎日お風呂に入るのは無理だろうなって諦めてたから……」
「そうよね。薪の問題もあるから、毎日沸かすのは無理だものねぇ」
ミーシャが拗ねたように唇を尖らせると、くすくす笑いながらミランダがそっとその背中を押した。
「せっかくだし、さっそく行ってみましょう。準備してらっしゃいな」
「はーい!」
いそいそと二階に消えていく背中を見送ってから、ミランダがのんびり食後のお茶を飲んでいるラインを振り返るとパタパタと手を横に振られた。
「おれは後で行くから、ミーシャをよろしく」
「任されました。残りもさっさと仕上げてね」
ニコリと笑顔でとどめを刺しに行くミランダに、ラインが力尽きたようにパタリと机に突っ伏する。
現場大好きなラインはご多分に漏れず書類仕事は大嫌いだった。
苦手というよりは、ひたすらに面倒くさいだけなのだと知っているミランダは、打ちひしがれるラインに同情の欠片も感じない。
「おじさんどうしたの?」
「さぁ?お腹いっぱいになって眠くなったんじゃない?さ、行きましょう、ミーシャ」
ルンルンの足取りで折りてきたミーシャに満面の笑みを浮かべて促すと、ミランダは玄関へと向かう。
「う……うん。おじさん、行ってきます。レン、お留守番お願いね」
温泉の匂いが苦手なレンは付いてくる気はなさそうで、顔もあげない。その様子に手を振ると、ミーシャはいそいそとミランダの後を追いかけた。
お読みくださり、ありがとうございました。
ほのぼの暮らし、第二弾です。
ほのぼのは夜凪も書いていてほっこり癒されます。
……別に好きで試練与えてたわけじゃないですよ?ミーシャの成長のためにはしょうがなかったんです!
ちなみにそんな事ができるペチカや馬車が、本当にあるかは知りません。
夜凪の勝手な想像でお送りしております。あしからず。
あ、一応ペチカは真面目に調べました。
九州住みの夜凪には縁のないものですが、調べれば調べるほど楽しそうで、ペチカでお料理したり上で寝てみたり、一度ぜひ体験してみたいです。憧れです。




