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お久しぶりです。
微かに聞こえる鳥の声に、ミーシャは眠りの国から引き上げられた。
まだ弱々しい朝の光が、厚いカーテンの隙間から差し込んでいる。
微かなカーテンの隙間から弱々しいながらも朝の光が差し込み、可愛らしい小鳥の歌が耳をくすぐった。
(……あ……さ?)
分厚いカーテン越しに、冬の冷たさがしみてきていて部屋の中はヒンヤリとしている。
ぼんやりとしたまま、ミーシャはクルリと布団を体に巻き付けた。
フワフワの布団は暖かく、ほんのりと甘い花の香りがする。
(これ……何かな……いい香り……お家とは違う香りだぁ)
布団の柔らかさと同じくフワフワとしたまとまらない思考の中、ミーシャは嗅覚がとらえた香りにうっとりと浸り、再び眠りの国に戻りかけた。
しかし……。
花の香りの奥、微かに感じる香りにミーシャの本能が反応する。
グウウゥゥゥ!
鳴り響いた重低音に、ミーシャの目がぱちりと開いた。
「……おなか、すいた」
ミーシャの声に返事をするように、今度は可愛らしい音でキュルル~とお腹が音を立てる。
花の香りをかき消すようにじょじょに立ち上ってくるのは、小麦の焼ける甘く香ばしい香りだった。
ミーシャは先ほどまでなによりも魅力的に感じていた布団をあっさりと跳ねのけると、いそいそと扉を開けた。
とたんに、魅力的な香りがはっきりとミーシャを包み込む。
「焼き立てパンの香り!」
旅の途中はもちろん、最後に滞在していた港町バイルではパンは自宅では焼かず、パン屋でまとめて調達する土地柄だった。
久しぶりの香りに喜びのあまりピョン!と小さく飛び上がると、ミーシャは急いで階段を駆け下りる。
「おじさん、おはよう!」
元気な挨拶と共に飛び込んできたミーシャに、オーブンを覗き込んで丁度パンの焼け具合を確認していたラインが顔をあげた。
「いいタイミングだ。焼きたてだぞ」
「知ってる!いい香りがしてたもの!」
オーブンからパンの乗った天板を取り出すラインに、ミーシャが歓声をあげる。
「しかも私の好きな木の実入りのパン!おじさん大好き!」
小さな子供のように飛び上がって喜ぶミーシャに、ラインはこらえきれずに噴き出した。
「まだ熱いうちに食べたいなら、お茶を淹れるのを手伝ってくれ。そっちの棚に茶葉があるから」
「はーい!」
笑いながら促されて、ミーシャはいそいそと棚から茶葉の入った缶を取り出した。
久しぶりの焼き立てパンに大好きな蜂蜜をたっぷりつけて、大満足の朝食を終えたミーシャは、満ち足りたため息をつきながら食後のお茶を飲んでいた。
「昨日はいつもより遅かったのに、良く起きれたな。疲れは残ってないか?」
同じく、のんびりとカップを傾けながら、ラインが尋ねる。
「うん。お布団がすごくフワフワで温くて気持ちよかったし、朝までグッスリだったよ。いい香りもしたし、あれって何の香りかな?」
布団に入った時から感じていた甘い花の香りを思い出して、ミーシャは首を傾げる。
普段はさっぱりとした香りを好むミーシャだったが、布団に入った途端に包み込まれても鼻につくことはなく、とろりとした眠りに誘われて気がついたら朝だった。
「布団はミランダが新調したって言ってたな。香りは何だろうな?後でミランダに聞いてみたらいい」
「なんだか、何から何までミランダさんに準備してもらってたんだね」
初めて会った時から優しく気を配ってくれるミランダには、お世話になりっぱなしのミーシャである。
少しの申し訳なさを感じていると、ラインが笑いながら肩を竦めて見せた。
「まぁ、ミーシャを迎える準備をするためにさっさと帰らないとって張り切ってたしな。そんな顔するくらいなら笑顔で礼の一つも言った方が喜ぶだろう」
「そっかぁ……。そうだよね。私のために頑張ってくれたんだから、素直に喜んで、ありがとうって伝えたらいいよね」
「そうそう。まあ、礼を伝えに行くにしてもまずは家の外に出れるようにしないといけないんだけどな」
気を取り直したように笑顔を浮かべるミーシャに、ラインがニヤリと笑った。
「家の外に出れるようにする?」
不思議な言葉に首を傾げたミーシャに、ラインが玄関を指さした。
「開けてみろ」
「なに?外に何かあるの?」
ニヤニヤ笑っているラインを不思議に思いながらも、ミーシャは玄関に向かう。
この建物は、玄関が二重になっている作りだった。
厚みのある一枚板で作られた玄関を開けると広めの土間があり、そこで雪を払ったりコートやブーツを脱ぐ事ができる。端の方にはスキー板やかんじきなども立てかけてあり、雪の備えはばっちりである。
そして居室に続く扉があるのだが、寒気がしみこむことを防止しているのか内側には毛皮の壁掛けが飾られていた。
「え?なんで?鍵は開いてるよね?」
昨夜出入りした時は難なく開いたのに、ピクリとも動かない玄関に目を丸くする。
「エイ!」
ミーシャが全体重をかけるようにして扉を引くと、今度はほんの少しだけ動いた。
しかしわずか数センチだけ開いた扉は真っ白な何かに埋め尽くされていたのだ。
「なにこれ?……雪!?」
ハラハラとこぼれ落ちてきた白い欠片に、ミーシャが思わず悲鳴のような声をあげると、ラインがゲラゲラと声をあげて笑いだす。
「扉を閉めてこっち来いよ、ミーシャ」
そして呼ばれた先は二階のラインの部屋だった。
「ウソでしょう……たった一晩でこんなに積もるなんて」
分厚いカーテンと木でできた雨戸をあけた先には、一面の雪景色が広がっていた。
昨日、集会場から帰るときにはあった道も、すっかり埋もれて跡形もない。
思わず身を乗り出すようにして下を見れば、一階の窓も半分ほど雪で塞がっていた。
ミーシャの暮らしていた森でも、冬になると雪は積もっていた。
森の外の村に比べて雪深くなるため道が閉ざされて、二か月ほどは家の周辺に閉じ込められるのが常だったけれど、それでもたった一晩で、こんなに雪が積もることなどなかった。
「ブルーハイツ王国は大陸の中では南の方だからな。雪の質も量も違うんだよ」
驚くミーシャに、ラインは手を伸ばして窓枠に積もる雪を掬ってその小さな手に乗せてやった。
「わ!サラサラしてる!」
「ほら、こんなこともできる」
ミーシャの手に乗せられた雪にラインが息を吹きかけると、白い結晶が軽やかに宙を舞った。
「とはいえ、一晩でここまで降るのは村でも年に数回だ。初日から貴重な経験ができてよかったな、ミーシャ」
自ら手を伸ばして雪を手にとっては空に撒いて遊んでいるミーシャに、ラインは集落の方を指し示した。
「向こうの方がミランダの家だな」
指さされた先の木の陰に隠れるように、雪が積もった赤い屋根が見える。
隣とはいってもそれなりの距離がある。
というか、ラインの家は集落のはずれにあるため、どの家からも距離が離れているのだ。
「けっこう離れてるんだね。あそこまで雪かきするの大変そう……」
辿り着くまでの労力を思って遠い目をしているミーシャの前で、屋根に積もっていた雪がずるりとまとめて滑って落ちた。
「あぁ、あっちはもう雪かきが始まったみたいだな」
その様子を確認したラインは窓を閉めた。
「ミーシャ、下に降りるぞ」
初めて入ったラインの部屋はレイアースの部屋と違って大きな家具はベッドと机しかなかったけれど、様々な大きさの箱や何か分からない道具のような物が隅の方に積み上げられている。
(そのうち、見せてもらえるかな?)
なにかは分からないけれど絶対に面白いものが潜んでいる気配がして、非常に興味を引かれたが、ミーシャは素直にラインの後を追う事にした。
「おじさん、どうやって外に出るの?」
「昨晩の風向きなら、裏口の方はそれほど積もっていないはずだからそっちから外に出て、まずは玄関が開くようにしよう」
誘導されるままに裏口に向かうと、そちらも正面玄関の半分ほどのスペースしかないけれど二重扉になっていた。
「ん……大丈夫そうだ」
ラインがグッと力を入れると、裏口の扉は多少軋みをあげて抵抗したものの、すぐに開いた。
「さむ~い!」
とたんに冷たい空気が入り込んできて、ミーシャは首を竦めるとしっかりと襟巻を巻きなおす。
「こっちだ」
屋根はひさしを少し長めにとっているため、風向きによっては建物側の積雪は大したことがないようだった。
今回は、玄関側に集中的に風が吹きつけたため、雪がひさしの下まで入り込んで積み上がり、開かなくなってしまったのだ。
いつの間にか手にしていた雪かき用の大きなスコップでザクザクと足元の雪を払いながら進むラインの後を追いながら、ミーシャは白い息を吐きだした。
昨日までも寒いと感じていたが、たった一晩明けただけなのに、さらに一段階寒さが増したように感じた。厚い雪雲に隠れて太陽の光がぼんやりとしか感じられないせいかもしれないけれど、ミーシャの感覚では冬の始まりともいえるこの時期にこれほどの寒さなら、一か月後はどうなっているのかと少し心配になってしまう。
「わあ。玄関が完璧に雪に埋まってるわ!」
前を進む背中が止まったのを感じて、ぼんやりとしていたミーシャは我に返り、そして驚きの声をあげた。
玄関前のポーチもその横にあったウッドデッキも、真っ白な雪の下に隠れて見えなくなっていた。玄関扉は言わずもがな、である。
「風が強かったから多少は散らされると思ってたんだが、思った以上にたまってたんだな。これは、扉が開かないはずだ」
ラインの部屋からでは玄関の方は角度的に見えなかったため、ライン自身も現状を目視したのは初めてだった。
「まぁ、一冬の間に何回かはあることだし、雪かき頑張ろうな」
ラインは、見事な雪山が出来上がっている玄関前に呆然と立ち尽くすミーシャの肩をポンと叩くと、その手に大きなスコップを握らせた。
掬う部分の先端が平坦で四角っぽい形をしたそれは雪かき専用のもので、森の家にも同じような形のものがあったため、ミーシャでも使い方は分かる。
こんなにどっさりと積もる事はなかったけれど、森の家での雪かきは足の悪い母親に変わってミーシャの仕事だったため慣れてもいた。
しかし、自分の身長よりも高い雪の壁にどう挑めばいいのか分からなくて、途方にくれてしまう。
そんな悩んで立ちすくむミーシャの横をさっと駆け抜ける白い影があった。
「ウォン!」
勢いよく雪山に飛び込んでいったのは、昨日から姿が見えなかったレンだった。
ここ最近はぴったりとミーシャに張り付いていたのだが、昨夜の歓迎会の帰り道にふいッと森の方へと駆けこんで行ってしまったのである。
旅の途中も運動がてらレンがそばを離れるのはよくあることだったし、今回は家の位置も分かっているから大丈夫だろうと、ミーシャもラインも止める事なく見送ったのだった。
「レン!大丈夫?」
先ほど窓から手を伸ばして触った時に分かっていた事だが、雪は、ミーシャの想像以上に柔らかかったようである。
バフン!と雪煙をあげてスッポリと雪の中に埋もれて見えなくなってしまったレンに、ミーシャは慌てて声をかけた。
「ウォン、ウォン!!」
雪の中から元気な返事が聞こえて、次の瞬間、バババッと激しく雪が舞い上がった。
「おお!レンが手伝ってくれてるのか。これは、もしかするとレンが帰ってくるまで待ってたら勝手に玄関を掘りかえしてくれたんじゃないか?」
ウッドデッキの方を雪かきしていたラインがその様子を見て笑っている。
その間にもみるみる雪の山は崩されていった。
「ほら、ミーシャも見とれてないで動け。レンに仕事ぜんぶ奪われちまうぞ?」
あまりのスピードにポカンとしていたミーシャは、ラインに促されて、慌てて崩された雪を端の方へまとめるために動き出した。
読んでくださり、ありがとうございました。
新章を始めるにあたり、どうスタートを切っていいのかどうにもまとまらず、書いては消し書いては消ししていたら、いつの間にかこんなに時間が経っていました。
結局、時間軸通りの着いた翌朝からスタートになりました。
隠里での暮らし、平穏部分はダイジェストにできないか頑張ったんですけど、どうにも無理でした。
ハードな旅が続いたから、きっとミーシャもまったりしたいんだろうという事で、のんびりお付き合いいただけたら嬉しいです。
一応、やりたいことはざっくりと決まってはいるんですが、どうにもとっ散らかって上手く整理できず。
試行錯誤に疲れてしまったので、結局いつも通りの見切り発車です。
もう、ミーシャに関しては動かそうとすると上手く動いてくれないので、指が走るに任せるのが正解な気がしてきました。
安定の亀更新予定です。申し訳ありません。




