28
ミーシャが苦労して採取してきた薬草のおかげで、ヒューゴは問題なく回復した。
そして、夕闇の中帰宅したミーシャの行動は、幸いベッドの上で朦朧としていたヒューゴにばれる事はなかった。
想像通りに怒られることなくほっとしたミーシャは、この事は絶対に秘密にしようと心に誓ったのだった。
ヒューゴも勝手に薬を飲んだことを反省したようで、珍しく素直に謝っていた。
大事にならなかったことと、自分も人に言えない秘密を持ったことで、ミーシャも必要以上に怒ることなく矛を収めた。
ミーシャが血相を変えて飛び出していったところを、たまたま目撃していた店の従業員から報告を受けていたゲイリーが何か言いたそうにミーシャを見ていたけれど、ミーシャは気づかないふりでやり過ごした。
そしてゲイリーもまた、下手に追及することはなかった。
夕暮れに飛び出したのはいただけないが、体調を崩したヒューゴのために薬草を探しに出たと聞けば、いかにも一族の人間らしいと納得したくらいだ。
まさか、スラム街に飛び込んだとは露ほども考えなかったからの判断だったので、行き先を知っていたら、容赦なく説教コースだっただろう。
知らないとは、幸せなことだ。
そして、様々な思惑を飲み込んでさらに数日が過ぎ、ヒューゴの皮膚のひび割れが改善に向かいだしたころ、ついに待ち望んでいた一行がこの町に戻ってきたのだった。
最初に戻ってきたのはカインだった。
その足にラインからの返事を携えていて、いそいそと開いた手紙には懐かしい文字でただ一言「すぐ戻るから大人しく待ってろ」とだけあった。
あまりにラインらしいそっけない手紙に、ミーシャは思わず笑ってしまった。
そして、その二日後。
裏庭で洗濯物を干していたミーシャに、裏口の扉を飛び越えた白い影が突如飛びついた。
予想していなかった襲来にバランスを崩して倒れこんだミーシャは、次の瞬間、息もできないほど激しく顔中を舐められて悲鳴をあげる事になる。
「ちょっ……、レン!ストップ……!!分かった!……わかったから落ち着いてぇ~~!」
ヒュンヒュンと鼻を鳴らしてのしかかるレンをどうにか押しのけようとあがいていると、騒ぎ声が聞こえたようで何事かと人が集まってくる。
「お~。レン、お帰り。ラインはどうした?」
初見のヒューゴは白い狼にのしかかられるミーシャに一瞬ぎょっとした顔をしたものの、ゲイリーは笑い顔だ。
ヒューゴも最初の驚きが過ぎれば、ミーシャから聞いていた狼のレンの話を思い出し、悲鳴をあげるミーシャをにやにやと笑って見守るばかりで助けようとはしなかった。
「も~、レン。ちょっと落ち着いて。ちゃんと顔を見せてよ。あの後どうなったの?大丈夫だったの?」
やがて最初の興奮が収まってきたレンをなだめながら、ミーシャはレンの体を撫でまわして異常が無いか確認していく。
「あ、怪我してる。もう大丈夫なの?痛くない?」
脇腹に傷を見つけたミーシャはまじまじと眺めた。
すでに包帯は巻いておらず、抜糸もすんでいる傷はうっすらとピンク色の新しい肌が盛り上がって見えた。
「おじさんがこれだけ丁寧に縫うって事はひどい傷だったのね。良かった、元気になって」
ほぼ治っているとはいえ、傷の様子からその深さが推測出来てミーシャは涙ぐんだ。
「キューンキュ――ン」
その様子に、レンが鼻を鳴らして、慰めるように涙を舐めとる。
「なーに泣いてるんだ?しかも泥だらけじゃないか。レン、激しくやったな」
一人と一匹が寄り添っていると、背後からのん気な声が降ってきた。
ミーシャが、その声に反応してガバリと立ち上がる。
「よう、ミーシャ。一人になって、ちょっとは成長してきたか?」
まるで昨日ぶりとでも言うように軽い調子で声をかけてくるラインは少し微笑んでいた。
珍しいその表情が何よりも、元気そうなミーシャの姿を見て喜んでいることを伝えていて、ミーシャは無言でラインに駆け寄るとぎゅっと抱き着いた。
「約束破って部屋を出てごめんなさい。心配かけてごめんなさい。探してくれてありがとう。あきらめないでくれて、ありがとう」
夜の海に落ちて生存を信じる事がどれほど難しいか、子供でも分かる。
それなのに、ほんの少しも迷わずにミーシャを探して駆けまわってくれたことを聞いていたミーシャは、謝罪と感謝を重ねた。
「あぁ。俺も一人にして悪かった。頑張ったな、ミーシャ」
ヒシッと胸に抱きつく温もりにラインもほっとして顔を弛めると、しっかりと抱きしめ返す。
そんな二人に「じぶんも!」というようにレンが体を擦りつけた。
柔らかな感触にミーシャはくすくすと笑う。
「レンもありがとう。二人ともただいま!」
「……お帰り、ミーシャ」
「ヲォン!」
そんな家族のやり取りを、集まってきた人たちは温かな瞳で見守っていた。
「無事に再会できて良かったねぇ」
三人が再会を喜び合って一息ついた時、聞き覚えのない声がした。
どこかのんびりとした響きのその声に顔をあげたミーシャは、目を丸くする。
陽の光を浴びてキラキラと輝く銀髪に、深い青の瞳。
真っ白な肌を持つ中性的な男性だった。
初めて会ったはずなのに、なぜか既視感を覚えて、ミーシャはじっとその男性を見つめる。
真っ直ぐに投げかけられた視線に、男性は臆すことなくにこりと笑って見せた。
「この姿では、初めましてだね。僕はアクアウィズ。今後はかわいいアイリス共々、よろしくね」
「……アイリスちゃん?」
それは、ブルーハイツ王国からレッドフォード王国へ向かう船に乗り込むために立ち寄った港町で出会った少女の名前だった。
船が出るまでの暇つぶしに町を探索していたミーシャは、神様に捧げる舞を踊っていた少女アイリスと些細なことがきっかけで知り合い、その後起こった誘拐事件に巻き込まれることになった。
どうにか無事に解決して、笑顔で別れる事ができた少女とはその後も不思議な縁が続いていて、一度だけではあるが手紙のやり取りをしたこともあった。
仲良くなった少女の名前を出され、首を傾げたミーシャがハッと表情をこわばらせて、ごくりと息をのんだ。
「もしかして……海の………」
「君があの時僕の欠片を投げてくれたから、今回はどうにか間に合う事ができたんだ。本当に感謝してる」
おそるおそる問いかけたミーシャに、アクアウィズはニコニコと笑みを深める。
あの日の出来事を知らない人たちが聞いても、何の事を言っているのかさっぱり分からないであろう。
しかし、ミーシャにとってはその言葉だけで充分だった。
「やっぱりあの時の……」
ミーシャの脳裏に青で埋め尽くされた不思議な空間がよみがえった。
人ならざる者の世界に初めて連れていかれた、不思議な体験。
目の前の青年が、その場所で出会った青年と同じものだと気づいて、ミーシャの頭が真っ白になる。
「おじさん⁈ どういうこと⁈」
「どうって言われてもなぁ。浜辺に落ちてたのをたまたま拾ったんだよ」
勢いよくぐるっとラインの方を向いたミーシャに、悪びれた様子もなくラインが肩を竦めて見せる。
「おれは元の場所に置いておこうとしたんだぞ?それに反対して、連れてきたのはレンだ」
「キャウ⁈」
突然飛び火して、ミーシャの足元でまったりしていたレンが悲鳴をあげる。
「しかも沖の方にはイルカたちがいて、返品不可だと目を光らせてるし、しょうがないよな」
「そんな犬猫を拾ったみたいに……」
あまりにも飄々としているラインに、ミーシャがあきらめたように肩を落とす。
「それにしても、なんでこんなところに。アイリスちゃんの所に居なくてもいいの?」
自分のせいではないというようにぐりぐりと頭を押し付けてくるレンを撫でてやりながら、ミーシャは首を傾げた。
最後にミーシャがアイリスと会話をした時に、幼さを理由に一緒にはいけないと断ったと言っていたことを思い出したのだ。
「確か、陸で暮らしていく用意ができたら会いにくるってアイリスちゃんから聞いていたんですけど……」
「うん。その予定だったんだけど、ミーシャちゃんが海に落ちたから……」
少し困ったように口ごもるアクアウィズにラインが肩を竦める。
「どうもお前にいろいろ感謝してたみたいで、海にいる間は何か困ったことは無いかと見守ってたんだとよ。船員たちの言ってた「海の神様に気に入られてる」ってのはあながち間違いじゃなかったんだよ」
「それって、もしかして魚がいっぱい釣れたり虹色飛魚が飛び込んできたり………?」
突然のラインの言葉に、ミーシャは帆船で旅する中で起こった不思議な幸運をおもいだす。
「魚美味しいって言ってたみたいだったからうれしいかなって」
「うん!魚美味しかったし、虹色飛魚は綺麗だったからとてもうれしかったわ。ありがとう」
少し照れたように笑うアクアウィズに、ミーシャは当時のうれしい気持ちを思い出してニッコリと笑う。
「それでミーシャちゃんが海に落ちた時もイルカたちに頼んで運んでもらったんだ。だけど、その後ライン達が全然見当違いの方向に行っちゃうからやきもきしてたら、父さんが行ってこいって」
(……それってうるさく騒いで追い出されたんじゃ)
ふと頭をよぎった考えを賢明にもミーシャは口に出さずに飲み込んだ。
深掘りしても誰も幸せにならない結果しか思い浮かばなかったからだ。
「え……っと。それじゃ、私達が無事会えたからアクアウィズさんはこれからアイリスちゃんの所に向かうんですか?」
とりあえず話を変えようとミーシャは別の話題を振ってみた。それにアクアウィズは、やっぱり少し困ったような顔で笑う。
「アクアでいいよ。アイリスの所に行きたい気持ちはあるんだけど、実はまだこの体、完ぺきではないんだよね。ちゃんと成長しないと、迷惑かけちゃうことになりそうだし、一度父さんの所に帰るつもりだったんだけど……」
「なぁ。その話長くなりそうなら、とりあえず家の中に移動しないか?喉も乾いたし、とりあえず座りたい」
突然話にラインが割り込んできて、ミーシャはここがまだ裏庭だという事にようやく思い至った。
幸い、自分達以外にはゲイリーとヒューゴしかいないが、薄い板塀で区切っただけの裏庭が秘密の話に向いているとは、到底思えなかった。
「そうだな。茶でも入れるとしよう。ラインはワインの方がいいか?」
黙って置物になっていたゲイリーが、少し笑いながら提案してきた。
「口当たりの軽い奴がいいな」
嬉しそうに頷いて、ラインがさっさと家の中に入っていく。
「おい!一本だけだからな。前みたいに軒並み飲み干してくれるなよ?」
少し慌てた様子で後を追うゲイリーの姿に、残された面々は顔を見合わせた。
「何があったのかしら?」
「さあな、あの言いぶりだと前回来た時やらかしてたんじゃないか?」
首を傾げるミーシャに、ヒューゴはありそうな出来事を口に出してみる。
「……確かにおじさん、ザル通り越してワクだし、前にお友達の家でもさんざん飲み干して悲鳴上げさせてたっけ」
「それはまた、すごいな」
遠い目をしたミーシャに笑いながら、ヒューゴもまた家の中に入る為に立ち尽くすミーシャの背中を軽く押した。
「やっぱりお茶で我慢してくれないかしら?ババ様の特性ブレンドを出したら、興味を示してそっち飲んだりしないかな?」
「それは無理がないか?いや、ミーシャみたいな珍しい薬好きなら、ありなのか?」
一宿一飯の恩を返すためにもゲイリーのワインを護ろうと決意したミーシャが、ラインに敗北するまであと少し。
呼んでくださり、ありがとうございます。
やっと、ライン&レンと再開することができました。




