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「……落ち着かない」
黙々と薬草をすり潰していたミーシャは、小さくつぶやくと擦り棒を置いてパタリと机に突っ伏した。
調薬を始めれば途端に他の事が見えなくなり作業に没頭することが常のミーシャにしては珍しい行動だ。
しかし、何をしようと行儀が悪いと叱る人はいない。
部屋には、ミーシャ一人しかいなかったからだ。
空から舞い降りてきたカインは、ラインからの手紙を携えていた。
そこには、海岸線を辿っているが、それらしい話は見つけられないうえに、予想以上にこの時期の海は荒れていて、仮にミーシャが流れ着いたとしても生存は不可能そうであること。
それを踏まえて、もう一度捜索の計画を練り直すために、一度バイルに戻るつもりであることが書かれていた。
早々にラインの動向が分かったことに喜んだミーシャだったが、足の速いラインとレンは予想よりもずいぶん先に進んでいた為、戻ってくるにもそれなりの日数がかかると知り肩を落とした。
それでも、ここで大人しく待っていれば、そう遠くはない未来に再会できる目処が立ったのだから喜ばしい事だろう。
とりあえず素早く返事を書いて、ラインに届けてもらう事となった。
もちろん、手紙を書くのはミーシャの仕事だ。
ミーシャは急いで自分の荷物の中から、かつて友人にもらった便箋を引っ張り出し返事をしたためた。
無事にゲイリーの元へ辿り着いた事。
怪我もなく元気でいる事。
帰りをゲイリーの家で大人しく待っている事。
一晩ゆっくりと休んだカインは、あくる日の早朝にはライン達をめがけて飛び立っていった。
小さくなるカインの姿を見送りながら、ミーシャはもうすぐライン達に会えるとワクワクしていたのだった。
それが一昨日の事である。
ミーシャは大人しく部屋へ閉じこもっていた。
ラインが戻ってくるまでは閉じこもっていると約束した部屋を、勝手に飛び出した挙句に行方不明になった自分の行動を、ミーシャなりに反省してたからだ。
本来なら、知らない街をそぞろ歩いてみたり、どうやらこの町にも存在しているらしい温泉にも浸かってみたい。
しかし、どうやら自分は良くも悪くも騒動に遭遇する運命にあるようだと、森を出てからの日々でミーシャは自覚しつつあった。
正確には、ヒューゴにコンコンと説かれた。
村から港町まで馬車で数日だ。間に大きな町があるわけでもなく、特に景色も変わり映えしない、退屈な旅路になるはずだった。
少なくとも、実際に同じ旅程を辿った事のあるヒューゴはそうだったそうだ。
それなのに、初日から具合の悪い少年が野営地に飛びこんできたり、珍しい山崩れがおきて救出劇に巻き込まれたりと、枚挙にいとまがない。
「村でもエラの子供を助けたり、ババ様の目を治したり……。どうせ村に来る前にもいろいろやらかしてるんだろう?」
じっとヒューゴに睨まれて、ミーシャはそっと目をそらした。
別に人に恥じるような行いはしていないし、むしろ褒められるべき行動の数々だったが、それを今のヒューゴに訴えるのは悪手であることをミーシャは本能で感じ取っていた。
口をつぐんだミーシャを、ヒューゴがフンッと鼻で笑う。
「とにかく、ミーシャの引きの悪さは異常だ。おまえが動くと絶対に何か事が起こるんだ」
ヒューゴは、しかめっ面できっぱりと言い切った。
「頼むから、せめて保護者に再会できるまでは大人しくしといてくれ」
挙句に切実な声で懇願されてしまったミーシャは、うまい反論もできず肩を落として頷くこととなったのだ。
幸い、荷物が無事手元に戻ってきたので、新たに増えた荷物や道中でちゃっかり採取していた薬草などの整理をしたり、足りなくなっていた薬を調薬したりすることで、一日目はつつがなく過ごすことができた。
しかし、引きこもり生活が三日目にもなると、不満だって出てくるものである。
もともと、ミーシャは好奇心旺盛で活動的な性格だ。
薬草の選別や下処理、調薬だって楽しいと思っているけれど、それも二日も集中すれば必要な作業はあらかた終了してしまう。
暇つぶしもかねて旅の資金の足しにしようと余分に調薬していたのだが、どうにも気分が上がらないミーシャの手はついに止まってしまった、というわけだ。
ヒューゴの言葉と勢いに飲まれてうっかり大人しくしていると頷いた事を、ミーシャは後悔し始めていた。
「だいたい私には家から出るなって言うくせに、自分はフラフラ出歩いてるんだから、理不尽だよね」
そう、ミーシャはずっと一人でひきこもっていた。
一緒にこの町に来たはずのヒューゴは、ミーシャの安全が確保されたと知るや、嬉々として出かけてしまった。
「そりゃあね。言いたいことは分かるのよ。薬草が生えているのはスラム街の中でも奥まった場所だったていうし、足手まといの私を連れて危険な場所をうろうろしたくないって」
ミーシャの保護者【ライン】を探すという課題がほぼ達成された今、次の課題に取り組むのは当然だ。
ヒューゴはミルの病に聞く薬を探すためにミーシャの護衛に手をあげたわけで、ミーシャもそれについては協力を申し出た身である。
どんな運命のめぐりあわせか、かつて助けた少年の両親に出会い、その口から薬に対する有力な情報を手にいれる事ができたのも僥倖であった。
ミーシャが知っていた『火竜の呪い』の薬がミル達海巫女を苦しめてきた病に効くかは、実際につくってみないと分からないが、材料も一つ以外はすでに手にいれる事はできた。
後は、スラム街の廃屋で自生していたという赤いテンガラの根を手にれるだけで、試薬は作れる。
軽くではあるが、ミルと同じような皮膚の症状があらわれているヒューゴは、自身で実験体になる気満々であった。
そこで改善がみられるようなら、原材料や調薬法を持ち帰り投薬していく手はずとなっていた。
大切な妹【ミル】のために一日も早い薬の完成を願って、ヒューゴが奔走するのは当然だった。
そのために少しくらいミーシャの扱いが適当になったとしても、しょうがないと飲み込める範囲の暴走である。……はずだったのだが。
森の中で暮らしていても日々外を駆け回ることでいろいろな刺激や楽しみがあった。
外の世界に出てからは、初めて目にするものや知識で好奇心を満たしてきたミーシャは、すっかりその生活に慣れていて、周囲が思う以上に退屈に耐性がなかったのだ。
テンガラが自生していたという廃屋のだいたいの場所は聞いていたため、すぐに特定できると思っていたのだが、スラム街は思っていた以上に広く入り組んでいた。
よそ者であるヒューゴに向けられる目もあり、なかなか思うように探索できていないのが実情だ。
ヒューゴ自身も、予想以上に特定に時間がかかっている事実に焦っているようで、今朝も険しい顔で無言のまま出ていった。
「駄目だ。とりあえず、外に出てみよう」
もやもやとした心を切り替えようと、ミーシャは裏庭に出る事にした。敷地内だから、そこなら咎められることもないはずだ。
猫の額ほどの小さな庭だが、随所に配された緑がサヤサヤと風に揺れ目に優しい。
大きく深呼吸して、グーッと両手を空に突き上げて背筋を伸ばす。
「う~~ん、気持ちいい」
ついでに少し体を動かそうとストレッチをしていると、カタン、と庭の木戸が音を立てた。
「ミーシャ、なにしてる?」
そこには不思議な動きをしているミーシャに、目を丸くしたカミューが立っていた。
「ずっと椅子に座ってたから、体が固まっちゃって、ちょっと体をほぐしてたの」
プラプラと手を揺らしながら答えるミーシャは最後にグーッと腰を反らしてストレッチを終了した。
「……ひまなのか?」
首を傾げるカミューの不思議そうな顔に、ミーシャは苦笑を返した。
5歳くらいにしか見えないカミューだが、ただで養われるわけにはいかないと使い走りや店の中や周辺の掃除をしていた。
初めて会った時も、お使いで近くを歩いていた時に、耳に聞き覚えのあるリズムが聴こえたため覗き込んでみたら、レンに聞いていた通りの少女を見つけて声をかけたのだそうだ。
「うん。探している薬草が生えている場所がなかなか見つからないみたいでね、それが見つからないと大切な約束が果たせないから困ってるんだよ」
幼いカミューですらきちんと仕事をしているのに、ただ閉じこもっているしかできない自分がなんだか恥ずかしく感じたミーシャは、少し視線を泳がせながらほほを掻く。
「やくそう、どんな?」
カミューは薬草の名前など知らないが、いくつかの草が体の調子を整えてくれることは知っていた。
薬など望めるような環境にないスラムの住人達は、体調を崩した時は雑草並みに生える薬草をみつけてそのまま噛むのが唯一の対処法だった。
それらをカミューに教えてくれた人がいたのだ。
「う~ん。こんな形の葉っぱでね、今の時期は咲いてないけどこんな感じの赤いお花が咲いているはずなの」
ミーシャは落ちていた枝を拾うと、地面の上にガリガリとテンガラを描いていく。
それはギザギザした葉っぱを地面に低く広げ、すらりと伸びた茎の先にまるで鶏のとさかのような肉厚でヒラヒラとした花弁がいくつも重なっているような独特の形の花がついていた。
「……それ、これくらいのたかさ?」
じっとその絵を見ていたカミューが、自分の膝のあたりを指さした。
「え?うん。私も実際には見た事ないけどそれくらいだと思う」
コテリと首を傾げるカミュ―に、絵をかくために曲げていた腰を伸ばしながらミーシャは頷いた。
「本当は青い花なんだけど、そこには珍しい赤いテンガラがいっぱい咲いてたんだって。風が吹くとまるで炎が揺れているみたいでとても綺麗だったって」
教えてもらった光景を思い浮かべてミーシャはうっとりと目を細めた。
「おれ、それしってる」
「へ~そうなんだ。いいなぁ~って……。え?知ってる?!」
いつもと変わらぬテンションでポツリとこぼれたカミューの言葉を、想像の世界に浸っていたミーシャは一瞬聞き流しかける。
しかし次の瞬間、一気に我に返った。
「見たって、どこで?本当に?!」
思わず膝をついて目線を合わせ詰め寄ってくるミーシャに、カミューは相変わらずの無表情でコテリと首を傾げる。
「ねぐらのちかく。この葉っぱ、おなかいたいとき、食べる」
まだ犬たちと暮らしていた時、カミューはスラムの最深部で建物がほとんど崩れてがれきの山になっている場所に暮らしていた。住む人が消え屋敷が崩れてもなお生き残っていた庭木が成長して縦横無尽に枝葉を伸ばしまるで藪のようになっていたため、獣たちには都合が良かったのだ。
その一角にまだ建物の原形をとどめている家があり、一人の老人が暮らしていた。
日に焼けてしわと垢に埋もれた顔からは年齢も性別も見当がつかないほどだったが、意外と足腰はしっかりしていた。
人とかかわることは嫌っていたが、物を言わぬ獣は別だったようで犬たちとは仲が良く、雨のひどいときには共に過ごすこともあった。
四つ足で走り回っていたカミューに立ち上がることを教え、ボロの中から服を分け与え言葉を教えてくれた存在でもあった。
「じいさんち、あった。じいさんだいじ、してた。じいさんいなくなった後も、さいてた」
人との関わり方を教えてくれた老人を思い出しながら、カミューはぽつぽつと語った。
寒い日が続いたある日、久しぶりに会いに行ったカミューは中庭でこと切れている老人を見つけた。
いつも座っていた木の根元に浅い穴が掘られていて、老人はそこに横たわっていた。
どこか満足そうな顔をしているように見える老人に、カミューは仲間と力を合わせて穴を深く掘りなおしてその体を埋めた。
カミューは、老人が何者だったのかもその名前すらも知らない。
しかし、老人が死んでから、その周辺にも人が良く来るようになったから、もしかしたら、何かしらの力を持っていたのかもしれない。
ただ老人が死んだあと、母親を含む仲間たちは町を離れ、カミューが一人になったのは事実だ。
「カミュー、その場所、教えてくれる?」
真剣な顔で見つめられて、カミューは少し考えた。
あの場所は、大切な場所だった。
だけど、あの場所を護っていた老人も仲間の犬たちもいなくなった今、秘密にする必要もないかと思う。
主のいなくなった場所は朽ちていくだけだ。
価値を見出せないスラムの住人たちに踏み荒らされるくらいなら、新たに仲間に加えてくれた群れの大人たちが大切にする存在に教えても問題ないだろう。
真っ直ぐに自分を見つめる綺麗な翠を覗き込みながら、カミュ―はコクリと頷くとグイっとミーシャの手を引いた。
「ミーシャになら、いいよ」
どこかキリッとした表情のカミューに手を引かれ、思わず素直に木戸をくぐりかけたミーシャは、慌てて足を踏ん張った。
脳裏にヒューゴの目が笑っていない笑顔がよぎったためだ。
「ちょっと待って。勝手に行ったらダメ!ちゃんと出かける事、知らせないと怒られちゃう!」
悲鳴のようなミーシャの声に、カミューの足が止まる。
「そうだった。おれもしごとしてた」
頼まれたお使いの途中であることを思い出したカミュ―は、ふらりと視線を揺らした。
もともと、幼いカミューに仕事をさせる事を納得していないゲイリーに、仕事を途中で投げ出したと知られたら、これ幸いと働くことを止められてしまう。
自分の食べる物は自分で調達することを幼い頃から母親に厳しくしつけられていたカミューは、ただ遊んでいても食べ物がもらえるのは赤ん坊だけだと思っていた。
「おれ、赤ん坊ちがう」
たとえ人の社会の中ではまだカミューは守られるべき幼子だと言われても、カミューを育てた群れでは、一年も経てば十分に一人前である。カミューはその中で種族が違うからしょうがないとかなりお目こぼしされて生きてきた。
仲間たちほど速く走れなくとも、手先の器用さで群れに貢献することができるようになるまで、かなりの苦渋を舐めてきたカミューにとって、役目を取り上げられるのは群れから追い出されることと同義だった。
「しごとおわらせる、まってて。ゲイリー、はなしする」
「うん。私も、ヒューゴに連絡取れないか試してみるね。一人だけ置いていったら、絶対後で文句言われちゃう」
お互いに決意を込めた目で頷きあうと、やるべきことをすませるために二人は動き出した。
読んでくださり、ありがとうございました。
いつも進行遅くて申し訳ないです。
ゴールデンウィーク中に少し書き溜められるように頑張ります。




