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「こっちだ」
隣を歩くヒューゴに促されながら、ミーシャは興味深そうにあたりを見渡していた。
宿に入るときは疲れがピークだったためそれほど注視していなかったが、明るい光の中見れば、道は馬車が行き会えるほど広く、平らに形成された石畳が丁寧に敷かれている。
道沿いに並ぶ宿や店も門構えが大きく立派なものばかりだった。
「本当に高級宿だったのね」
綺麗に整えられた街並みに、ミーシャはちらりと横を歩くヒューゴに視線を飛ばした。
「この町は源泉が少し離れたところにあるから、お湯を引くにも金がかかる。必然、宿に温泉を持っているのは貴族向けの高級宿になるんだよ。それでも、あそこは新参者だからお手頃価格なほうだぞ?」
ミーシャの希望を叶えるための選択だったと堂々と胸を張るヒューゴの口元は片方だけ口角が上がっていた。
(絶対驚かそうと思ってたんだわ)
短い付き合いの中で、それが悪戯を仕掛ける時のヒューゴの癖だと気づいていたミーシャは、呆れたように肩を竦めた。
「はいはい。素敵な宿に泊まれてとっても幸せです。支払いが大変になったら、相談くらいは受け付けるから」
「……対応が大人で可愛くないな」
「誰かさんに鍛えられたので」
軽口の応酬を繰り広げながら進めば、徐々に建物の幅がひしめき合うようになってくる。
道幅も大通りは変わらないものの、そこから伸びる横道は明らかに幅が狭まり、奥の方に行くにしたがって建物が飛び出したり曲がりくねったりしていた。びっしりと敷き詰められた平らな石畳も、ボコボコと盛り上がりまばらになっている。
表通りに沿った建物はそれなりに統一性が見られるものの、奥の方はその限りではないようで、覗き込めば、狭くなった通路の二階部分にロープが渡されて洗濯物が干されているのが見えた。
「ここらあたりからは平民街になるんだよ。奥に行くと勝手に増築されて道がふさがれたりしてるから気をつけろよ。迷子になるからな」
「はーい」
通りの奥を物珍しそうにのぞき込んでいたミーシャに、ヒューゴが注意を促した。
「ヒューゴは慣れてるの?」
「何回か来たことあるからそれなりに」
いつの間にか増えた人並みに流されそうになっていたミーシャを捕まえながら、ヒューゴは軽く肩を竦めて見せた。
「だから案内は断ったのね?」
宿の主人は薬を分けたお礼にと従業員を案内につけることを申し出てくれたのだが、ヒューゴは丁寧に断っていた。
「場所はだいたい分かったからな。代わりに紹介状を書いてもらったから問題ない。お前の立場を考えたら、あまり深入りする人間は増やしたくないだろ?」
肩を竦めながら、ヒューゴは迷いない足取りで進んでいく。
「今から行くのは、調理見習いの生家がある商店街の、取りまとめをしている男の店だってさ」
案内を断った代わりにヒューゴは、これから尋ねる事になる人物の為人を聞きこんでいた。
『他の商店街との会合に出たりもしてるから、いろんな店の情報も持っているはずです。ちょっと顔は怖いけど、優しくて世話好きな人だし、従姉の実家の隣に住んでて孫みたいに可愛がっていたから、今回の事を知ればきっと力になってくれると思います』
力強く請け負ったのは、本来案内人をするはずの調理見習いの少年だった。
ミーシャが薬を融通した女性の従姉にあたるそうで、従姉を助けてくれたことを開口一番にキラキラした顔でお礼を言っていた。
「たぶん、この通りだな」
大通りから伸びる横道の一つへと入り込むと、そこは生活雑貨や八百屋、肉屋など小さな商店がずらりと並んでいた。
店の前の道路にまで商品が飛び出して並べられ、人がすれ違うのもやっとのありさまだ。
「さあ、朝収穫したばかりの新鮮な野菜だよ!お勧めはこっちのキャベツだ」
「とれ立ての青魚はどうだい?脂がのって美味しいよ!」
「入荷したばかりの毛糸だよ!色鮮やかだろう?新しい襟巻にどうだい?ちょっと見ていきなよ!」
威勢のいい呼び声が飛び交っている中、地元の奥さんらしい女性やお使いの子供たちが行きかう様子は、いかにも地元向けの商店街らしく活気にあふれていた。
「ちゃんとついて来いよ」
人をかき分けるように進むヒューゴに置いていかれないようにミーシャが必死についていくと、飲食店らしき店が軒を連ねるエリアへと辿り着く。
食事の時間には半端なためか、先ほどよりは人通りは少なく、ミーシャはホッと息をついた。
体の小さなミーシャにとって人混みは鬼門だ。囲まれれば視界が遮られ、流されそうになってしまう。
今回は先を行くヒューゴに張り付くことでどうにかやり過ごすことができたが、ミーシャはすっかり人混みが苦手になってしまっていた。
(みんな、すごく気を遣ってくれてたんだよね、きっと)
森を出てから、それなりに人混みに入る機会はあったけれど、もみくちゃになることはなかった。
もともと人混み嫌いのラインとの旅はともかくとして、ブルーハイツ王国でもレッドフォード王国でもミーシャの知らないところでこっそりとガードされ、やんわりと人の流れが調整されていた。
要人警護としては当然な配慮だったのだろうが、そんな事すらもミーシャは最近ようやく気づいたのだった。
深呼吸を繰り返すミーシャを気にした様子もなく、ヒューゴは立ち並ぶ店の一つに入っていく。
「……ずいぶん閑散としているのね」
慌ててその後を追いかけて扉をくぐったミーシャは、人気のない店内の様子に目を丸くした。
入ってすぐにカウンターがあり、その後ろの壁にはにはずらりと棚がつくられているけれど、そこには何もなかった。
「……小麦の香り?」
棚の奥の方に大きな作業台の様なものがちらりと見えて、クンと鼻を鳴らしたミーシャは首を傾げた。
「ここはパン屋だよ。ここいらではパンはほとんど自分で焼くことはないから、大抵のパン屋は朝食用のパンのために朝一番に店を開けて、今くらいが休憩時間なんだ」
不思議そうなミーシャに、ヒューゴが少し笑いながら説明した。
「パン焼き窯は場所をとるし、薪もたくさん使うからな。土地が狭い町中じゃ、わざわざ自分で焼くよりは店で買う方が経済的なんだよ」
「そうなんだ~~」
海辺が近い代わりに森が遠く、薪が確保しにくいこの町なりの事情だった。
基本的に、パンは自分で焼くものだと思っていたミーシャは、文化の違いに目を丸くする。
「さて、と」
何か納得したように閑散とした小さな店内を眺めているミーシャに少し笑うと、ヒューゴは店の奥へと向かって声を張り上げた。
「すみません!どなたかいらっしゃいませんか~~?!」
「そんな大声出さんでも、聞こえるわい!」
ヒューゴの声に負けないほどの大声が奥から響いてきて、それを追いかけるようにのっそりと大柄な男性が姿を現した。
分厚い胸にがっしりとした肩、それに続く力こぶの盛り上がった太い腕はミーシャの三倍以上ありそうだった。
太い首の上には、泣く子も黙るいかつい顔が乗っていて、ぎろりとミーシャ達を見下ろしてくる。
げじげじの太い眉にぎょろりとした三白眼。どんっと中央で主張する大きな鼻に、唇の厚いこれまた大きな口。隙間から覗くのは八重歯だろうか……。
(……おじい……さん?)
隣家の少女を可愛がる世話好きの老人を想像していたミーシャは現れた男性に目を瞬かせた。
筋骨隆々とした男性の顔には確かに幾つものしわが刻まれていたけれど、老人と呼ぶのはためらわれる気迫を感じさせる。
もっと言うなら、パン屋というよりは山賊の親分だと言われた方が納得できそうないかつさだった。
想像とのギャップに思わず固まったミーシャをよそに、ヒューゴは丁寧に頭を下げた。
「花見鳥の主人から紹介を受けてきたヒューゴと言います。お力を貸していただきたくて、ここまでやってきました」
そつなく挨拶をして、宿の主人に書いてもらった紹介状を差し出すヒューゴに男は目を二~三度瞬いた後、手紙を受け取った。
パラリとそれに目を通し、男は顔をあげる。
「ここの店主のマイカだ。どうも身内が厄介になったみたいだな。ありがとうよ」
笑いながら、ゴツイ手が差し出された。
残念ながらマイカの笑顔はどうしても何かたくらんでいるような悪人顔だったが、ヒューゴは気にした様子もなくその手を握り返す。
「あの!私はミーシャと言います。よろしくお願いします!」
二人のやり取りを見ていたミーシャは、ハッと我に返って自分も大きな声で名乗ると頭を下げた。
「おう!元気な嬢ちゃんだな。こっちこそよろしくな」
一瞬驚いた顔をした後、マイカはニカリと笑顔を返す。
やはり迫力のある笑顔だが、よく見ればその目は優しく細められていて、見習の少年の言う通り悪い人間ではなさそうだった。ちょっと……どころではなく顔が怖いだけで……。
「あれ……お嬢ちゃんは綺麗な翠の目をしてるんだな」
ミーシャと目が合った瞬間、マイカはふと何かを思いついたように目をすがめた。
「翠の眼に茶色の髪……。小柄な女の子…………」
ぶつぶつと呟きながら、マイカは先ほど手渡された紹介状にもう一度目を落とした。
「探し人……ねぇ」
そこに従業員を助けてくれた恩人が人探しをしていて、何かの商店の主人だというので力を貸してくれないかという旨が描いてあることを再び確認したマイカは、顔をあげた。
「もしかして、お嬢ちゃん、海賊に襲われて客船から落ちたりしてないかい?」
「「なんで、それを!?」」
突然何かブツブツと呟きだしたマイカを、何事かと見守っていたミーシャとヒューゴは、次の言葉に目を丸くした。
弾かれたように異口同音で叫んだ二人に、マイカは思わずというようにゲラゲラと笑いだす。
「なんだ!大当たりか!!なんでって、この間の商店街の会合で話題になったからさ。知り合いの姪っ子が海に落ちて行方不明になってるから気にしてくれ、てな。有益な情報には褒賞を出すつもりもあるが、あんまり広げ過ぎると有象無象が沸くから、信頼できる筋にだけ流してくれって面倒な制限付きでさぁ」
楽しそうに語られたのは、ミーシャが求めていた以上の情報だった。
あまりにもあっさりとゴールにたどり着きそうな予感に、ミーシャとヒューゴは思わず顔を見合わせる。
「……なんか、良かったな」
思わぬ幸運に呆然とするミーシャに、ヒューゴが苦笑しながらもポンっと背中を叩く。
その刺激に、今の言葉が現実だと実感したミーシャの眼にジワリと涙がにじんだ。
「丁度暇な時間だし、連れて行ってやろうな。家族が首を長くして待ってるだろう」
「はい!」
白い粉に汚れた前掛けを外しているマイカに、ミーシャは滲む涙を振り払うように満面の笑顔で頷いた。
読んでくださり、ありがとうございました。
なんとふと気づけばブックマークが1万人超えておりまして。
タイミング的に、コミカライズの最新話公開から流れてきてくださった読者様ではないかと。
ありがたや〜〜
それなのに、コミカライズ最新話、酷い展開で申し訳ないです。
原作よりも辛い気がするのは、やはり絵から与えるインパクトがすごいからでしょうね。私も読んでてしんどかったし……。
あと少しすれば、穏やか展開になる……はず?
コミカライズ版、未読の方も最初の方数話は無料で読めるサイトがいっぱいあるので、良ければ覗いてみてください。




