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「お前なぁ。同行者に薬もるとか、ありえないだろう?」
「おかげで元気いっぱい、スッキリ起きれたでしょ?いくら若いからって無茶したら後々大変なんだよ?」
ブチブチと文句を言うヒューゴを軽くいなしながら、ミーシャは焼きたてでまだ温かいパンにかぶりついた。
昨日は動く気力もなくて部屋に食事を運んでもらったけれど、ライン特製の滋養強壮剤を飲んで一晩グッスリ眠れば気持ちよく朝日と共に目覚める事ができた。
日課になってしまった鳥笛を吹こうと取り出したところで、怒り心頭のヒューゴが部屋に飛び込んできて、とりあえず食堂にやってきたのである。
「元気になってようございました。昨日は倒れてしまいそうなお顔色でございましたから」
時間より早く表れた一番客に嫌な顔をすることなく朝食を給仕してくれた宿の主人がおっとりと笑う。
「本日もお変わりないようならお医者様をお呼びするかと考えていたほどでございます」
「アハハ。心配おかけしたみたいですみません。お風呂入って美味しいご飯食べたらすっかり元気になりました」
お代わりの紅茶を注いでもらいながら、ミーシャは照れたように笑った。
昨日は疲労のあまり周囲を観察する余裕もなかったけれど、改めて見るとゆったりと取られたテーブルも椅子も飴色の輝きをはなつアンティークだし、窓辺を飾るカーテンやカトラリーひとつとってもずいぶんと高級そうに見える。
(そういえば、ベッドもまるでレッドフォードにいた時みたいに寝心地良かった)
マットレスは柔らかく体を受け止めて、肌に触るシーツもさらさらと心地よかったことを思い出し、ミーシャはそろりと向かいに座るヒューゴを伺い見た。
「なんだよ?」
「ここ……すごくお高いんじゃないの?大丈夫?」
怪訝そうな顔で首を傾げるヒューゴに給仕の男性がそばを離れたすきにコソコソと囁いた。
「まぁ、それなりに?気にすんなよ、野営してた5日分の宿代と思っとけ」
「それって高級宿じゃない」
ものの値段をあまり知らないミーシャでも分かりやすい例えに目を丸くする。
「なんだよ、その顔!お前いい所のお嬢様なんだろ?」
「お金持ちなのは父さんで、私は森の中で慎ましく生きてきたんですぅ」
吹き出すように笑われて、ミーシャは拗ねたように唇を尖らせた。
「もう、知らない!ヒューゴなんて宿代で破産すればいいんだわ」
「悪かったって。それくらいじゃ破産なんてしないから、心配するなよ。ほら、これやるから機嫌直せ」
そっぽを向くミーシャにまだクツクツ笑いながら、ヒューゴが果物の乗った皿をミーシャの方へ押しやった。
ちらりとヒューゴに視線を戻したミーシャはツヤツヤとした輝きを放つ果物にコロリと機嫌を直す。
「それで、今日の予定はどうするの?」
「とりあえず、町で噂を集めてお前の保護者を探しつつスラムの場所と内情の再確認だな。あまり物騒ならお前を連れていく方法を考えないと」
何気なく水を向けたミーシャは、ヒューゴからの至極まっとうな返事に目を瞬いた。
「なんだよその顔……?」
「え?有無を言わさず薬草めがけて直行するんだと思ってたからびっくりしたの」
思わずポロリと返したミーシャの額をヒューゴがピンッと指ではじいた。
「お前は俺をなんだと思ってるんだ。護衛対象者を危険にさらすわけないだろうが」
「そうですよね。ごめんなさい」
素直に謝罪するミーシャに溜飲をおろしたのか、ヒューゴもそれ以上何もいうことなく食事を再開した。
「とりあえず、荷物はこのまま置かせてもらって適当に街をぶらついてみるか」
「あ、それなら私、薬草を取り扱っているお店を見てみたい」
過去に薬草を取り扱う屋台を何気なくのぞいたことでミランダとの縁を繋ぐことができたことを思い出したミーシャは元気に手を上げた。
(もしかしたら『森の民』につながる人がいるかもしれないし。そうしたら、一気におじさんに近づけるはず)
『森の民』の挨拶を交わすことで認めてもらえれば、情報も手に入れやすくなる。
それに、ラインもきっとミーシャを探すために『森の民』の情報網を頼っているはずという確証があった。
(利用できるものを使わない理由はないだろ、って絶対言ってると思うの)
実際、想像通りに動いているのだから、ミーシャのライン像は間違っていないのだろう。
「ふーん。まぁ、ミルの薬作るにも足りない薬草を買い足さないとだろし、良いんじゃないか」
賛同を示したヒューゴが軽い足取りで立ち上がる。
「薬草の取り扱いがある店を聞いてくるから、その間に部屋に戻って出かける準備しとけよ」
「はぁい」
最後の一口を飲み込んで、ミーシャも素直に席を立った。
(そういえば、今日はまだ一度も笛を吹いてなかったわ)
宿の人間に話を聞きに行ったヒューゴと別れて部屋に戻ろうとしたミーシャは、伝鳥を呼び寄せる笛の事を思い出した。丁度、朝の支度をすませて窓辺から吹こうとした時に、お怒りヒューゴが飛び込んできてうやむやになってしまっていたのだ。
(まぁ、無駄かもしれないけど……)
これまでの道中でも暇さえあればこまめに笛を鳴らしていたミーシャは、ちっとも降りてこない伝鳥に諦めかけていた。
それでも、現状これが『森の民』を見つける1番の早道だという思いがあったため、半ば惰性になりながらも続けていたのだ。
食堂から部屋に戻る途中の勝手口から裏庭の方に抜けたミーシャは、空に向かって笛を吹く。
伝鳥を呼ぶ笛は特別な音を出すもので、人の耳では捉えることができない。
そのため、側から見ればミーシャは口に筒を咥えて空を睨みつけているようにしか見えなかった。
決められたリズムで息を吹き込み、しばらく耳を澄ます。
それを数度繰り返して、ミーシャは肩を落とした。
(やっぱり無理かぁ)
見上げた空は良い天気で、鳥影どころか雲一つ見当たらない。
諦めきれない自分に切りをつけるために一つ大きくため息をついたミーシャが踵を返そうとした時、ゴンゴンと何かが叩かれる音がした。
(何かしら?)
音に惹かれるように振り返ったミーシャは、裏庭を囲む板塀の隙間から小さな手が差し込まれるのを見つけて目を丸くした。
ミーシャの手よりも一回り小さな手は子供のもので、無理やり小さな隙間からねじ込まれたそれが、何かを探すようにパタパタと動いていたのだ。
「だれ?」
恐怖よりも好奇心が勝ったミーシャは、その手に近づくと声をかけた。
すると小さな手は素早く引っ込み、隙間から小さな男の子の顔が覗き込んできた。
赤みの強い琥珀色の大きな目がじっとミーシャを見つめる。
「……みどりの目」
思わず無言で見つめ合うこと数秒。
少年がポツリと呟いた。
「ミーシャ?」
突然名前を呼ばれたミーシャは、驚きに目を瞬いた。
「………レン、しってる?」
なぜ名前を知っているのかと尋ねようとして、それより先に口を開いた少年の言葉に今度こそ驚きに声をあげる。
「レンって狼の?真っ白な毛並みの狼!?」
少しだけ残っていた塀までの距離を一気に詰め寄り、自身も塀の隙間を覗き込んだミーシャの勢いに驚いた少年が、少しだけ体を後ろに下げた。
「あぁ、待って!何もしないわ。驚かして、ごめんなさい」
チラリと後ろを伺って、今にも逃げ出してしまいそうな少年の様子に、ミーシャは困って眉を下げた。
「レンは私の家族なの。あなたはレンを知っているの?」
今度は脅かさないように意識して柔らかな声で問いかけたミーシャに、少年がコクリと頷いた。
「レン、友達。レン、おねがいした。ミーシャさがしてって」
「レンに……おねがい……」
ミーシャは少年の言葉を繰り返して頭の中を整理しようとしたが、一向に冷静さは戻ってこなかった。
それよりも、どうしても聞きたい事が一つだけ浮かんできて、ミーシャは震える声で言葉を紡いだ。
「レンは……ケガ、してたでしょう?」
「ほうたいぐるぐる」
こくりと頷いたあと、少年は不器用に唇の端を吊り上げてみせた。
「でも元気。走るできる。ミーシャさがすする、言った。ラインといっしょに、行った」
それは思わぬ出来事で一人になってしまってからミーシャがどうしても知りたかった情報だった。
「良かった……。レン、生きてた……」
足から力が抜けて、ミーシャはその場にへたり込むと、ぽろぽろと涙をこぼした。
突然泣き出したミーシャに、少年の目が戸惑ったように揺れる。
「ミーシャ、どこか痛い?」
そろりと隙間から心配そうに覗き込む少年に、ミーシャはこぼれる涙を止める事ができないまま笑顔を浮かべて見せた。
「ううん。どこも痛くないわ。レンが怪我したことをずっと心配してたから。……嬉しいの」
頬を伝う涙をそのままにほほ笑むミーシャに、少年は戸惑ったように目をパチパチと瞬いた。
少年にとって涙は痛いとき悲しい時に流れるものだったから、ミーシャの言葉が理解できなかったのだ。
それでもミーシャの笑顔に何か言葉にできない胸のざわめきを感じた少年は、考え込んだ末にポツリとつぶやいた。
「レンもミーシャ、心配してた」
「そう。教えてくれてありがとう」
「レンは……」
言葉を重ねようとした少年は、ふと視線をさ迷わせると、黙り込んだ。
「どうしたの?」
「……よばれた。おれ、お使いのとちゅうだった。かえる」
ジッとどこかに耳を澄ませていた少年は、コテンと首を傾げると素早く踵を返した。
「え?ちょっと待って!」
走り去ろうとする後姿にあっけにとられていたミーシャは、慌ててその小さな背中を呼び止めた。
思いがけず手にいれた手がかりを、手放すわけにはいかない。
ミーシャの必死の声に、少年が立ち止まる。
「おれ、ゲイリーの店にいる」
「え?えぇ~~?!」
クルリと振り返った少年は高らかにそう一言残すと、今度こそ走り去ってしまった。
板塀の小さな隙間からではすぐに見えなくなってしまった後姿に、ミーシャは縋り付いていた板塀から手を放し再び座り込んでしまった。
「ゲイリーって、誰?お店って何のお店なの?」
あまりにもささやかなヒントに、ミーシャは途方に暮れたようにつぶやく。
昨日到着してすぐに宿に入ったミーシャだが、それでも通行門から宿の間だけでもかなりの距離があり、たくさんの建物がひしめき合っていたのを見ていた。
「ゲイリーって人を探すの?この町の中から?」
ミーシャの眉がヘニャリと力なく落ちる。
それは途方もなく困難な行動に感じたからだ。
「……でも、もともと情報ゼロからおじさん達を探そうと思ってたんだし、それに比べたら充分よね。少なくとも、ゲイリーって人がやっているお店を探すっていう明確な目標が定まったんだもの」
ミーシャは自分に言い聞かすようにつぶやくと、勢いよく立ち上がる。
「そうと決まれば、ヒューゴの所に行かなきゃ。探すのは薬草店じゃなくて、ゲイリーの店よ!」
宿の人間に話を聞いているであろうヒューゴに合流するべく、ミーシャはいそいそときた道を戻っていった。
「ゲイリーという店主がいる店……で、ございますか」
宿の番台にいた男性が顔に困惑を浮かべながら考え込む。
「たぶんそんなに大きなお店じゃないと思うんです。貴族様相手というよりは庶民向けというか……」
ミーシャもどう伝えたものかと、少年の姿を思い浮かべながら、言葉を重ねる。
「小さな男の子が、たぶんお手伝いとして働いてて……」
少年の服装はシンプルで使い古しではあったけれど、丁寧につくろわれていたし、髪や肌は清潔に整えられていた。
板塀の隙間から差し込まれた爪先は短く整えられていて、あかぎれなども見られなかったから、ミーシャは安心して近寄ったのだ。
生活に困窮している人間は清潔に気を配る余裕がない。そんな時間があれば働いているし、休息する。
そうでなくとも、庶民で頻繁に入浴する習慣があるほうが珍しいのだと、ミーシャは森を出てから知った。
「何を取り扱っている店かはご存じないのですよね」
「はい」
確認するように尋ねる男性にミーシャは素直に頷いた。
自分が、無茶な質問をしている自覚がある為、非常に肩身が狭い。
「ゲイリーという名前は、この国では珍しくありませんが、少なくとも私が知っている商店の主人にはおりません。庶民向けなら、小さな店舗を構える店から露店まで数多くあるのですが、お嬢様のおっしゃるように下働きの少年まで身なりをきちんと整える余裕がある店は限られてくるでしょう」
顎に手をあて、自身の記憶を探るようにゆっくりと話していた男性は、ぱちりと目を瞬いた。
「ここから海辺へと向かったところに庶民向けの小さな商店が並んでいる区画がございます。さしあたり、そちらに赴いてみてはいかがでしょうか?確か、最近入った調理場見習いにそこに店舗を構える食堂の次男がいたはずですから、案内させましょう」
「いいんですか?ありがとうございます!」
思わぬ申し出に、ミーシャはパッと顔を輝かせた。
「案内までつけていただいていいのですか?場所さえ教えていただければ、自分たちで探しますよ?」
「いえいえ。お気になさらず。昨日、お嬢様に分けていただいた薬のお礼としては安いものでございます」
宿泊客に対するサービスにしては行き過ぎた申し出に、ヒューゴが不思議そうに首を傾げれば、男性が快活に笑って答えた。
「あ、良かった。お腹痛いの治まったんですね」
「はい。おかげ様で、すぐに痛みも治まって、久しぶりに朝まで熟睡できたと喜んでおりました」
ニコニコと笑いあうミーシャと男性に、ヒューゴはさらに首を傾げる事になる。
「あのね、昨日給仕をしてくれた女性の顔色悪かったし、ときどきお腹のあたりをさすっていたから気になっちゃって。話しかけたらここ数日胃のあたりが痛いって言うから、お薬を分けてあげたの。効果あって良かった」
不思議顔のヒューゴに、ミーシャが嬉しそうに説明する。
「お前、いつの間に……」
食事の最中から眠そうな顔をしていたのに、ちゃっかりと薬師としての仕事はしていたミーシャに、ヒューゴは呆れたようにため息をついた。
(こいつにとっては、具合の悪い人間を見つけるのもそれに対処するのも、息を吸うのと同じことなのかもしれないな。しかもこの様子だと、また薬の対価をとってないな、こいつ)
その後の様子を聞いているミーシャの横顔を見ながら、ヒューゴはぼんやりと考える。
ミーシャにとって薬草は自分で採取するもので、薬は困っている人に分け与えるものだった。
ラインとの旅の中で、薬を売って路銀を手にいれる方法がある事を知ったけれど、それを実践できるかと言えばまた別で、基本的に困っている人がいれば無料で渡してしまう。
ただ、不思議なことにそれで損をすることは滅多になく、渡された人間は自分から料金を支払おうとするし、金がない者は何らかの対価を提示してくる。
本来高価なはずの薬をあまりにも自然に配り歩くミーシャの様子に、相手も毒気を抜かれてしまうのかもしれないとヒューゴは想像するけれど、それが真実であるかは定かではない。
ただ、後にこうして思わぬ幸運が降りかかってくるのは確かだった。
(まぁ、こういう人間だから、自分も急いでいるのに、行きずりの俺たちみたいな面倒ごとも引き受けちまったんだろうな)
村の外に出てしまえば、ミーシャは自由だ。
急ぎ旅の足を止めてまで、未知の病の薬のために奔走するいわれなどない。
だけど、ミーシャは様々な言い訳をつけてヒューゴたちを受け入れた。
一人旅が不安だから手助けが欲しい、と言った言葉も嘘ではないろう。
だがミーシャは、人懐っこく物おじしないし、意外と要領もいい。
村から渡された物資と金があれば、一人でも問題なく目的地にたどり着くことができたはずだと、ヒューゴは睨んでいた。
「朝の片づけが終わったら時間ができるから、案内してくれるって!それまで少し時間あるから、大浴場の方に入ってきていい?昨日は疲れてて、入れなかったんだ~~」
いつの間にか話し終わったらしいミーシャが、にこにこと袖を引く。
無邪気な翠の瞳に映る自分の姿に気づいて、ヒューゴは思わず深くため息をついた。
「え?何?突然ため息ついてどうしたの?お風呂駄目だった?」
「いや、何でもない。風呂、入ってきたらいい。俺は部屋にいるから」
その様子に驚いてウロウロとするミーシャに、ヒューゴは力なく首を横に振ると踵を返す。
(なんだよ、俺もとっくにほだされてるってのか?)
翠の瞳に映ったヒューゴは、長い前髪の陰で穏やかにほほ笑んでいた。
読んでくださり、ありがとうございました




