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「うん。切断面が膿んでいる様子もないし、赤くもなってない。順調に傷口は塞がってきているみたいですね」
ベッドに横たわるイワンの足元で患部を見ていたミーシャは満足そうに頷くと、塗り薬をつけて再び包帯を巻きつけていく。
イワンが助け出されてから3日が過ぎていた。
今は村の集会場に設けられた救護室で他の救助者と共に治療を受けている。
「痛みの方はどうですか?」
迷いない手つきで処置をするミーシャをぼんやりと眺めていたイワンは、声をかけられてハッとしたように我に返った。
「痛み止めが効いてるからそれほど気にはならないな。ただ……」
「気になることがあるなら、おっしゃってください」
言いよどむイワンに、包帯を巻き終わったミーシャは体を起こした。
「いやぁ。変な話なんだが、夜に静かにしてる時に足先が痛む気がするんだ……」
困った顔でほほを掻くイワンも自分がおかしなことを言っている自覚があった。
何しろ、痛みを感じるのは切り落とした足の方なのだ。 足先など存在するわけがない。
「ああ、それは幻肢痛と呼ばれるものですよ」
「げんしつう?」
「そうです。今回のイワンさんのように手足などを突然失った際に良く起こる症状なんです。え……と」
キョトンとした顔で首を傾げるイワンの脈をとりながら、ミーシャは分かりやすいように説明を試みた。
「突然足が失くなっても、体は足があった時の記憶が残ってるんです。
そのためあるはずのない足の感覚を感じてしまう。
なぜそこが痛むのかはまだ理由は分かってないんですけど、私の師はまるで体が失くしてしまった一部を惜しんでいるみたいよね、って言ってました」
「体が惜しんでる……」
布団の下で、本来足があるべき場所が不自然にへこんでいる。その場所を見つめながら、イワンが何かをかみしめるようにつぶやいた。
「あまり辛いようでしたら、幻肢痛を和らげるお薬を出すこともできますけど」
すでに無い足の痛みを取り除くことはできないけれど、脳が錯覚しているために起こる痛みならば、そちらに効く薬を処方すればいい。
脳裏にいくつかの薬草を思い浮かべながら尋ねたミーシャに、イワンは首を横に振った。
「いや、大丈夫。体が惜しんでいるってんなら、付き合うよ。オレの体だもんな」
切り取られた足はいまだ岩の下に埋もれている。
塞がれている道路を再び使えるようにするために、少しずつだが土砂の撤去作業は続いていた。
そのうち掘り出されることになるだろうが、それがいつになるかは分からなかった。
「俺の命の代わりに犠牲になった足にそれくらいの敬意は払うよ」
少しだけ笑ったイワンにミーシャが何か答えようとした時、コンコンと扉がノックされた。
「ごめんね、ミーシャちゃん。ちょっといいかい?ジョーの旦那が呼んでるんだよ」
ヒョコリと顔を出したのは、仲良くなった宿の女将さんだった。
「ジョーさん?どうかしたのかしら?」
エディオンたちの父親であるジョブソンは、冤罪をかけられて逃亡中の王弟である。
当然正式な身分を明かすわけにもいかず、ジョーと名乗り、一家で引っ越しをしている途中に不幸にも土砂崩れに巻き込まれた事になっていた。
もっとも、いつまでも薄汚れた格好をしているわけにもいかず入浴すれば、特徴的な赤髪がさらされることになる。
人里離れた山間の村と言っても、流通はそこそこにある宿場だ。
うすうす正体には気づいているものの、身分の高い方々の争いに巻き込まれたらろくなことにならないと骨身にしみている平民としては、薄眼を開けてそっと顔をそらす日々である。
丁度イワンの処置もひと段落ついたところだったミーシャは、一言断りを入れて部屋を出るとジョブソンの元へと向かった。
「ジョーさん。御用と伺いましたけど?」
肋骨を二本と右足を骨折していたジョブソンは、基本は部屋での安静を言い渡されている。
とはいえ、もともと鍛えられた体は多少の痛みはものともしないらしく、「体がなまる」と部屋で筋トレしたり、裏庭で部下と軽く打ち合ったりと動き回り、見つけたミーシャに叱られる日々を送っていた。
「あぁ、呼びつけて申し訳ない」
ベッドへと腰を下ろしたジョブソンの隣には、ほっそりとした姿の女性が立っていた。
その顔は色こそ違うもののフローレンにそっくりで、ミーシャは名乗られる前にその正体に気づく。
「妻のキャスリーンだ。無事到着したから、紹介したくてね」
「主人がご迷惑をおかけしているようで、ありがとうございます。娘たちも……」
大きな琥珀色の瞳が涙をたたえてフルリと揺れた。
「初めまして、ミーシャです。二人を助ける事ができたのはたまたまです。頭をあげてください」
ミーシャはそんなキャスリーンにハンカチを手渡しながら、少し困ったように微笑んだ。
「それにしても、フローレンちゃんはお母さんにそっくりだったんですね。初めてお会いしたような気がしないです」
柔らかにほほ笑むミーシャに一瞬戸惑うように視線を揺らした後、キャスリーンは嬉しそうに笑った。
「ええ。あの子は私にそっくりなの。体の頑丈さも似てくれたらよかったのだけど。逆に息子はこの人にそっくりで、産まれたばかりの頃は私の面影は何処かしらっていつも探していたのよ」
子供たちの事を語るキャスリーンの瞳は愛にあふれていて、ミーシャはキャスリーンの馬車が無事に土砂崩れから逃れた事を改めて心の底から喜んだ。
あの日、土砂崩れに分断されたまま行方が分からなくなっていた馬車は、山頂方向へと踵を返したことでどうにか土砂崩れから逃れられていたのだ。
もっともさすがに無傷とはいかず、馬車は半壊で怪我人も複数出ていた。
それでも壊れた馬車を引きずるようにどうにか野営地まで引き返し、助けが来るのを信じて寒さの中耐えていたそうだ。
不幸中の幸いというか、土砂崩れの様子は遠く離れた反対側の町からも見えていたようで、次の日には様子を見るための有志が訪れ、食事などの物資を分けてもらう事ができた。
さらに、それほど間を置かずして宿場の方からも山間の獣道を伝って人がやってきて、ジョブソンたちの無事を知ることができたのだった。
「山を下りて態勢を整えるか迷っていたら、宿場の方からも人が来たから一緒についてきたの。
どうせ馬車はもう使える状態じゃなかったから思い切って破棄して、馬に怪我人と荷物を乗せれるだけ乗せて。残りはみんなで担いできたの。意外とそれで必要な荷物は運べたからすごいわよね。
険しい道だったけど、家を出てからの日々でだいぶ慣れてきてたからどうにかなったわ。何事も経験ね」
朗らかに笑いながら語られたのは、ほっそりとした見た目に反してなかなかにアグレッシブな行動だった。
運べたと言っても、ずいぶん置いてきたものも多かったはずだが、それに未練は少しもないように見えた。
「大人しく道が開通するまでふもとの町で待機していれば良かったのに」
呆れたようにため息をつくジョブソンにキャスリーンが肩を竦める。
「向こうの町からも見えるほどの土砂崩れよ?すぐに領主が軍を派遣するはずだわ。あそこの領主は王侯派だったから、見つかったら大変じゃない」
一応、死んだことになっているとはいえ油断はできない。
なにしろ顔を潰した死体に領主の指輪をはめただけの雑な偽装しているのだ。
ジョブソン達は、生きている可能性を疑われていると考えてこれまで行動してきた。
「まあ、それはそうなんだが」
「1番足手纏いな私が歩けたんだから皆んなは大丈夫よ。心配性ね」
困ったように眉を寄せるジョブソンをフローレンが豪快に笑い飛ばす。
「だから、君を心配してるんだけどなぁ」
自分の思いがいまいち伝わっていないことに気づいてジョブソンは肩を落とした。
「まったく。いくつになっても君のお転婆は治りそうにない」
「あら?そんな私が好きで強引に求婚したのは貴方じゃない」
楽しそうな2人のやり取りを、ミーシャはクスクス笑いながら見ていた。
『父様と母様はとっても仲良しなんだよ』
楽しそうに教えてくれたエドウィンの声がミーシャの脳裏に蘇る。
『いつだって一緒なんだ。それで、いつだって父様は強いんだけど、ちょっとだけ母様には弱いんだよ』
と言っていた言葉も……。
「でも、本当に怪我無く再会できたのは幸いでした。土砂崩れを逃れられたのもそうですけど、ここまでたどり着くのも大変だったのでしょう?」
エドウィン達は追っ手から逃れるために、自領からレガ山脈をほぼ直線で乗り越えてきたと言っていた。
まだ雪が降り積もる前とはいえ、ろくな装備もなく幼い子供を連れての山越えは困難を極め、幾人もの騎士が犠牲になっている。
同じく、人目を避けて旅してきたジョブソンたちにも数多の困難が待ち受けていたはずだ。
「そうね。いろいろなことがあったわ」
朗らかに笑いながらじゃれあいのような言い合いをしていた夫婦の眼に陰りがよぎる。
「みんなバラバラに逃げたからもう一度集まるまでにも時間がかかったし、状況が落ち着くまで動くことができなかったから、子供達の後をすぐに追いかける事もできなかった。
ようやく動けるようになるころには雪が降りだしていて、子供達が進んだであろう山越えの道は閉ざされてしまったから、唯一進めそうな海沿いを選んだのだけど、こんな状況だし」
「だが、おかげでミーシャに出会えて子供たちの無事を聞くことができた。悪い事ばかりでもないさ」
愁いを帯びた表情で俯くキャスリーンの背を、ジョブソンが慰める様にそっと撫でる。
「そうですよ。私もお二人に会えてうれしいです。そろそろエディとフローレンちゃんは元気に森の家に到着する頃だし、そうしたら伝鳥で連絡を取る事もできるから……」
ジョブソンの言葉に続いて声をあげたミーシャは、ハッと何かに気づいたように目を見張ると、シオシオと肩を落とした。
「その前に、私もおじさん達を見つけなくちゃでした」
「見つけなくちゃって、ミーシャちゃんも誰かとはぐれてしまったの?」
元気を失くしたミーシャに、キャスリーンが驚いたように顔をあげた。
自分の憂いを忘れたように、ミーシャを気遣うように見つめるキャスリーンの優しさに、ミーシャはほんのりと胸が温かくなるのを感じた。
「え……っと。
私の方もエディ達と別れてからいろいろあってですね。乗っていた船から落ちて、一緒に旅してたおじさん達と離れ離れになっちゃったんです。
幸い、優しい人たちに助けてもらえて、今は乗っていた船が寄港したって噂の町を目指してるんですけど」
ラインの言いつけを破って部屋の外へ飛び出してしまったせいで漂流する羽目になったミーシャは、詳しく話すのが恥かしくなり、だいぶ話を省略して説明した。
もしもこの場にヒューゴがいたならば嬉々として詳しく暴露したかもしれないが、幸か不幸かヒューゴは山道の復興作業の方へと駆り出されていた為不在だった。
「そう。ミーシャちゃんも大変だったのね」
まだ成人前の少女が一人で海に投げ出され保護者とはぐれるなんてとても怖かっただろうと、キャスリーンは自分の子供たちの陰と重ねて涙ぐんだ。
「あ、でも本当にすぐに助けてもらえたから怖い事なんて何もなかったんですよ?
だって、海に落ちて次に目が覚めたら家の中だったんですから。
すごく優しい薬師のお婆さんに看病してもらって、すぐに元気になりましたし」
自分たちの困難を思い出した時よりも目を潤ませるキャスリーンに、ミーシャは慌てて弁解した。
「いまだって、一人じゃないんです。村の人が一人ついてきてくれて、何かと世話をしてくれるから旅も安全にできてますし」
「あぁ、一緒にいる彼はやっぱりお兄さんじゃなかったのか」
アワアワと説明するミーシャに、ジョブソンは納得したというようにポンと手を叩いた。
「どうも兄弟にしては似ていないし、微妙な距離感があるように感じたから、どんな関係なのかと少し気になっていたんだ」
ミーシャに初めて治療をしてもらった時に影のように寄り添って、こまごまと手伝いをしていた青年の姿をジョブソンは思い出す。
長い前髪で顔を隠した一見ひょろりとした青年だったけれど、治療の際ジョブソンの体を支えてくれた腕は力強く、動きも無駄がなかった。
ミーシャにつけられた護衛だと言われたらむしろ納得できる隙のなさを、ジョブソンは感じていた。
「そうなんです。一応、旅をするのにその方が都合がいいからって兄妹のふりをしてましたけど。
実は彼には本当に妹さんがいるので、私が兄と呼ぶと嫌がられるんですよ」
「まぁ、そうなの?」
「そうなんです。兄弟のふりするって言いだしたのはヒューゴからなのに、矛盾してますよね。
まぁ、妹さんは本当にかわいい人なので気持ちは分かるんです……け……ど……」
キャスリーンの気をそらすために、ヒューゴとのやり取りを面白おかしく話し出したミーシャは、ふと言葉をとめた。
「ミーシャちゃん?どうかした?」
ふいに黙り込んだまま、真剣な顔で考え込むミーシャに、キャスリーンとジョブソンは顔を見合わせる。
そんな二人の困惑に気づくことなくしばし黙り込んでいたミーシャは、ガバリと顔をあげた。
そして、口を開きかけて何かに気づいたようにキョロキョロと辺りを見渡すと、改めて小さな声で問いかける。
「あの、お二人は辺境の町で暮らしていたんですよね」
「あぁ、そうだが?」
突然の問いに、何を聞かれるのかと少し身構えながら、ジョブソンも小さな声で短く答える。
ミーシャの眼が、きらりと光った。
「あの!それなら。もしかして『火竜の呪い』と呼ばれる病の事を何かご存じではないですか?!」
読んでくださり、ありがとうございました。




