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端っこに住むチビ魔女さん。  作者: 夜凪
まだ見ぬ薬を求めて

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16

(俺の人生は何だったんだろうな)

 自分と小さな女の子が入ればいっぱいの小さな空間で体を横たえたまま、イワンはぼんやりと考えていた。


 イワンは、とある馬車屋の雇われ御者だ。

 王都へ拠点があり、そこからジョンブリアンとの国境近くの街まで往復して客を運ぶのが彼に任された仕事である。


 一往復するのにひと月以上はかかるし、人気の少ない山間部を走るのは色々と大変だが、その分実入はいいし、旅の間に色々な人と会話できるのは面白い。

 旅客馬車を走らせるようになってもう10年近くになるが、イワンは自分の仕事を気に入っていた。


(不満があるとしたら、休みが少なくて所帯を持つ暇がないことくらいだな)

 いくら実入が良くとも、一年の半分以上を家にいない男の元に嫁に来てくれる相手を見つけることができず、もう30を過ぎるのにイワンは独身だった。


(あぁ、違う。そうじゃなくて、足が潰されてるんだっけ)

 土砂崩れに巻き込まれて馬車から投げ出された時、体のいろんなところを打ちつけた影響か、どうにも頭がうまく働かないし、体の動きも鈍い。

 イワンは散漫になる頭をはっきりさせようと軽く首を横に振った。


(そうだ。土砂崩れに巻き込まれて、馬車から投げ出されたんだ。運良く岩の隙間に入ったと思ったんだがなぁ)


 馬車から地面に落ちて体を打ちつけた時、衝撃で意識を失っていたイワンは、目を覚ましたら真っ暗闇の中だった。

 ビックリして飛び起きようとした途端、全身に走った痛みに呻くことになる。


 その後は、ソロソロと慎重に体を動かしてみたが、足が何かに引っかかっているようで動かせない。

 辛うじて上半身は少しだけ起こせたけれど、なぜか体中にうまく力が入らなくてそれ以上は無理だった。


 何も見えない暗闇の中唯一自由に動く手で辺りを探れば、どうやら自分は落石の隙間にはまり込んでいるようだと気づく。

 一瞬生き埋めにされた絶望に発狂しそうになったけれど、微かに空気の流れを感じて、息ができなくなることはなさそうだと安心した。


(先を走っていた馬車はうまく逃げられたはずだ。きっと助けは来る。落ち着け……ここでむやみに動いても体力を消耗するだけだ)

 ぎゅっと拳を握り締め、イワンは孤独と恐怖に耐えた。


 永遠とも思える時間の中、最初に聞こえてきたのは微かな人のざわめきだった。

それから土を掘りかえすような音。

 少しずつ大きくなる様々な音に救助の手がすぐそこに迫っていることに気づき、イワンは「ここにいる」と必死に声をあげた。

 しかし、小さく聞こえた歓声にどうやら先に馬車が掘りかえされた事に気づく。

 そして、おそらく自分の必死の声はそれに紛れて聞き逃されているであろうことも……。

 

 徐々に小さくなっていく騒めきにイワンの心が絶望に塗りつぶされそうになった時、誰かいないかと呼ぶ男の声を耳が拾った。

 さっきまで必死で叫んでいた喉はカラカラで思うように声がでなかったイワンは、手に触れた石を打ち付けて音を鳴らした。


 今気づいてもらえなければ一巻の終わりだと必死だったイワンの努力は無事報われ、イワンの存在に気づいた男達の尽力により発見してもらう事ができたのだった。

 岩の隙間から差し込む光を見た時、イワンはかすれた声を振り絞り、神に感謝した。


(助かったと……思ったのにな)

 パチリと目を開くと、自分を覗き込む少女の顔が見えた。

 岩の隙間が狭くて体格のいい男達では入り込めなかったこの穴の中にするりと入り込んできた少女は、ミーシャと名乗り薬師だという。

 これ幸いと自分では確認することができなかった足の様子を見てもらうように頼むと、むずかしい顔で外に出ていった。


(変なはまり方をしているのかな?)

 不思議に思いながらも、イワンは先ほどから感じる眠気に負けて目を閉じる。

 外で騒めいている気配を感じたけれど、孤独と闘っていたイワンにとっては人の声は安心できる音楽のようだったため気にならなかった。 


 どれほどの時間を夢うつつで過ごしたのか。

 戻ってきたミーシャは、見る事の出来なかったイワンの足が自分を囲む岩の下に押しつぶされている事。痛みを感じないのは、体を打ち付けた時に痛みを感じる神経が麻痺しているためで、足からは出血していて、このままでは命が危ない事を教えてくれた。


 突拍子もない話だったが、イワンは不思議とその言葉を嘘だと思う事はなかった。

 真っ直ぐに自分を見つめる翠の瞳が真剣な光を宿していたからだ。

 こんな質の悪い冗談を言うような子供には見えなかった。





「……それで、俺はこれからどうなる?」

 長い沈黙の後、イワンがポツリとつぶやいた。

 その声は不思議と穏やかで、瞳にも動揺は見られない。

「……取れる方法は二つです」

 イワンが取り乱して暴れる可能性も視野に入れていたミーシャは、その不思議な穏やかさを不思議に思いながらも指を一本立てた。


「一つはこのまま救助隊の方に頑張ってもらって岩を取り除く方法。ただ、イワンさんを閉じ込めている岩はとても大きいうえに土砂の量も多くて時間がかかります。足の出血や傷の状態から、あまり時間がかかるとイワンさんの命にかかわります」

 イワンは小さく頷くことで、ミーシャの言葉を理解したことを示す。

 それを確認した後、ミーシャはもう一本指を立てた。


「もう一つの方法は、岩に潰されている足を切り落とす事です。片足を膝下から失くすことになりますが、命が助かる可能性は確実に上がります」

 イワンの目が驚いたように見開かれた。パクパクと言葉を探すように何度か口が開かれたが、そこから声が漏れる事はなかった。

 その様子を見ながら、ミーシャは落ち着かせるようにそっとイワンの肩をさする。


「突然足を切り落とすと言われて、驚かれるのも無理はありません。足を失えば今後仕事や生活に支障をきたすこともあるでしょう。でも……」

 それ以上言葉を続ける事ができず、ミーシャは唇をかみしめた。

 ミーシャの脳裏をよぎるのは、レッドフォード王国で起きた紅眼病の後遺症を抱え途方に暮れる人々の姿だった。

 命さえあればどうにかなると安易に言えない事をミーシャは知ってしまっている。

 人よりハンデを抱えながら頑張って、それでも幸せになれるという保証はどこにもないのだ。


(それでも生きてほしいと思うのは私の勝手な思いかしら)

 ふいに階段から落ちていく母親の姿がよぎった。

 予期せぬ突然の別れ。

 ああしていれば、こうしていればと未だに様々な思いがミーシャを苦しめていた。


「今までのように生活できる保障は無いと思います。すごく苦労するかも……しれません。私も旅の途中なのでずっとあなたを支える事もできませんから、こんなことをいうのはとても無責任だって分かってます。」

 少し目を伏せて、ミーシャは口を開く。

 震える声で紡がれた言葉は、先ほどまでとは違いひどく弱々しく響いた。


「でも、もしイワンさんがこのまま死んでしまって悲しむ人を一人でも思い出せるなら、生きる事を諦めないでほしいんです」

 ゆらりとイワンを見つめる翠色が揺れる。


「突然大切な人がいなくなるのはとても辛いから……」

 ほとりと瞳からこぼれ落ちた雫が地面にしみ込むのをぼんやりと目で追っていたイワンは、震える手を伸ばして頬の涙をぬぐった。


「年の離れた……妹が……いるんだ」

 どこかぼんやりとした目でイワンはポツリとつぶやく。

「優しくて泣き虫で……俺と違って……可愛い顔してて……。もうすぐ結婚するんだよ。……相手は幼馴染で……昔は悪ガキで何度もげんこつ食らわせててさ……。でもいつの間にか立派に商家の跡を継いでて……妹を幸せにしますってさぁ……」

 いつの間にか、イワンの頬も涙で濡れていた。


「せっかく幸せな家庭をつくろうって時に……、お荷物な兄貴がいたら、……迷惑だろう?」

 何かに耐える様に唇をかみしめるイワンに、ミーシャは激しく首を横に振った。

「そんなわけ、ないでしょう?優しい子なんでしょう?このまま会えなくなったら絶対に後悔します!私……、私だったら、母さんがどんな姿になったって生きていてくれるだけでうれしいものっ!」

 涙をぬぐっていたイワンの手をしっかりと両手で包み込み、ミーシャは声を張り上げた。


「生きて帰りましょう!家族のもとに。片足が無くても、義足をつければお仕事だってきっとできます。今回の乗客の皆さんも言ってました。イワンさんが体を丸めろ、頭を庇えって叫んでくれたからとっさに動けたんだって。あなたに感謝して、無事を願っている人たちはたくさんいるんです!」


 痛いくらいの力で手を握り締め、必死に訴えてくるミーシャをイワンは不思議な気持ちで見ていた。

(どうして行きずりの俺にこんなに必死になってくれるんだろう?)

 そして、ふいに先ほどのミーシャの言葉を思い出し、イワンは腑に落ちた。

(そうか、この子は母親を突然亡くしてるのか……)

 だから、残される者の辛さを必死に伝えてくれているのだろう……と。

 

 10以上年が離れている妹は昔から泣き虫で、些細な事でべそをかいてはイワンの元に駆け寄ってくる子供だった。幼い頃は抱き上げて、少し大きくなれば背中にかばって。そうして大切に成長を見守ってきた妹は、いつの間にか強くなって滅多に泣くことはなくなった。


(けど、俺が死んだらきっと泣くよな……)

 ミーシャの泣き顔にふいに妹の顔が重なり、イワンは胸がギュッと引き絞られるように苦しくなる。


 イワンは、生き延びた先の未来を考えると恐ろしかった。

 片足で、どれほど動けるようになるのか。

 仕事は続けられるのか。

 足を片方失くした自分に、周りの人はどんな反応をするんだろう。 

 

 だけどそれよりも叶えたい想いがある。

(せっかく幸せになるのに、笑顔のまま花嫁衣装を着せてやりたい)

 そのためならば、どんな辛い出来事も乗り越えられる気がした。

 

 ぼんやりと霞みそうになる意識をかき集めて、イワンは握られている手にぎゅっと力を込め、ミーシャの瞳をしっかりと見つめ返した。


「足を……失くしてもいい。俺を、助けてくれ」

 




 イワンの了承を取り付けた後の、ミーシャの行動は迅速だった。


 外に飛び出すと、麻酔や消毒液などの薬を用意しながら、周囲に頼んで出来るだけたくさんのお湯を用意してもらう。

 薬箱の中には、ラインに分けてもらった切れ味の良い小刀や縫合用の針と糸はあったけれど、さすがに成人男性の骨を切除できるような道具はなかったため、出来るだけ目の細かいのこぎりを用意してもらい、それも鍋で煮る事で消毒する。


 手斧で折ることも考えたが、イワンの閉じ込められている岩の隙間は小さく、中に入れるのは体の小さなミーシャのみですべてを一人ですることになる。力の弱いミーシャでは手斧で成人男性の足の骨を綺麗に折ることは難しいだろう。それならば、多少時間がかかってものこぎりの方が確実だとミーシャは少ない経験の中から判断した。


(まずは麻酔で眠らせて患部の服を取り除いて……。これ以上血を失うわけにいかないから止血はしっかりと……)

 脳内で今まで教わった知識を整理しながら、黙々と準備をするミーシャの様子は鬼気迫るものがあり、周囲は請われた事を手伝う以外何もできずにいた。


「痛みで暴れたりはしないのか?毛布で簀巻きにでも出来たらいいんだが、ミーシャじゃ力が足りなさそうだな」

 調薬するミーシャの傍らで細々としたことを手伝いながら心配そうに眉を寄せるヒューゴに、ミーシャは少しだけ口角をあげた。


「麻酔ってお薬で意識を失くせるから大丈夫。痛みを感じる事もなく、眠っている間に全て終わるわ」

「……それってどうやって使うんだ?」

「今回は意識があるから水薬にして飲んでもらうけど、呼吸と一緒に吸い込んでもらえれば効果があるけど?」

「……そうか」

 何気ない様子で返事をするミーシャに、ヒューゴは少しだけ引きつった笑みを浮かべた。

 その薬を使えば眠っている間に相手を昏倒させて、何でもやりたい放題だという事に気づいたからだ。


(まぁ、ミーシャの事だから薬を私利私欲で悪い事に使うとは思わないけど、一応あんまり怒らせないようにしよう……)

 ヒューゴがひっそりと心に決めた誓いが守られるかは、神のみが知ることだろう。





「いいわ。綱を引いて」

 意識のない成人男性をミーシャ一人の力で運ぶことは不可能だ。

 体に綱を巻き付けて、外からゆっくりと引きずりだす手はずになっていた男達は、ミーシャの声と共に手にした綱に力を込めた。


 ずるずると岩の隙間へとイワンの体が引き寄せられる。

 男達の伸ばした手がその体に届けば、その後はあっという間だった。

 現れたイワンは、その体をまるでミノムシのように毛布でぐるぐる巻きにされていた。

 唯一見えている顔は青白く、目は固く閉じられていた。


「……生きてるんだよな?」

 ピクリとも動かないイワンの顔を覗き込みながら、男の一人が恐る恐る確認する。


「はい。お薬で眠っているだけで、ちゃんと生きてます。呼吸も安定してるし、脈も多少弱いですがしっかり鼓動を刻んでいるから大丈夫です」

 後を追うように岩の隙間から姿を現したミーシャがしっかりとした口調で答えるけれど、その顔には疲労が色濃く表れていた。

 手元が暗く、身動きにも制限のある場所での足の切除手術を、たった一人でやり遂げたのだから当然の事だろう。


「できるだけ揺らさないように慎重に運んでくださいね」

 それでも、まだ予断を許さない患者から目を離すことはできないと、ミーシャはふらつきそうになる足を踏みしめて運ばれていくイワンの後を追いかけようとしたミーシャの体がふわりと宙に浮かんだ。


 突然の事に身構える間もなく、細い割に安定感のある腕の中に収められてミーシャは目を瞬いた。

「疲れてるんだろう。馬車まで運んでやるから、大人しくしてろ」

 降ってきた声はヒューゴのもので、ミーシャは安心したように体から力を抜いた。


「……のこぎりは置いてきちゃった」

 小刀や針などは下に敷いていた布に包んでひとまとめに胸に抱えていたが、小型とはいえそれなりに大きさのあるのこぎりまでは無理だった。

 ある意味、一番の立役者であったのこぎりの存在に思いをはせるミーシャのどこかトロンとした目にヒューゴは苦笑した。


「まぁ、後で回収できるだろ。抱えててやるから馬車の中で少し休め。どうせ、下についたらいろいろやることがあるんだろう?」

「……でも、イワンさんの様子」

 ぼそぼそと答えるミーシャの声はいかにも眠そうで覇気がない。


「何か異変があったら起こすから大丈夫だ」

 それになだめる様に返事をしながら、ヒューゴは腕の中の小さな体をゆすり上げた。

 できるだけ揺らさないように慎重に歩くヒューゴの腕の中で、ミーシャは深々と一つ息をつくと瞳を閉じた。



 

 

読んでくださり、ありがとうございました。


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