13~ライン視点
潮風を前面に受けて、ラインは眉をひそめた。
立っている場所は高さ数十メートルはある断崖の上で、見下ろした先では岩に打ち付ける波が白い花を咲かせていた。
「さすがに、こんな場所に流れ着いてたら命はないよな」
吹き付ける風の冷たさに顔をしかめながら不穏なことを呟くラインを、レンが足元から咎めるように見上げていた。
アンバー王国の海岸線は切り立った断崖と入り組んだ小さな入り江が多いのが特徴である。
入り江の先には暗礁が多く、港としては使いづらいため海に面しているのにあまり漁業は盛んでなかった。
数ある暗礁のために大きな船が入港できる港を整備するのは労力がかかるし、小舟を出すのも暗礁を回避するために高い操舵技術が求められるためだ。
それでも数代前の王族がせっかくの海を有効活用しないのは勿体ないと、土地を埋め立て暗礁を壊して海底を削り、時間をかけて王都近くに巨大な港を作り上げた。
今では南北を航行する船の貴重な補給港として栄えているが、実は港の工事自体はいまだに完成しておらず、日々進化していた。
まさに世代を超えて続く一大プロジェクトなのだ。
そんな王都の港から出発したライン達は、ミーシャを探して海岸沿いを北上していたのだが、人が住むのに適していない断崖が多いため、捜索は難航していた。
「そもそも、こんな生き延びる可能性の低い場所に流れ着くか?」
ラインと合流する前。
ブルーハイツ王国からレッドフォード王国に向かう旅路で体験した不思議な出来事を聞いていたラインは、いぶかしげに眉をひそめた。
客船の航海士や港の漁師たちが口をそろえて北を示したため、素直に北上することを選んだが、ここにきてラインの胸に疑念が芽生える。
もともと自分の技術を磨くため戦場を渡り歩いてきたラインは、土地柄にそれほど詳しくない。
というか、興味のない事はとことん記憶に残らないたちで、アンバー王国の海岸事情も実際に目にするまですっかり忘れていた。
「一度、王都に戻るのが正解か?」
王都の港から南側に向けても一応人の手配を頼み捜索して貰ってはいる。
今のところそれらしき情報は集まっていないが、本命は北と誰もが思っているのだ。それほど熱が入らず、通り一遍の捜索になっている可能性は高い。
「クーン」
珍しく迷うラインにつられたのか、不安そうにレンが小さく鳴いた。
ミーシャと別れてから、随分長い時間が経った気がする。
大好きな匂いを忘れる事はないが、少しづつ記憶が遠くなっていくようで、レンも焦りを感じていた。
ミーシャが髪を隠すため良く身に着けていたスカーフをラインは匂いの記憶用に持ってきていた。レンはそれを日に一度はラインにねだって出してもらっては鼻先を押し付けて寂しさを紛らわしていた。
「レンの鼻にも引っかからないか?」
「ワウ!」
突然降ってきた質問に、レンは力なく返事をして首を横に振った。
「……とりあえず、カインが戻ってくるまで先に進んでみて、進展がないようなら一度王都に戻るか」
使いに出していたカインは、ライン達が王都を出発して二日後に合流することができた。
カインは一行が船に乗っていると思っていた。そのため海上を飛んで追いかけていたのに一向に見つけられず、一度追いこしてしまったようで時間がかかっていたのだ。
空から舞い降りてきたカインは姿の見えないミーシャに不思議そうな顔をしていたが、ワウワウキャウキャウと何やらレンに報告を受けた後、コツンとひとつラインの頭をつついていた。
「なんで目を離したの」と咎められている気がして、苦笑して謝罪したラインにカインがそれ以上何かすることはなかったけれど、レンにはカカカピーピーと何やら説教しているようだった。
しょんぼりとうな垂れるレンの様子に何を話しているのかと興味は沸いたが、絶対に自分にも跳ね返ってくる奴だと何となく察せられて、ラインは見ないふりを決め込んだ。
それからカインは、空から何か目ぼしいものは無いかと捜索したり、王都にいるゲイリーとの情報交換のために二人の間を往復していた。
現在も王都へと飛んでもらっていて不在である。
ちなみに作戦通りカインは裏庭に立てられた杖を目印に、無事ゲイリーの家へとたどり着くことに成功しており、どうやって判断基準が設けられているのかと意外に真面目なゲイリーを大いに悩ませた。
「とりあえず、向こうの方に降りれそうな海岸が見えるから、あそこを目指して今夜はそこで野営だな」
「わう」
一人と一匹は下に降りる道を探してゆっくりと歩き始めた。
海を統べるもの。海神様。海竜様。
壮大な海を崇めて人々は様々な名前で呼んだが、全ては一つの存在の名であった。
海と陸。
原初の時代から変わらずそこにあり、自分がなぜ意思を持ちここにあるのかも良く分からない。ただ長い長い時間に飽いて、普段は眠るように意識は揺蕩い、何かに注目することはない。
確認したことはないしするつもりもないが原初の時代から対のようにある存在大地のものも同じような認識であるはずだ。
そもそも、と。
どこか遠い意識でかのものは思う。
(私は水をすべるものなのだがな)
ただ一番大きな水が集まっている場所が海であるため、そこで一番意識をはっきりと保ちやすいだけなのだ。
湖や川などもそれぞれに宿る意思があるように思われているけれど、それもすべて、かのものから分かたれたものに過ぎない。
長い長い年月の中でそれぞれ独自の意思を持ち始めたものを、まるきり同じものとはもう思えないけれど、始まりは一つだったのは確かだ。
同じように人の住む大陸も海底に横たわる大地も地としてひとまとめにできるだろう。そこからそれぞれの土地に意思が生まれるのだ。
(はて、そうなると私ももしかしたらどこかしらの場所に縛られた意思なのか?)
そこまで思って、あまりに埒のあかない考えに苦笑して考えるのを止めた。
(わたしはわたしだ)
ただここにあるもの。それ以上でもそれ以下でもない。
(どうも久しぶりに人とかかわってから、乱されていかんな)
そもそもの始まりは、戯れに人の思考に近いものを自分から生み出してみた事だった。
嵐の夜に流されたそれは、人の中に紛れさらに人らしくなり、恋をして愛を育み失った。
分かたれたとはいえ元は同じものゆえに、遠く離れても思考や感情は伝わってくる。
最初は物珍しく楽しく思えたが、嘆くばかりになってからはうるさくてしょうがなく、長らく深い眠りについていたのだ。
しかし、最近それの愛した娘が転生を果たしたらしくうるさく騒ぐため目が覚めてしまった。
そのまま捨て置いても良かったのだが、森の加護を受ける娘が関わっていることに気づき珍しい気配に気が変わる。
良く分からぬ人のたくらみで再び海に投げ落とされた娘を救うために、嘆くばかりだったものにいくらかの権限を与えて放り出したら、嬉々として飛び出していった。
その後もうるさいものを本格的に切り離すために永続的な力を分け、人間界に交じっても違和感ないように学ぶことを申し付けた。
これで静かになると喜んでいたのに、恩を受けたのだから返さなければと森の加護を受けた娘に何やら関わり続けているようだ。
成人するまでは会わないと愛しい娘に拒否されたため、そちらで暇つぶしをしているのだろうが、近くの水の中にいるためそれの意思が勝手に流れてくるのだ。
人として海から上がれば繋がりは希薄になる為あと数年の事と割り切っていたはずなのに、騒がしい声を聴くとはなしに聴いているうちに、すっかり目が覚めてしまった。
《やかましいわ。そんなに気になるなら縁者のものに神託を下ろすなり、使っていたイルカどもを再び派遣するなりさっさとすませろ。幸い縁者のものは海辺でうろうろしているのだから丁度よかろう》
力を使い、それの存在を一気に気配を感じる海辺へと押しやる。
《え~~、肝心のミーシャちゃんが海から離れちゃったから僕ではうまく気配を捉えられないんですけど》
どこか情けなさをにじませる思念に、完全に自分とは違う意思に変化したのだと悟りかのものは満足そうに笑った。
《最後の情けで宝珠を授けてやるから、うまく使えばいい。娘が成人するまで少し世間の荒波にもまれて成長するがいいわ。もう、戻ってこんでいいぞ》
《え~~~~~~⁈父様ひどい~~~~~~!!》
情けない悲鳴が遠ざかり、これでゆっくり眠れると、かのものは意思を海に溶かしていった。
こうして悪気ゼロで、世の中に一つの種がまかれた。
いつの世も人ならざる尊い方々に振り回されるのは、哀れな人の定めなのである。
「レン、どうしたんだ」
海岸に降りたと思った瞬間、突然走り出したレンにラインは目を丸くした。
たちまち小さくなる姿を見送ると、しばらくして遠吠えが響き渡る。
仲間を呼ぶ声に、何か見つけたのかと足を進めたラインは、遠目にレンの横に転がるものを見てピタリと足を止めた。
そこにあったのは一つの人影だった。
白銀の髪は波打ち際の波に遊ばれ、揺れるたびに不思議な青銀の光をまき散らしていた。
漂白されたかのように白い肌は、薄く血管が透けて見えるかのようだ。
女性から羨まれること間違いなしの長いまつ毛も髪と同じ白銀で、ほほに長い影を落としている。
着ている服は足首まで覆う白い長衣で、海を漂流してきたにしては、しわ一つしみ一つついていない不自然さである。
しかも手元には何の素材で作られているのかこれまた白い光沢を放つバイオリンが弓と共にむき出しのまま転がっている。
見るからに厄介ごとの匂いしかしなかった。
「レン、来い。ここは空気が悪いからやっぱり山の方で休もう」
「キューン」
あからさまに見なかったことにして踵を返すラインに、レンが困ったように鳴いた。
「おい、まさかそれを拾えって言うのか?」
「ガウ」
いやそうに顔をしかめるラインに、レンはとことこと近寄ってくると鼻先で沖の方を示した。
そこには、つるんとしたフォルムの大きな魚影がジャンプしている姿があった。
「キュー、カカカ!」
遠く響く音は鳴き声だろう。
船旅の中でミーシャが友達になったと嬉しそうに語っていたイルカ達が脳裏によぎる。
「……もしかして、こいつがミーシャの情報を持ってるっていうのか?」
「ガウ」
コクリと頷くレンに、ラインは地の底まで届きそうなほど大きなため息をついた。
心の底からいやそうなそれが、ラインの葛藤を伝えてくる。
「……どうせここで見ないふりしても、同じような事が繰り返されるんだろ」
人ならざるものの勝手さとしつこさはおりがみ付きである。
結局は最初からあきらめておけばよかったと後悔することになるのだ。
自然と共に長く生活してきた『森の民』は、なぜか人ならざるものに気に入られることが多い。
自身の経験と一族の体験談からそれをよく知っていたラインは、しぶしぶこの厄介事を引き受ける決心をつけた。
「レン、それ引きずってこれるか?」
「……グルゥ」
しばしの沈黙の後、コクリと頷いたレンにラインはとりあえず対応を丸投げる事にする。
「じゃ、よろしく。俺は向こうで火を起こす準備しとくから」
火おこししやすそうな乾いた大地の方へと大人げなく去っていくラインをしばらく見送った後、心配そうにこちらを見ているイルカたちに向かってレンは大きく遠吠えを響かせた。
それに返事をするようにイルカたちは大ジャンプを決めると、安心したように沖の方へと去っていく。
その姿を見えなくなるまで見送ってから、レンはいまだピクリとも動かない人影を運ぶべく衣服の襟首をガブリと咥えた。
パチパチと木のはぜる音で、青年は目を覚ました。
パチリと開いた瞳は深い海の底の様な濃紺に青い光が散らばる不思議な色だった。
(あたたかい)
すぐそばで燃える炎が体を焦がす。
その熱さが、遠い昔の記憶を呼び覚ましていく。
(そうだ。炎は熱い。人はそれを自在に操って生活をしているんだっけ)
ゆっくりと首を巡らせると、人の気配はない。
代わりにすぐそばで大きな狼が体を伏せていた。
「君が……助けてくれたの……?」
久しぶりに空気を震わせた声は、ひどくかすれていた。
「あーー。あーーッゲホ!ゴホ!ゴホ‼」
なんだか喉がガサガサして痛いような気がして、何気なく声を出したら空気にむせて咳込む羽目になった青年は、背中を丸める様にしてこみ上げる咳にもだえる。
「目が覚めたと思ったら、何してるんだ、お前は」
呆れたような声が降ってきて、青年は生理的ににじんだ涙でいっぱいの瞳で上を見上げた。
涙で煌めく不思議な青い瞳は、儚げな青年の容姿も相まって庇護欲を誘ったが、残念ながらラインにはちっとも響かなかった。
「自分が何者か分かるか?」
「僕……?」
唐突に尋ねられて青年は首を傾げる。
(僕が何者か?僕は……)
脳裏に、かつて愛しい人がつけてくれた名前が蘇る。
その時の嬉しかった記憶も共に戻り、青年は無意識のままニコリとほほ笑んだ。
「僕の名前はアクアウィズ。アクアでいいよ。よろしくね」
「名前を聞いたわけじゃ……。ハァ。もういい。俺はライン、こいつはレンだ。短い付き合いになることを祈ってるよ」
のんびりとほほ笑むアクアウィズにため息をつくと、ラインは何かを諦める様に天を仰いだ後そっけなく挨拶を返した。
「アクアを拾ったのはレンだ。あんたの世話はレンに任せたから、そっちでよろしくしてくれ」
「そうなの?いろいろ教えてね、レン」
狼に押し付けるラインもひどいが、それをあっさりと受け入れて挨拶しているアクアウィズも大概ひどい。
(カイン、早く帰ってきて。僕じゃどうにもできないよぅ)
二人のやり取りを呆然と眺めていたレンは心の中で頼りになる姉貴分を呼んでうな垂れた。
ミーシャと再会できる日はまだ遠そうである。
読んでくださり、ありがとうございました。
ミーシャが頑張っている裏で、ライン達も動いていたんだよというお話でした。




