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宿の部屋へと戻り、必要な薬草をより分け調合しながらもミーシャは思考の海へと沈んでいった。
マリアンヌの内診を行ったとき、ミーシャは拭い去れぬ違和感にさいなまれた。
所見、病の始まった状況の聞き取り、普段の様子。
一見、普通の気管支炎に見えるのだが、ミーシャの勘が何かおかしいと訴えかけていたのだ。
他に本人の気づいていない場所に何か症状がでているのではないかと直接に肌を見せてほしいと頼んだ時は、断られてもしょうがないと思っていた。
成人女性が伴侶以外に首から下の肌を見せることはあまり歓迎された事では無いからだ。
だから、マリンアンヌがあっさりと了承の意を示してくれた時はすごくうれしかった。
この、違和感の正体が分かるかもしれない。
少し浮かれた気分で足を踏み入れた寝室で、しかし、ミーシャは、一気に冷静になった。
鼻につくかすかな香り。
甘い花の香りに隠れたそれは、ミーシャの琴線を激しくかき鳴らした。
素早くマリアンヌの横をすり抜け大きな掃き出し窓を開け放つ。さらに、その横に並ぶ半窓も次々と開け、吹き込んできた風にようやく深く息をついた。
「・・・・・・・あの・・・ミーシャ様?」
突然のミーシャの行動に驚いたようなマリアンヌの声に、ミーシャは我に返って舌打ちをしたい気分に陥った。
反射的に、一刻も早く換気を行うことしか頭になかった。「患者を不安にさせてどうするの」と脳裏の母が怖い顔をしている。
「あの、ごめんなさい。空気がよどんでいるような気がして。少し寒いかもしれないけど、しばらくはこのままで良いですか?」
出来るだけさりげない口調を取り繕いながらも、ミーシャは窓辺へとテーブルセットの椅子を移動させ、マリアンヌにそこに腰掛けるように促した。
マリアンヌは、何も言わぬまま窓辺に歩み寄ると椅子に腰を下ろした。
しかし、ミーシャの下手な演技ではこの老齢の女性をごまかすことは出来なかったらしい。
椅子に腰かけたマリアンヌは大きく息を吐くとうつむけていた視線をあげ、まっすぐにミーシャを見つめた。
「この部屋に、何かがあるのですね?」
それは、問いかけというより確認だった。
澄んだ視線に射抜かれ、ミーシャは一瞬迷った後、覚悟を決めた。
マリアンヌは当事者であり、現在この家の当主だ。
何より、ミーシャの予想が当たっていた場合、通りすがりの小娘の手にはどうやったって手に余る事態になるのは目に見えていた。
「私、鼻が良いんです。薬師としての訓練の賜物でもあるんですが、母が言うには生来のもので通常の人よりも数倍の嗅覚があるそうです。
」
唐突なミーシャの言葉を遮ることなく、マリアンヌは、次の言葉を待った。
「この部屋に入った時、いくつかの香りに気が付きました。草花から抽出された香料、衣類に使われた洗剤、そんな中に普通ではあるはずの無い香りがあったんです。
とても珍しい鉱物。半貴石として扱われることもあるそれは、実はある特別な方法で粉にして不純物を取り除き燻す事で毒になるのです。
おもな症状は体の倦怠感、息苦しさ、吐き気、微熱」
あげられる症状がすべて自分に当てはまることに気づき、マリアンヌの顔色が悪くなる。
「何度かに分けて体内に蓄積された毒は徐々に対象者の体を弱らせていくため、しらないものが見れば、些細な病をこじらせ亡くなったように見えるでしょうね」
ミーシャはあまりのことに震えるマリアンヌの服をはだけ背中を露出させた。
そしてそこに目当てのものを見つけ唇をかみしめる。
白い背中の肩甲骨付近に、薄い紫の小さなあざのようなものが幾つか浮かび上がっていたのだ。
ミーシャも母の教えの中で聞いただけで実際に目にしたのは初めてだったが、なぜかこれがそうだとはっきりと分かった。
「まだ、痣が薄い。今なら私の知っている毒消しの薬で間に合います」
「・・・・ああ、神よ」
ミーシャの言葉に、マリアンヌは小さくつぶやくと両手で顔を覆った。
その震える肩にミーシャは黙ってはだけた衣服を着せかけると、そっと側を離れた。
「・・・息子夫婦も私と同じような症状で亡くなったのです。秋の終わりに体調を崩し、ゆっくりと弱っていきました。どんな薬も効かず、お医者様も首をかしげるばかり。やがて、この家は呪われているのだとどこからともなく噂が立ち、人は離れていきました。代々続いていた商売も続けていく事ができず、知人に後を引き取ってもらったのですが・・・・・・」
小さな声で続く独白を聞きながら、ミーシャは壁際にある大きな暖炉へと近づいて行った。
すでに灰は白くなり火の気はないが念のためハンカチで口元を抑えたまま暖炉の中を覗きこんだ。
「あった」
暖炉の上部、部屋側に少しだけ張り出した部分の内側の壁部分が煤に隠れて分かりにくいがきらきらと光って見えた。何よりも、部屋に入った時に感じた香りがはっきりと残っている。
ここに砕いた鉱石を塗り付けたのに間違いはないだろう。
ここに毒を配することで、冷え込んだ夜に暖炉に火をともせば、温められた毒は気化し締め切った部屋に満ちていく。
そうして部屋の住人の体をじわじわと蝕んでいくのだ。
「この冬、何度火を入れましたか?」
険しい顔で暖炉から顔を抜き出し見据えてくるミーシャに、マリアンヌは少し考え込むように首を傾げた。
「お恥ずかしい話ですが、我が家の財政ではこの大きな暖炉にそう度々火を入れることは出来ませんでしたので、本当に数えるほどです。寒いときにはリビングで火を焚いてあちらのソファーで孫と二人寄り添って眠るようにしていたのです」
少し恥ずかしそうに答えるマリアンヌにミーシャはほっとしたように肩の力を抜いた。
「それは良かったです。もし毎晩のようにここに火を入れて過ごしていれば取り返しのつかないことになっていたと思います」
遠回しに死を示唆されてマリアンヌは再び顔をこわばらせた。
「・・・・では、本当に、何者かがその暖炉に毒を仕込んだとおっしゃるのですね?息子夫婦もその犠牲になったと」
震える声にミーシャは、考えをまとめるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「息子さん夫婦を私は診ていないのではっきりとは断言できません。でも、お二人が体調を崩されたときこの部屋で過ごされていたというのなら、可能性はあると思います。ただ、腑に落ちない点もあるんです」
暖炉の上に置かれた香炉を持ち上げ眺めながら、ミーシャは首を傾げた。
「息子さん夫婦がお亡くなりになって何年が経ちましたか?」
唐突とも思える質問にマリアンヌは戸惑ったように、飾り棚の上のものを手にとっては戻す少女の華奢な背中を見つめた。
「ちょうど三年前のことになりますが・・・・なにか?」
「その三年の間、マリアンヌさんはこの部屋で休まれていたのですか?」
くるりと振り返り、探るような視線を向けるミーシャに、マリアンヌは首を横に振った。
「いいえ。息子たちの部屋だった場所ですし、思い出が多すぎて辛くなってしまうので使ってはいませんでした。ただ、この部屋は当主のものだしあなたが使うのが正しい姿だとおっしゃって。後、この部屋が一番作りがしっかりしていて隙間風もなく暖かいからと、二年放置して埃にまみれていたのを手を入れて整えて下さった方がいたのです」
それが何か?と首をかしげるマリアンヌにミーシャは首を横に振った。
「いえ。・・・・・・ずっと薬を吸い続けていたにしては症状が軽いと思ったので。この冬、数度だけ、だったからなんですね」
にっこりと安心させるように微笑みを浮かべてミーシャはマリアンヌの元に歩み寄った。
「薬の目処はつきました。早速宿に戻って薬を作ってきます。それで、申し訳ないのですが、この香炉をお借りして良いですか?薬を煎じる炉の代わりにするのに丁度よさそうなので」
手にした大きめの香炉は下で小さなろうそくを焚いて上に乗せた器の中で香油を温めるタイプのものだった。上に乗せた器を適当なものに変えれば確かに少量の薬を煎じるのには丁度よさそうに見える。
「ええ。頂き物で数度使ってしまいましたがそれでも大丈夫なのでしたら、どうぞお使いになってください」
「いただきもの?息子さんの思い出の品とかでは無いのですね?」
凝った掘り込みがされた香炉は装飾品としての意味合いも強いのだろう。
いわゆる「お高そう」な一品を手に確認をとるミーシャにマリアンヌは少し寂しそうな笑みを浮かべた。
「ええ。同じようなものを息子たちは気に入ってよく使っていたのですが、この部屋を掃除するときに誤って落としてしまったそうで壊れてしまったの。お詫びにと同じような品を持ってきてくださったのだけど、香りをかげば息子たちの事を思い出してしまって・・・」
その後、少しでも早く薬を服用したほうがいいから、と香炉片手に宿へ向かいジオルドにいくつかの「お願い」をして、今は一人薬を調合しているのだ。
もっともらしいことを言って引き取ってきた香炉は使われることなく窓辺のテーブルの上に置かれていた。
処方したい薬に煎じる必要のあるものなどなかったから当然である。
さりげなく持ち出したのはその香炉にも悪意の罠がしこまれていたからだ。
香炉のろうそくを置く部分の内側もきらきらと美しく輝いていたのだ。
ミーシャは手を止めると憂鬱な視線を香炉へと投げかけた。
この香炉を準備した人物の事をミーシャは知らない。もしかしたら、マリアンヌにこの香炉を手渡した人物とは別の誰かが用意し、画策したのかもしれない。
(そうだったらいいのにな)
そう、願ってしまうのは、マリアンヌが香炉を渡してきた人物を少なからず信用していることが透けて見えたからだ。
好意を持った人物に死を願われるなんてそんな悲しい現実を知ってほしくない。
ただでさえ、大切な家族を亡くしているのだ。
だけど、ミーシャは悪意というものは様々な形で襲ってくるものだということを知っていた。
そうして襲ってくる悪意をはねのけるのがいかに大変かということも・・・・・・・。
つきりと痛む胸をそっと抑えミーシャはぎゅっと目を閉じた。
浮かんでくるのは少し足を引きずりながらも楽しそうに緑の森を歩き回り微笑んでいる母の姿。
その後を追うように父も穏やかな顔で足を運んでいる。
ミーシャの知る一番幸せでたいせつな、もう、二度と見ることの叶わない風景だ。
「守りたいな」
互いを唯一といつくしむ瞳で思いやる老女と少年。
ミーシャは小さく首を振ると再び薬を作り出すために手を動かし始めた。
読んでくださり、ありがとうございます。
作中に使われている毒物は作者の妄想の産物であり、実在の物ではありません。




