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「ミーシャ、本当にもう行っちゃうのかい?もう少し居てもいいじゃんかよぅ」
「うーん。私も名残惜しいけど、目薬はもうババ様もエラも作れるから大丈夫でしょ?海に落ちて別れたまま連絡ついてないおじさん達も心配してると思うし」
涙目のエラに縋り付かれて、ミーシャは困ったように笑う。
「じゃぁ、おじさんと再会できたら戻ってきたらいいじゃん!おじさんも一緒でいいからさ!もっとミーシャと薬の事とかいろいろ話したいんだよぅ」
「エラ!いい加減におし!ミーシャにも家族や故郷があるんだよ」
まるで子供のように駄々をこねるエラを、呆れた顔のマヤが一括した。
「だってさ……。寂しいじゃん」
本気のマヤに叱られてしまえばそれ以上駄々をこねる事もできず、エラはしょんぼりと肩を落とした。
エラだって、本当は駄々をこねてもどうしようもない事だと分かっているのだ。
それでも、初めてできた語り合える友人をあっさりと見送ることはできなかった。
この村の性質を思えば、これが今生の別れになることを、エラは知っていたからだ。
エラはこの村の未来の薬師だ。
この村の人たちを支え、生涯この村で生きていく。
それを選んだのは自分自身で、その選択を後悔したことはなかったけれど、今は少しだけ不自由だなと思う。知らなかった事を知るという事には、そんな不都合もあるのだと、エラは思い知らされていた。
「大丈夫だよ。また会いに来るよ」
だから、そんな風に笑顔で約束をしようとするミーシャに泣きそうになる。
「……無理だよ。だってあんたは外の世界に帰るんだ。そうしたら、この村には戻れない。道は分からないし、そっちから連絡する手段なんてないじゃん」
いつも元気なエラのしょんぼりとした涙目に、ミーシャは困ってしまってマヤを見上げた。
「手段はあるよ。町の隠れ家を教えたからね」
やれやれというようにため息をついて、マヤがそっぽを向きながらつぶやいた。
町の隠れ家というのは、実際に家があるわけではなく、補給部隊が街に出た時に仲間に居場所を知らせるために宿の窓辺につける印の事だった。
別行動をしていても、窓辺にあるその印を見つける事で合流することができる。
当然、補給部隊しか知らないため、エラも『そういうものがあるらしい』というフワッとした知識しかない。
「へぁ?」
思いもよらないマヤの言葉に、エラの口から変な声が漏れた。
衝撃のあまり、目も口もポカンと開いてかなりの間抜け顔になっている。
「ババ様に説得されてなぁ。せっかく海のみ使い様が運んでくれた優秀な薬師との縁を、切ってしまうのはもったいないし失礼にあたると。ババ様の眼の件もあるし、ミーシャちゃんの為人はこの数日で分かったし、特別にいいんじゃないかという話になったんだよ」
「さすがに道は教えられないですけどね」
見送りに来ていたゼンテュールのニヤニヤした顔と、ポリュースの少し申し訳なさそうな顔に気づいたエラの顔がみるみると赤く染まっていく。
「なんだい!村長達も人が悪いよ!嵌めやがったね!」
真っ赤な顔で叫ぶエラに、ゼンテュールがゲラゲラと笑いだした。
「いやぁ。エラのしおらしい顔なんて、明日は嵐だな」
「うるさい!ばかぁ!!」
からかわれて拳を振り上げるエラにゼンテュールが笑いながら逃げ回る。
「やれやれ、まるで締まりがないね」
「すみません。いつまでたっても子供みたいなやつで」
ため息をつくマヤとポリュースに、ミーシャはくすくすと笑った。
「いえ。惜しんでもらえるのは嬉しいので」
いまだに走り回っている2人を眺めながら、ミーシャはあの日の事を思い出していた。
ヒューゴとカシュールを交えての話し合いは、速やかに行われた。
「さしあたり、その火竜の呪いとやらの情報を集めたらいいん
じゃねぇか?」
ミーシャの記憶を聞いたヒューゴは、少し難しい顔でつぶやいた。
「ネネさんの故郷の村に向かった方が早いんじゃないかな?」
不思議そうに首を傾げたミーシャに、ヒューゴは首を横に振る。
「辺境の国境沿いの村だろう?隣国の戦火を逃れた難民が押し寄せている上に、先の辺境伯の騒動が重なって、ひどく治安が悪くなってるって噂だ。よそ者が突然訪ねて行っても相手にしてもらえない可能性が高い」
「そんなに?」
ミーシャの脳裏に、幼い姉弟の顔がよぎる。
誇らしげに語っていた故郷の現状がそれであれば、どれほど悲しむことだろう。
「先の辺境伯は積極的に難民を受け入れ支援していたようだけど、後を継いだ隣領の伯爵はまともに対応していないどころか追い返そうとしているそうだ。先に受け入れられていた難民も生活できずに王都の方へ少しずつ移動してきてるみたいだな」
「すごい」
すらすらと語るヒューゴに、ミーシャとミルは目を丸くする。
「情報を集めるのも俺たちの仕事なんだよ」
素直な称賛にヒューゴは少し面映ゆそうな顔でそっぽを向いた。
わずかに見える耳が紅く染まっているのを見つけたカシュールがにやりと笑う。
その視線に気づいたヒューゴは、眉をしかめてカシュールを睨みつけ、その頭を軽く小突いた。
「それなら、とりあえずバイルに向かったらどうだい?」
たわいのない友人同士のやり取りを眺めながら、マヤが提案した。
「バイル?」
「アンバーの王都に近い、この国で一番大きい港町だ」
首を傾げるミーシャに素早くヒューゴがフォローを入れる。
「ミーシャが船から落ちた位置からしても、その客船はバイルに寄港しているはずだよ。戦闘があったのなら多少なりとも船に損傷は出ただろうし、捕縛した海賊どもの始末もあるからね」
マヤが、若草色の瞳を柔らかく細めた。
「きっとミーシャのおじさんとやらもそこに降りたはずだ。運が良ければ合流できるだろ?」
「ババ様!」
きちんと自分の行く末まで考えてくれているマヤの言葉に、ミーシャは感激して目を潤ませた。
船から落ちたまま行方知れずになっているミーシャを心配しているだろうラインとレンの事を、ミーシャはずっと気にかけていた。
できる事ならば、一刻でも早く再会して安心させてあげたい。
そんなミーシャの言葉にされない思いを、共に過ごしていたマヤは誰よりも理解していたのだ。
「まぁ、バイルは大きな町だし、港町だから情報も集まってくる。俺たちにとっても利はあるし、いいんじゃないか?」
ツンとすました顔で同意するヒューゴに、ミルがおかしそうにくすくす笑った。
自分の事をずっと気にかけてくれた兄が、家族の情に特に厚いのは分かり切っているのに、素直になれない言動をとるのがおかしかったのだ。
「なんだよ」
「何でもない。お兄ちゃん、大好きよ」
じろりと睨みつけるヒューゴに笑い返しながら、ミルは言葉にできない感謝の気持ちを込めてさらりと答える。
妹の突然の言葉にヒューゴは何度か目を瞬いた後、再びぷいっと視線をそらしたけれど、やっぱりその耳は赤く染まっていた。
「じゃぁ、バイルに行ってミーシャのおじさんを探しつつ、病気の情報も集めるって事でいいかな?」
それまで黙って聞いていたカシュールがまとめると、みんなそれぞれに頷いた。
「後は、どうやってヒューゴをミーシャと共に旅立てるようにするかの言い訳だけど……」
「素直にこの肌の薬を探しに行くといっても……難しいですよね、やっぱり」
そっと自分の腕をさすりながら、ミルが寂しそうにつぶやいた。
「そうだね。その肌は、なによりも分かりやすい海巫女の印だ。結果的にそれを消すような薬を見つけるといっても、すぐには納得しないだろうね」
「……でも、命に係わる事なのに……」
苦虫をかみつぶしたかのようなマヤの言葉に、ミーシャが肩を落とす。
人を苦しめる病を治すことを生業としているミーシャには、命よりも優先する事があるなんて信じられなかった。
「現状は、だよ。薬が見つかるまでには、こっちで頑張って説得しておくさ」
「そうだよ。なんだかんだ言って、村長は革新派だし情に厚い人だ。話せば理解してくれるはずだ」
力強くこぶしを握り締めるカシュールに、ミーシャは少しだけ表情をやわらげた。
「とりあえずは、言い訳だ。上手いこと動かないと、いつも通りなら一番近い町まで行ってはいさよなら、のはずだぜ?しかも、補給部隊の誰かしらの監視付きで、だ」
「まぁ、補給部隊は安全面もかねて単独行動は禁止されてるしね……。とはいえ、人数も限られているから長期に村を離れるとなるとそちらにばかり人数を裂きたくないはずだよ。そこのところをついて、うまく誘導するしかないね」
難しい顔をするヒューゴをなだめる様に、マヤが言葉を紡ぐ。
「幸いなことにミーシャには、子供を助けたり今までなす術もなかった目の病を癒したりした実績があるからね。そこら辺を絡めて、海巫女の事は悟らせずに話をつけるよ。私は産まれた時からあの子たちを見てるんだ。どんな性格かもよぉ~く知ってるよ。任せときな」
ニヤリと悪い顔で笑うマヤは頼もしいが、同じように生まれた時から世話になっていた覚えのあるヒューゴとカシュールは複雑な気持ちで顔を見合わせるのだった。
その後、どんな話し合いがもたれたのかは分からないけれど、次の日にやってきたゼンテュールからミーシャを近くの町に送った後はヒューゴと共にバイルまで行ける事になった。
というか、もともとミーシャの望む場所までは送っていく心づもりがあったそうだ。
それほどまでに、村唯一の薬師の目を改善させた功績は大きかったのだ。
とはいえ、唯一になる護衛案内人が若輩者のヒューゴに決まったのには、別の理由があった。
「貴重な目の薬の材料を分けてもらったお礼と、あわよくばもう少し都合つけてもらえないかの交渉をするのに、ミーシャと年が近い者が同情をひけて良いだろうってね。ついでにうまい事ヒューゴの美貌で誑し込めたら、村に優秀な薬師が増える。そのためには二人きりの方が都合がいいだろうって言ったんだよ」
あまりにも話し合いの通りに事が運んで目を丸くするミーシャに、マヤがやっぱり悪い顔で笑って教えてくれた。
「もちろん、本当に薬を分ける必要もヒューゴと好い仲になる必要もないよ。本命は、海巫女の薬だからね。万が一ミーシャがこの子と恋仲になりたいって言うなら、止めはしないけどね」
クツクツと笑うマヤにミーシャはきょとんとした後ヒューゴを見て首を傾げ、ヒューゴもまた眉間に深いしわを寄せて首を横に振った。
「俺に子供に欲情する趣味はねぇ」
「子供じゃないもの!後二年もしたら成人だもの!」
「問題はそこじゃねぇ」
唇を尖らして頓珍漢な事を抗議するミーシャにヒューゴの眉間のしわが深くなり、マヤに加えてカシュールまで大笑いする。
「やれやれ、この調子ならさぞかし楽しい道中になりそうだね」
キャンキャンと言い合いをする二人に笑いながら、マヤは旅の無事を祈るのだった。
「じゃぁ、また会えるんだね?」
「うん。これから母さんの故郷に行って、そこでいろいろお勉強もあるし、早くても二~三年後になっちゃうかもだけど」
ようやく不毛な追いかけっこを辞めて戻ってきたエラに、ミーシャはコクリと大きく頷いた。
「いいよ、それでも!また会えるって、その約束があるだけでもうれしいし」
先ほどとは違い笑顔のエラは、ギュッとミーシャの手を握る。
「私、それまでには一人前になってるからさ!そしたら、またいろんな薬の作り方教えてね!」
ミーシャの出ていく日が決まったと告げてから消えていたエラの笑顔にミーシャまで嬉しくなる。
「もちろん!私も負けないように頑張るから。でも無茶しないようにね?自分が不健康な薬師なんてみんな信用してくれないんだから」
笑顔で約束を交わしながらも、ふと脳裏にエラがみんなにマヤの弟子になることを認めさせるために取った強硬手段を思い出して、一応くぎを刺しておく。
「あたしはいつだって元気だよ?」
いまいち伝わっていなさそうな不思議顔のエラに苦笑してから、ミーシャは改めてその場にいるみんなにぺこりと頭を下げた。
「お世話になりました。みなさんの事、忘れません。また会いに来た時には仲良くしてくださいね」
「もちろん」
「待ってるよ」
「元気で。ミーシャも、無茶するなよ?」
それぞれに返ってきた返事に一つ一つ頷いて、ミーシャは手を振ると少し離れた場所で待っていたヒューゴの元へと駆け寄った。
これから、補給部隊の面々と共に山を越え街を目指すのだ。
「お待たせしました。よろしくお願いします」
ヒューゴを含めてそこには四人の男たちが待っていた。
黒っぽい服装に身を包む男たちの体型も顔つきも三者三様で、ミーシャが聞いていたような文武両道のエリートっぽい空気はない。
どちらかというと、すれ違ったとしても3秒で顔が分からなくなりそうな気配の薄さだった。
「いや。こちらこそ、素晴らしい薬を教えていただき助かった。私の母も、おかげでまだまだ現役で過ごせそうだと喜んでいた」
一番背が高く、ひょろりとして見える年配の男が、静かに頭を下げた。
「お役に立てたなら、良かったです。お大事にされてください」
その顔に、マヤの次に目薬を投与した老女の面影を見つけて、ミーシャはにこりと微笑んだ。
「では、行きましょう」
「はい」
ミーシャは、大きなリュックをしっかりと背負いなおした。
頑丈な麻布で作られたそれには、譲ってもらった数着の着替えと大切な薬箱が入っている。
自分たちで賄う事の出来ない布製品はこの村では貴重品である。
遠慮するミーシャだったが「もらった薬の対価の半分にもなりゃしないよ」と押し切られてしまった。
おまけでトンブの干したものを大量にもらったのだが、今まで見たことのなかった薬で、次に同じものを手にいれられるかは不明のため、実はミーシャ的にはおまけの方がうれしかったりした。
男たちに挟まれるように歩きだして、ミーシャはふと振り返った。
見送りの人たちは、いまだ同じ場所で動かず、こちらを見つめている。
さよならを言おうとして、ミーシャは、少し考えた。
再会を望んでもらえるのなら、さよならはふさわしくない気がしたのだ。
(そうだよね、さよならじゃなくて)
ミーシャはひとつ頷くと、大きく手を振る。
「ババ様~~、エラ~~!みんなも!ま~た~ね~~!!」
読んでくださり、ありがとうございました。
急展開。
ミーシャがようやく隠れ里を出ます。
ミルちゃんとのやり取りももう少し書きたかった気もしますが、そろそろレンのストレスがヤバそうなので……(笑)




