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『火竜の呪い』
それが、ミーシャが聞いた病の名前だった。
母親と共に近隣の村を回っていた時に知り合った妊婦が、自分の故郷にまれにみられた奇病の話を相談という形で教えてくれたのだ。
「彼女の大伯父にあたる人がその奇病にかかったことがあるそうで、産まれた子供がかかったらどうしようと心配していたのです。肌の柔らかい子供の頃に発病しやすく、すぐに治療できればいいけれどそうでなければ火竜の呪いに負けてしまうと」
「火竜の呪い……。それが二人の症状と同じというのかい?」
いぶかしむようなマヤの視線にも怯むことなく、ミーシャはコクリと頷いた。
「私も実際にその病の患者にお会いしたことはないので言い切ることはできないのですが、ネネさんから聞いた症状と合致する点が多いのです。まるで物語の竜のような鱗が肌に浮かび上がり、発熱・食欲不振・倦怠感。最終的には体が岩のように固くなり、動けなくなって死んでしまうそうです。
……似ていると思いませんか?」
ミーシャの言葉に、ほかの三人は顔を見合わせた。
それは、今のノアを見て語られているかのようだったからである。
「私はネネさんに相談されて、母親にも確認したのですが、聞いた事のない病だと言っていました。それをネネさんに伝えると、彼女は憂鬱そうな顔でため息をつきながら言ったんです。「じゃあ、もしも子供がその病を持っていたら、故郷から薬を取ってこないといけないのね。遠いから大変なんだけど、子供の健康には変えられないもの」と」
「薬があるのかい!!」
マヤが、大きな声で叫んだ。
ノアとミルの眼も驚きに大きく見開かれている。
ノアは、日々体を苛んでいく病に、いつ命の灯を消す事になるかと恐怖に震える事しかできなかった。
だけど、同じ病に苦しむまだ年若いミルの不安を少しでも和らげたくて、苦しむ姿を見せる事はなかったし、なんでもない事のように気丈にふるまっていたのだ。
だけど、苦痛も不安も消える事はない。
実際に耐えるノアはもちろん。側に寄り添い、少しでも苦痛を取り除いてやりたいと奮闘するマヤの心も疲弊するだけの毎日だった。
その日々に、明確な希望が見えたのだ。
マヤは叫ばずにはいられなかったし、体が動くのならノアも同じ気持ちだっただろう。
「薬草の名も聞いたのですが、私は聞いた事のない名前でした。ネネさんは幼い頃から父親の行商について旅をしていたそうですが、ほかでも見たことはなかったからおそらく故郷近辺でしか採取できない薬草なのかもと言っていました。そして、その薬草を主成分に作った軟膏は『火竜の呪い』を和らげる唯一の薬で、症状が軽いうちに塗れば跡形もなく消えるそうです」
「……症状が、軽いうちに……」
しかし続くミーシャの話に、マヤとミルは息をのんで、視線を下に落とした。
病が軽いうち、がどのくらいの症状までをいうかは分からなかったけれど、少なくとも数十年の時をこの病と共に生きてきたノアに、それが当てはまらない事は誰の目から見ても明らかだった。
「よか……た。なら、ミルはだいじょ……ぶ」
しかし、暗くよどみかけた空気を嬉しそうなノアの声が一瞬で晴らした。
かすれて聞こえにくい声は、それでも明らかに喜色に満ちていたからだ。
そして、なによりも柔らかに細められたその瞳が心から嬉しいと言っていた。
ノアの声に俯いた顔をあげたミルは、その優しい笑顔にポロポロ涙をあふれさせた。
家族から突然引き離されたあの運命の日から、ずっと寄り添ってくれたノア。
静かな社の中で、泣いてばかりのミルをただ抱きしめて慰めて、一つ一つ丁寧に社での暮らしを
教え、病との付き合い方を教えてくれた。
どんな時でも穏やかに教え導いてくれるノアを、ミルが第二の母親として慕うようになるのはあっという間だった。
同じ病に苦しむたった一人の同志というのも大きかったが、それ以上に、いつだって言葉で態度で愛を伝えてくれる存在に幼いミルが心を開かない道理がなかった。
誰よりも近く寄り添ってきた二人だからこそ、ミルはノアが心からこの状況を喜んでくれている事に気づいていた。
自分には間に合わない可能性が高いという現実を知ってなお、ミルが治るかもしれないと心から喜んでいるのだ。
そこにある無償の愛に、ミルは胸が苦しいほどこみあげてくる感情を爆発させてしまう。
まるで幼子のように大声で泣きながら、自分の体に覆いかぶさるミルの頭を、ノアは動かしにくい手で優しく撫でる。
慰めるような慈しむようなその動きは、さらにミルの心の琴線を揺さぶってしまい涙が止まることはなかったけれど……。
胸に抱かれて泣きじゃくるミルと、優しく目を細めてそっとその髪を撫でるノア。
その姿は誰が見ても母子そのもので、ミーシャは、その光景をただ黙って見守っていた。
ミルは感情を爆発させて、胸の中で慰められているうちに眠ってしまった。
慰めているうちに少し疲れた顔をし始めたノアにも休むように伝えたミーシャとマヤは、二人の邪魔をしないように囲炉裏の間へと場所を移した。
「こんなものしかないけどね」
勝手知ったる人の家とばかりにお茶を用意したマヤは、大人しく座って待っているミーシャの前に置いた。
フワリと香る薬草茶の香りに、ミーシャは目を細める。
それは、ミーシャが助けられた時に飲んだ体を温める薬草茶と同じものだった。
「ここは年中ヒンヤリしてるし、あの子たちの体は体温を保つのが下手くそでね。日常的に飲むようにしてるんだよ」
ミーシャの表情に思い当たったマヤがにやりと笑った。
ミーシャの舌には生姜の辛みが強くて少し苦手だったため、ミーシャは無言で机の上に置かれた蜂蜜の壺を引き寄せた。
「で、その妊婦の故郷の場所は聞いているのかい?」
スプーン一つ分の蜂蜜を落とした薬草茶を飲んでいたミーシャは、コクリとひとつ頷いた。
「アンバー王国の辺境の地、ユス山脈沿いの小さな山村だそうです」
「……そいつは、困ったね」
マヤの顔色がサッと曇った。
「アンバー王国の辺境って言ったら、つい最近領主が国王陛下に刃向かったとかでお咎めがあった場所じゃないか。戦になってたくさんの人死にが出たって聞いたよ」
マヤは村から出たことはなかったけれど、村の中枢メンバーとして補給部隊が外の情報を持ち帰り報告する場に参加する権利を有していた。
薬草や薬を購入するにも、外の情報を知っている方が指示しやすいため、そういう時にはきちんと参加するようにしていた。そのため、普通の村人では知りえない外の情報を豊富に持っていたのだ。
「ここら辺では、そういうふうに伝わっているのですね」
ミーシャは、偶然に知り合った幼い姉弟の故郷の話を思いがけず第三者から聞いて、少しだけ顔を俯けた。エディオンから語られる”お父さん”の話しやその後にラインが集めてくれた話から、どうしても領主側に気持ちが傾いていたため、マヤの言葉に反論したくなってしまう。
(でも、マヤさんはただ世間に流れている噂を口にしただけだし)
胸に湧き上がるモヤモヤをどうにか飲み込んだミーシャの眉間がキュッと寄せられていた。
「まぁ、すぐに隣の領主が人をやって治めたって話だから、それほど庶民には関係ないとは思うけどね」
その表情を治安悪化の心配をしていると勘違いしたマヤが取りなすように言葉をつないだけれど、それはさらにミーシャの眉間のしわを深くするだけだった。
「そういえば、この村はアンバー王国のどの辺になるのですか?」
気を取り直したミーシャは、ふとこれまで気になっていたことをマヤに聞いてみた。
隠れて暮らしていると最初に聞いていた為、場所を特定するようなことを聞くのがなんとなく憚られて確認していなかったのだ。
「あれ?言ってなかったかい?ここはアンバーとジョンブリアンの国境に近い場所だね。一応アンバー王国の領土とはされているけれど海沿いの切り立った崖ばかりで人が住むには適していないと放置されている場所さ」
きょとんとした顔であっさりと教えてくれたマヤに、ミーシャは目を瞬いた。
「ジョンブリアンの方に戻ってきちゃってたんですね、私」
ジョンブリアン王国最後の寄港地でイルカたちに出会ってから海賊に襲われるまで二日以上が経過していたため、位置的にはだいぶ先へと進んでいるはずだった。
普段なら北風が多い季節で北上するには適さないはずなのに、なぜか南からの追い風が多く船足が予定より早いと知り合った年老いた船員にミーシャは聞かされていた。
「そうかい。おそらく御使い様が私らに託すためにこっちに来たんだろうね」
「イルカさん達が……。」
見知らぬ海岸に打ち上げられたとして、どんな人間に拾われるかもしれない危険を考えたら、知り合いに託して貰えて本当に良かったと、ミーシャは胸を撫で下ろした。
しかし、当日の風の向きや潮流からミーシャの漂着地点を予測していたラインからしてみれば、とんでもないミスリードである。
「そういうわけで、隣国の戦火がこっちまで飛び火することはないだろうと安心してたんだけど。薬を取りに行くとなると……どうしたもんかね」
ため息をこぼすマヤに、ミーシャも困惑する。
アンバー王国の辺境という事は、コーラルン王国のすぐ近くという事になる。辺境伯領地のごたごたが治まっていたとしても、隣国からの難民などで治安が悪くなっている可能性はやはり否めない。
「とりあえず、王都に出ておじさんか一族の人を見つけられないか探してみます。私のおじさんも薬師だし、私よりよっぽど顔が広いから、もしかしたら薬の当てもあるかもだし」
困った時の師匠頼み、とばかりにミーシャは拳を握り締めた。
丸投げしそうなミーシャの勢いに目を丸くした後、マヤは思わず笑いだした。
「頼れる相手がいるのはいい事だね」
「えっと、ちゃんと自分でもできる事は頑張ります。私が始めたことだから。でも、全部一人で頑張らなくてもいいと思うの」
小さく肩を竦めて、ミーシャも笑う。
すべてを自分一人で抱え込もうとして失敗したレッドフォードでの経験が、ミーシャを少しだけ成長させていた。
「それにね、やっぱり得意分野ってあるでしょう?」
薬をつくる人。治療をする人。看護をする人。研究してより良い薬を開発する人。食事をつくったり、掃除をしたりする人。物資調達して運んできてくれる人だって大事なチームの一員だった。
さらには、今後十年先百年先の人たちが困らないように情報をまとめたり、法の整備をする事も大切なのだとミーシャは学んだのだ。
「病気を治してそれで終わりだと、今回みたいにせっかくの薬の作り方が忘れられて困っちゃうこともあると思うの」
一生懸命自分の経験から学んだことを伝えようとするミーシャに、マヤは目を細めた。
(そうだね。自分一人で頑張ったって、あの子たちの病を治してあげる事はできなかった)
頑張ることが悪いわけではない。
ただ、人を信じて頼る事だって必要なときはあるのだと、マヤは自分の四分の一も生きていない少女から教えられた気分だった。
(変な意地を張らずに、素直にヒューゴ達と話をすればよかったし、もしかしたら、ゼン達にもきちんと説明していたら協力してもらえたかもしれなかったんだ)
薬師の地位を正式に引き継いで海巫女とこの村の秘密を知ったあの頃は、頭の固いお偉方がまだまだ幅を利かせていたから、何をするにしても隠れるように動くのが習い性になっていた。
だけど、マヤが年老いた分、村の運営の中心は若い者たちにすげ変わっていった。
その分思考も自由になって、がんじがらめだった掟が変わったことはいくつもあったのに、どこかで信じられなかった。
(あたしの頭が一番固かったのかもしれないねぇ)
脳裏に(あんたは考えすぎるんだよ)と笑う、大切な友人の笑顔が浮かぶ。
社に籠るのが役目の海巫女に立候補したくせに、誰よりも自由に生きた先々代の海巫女。
(まだ、間に合うかね)
友人は心半ばに倒れ、自分も随分年老いて、顔はしわだらけで歩くのも苦労するほどだ。
それでも、ようやく悲願ともいえる海巫女の問題が解決するかもしれない糸口をつかんだのだ。
マヤは大きくひとつため息をつくと、ゆっくりと口を開いた。
「とりあえず、あの子たちと話し合ってみるとするかね」
読んでくださり、ありがとうございます。
お久しぶりです。
ようやく時間が空いたので、また少し集中して話を進めていけたらと思っています。
やるやる詐欺にならないように頑張ります。




