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「急速に凍結するのは難しくないだろうが、シンクウ?空気がない状態にしたいとはどういうことだ?」
フリーズドライ製法を確立するためにジークヴァルト先生に相談したのだが、真空状態の説明が難しい。
「ええと、水は圧力が低い状態だと気体になるので、食品が凍っている状態で圧力を下げると食品中の水分が氷から直接水蒸気に変化するので、食品から水分を抜いて乾燥させたいのです」
「それで何ができるのだ?」
「小さくて軽くて美味しい携帯食料です」
「・・・・・・」
ジークヴァルト先生が半眼で沈黙してしまった。
「私には冒険者の友人が2人ほどいるのですが、彼らから携帯食料をもっと美味しくできないか、と相談されたのです」
「・・・それが食品を凍らせて水分を抜くことに繋がると?」
「お湯をかけたら元の食品に戻って、いつでもどこでも美味しいものが食べられると便利で良いと思いませんか?」
ジークヴァルト先生が片手で頭を抱えて考え込んでいる。理論上は正しいはずなのだが、私もそんなにフリーズドライ製法に詳しいわけではないからなあ。
「まあ良い、上質な魔石がいくつか必要になるができないことはないだろう」
「それならば、冒険者の友人2人が先行投資だと言って各属性の魔石をいくつかくれました」
多分技術的に上質な魔石が必要になると思う、と言ったら、2人共ザラザラと大きな魔石をたくさんくれたのだ。
よほど楽しみにしてくれているらしい、期待には応えなくては。
急速に冷凍するのはさほど難しくはない、上質な水の魔石と魔法陣を改良すれば良いだけだ。
だが真空状態にするのは難航した。
そもそも真空という概念がこれまでなかったのだ。
だがジークヴァルト先生は天才だった。
しかも、課題が困難であるほど燃えるタイプだったらしい。
私の拙い説明を聞いて、どうにかこうにか試行錯誤して急速冷凍後に水分を抜き取る魔術具を完成させてくれたのだ。
私のような前世の拙い知識をカンニングしている似非チートとは違う、本物の天才は素晴らしい。
かちんこちんに凍ったリンゴがぷしゅーとしぼんでいく様を見るのは面白かった。
「さて、これで君の望む機能は完成したと思うが、本当に最初に言っていたように携帯食料ができるのか?」
「やってみましょう、いくつか準備してまいりました」
フリーズドライの食品として私の中でメジャーなのは、まずは味噌汁だ。それにシチュー類に雑炊やリゾットだろうか。
まずは豆腐、ではなくフェコラの味噌汁を急速冷凍する。
そして空気を抜くと、一気に体積が減りスポンジ状にフカフカになった。
「君の家で何度も食したから味はわかっているが、その形状ではあまり食欲をそそられぬな」
ジークヴァルト先生はため息を吐くが、そもそも味噌、いやゼルという食材はヴィンターヴェルト以外ではあまり受け入れられていなかったようだし、見た目がアレなのは前世でも変わらない。ゼルスープでは私が違和感があるので、我が家では味噌汁という呼び名で統一している。
「まあ、とりあえず食べてみましょう」
カップに軽い固形状になった味噌汁を入れお湯を注ぐと、嗅ぎなれた味噌汁の匂いが部屋に立ち上る。
一口すすると、ちゃんとオスカーの作ってくれた味噌汁の味がした、成功だ。
「問題ありません、普段食べているものと遜色のない味と香りです」
「ふむ、私も試してみたい。他には何を準備している?」
そわそわと気になっている様子のジークヴァルト先生にコンソメスープとトマトのリゾットを渡す。今日のお昼ご飯用に私は味噌汁と鶏と卵の雑炊、ジークヴァルト先生用にコンソメスープとリゾットを持参したのだ。そろそろ完成しそうだったので、できたら試すために試しやすそうな食事を準備しておいた。
トマトのリゾットをフリーズドライしてお湯を注いだジークヴァルト先生は、いそいそとスプーンを手にする。
「ほお、本当に君の家で食したリゾットと遜色ない味がする」
私も雑炊をフリーズドライしてお湯を注ぎ、ジークヴァルト先生のコンソメスープも同じように準備する。
「成功ですね、ありがとう存じます。これで冒険者達の携帯食料事情も劇的に改善するでしょう。この魔術具の設計図を冒険者ギルドに売ろうと思うのですが、先生の名で登録させていただきますね」
「いや、久しぶりにやり応えのある研究だった、私こそ礼を言う。私はあまり表に名を出したいとは思っておらぬし、そもそもの発案は君なのだから君の名で登録しなさい」
私も前世の記憶を語っただけなのだが、確かにジークヴァルト先生は表に出ないように研究活動しているから、名より実を渡す方が良いだろう。
「では、冒険者ギルドへ設計図を売った金額はそのまま先生にお渡しします。その代わり、特許で生じる金額は私に入るようにさせていただきます、それでよろしいですか?」
「全て君で構わないのだが、それでは君は納得しないのだろう?まあ、魔術具を実際に設計して作成したのは私だからな、それで良いだろう」
ジークヴァルト先生が薄っすらと笑う。
研究資金はいくらあっても困らないと思うよ、500年も生きていたら名前を出さないようにしていてもセレスティスに高名な魔術具の研究者がいる、ということは巷で噂になるくらいには研究成果もたくさん出ているし、それに伴ってお金にも困ってないだろうけどね。
あとはフリーズドライする元の料理の味次第だろうが、それは冒険者ギルドがやっている食事処の人気料理でもフリーズドライすれば良いと思う。
先行投資で魔術具作成のための魔石をくれた2人には、我が家の料理で作成したフリーズドライ食品を提供することにしよう、あの2人もそれを期待して高価で稀少な魔石をざらざらとくれたんだろうしね。
「これ?ずいぶんと小さくて軽いね、これじゃあなかなかお腹いっぱいにならないよ」
「ああ、小さくて軽いのは助かるが、もっと腹に溜まりそうなものの方が助かるんだが」
眉をへにょりと寄せるエリシエルとルナールに笑って首を振る。
「違いますよ、これはお湯をかけて食べるのです」
「「お湯?」」
「とりあえず試してみましょうか。クリームシチュー、ビーフシチュー、トマトとチーズのリゾット、キノコとベーコンとチーズのリゾット、卵と鶏の雑炊、野菜の雑炊、あとはスープ類として、コンソメスープ、コーンスープ、ミネストローネ、フェコラの味噌汁、卵とコーンのとろみスープを準備してみました。どれを試してみますか?」
「え?ええと、ならクリームシチューで」
「俺はキノコとベーコンとチーズのリゾットで」
私は言われたものを深皿に入れ、そこに準備していたポットからお湯を注ぎ入れた。
良い匂いが立ち込める。
「どうぞ、クリームシチューとキノコとベーコンとチーズのリゾットですわ」
2人がカラカラの固形物にお湯を注いだだけで、見慣れた料理に変身したお皿を唖然とした顔で眺める。
「「・・・いただきます」」
2人はおそるおそるスプーンを手に取った。
「え、うそ、いつも食べるのと同じ味!」
「これさっきの四角い軽石みたいなのだよな?」
半信半疑で食べ始めた2人だが、目を見張ってがつがつ食べ始めた。
「元の料理の味がお湯を注ぐだけで再現されます。いかがですか?ご期待に沿えるよう頑張ったのですけれど」
「すごい、すごいよ、セイランさん!」
「お湯さえあればどこでも食べられる、てことだろう?魔石を提供した甲斐があったな」
「魔術具の作成に苦労しましたからね、お2人が提供してくださった魔石を全て使い切ってしまいました」
「いいよ、それくらい!この携帯食料の完成の前には些細な投資だったよ!」
「まったくだ。むしろもっと請求してくれても良かったんだぞ?」
頑張ったのは私ではなくジークヴァルト先生だが、本人の意向で名前は出したくないそうだしね。
「デザートはちょっと難しくて、ぜんざいと甘酒くらいしか作れなかったのです。あとはこれです」
イチゴやブルーベリーをフリーズドライしたものに冷たいミルクを注ぐ。
「お湯ではなくミルクを注がなければなりませんが、健康にも良いですし美味しいでしょう?」
「うん!これ美味しい!携帯食料じゃなくても毎朝飲みたい感じ!」
果物はドライフルーツとしてそのままおやつに食べてもいいけどね。
「元の料理の味がそのまま再現されますので、冒険者ギルドに製法を売りますと冒険者ギルドの食事処の料理がこの形態になって売り出されると思いますので、お2人には我が家で作成したものを提供いたしますよ。1年以上持ちますので、とりあえず各種10個ずつ準備いたしましたので、お持ち帰りくださいませ」
「それは助かるな。冒険者ギルド併設の食事処は不味いわけじゃないんだが、ここで食べる食事と比べるとどうしてもな。それにギルドで売りに出されるのもまだ先になるだろうし」
「遠出するストレスが大幅に減るよ、ありがとう」
やはり遠出して野宿で干し肉と乾パンを食べるのはストレスだったらしい。
冒険者ギルドに魔術具の設計図を売るが、作成するのにもかなりの魔力が必要になるだろうから、実際に携帯食料として売りに出されるのはいつだろうね?




