44話 思いと決意
夕食時の人数が増えたということは、当然のように風呂に入る人数も増えている。
まあとはいえ、人数が増えようとも時間が延びるわけではない。
あるいは、延びたところで、イリスが戻ってきてから風呂に向かえばいいだけだ。
やることに変わりはなく……ないと、思っていたのだが――
「うーん……やっぱり慣れ始めが一番危険っていうか、ちょっと油断してたかなぁ……」
「それはどういう意味でやがんです、クソ虫野郎? まさかワタシに会いたくなかったとか、喧嘩売ってんじゃねえでしょうね?」
そう、風呂に向かっていたところで、ハイデマリーと遭遇してしまったのである。
髪の湿り具合などを見る限り、どう見ても出てきたばかりだ。
ついでに言えば、風呂はもうすぐそこである。
つまりは、もう少し早く来ていたら風呂場で鉢合わせしてしまっていた可能性があるということだ。
危機一髪といったところで、何ならまだその危機が去ってもいない。
下手をすれば、覗こうとしていたと思われてもおかしくないからだ。
「いや、別に君に会いたくなかったってわけじゃなくて、単純にもう全員風呂から上がっただろうって勝手に思ってたからさ」
「あぁ……まあ、今日はちと長風呂しちまったですからね。そういえば、後に入るやつのことなんて考えたことなかったですし、そういう意味ではワタシも気を抜いてたってとこですかね」
その言葉に、思わずハイデマリーの顔を凝視してしまった。
割と本気でもしかしたら偽物なのではないかと疑いの目を向けると、当然のように睨み返される。
「……何ですかその目は? やっぱ喧嘩売ってやがんですか、クソ虫野郎?」
「ああ、うん、やっぱりちゃんとハイデマリーだ」
「どういう意味ですかオメエ……」
「いや、てっきり一方的に責められたり、あるいは覗き魔扱いされると思ってたからさ」
そう言って肩をすくめると、ハイデマリーは複雑そうな顔をした。
まるで、悪戯をしようとした子供が思いがけず善行を果たしてしまい、困惑している有様、とでも言ったところだろうか。
そのまま何かを言おうとしたのか、何度か口を開閉させたが、結局顔をそらすと溜息を吐き出した。
「ふんっ……これでも、テメエの責任を誰かに押し付けるようなクソ野郎ではないつもりですからね」
「これでも、って口にするってことは、一応自分がどんな人物なのか自覚はあったんだね……」
思わずそんな感想を漏らしてしまうと、再び睨みつけられた。
今回は完全にレオンが悪いので、今度はレオンが顔をそらす。
「ちっ……やっぱりクソ虫野郎はクソ虫野郎ってことですね」
吐き捨てた顔は、本当に忌々しそうで……その姿にふと、疑問を覚える。
そこに混ざっていた嫌悪には、何か明確な理由がありそうに思えたからだ。
男嫌いだとか、憧れが発端とか、そういうことではなく。
もっと、はっきりとした何かが。
だからだろうか。
「ねえ……ちょっと聞いてもいいかな? どうして君はそこまで僕のことを嫌ってる……いや、憎んでるの?」
自然と口に出してしまっていた疑問に、ハイデマリーは僅かに驚いたような表情を見せた。
おそらくは、憎んでいる、というところを気付かれているとは思っていなかったのだろう。
だが直後に、全ての表情が消え失せた。
驚愕も、嫌悪も、憎悪も、一切がなくなった顔で、真っ直ぐな目が向けられる。
「どうして……? そんなのは、決まってるじゃねえですか。オメエが男で、お姉様の真似して剣なんか使ってやがるからです」
「うーん……なるほど?」
聞いていた通りの理由ではある。
だが、本人からこうして聞いたところで、そこに浮かんだ感情は納得ではなかった。
「……何となくでしかないけど、理由を聞いたところで納得は出来ないかなぁ」
「別にオメエが納得する必要なんてねえですし、ワタシが納得させる理由もねえです」
「まあそうなんだけどね?」
そう言いつつも、ジッとハイデマリーのことを見つめていると、やがてハイデマリーの方が折れた。
呆れたように溜息を吐き出しつつも、その口が開かれたのだ。
「元々この国の公爵家っつーのが、何のために存在してるか知ってやがるですか?」
「うん。聖剣の乙女を助けるためだよね?」
今でもその役目は変わっていないと言えば変わってはいないが、現在の公爵家の最大の役目は魔王の一部の封印をし続けることである。
しかし本来は、もっと直接的に聖剣の乙女の助けになることが役目であったらしい。
いつか聖剣の乙女が再び魔王と対峙する時、その手足となることこそが、本来公爵家へと与えられた役目なのだ。
だが、もしも今イリスが魔王と戦うとなれば、公爵家がその役目を果たすことはないだろう。
イリスと共に戦ったところで、明らかに足手まといにしかならないからである。
それは身の程を知ったある意味で賢い選択ではあるのだろうが……役目を放棄していることに違いもあるまい。
「アルムホルトは元公爵家です。実績が足りなくて蹴落とされましたが、それでも当時から伝えられている話はあります。本来公爵家が……いえ、ワタシ達が果たさなければならない役割のことも知っていて、ですからワタシは今の公爵家の在り方が嫌いです。お姉様に全てを押し付けてるだけのやつらが大嫌いです。従士とか言って、魔力を供給してるだけで一緒に戦ってるつもりになってるだけの男は憎んですらいますし、お姉様の真似して剣を使ってるくせにお姉様の隣に立てもしねえようなやつは死ねばいいと思っています」
言葉自体は激しいものの、その口調は淡々としたものであった。
しかしだからこそ、そこに込められている想いの強さが感じられるようでもある。
「つーか、ぶっちゃけワタシは女も嫌いです。あいつらもお姉様に全てを押し付けてやがるわけですからね。ああ、ユーリアお姉様は別ですが。あの人は、ひたすらに前だけを見てる。そういう意味では、今のクラスの二人も悪くねえですかね。少なくとも、Aクラスのやつらに比べれば何百倍もマシです」
「んー……何となく言いたいことは分かったんだけど、それならむしろ余計に僕は恨まれる覚えがないんだけど?」
どちらかと言えばレオンは、イリスに押し付けられているものを強引に奪い去ろうとしている側である。
ハイデマリーの言っているものに当てはまってはいないと思うのだが……そうして首を傾げていると、ハイデマリーは蔑むような目で鼻を鳴らした。
「はんっ……言っとくですが、ワタシは口先だけの野郎が一番嫌いです。偉そうなことを言っておきながら、未だお姉様の隣に立つことも出来てねえようなやつが、一体何を言ってやがんです?」
「あー……なるほど。そういうことか……」
その言葉に、レオンは今度こそ完全に納得した。
ハイデマリーの言う通りだ。
イリスに宣言してから、既に八年も経っているというのに、レオンは未だに燻っている。
立場を逆にして考えてみれば分かり易い。
もしもハイデマリーが八年前にレオンと同じようなことをイリスに告げて、そして未だレオンのようなことをやっているとしたら……それは業腹といったものではないだろう。
憎しみを向けられるのも当然のことでしかなかった。
「分かったですか? だからワタシはオメエが嫌いで憎いですし、さっさとお姉様の前から消えろとしか思わねえんですよ」
言いたいことは全て言ったとばかりに、それだけを告げるとハイデマリーはその場から歩き出した。
視線を向けてくることすらなくレオンの脇を通り抜け……そんなハイデマリーに、レオンはふと思ったことを尋ねる。
「そういえば、君が何を考えてるのかってことは分かったけど……そんな君は君で、何かをしようとしてるってことでいいのかな?」
あそこまでのことを考えていながら、まさか周囲に憎悪を向けているだけということはあるまい。
そんな思考を肯定するように、ハイデマリーは鼻を鳴らした。
「そんなの、決まってるじゃねえですか。お姉様を自分の手で助けてみせる。それ以外の何があるってんです?」
言葉だけを残し、ハイデマリーはそのまま去っていった。
その後姿を見送りながら、しかしレオンの口元に浮かんでいたのは笑みだ。
正直言って、嬉しかったのである。
自分と同じようなことを考え、実行しようとしてくれている者がいることが。
だが、レオンも負けるつもりはなかった。
あそこまで言われて引き下がるわけにはいくまい。
まあとはいえ、何か考えがあるかと言えば特には浮かばないのだが――
「さすがに倒せるって確信がないまま魔王に挑むってのはちょっとね……それってただの無謀でしかないし。って、うん? ああ、そっか……魔王っていえば、明日って……」
ふと思い至ったことに、悪くないかもしれないと頷く。
全てを一度に果たすのは不可能だ。
ならば少しずつ、出来るところから始めていくべきだろう。
考えてみれば、今までは消極的過ぎたのだ。
折角学院で一緒にいるのだから、そのアドバンテージを活かさないでどうするというのか。
そんなことを思いながら、しかし今はまず風呂だ。
風呂に入りながら考え事を纏めるのもいいかもしれないと思い……歩き出そうとしたところで、振り返る。
歩き去ったその背は、既に見ることは叶わない。
だがその姿を見据えるように、目を細める。
彼女の考えが嬉しかったのは事実だ。
しかし、言葉以上にその心の内側を語っていたかのような、あの目。
無機質のようでいて、仄暗いものが見え隠れしていたあれは、一体。
単なる恨みとかそういうのでは片付かないようなものであるようにも見えたが――
「……ま、気にはなるけど、とりあえず今の僕が考えるべきは明日のことか」
他の女性のことを考えていたせいで失敗するなど、万が一にもあってはいけないことだ。
優先順位を間違えてはいけない。
とはいえ……さて、どうやって誘ったものか。
あるいは魔王と戦おうとするよりも難しいかもしれないと、そんなことを考えつつ、レオンは一先ず風呂に向けて歩き出すのであった。




