43話 慣れてきた日々
その場を見渡し、レオンが思わず苦笑を浮かべたのは、割と慣れてきたなと思ったからだ。
対角線上という最も遠い場所にいるにもかかわらず、そこから向けられているのは憎悪にも似た視線。
夕食時の、食堂であった。
夕食時は他のクラスの迷惑とならないよう、Fクラスの四人だけで少し時間を置いてから食べるようにしている、というのは以前にも少し触れた通りだ。
しかしその状況にも、十日ほど前から僅かながら変化が生じている。
ユーリアとハイデマリーが共に参加するようになったからだ。
ユーリア曰く、以前は合同で授業を行っていたようなものだが、一時的とはいえFクラスに移動となった以上は食事等の時間もそれに合わせるべきだろう、とのことである。
ハイデマリーは半分嫌そうで半分嬉しそうという器用な表情を作っていたが、あれはレオンと一緒は嫌だがイリスと一緒は嬉しいとか、そんな感じだったのだろう。
まあともあれ、対角線上から飛んでくる視線は、そういうことであった。
だがやはり人は何にでも慣れる生物であるらしく、レオンはすっかり慣れてしまっていた。
もとよりそれほど気にしていなかったというのもあるとは思うが。
そんなことを考えつつ、食事の手を進めていく。
食事中に会話をするのはマナー違反ということはないが、あまり推奨されることでもなく、何よりも朝食時と昼食時にはそんな余裕はない。
それが癖になっているかのように、黙々と食事を摂り、時折思い出したかのように僅かに会話をする、というのが夕食時の常であった。
しかしそれは既に、過去形で語られる話だ。
食事のために口を動かすレオンの耳に届いてくるのは心地の良い静寂ではなく、お姉様という言葉だからである。
そう、ハイデマリーがしきりにユーリアやイリスへと話しかけているのであった。
それでいてハイデマリーは、二人の邪魔をしてもいない。
食事の合間などを狙って話しかけているらしく、二人の食事はしっかり進んでいるからだ。
もちろん自分の食事も同様であり、しかもまったく見苦しくもない。
むしろテーブルマナー自体は完璧で、数年しか習っていないレオンよりも確実に上だ。
ついでに言えば、そんな様子を眺めているとレオンを睨みつけてくることも忘れないのだから、ある意味見事と言うしかなかった。
正直なところ、レオンはそんなハイデマリーのことを嫌いではない。
明らかに嫌われている相手を嫌いじゃないとかまるでマゾみたいだが、そうではなく、その姿は真っ直ぐに見えるからだ。
ザーラもハイデマリーに邪険にされながらその姿を楽しそうに見ていることが多いのは、同じように思っているからだろう。
それに、こう言うとちょっとアレな気もするが、イリスのことを考えるとハイデマリーの存在はプラスに働いているように思うので、そういう意味では好ましくすら思っている。
ハイデマリーが話しかけることで、明らかにイリスが会話をする機会が増えているからだ。
普段のイリスの口数というのは、決して多くはない。
本人の性格とかもあるのだろうが、同じ場にいれば時折会話に混ざってくることはあるも、基本一歩引いたような位置にいることが多いからだ。
それがハイデマリーは明確にイリスへと話を振ることが多いため、自然とイリスの口数が増えていく。
それはいいことだと思うし、何よりもイリスのそれほど大きくなくともはっきりと耳に届く、まるで澄み渡った水のような声を聞くのがレオンは割と好きなのだ。
その声が頻繁に聞けるようになったというだけでも、ハイデマリーが来てくれてよかったと思う。
その対価がハイデマリーから嫌われることだというのならば、安いぐらいだろう。
やはり好き好んで嫌われたいわけでも、ないのだが。
と、そんなことを考えながらイリスのことを見ていたためか、イリスが視線に気付いたようだ。
こちらに顔を向けると、不思議そうに首を傾げた。
「……どうかした?」
「いや……ハイデマリーが来てから、イリスは結構よく喋るようになったな、と思って」
別に隠すようなことでもないため、思っていたことをそのまま伝えると、イリスは僅かに眉をひそめた。
それはおそらくイリスのことをよく知らない者が見たらまったく分からない程度の変化だろうが、その変化に気付けるのはこれまで過ごしてきた日々に加え、最近会話をする機会が増えてきたことも無関係ではあるまい。
それ以前と比べ、ささやかとはいえ、明らかに表情が変化することが多くなかったからだ。
ただ、それ自体はいいことなのだが、ここで生じた変化が何故そういったものなのかと思い――
「そう……? それは……ごめんなさい。気をつける」
「いやいや、別に文句を言ってるわけじゃなくて、むしろいいことだって意味だからね? 気をつける必要はないから」
苦笑交じりにそう言うも、イリスは何故かさらに眉をひそめる。
そろそろイリスのことをよく知らなくとも表情の変化に気付きそうなぐらいの、珍しいぐらいの変化の仕方であった。
「……でも、それは聖剣の乙女にとっては不要なこと。わたしには、必要ない」
「うん? いや、別にそんなことは――」
ない、と言おうとして反射的に対角線上へと視線を向けたのは、そっちから殺気じみたものを感じたからだ。
案の定と言うべきか、ハイデマリーが射殺さんばかりの目付きで睨みつけてきていた。
「……なにお姉様と親しげに話してやがんですかこのクソ虫野郎が……!」
その声もまるで地獄の底から響いてきたかのようなもので、少女が出していい声ではなかった。
だがそこで苦笑を浮かべたのは、これもまた慣れたからである。
よくあることであった。
「いや、親しげって……クラスメイトなんだから、このぐらいは普通だと思うけど?」
「クソ虫野郎のオメエに普通が許されるわけねえでしょうが……! つーか、何でオメエがお姉様の隣に座ってやがんですか……!?」
「うーん、大分今更な上に、何でも何も、向かい側に座ろうとしたら、君がなに見つめ合うのに絶好の位置に座ろうとしてやがるんだって文句を付けてきたからだと思うけど?」
「当たり前じゃねえですか、んなこと許せるわけねえです! お姉様の向かい側に座りたければ、まずは生まれ変わってきやがれです!」
「今生の人生全否定かぁ……まあでも、じゃあこうなるのも仕方なくない?」
「席は沢山空いてやがんですから、離れた場所に一人で座ってやがれです!」
「うーん、この理不尽」
そんなことを言って肩をすくめるも、これもよくあることで、慣れているからだ。
言ってくるだけで何か被害を与えてくるわけでもないため、レオンの感覚では既にじゃれ付かれているようなものである。
それに。
「……ハイデマリー、あまりそういうことを言うのはよくない」
「お、お姉様……!? で、ですが……!」
「ハイデマリーさん、むしろここでは私達がお邪魔しに来ているんですよ? あまり勝手すぎることを言うべきではないと思います」
「ユーリアお姉様まで……!?」
そう、あまりに勝手がすぎると、二人のお姉様から注意が入るのである。
二人がそれを意識しているのかは分からないが、そのおかげでハイデマリーが過激になりすぎるのを抑えられているのだ。
ハイデマリーはしばらく口をもごもごとさせていたが、やがてキッとレオンのことを睨みつけてきた。
「ちぃ……! 仕方ねえですから、そこに座ってることを特別に許してやるですよ……! お姉様方に感謝しやがることですね……!」
「女性らしからぬ力強い舌打ちにどれだけ不本意なのかってのがよく表れてるよね。ま、二人ともありがとうね」
「……ううん、お礼を言われるようなことは何もしてない」
「わ、私も……当たり前のことを言っただけですから」
そんなやり取りを交わしていると、今度は向かい側から視線を感じた。
リーゼロッテとエミーリアが、呆れと苦笑を混ぜたような表情を浮かべている。
言葉にするならば、毎度毎度よくやる、といったところだろうか。
だがレオンはこれはこれで割と楽しんでいた。
先ほども言ったが、ハイデマリーの真っ直ぐな姿は、嫌いではないのだ。
それに、ハイデマリーが突っかかってくるからこそ、イリスやユーリアと自然に絡むことが出来るというのもある。
まあ、学院には様々な人物が通っているのだから、こういうのもまた学院の醍醐味というものだろう。
口に出したらまた呆れられそうなことを考えながら、レオンは二人に向けて肩をすくめるのであった。




