28話 意外な相手と
目を覚ますのと同時にリーゼロッテが思ったのは、やられた、ということであった。
見覚えのない光景に、椅子に縛り付けられた身体。
僅かに痛む頭と、気を失う直前に感じた頭部への衝撃。
何者かに攫われたという思考に至るのは、当然過ぎる帰結であった。
とはいえ、攫われたとは言ってもそれほど遠くではないはずだ。
意識を失う直前にいた場所は、学院寮であった。
誰にも気付かれず人を一人学院の外にまで運び出すなど容易なことではあるまい。
時間をかければ可能ではあるだろうが、目覚めた際の感覚から言えばそれほど時間は経っていないはずだ。
未だ学院内部……それも、学院寮からそう離れていない場所にいると考えるのが無難だろう。
ただ、おそらくは学院寮の傍だとはいえ、そもそもそこまで運ばれたということが問題ではある。
そんなことが外部の人間に出来るわけがないからだ。
犯人は、学院内部の人間。
それも――
「あらぁ~……? もう目覚めたんですかぁ~? 思っていたよりも早かったですねえ~」
不意に声の聞こえた方向へと、反射的に顔を向ける。
だが直後にリーゼロッテが溜息を吐き出したのは、声を聞いた時点で頭に浮かんだ人物そのものだったからだ。
友人であるエミーリアの従妹――マルガレータという名の少女の姿を眺めながら、再度溜息を吐き出した。
「……一応様式美として聞いておくけれど、一体何のつもりかしら? あたしを公爵家の次期当主だと知っての狼藉なんでしょうね?」
「あらぁ~? うふふ、面白いことを言いますねえ。まだ公爵家の人間でも何でもないわたくしの手によって無様に捕らえられておきながらぁ、一体何を言っているんですかぁ~?」
マルガレータの言うことは、一理あると言えば一理あった。
魔王が無事に倒されたらそうではなくなる可能性があるとはいえ、未だ魔王が健在な以上は貴族も騎士同様力が全てである。
不意を打たれたとはいえ、公的には格下である相手に捕らえられてしまうなど、自分に次期公爵家当主としての資格がないと告げるも同然だ。
何を言ったところで何の意味もなかった。
「うふふ~。それにしてもぉ~、防御魔法しか使えないくせに不意打ちも防げないのですからぁ、笑えますねえ~。それしか取り得がないというのにぃ、本当に無能というのは気の毒ですわぁ~」
魔法である以上は、防御魔法であろうとも不意打ちに強いというわけでもにないのだが、まあ不覚を取ってしまったということに違いはない。
反論することは出来なかった。
しかし、嘲りの視線を向けられているのを感じながら、それにしても、とリーゼロッテは思う。
彼女が実行犯だというのは、少し意外に感じた。
こんなことをされる覚えはなかったからだ。
てっきり実家関係かと思っていたのだが、マルガレータとエッシェンバッハ家との間には直接的な繋がりはなかったはずである。
かといって、特に恨みを買ったような覚えもない。
この間の交流会の時も、リーゼロッテは結局一人だけ何もしなかったのだ。
まあ、あの場にいたことは確かなので、そこを逆恨みされた、という可能性もなくはないが……何となく違うような気もする。
「ふふ、それにしてもここまで上手く事が運ぶとは、わたくしにもついに運勢が向いてきたのかもしれませんわねえ~。いえ、むしろ今までがおかしかったのですから、このぐらいでちょうどいいのかもしれませんわぁ~。うふふ、これで残るはあと二つですしぃ、意外と早く集まりそうですわねえ~。あぁ、全てが報われる日が来る時が楽しみですわぁ」
そんなことを考えていると、マルガレータはなにやら意味のよく分からないことを呟き始めた。
その顔は恍惚といった様子で、本人としてはとても幸せそうではあるのだが、この状況を考えればはっきり言って不気味でしかない。
一瞬この状況に繋がる何らかの情報が得られないかと思い耳を澄ませてみたが、聞こえるのはやはり意味のよく分からない言葉ばかりである。
まあ、リーゼロッテに聞かせるために呟いているのではないのだろうから、当然と言えば当然か。
状況を理解するためには少しでも多くの情報を聞きだすべきではあるのだが……あの様子では話しかけたところで通じまい。
下手をすれば逆効果にしかならず、ならば自分で考えるしかなかった。
そうして改めてその場を見渡してみるが、見事なまでに情報に繋がりそうなものがない。
壁や床はどこにでもありそうなものであるし、窓は見当たらないために外の様子を知ることは不可能だ。
ある物と言えばリーゼロッテが座らせられている椅子ぐらいのものであり、生活感などはまるでない。
結果分かったことと言えば、おそらくここはこういった目的のために用意された部屋だということぐらいであった。
何の意味もない結論に溜息を吐き出しながら、マルガレータへと視線を向け直す。
マルガレータは相変わらず意味の分からないことを呟き続けており、リーゼロッテのことなど気にかけている様子すらない。
まるで何をしようとしたところでここから逃げ出すのは不可能だとでも言いたげで……いや、実際その通りではあるか。
そのことは他でもない自分自身が一番よく分かっていた。
縛られているからどうしようもない、というわけではない。
座らされている椅子は極普通の木製のもので、縛り付けている縄も極普通のものである。
リーゼロッテは確かに攻撃魔法を使うことは出来ないが、魔力を纏うことは出来るし、レベルは39だ。
この程度ならば壊し引き千切ることは容易い。
だが、そこまでだ。
マルガレータの攻撃を防げる自信はあるが、マルガレータを倒せなければ意味はない。
そしてマルガレータを倒せるかと言えば、そっちの自信は微塵もなかった。
レベルがどれだけ高かろうとも、やはり何かを倒すには防御魔法以外が必要なのだ。
何よりも、仮にマルガレータを倒せたところで、確実にその後がある。
こんなことを、学院の生徒が一人だけで出来るわけがないからだ。
他にも誰かが……もっと言ってしまえば、講師の誰かが関わっている可能性が高かった。
一瞬、よく見知った人物の顔が思い浮かぶが、確証もないままに断定してしまうのは危険である。
というか……可能性としては、マルガレータの母親である可能性の方が高いはずだ。
だというのに先にそちらを思い浮かべるなど、自分でも思っていた以上に貴族らしくなっていたということなのかもしれない。
――あるいは。
「……何となく、予感があった、ってことかしらね」
「あらぁ~? 驚かないのですねえ~? 折角驚かせようと思っていましたのにぃ、正直がっかりですわぁ」
「……この程度のことで驚くわけがないでしょ? あたしを一体何だと思ってるのよ?」
「……なるほどぉ~。まあ確かにぃ、貴族にとって裏切りなんてものは日常茶飯事ですものねえ~。特に公爵家は大変そうですわぁ~。わたくしも直その一員になる身として、ありがたく参考にさせていただきますわねえ~」
なにやらまた意味のよく分からないことを言っていたが、既にリーゼロッテはその少女のことなど眼中になかった。
視線も意識も、その後ろから現れた人物に全て向けられていたからだ。
その人物は、最近よく目にしている、困ったような笑みを浮かべており――
「ふふ……随分と窮屈そうな姿ね?」
「……姉様」
その顔を眺めながら、リーゼロッテは囁くようにその名を呟いたのであった。




