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「な、なんだ!?」
襲撃者達の中の一人が怯えたように呟くのが聞こえた。
だが、その声の主が誰だったのかまでは確かめることは彼にはできなかった。何故なら、そのときすでに、彼は足元にある小さな穴の中に飛び込んでいたからだ。
スライディングするような形で穴の中に飛び込んだ彼は、一種の滑り台となっている穴の中を物凄いスピードでそのまま疾走していく。先程までいた大岩のあった部屋からどんどん遠ざかっていく。穴に飛び込んでからも何人かの男女の声が聞こえたような気がしたが、穴に飛び込んでからきっかり五秒後。
悲鳴が聞こえた。
男女入り混じった凄まじい悲鳴。
彼はその悲鳴が何故起こったのか、だいたいのところを予想していた。
やがて、滑り台の短い旅に終わりが訪れる。下の階層の小さな部屋に辿りついた彼は、そこに放り出されているバックパックと剣を素早く無言で拾う。そして、再びそれらを背中へと装着し直しながら部屋の様子を観察。
モンスターも、他の【ダイバー】達の姿もない。
彼はほっと安堵の息を吐きだした後、背後を振り返って自分が出てきた滑り台の穴に視線を向けた。
彼にはわかっていた。
彼が飛び込んだ後、あの部屋でいったい何があったのかを。
襲撃者達は、襲われたのだ。部屋のなかにぽつんと一つだけあった、あの大岩に襲われたのだ。あの大岩はただの岩ではない。岩に擬態したモンスターなのだ。
それもただのモンスターではない。上級者達から『すっぽん』と呼ばれて恐れられている、この階層最強の個体なのである。
甲羅の代わりに大岩を背負ったカメというなんともユーモラスな姿のモンスターであるが、その実力は決して笑い話にできるようなかわいらしい代物ではない。
剣で斬っても、槍で突いても、槌で叩いても有効な一撃にはならず、ほとんどの物理攻撃が効かない上に、『火』以外の『術』式を無効化。唯一通用する『火』属性の『術』攻撃も相当に強い火力でなければ防御を貫通しないというまさに鉄壁の防御力。
驚異的なのは防御だけではない。
動きは鈍重で、攻撃の方法はたった二つだけしかないが、その二つのうちの一つが大問題だった。大岩の隙間から全方向に向けて恐ろしい溶解液を噴出するのだ。石や金属などでできたものは溶かすことができない為、重装備の鎧を着ていれば大丈夫と思ってしまいがちだが、決してそうではない。気化した状態で噴出される溶解液は、鎧のわずかな隙間などから容易に中へと侵入し、恐ろしいほどの速さで人体を分解。あっというまに全てを溶かしてしまう。
過去、それを知らぬままにこの化け物に挑んだいくつものパーティが、全滅の憂き目にあっている。
不幸中の幸いというべきだろうか。この化け物は迷宮の中をほとんど自分からうろつくということがない。ほうっておけばず~っと大岩に擬態しまま動かず、また、こちらから近づこうとしない限り向こうから襲ってくることもない。
こういう性質であることから、今ではこの化け物には近づかない、静かに放っておくというのが上級者達の暗黙のルールとなっている。
だが、襲撃者達はこのことを知らなかったのだ。
恐らく、彼を追ってきていた襲撃者達は初心者か、あるいは中級者に成り立ての者達。上級者や、中級者になってある程度経験を積んだ者たちなら当然のごとく知っているこのことを知らなかった。故に、彼の仕掛けた罠にまんまとはまってしまうことになった。
『すっぽん』は、こちらから攻撃を仕掛けたり、あるいはその感知能力の範囲内に踏み込んだりしなければ襲ってくることはない。
また、襲ってくるにしても、まずは首を伸ばしての噛みつき攻撃から始まる。結構首が伸びるため、その攻撃範囲は広いのだが、それでも一撃で即死するような攻撃力はほとんどない。
だが、奴を怒らせるようなことをしたとすれば話は別だ。
前述したように奴には『火』属性の攻撃が有効である。そのためなのか、奴は『火』に関する何かが己に近づくのを察知すると、普通に攻撃を食らわせたときとは全く比べられないほど激しい怒りをあらわにして暴れ出す。
特に奴を怒らせるのは、何かが焦げた匂い。
その匂いを察知したとき、奴は必ず溶解液を全方位に向けて全力で噴出する。前触れも予告も何もない。いきなり全力での放射である。だから、奴のいる近くでたき火をしたりするのは絶対にタブーなのだ。
なのであるが。
彼はそんな『すっぽん』の習性を逆手にとって罠とした。
あれだけ目立つ大岩である、しかも部屋には扉がなく廊下からでも十分確認できるはずだ。
引っかかってくれるかどうかについては、正直半分程度。つまり本当にバクチになると思っていた。
しかし、彼らは全く躊躇することなく部屋のなかに入ってきた。
半年ほど前のことだろうか、彼が、この部屋に『すっぽん』を見つけたのは。それよりも前は階層の一番奥にいたのだ。それについては二年前に確認していた。だが、いつのまにか移動していて、びっくりしたことを覚えている。あまりにも動かないし、あまり人目につく場所にもいないので、見つけたあともすっかり忘れていたのであるが、襲撃者達に尾行されている最中にふと思い出したのだ。
(そういえば、彼女には『すっぽん』のことを教えていなかったな)
と。
穴の向こう側からは、もう悲鳴は聞こえてこない。
穴の向こう側からは、もう大岩以外の気配は感じられない
そして、
穴の向こう側からも、それ以外の場所からも、もう彼を尾行するものはいない。
彼はもう一度だけ、溜息を吐きだすと振り返ることなくその場をあとにした。
今日という一日を、また彼は生き残ったのだった。




