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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第六章 聖女と忘れられたモノたち

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98 作戦会議

 

 教国中央部の地下には、伝説の黒竜の屍が封印されている。

 大昔、大陸中の人々が力を合わせて討伐したが、竜は魔石化することなく、大地を呪いで覆い尽くした。

 そこで、当時の聖人たちが精霊に力を借りて強力な封印を施し、誰にも触れられぬよう屍を地下深くに埋め立てた。


 時が経ち、その屍の一部――肉を失くした黒竜の骨が出土した。精霊の力に覆われた純白の骨を見て、誰かが「白の女神」と関連付けた。

 いつからか“白の女神が眠る聖地”と呼ばれるようになり、女神の恩恵にあやかるためその地にマイス白亜教国の大聖堂が建設された。

 その時代にはもう、黒竜はもちろん竜自体が伝説上の生き物になっていたようだ。


 長い間、ウツロギは真実を隠してきた。

 黒竜の上に聖人が集まる分には構わない。霊力が集まれば、封印がより強固なものとなる。

 むしろ黒脈の王に竜の存在を知られ、残された呪いや魔力を戦争に利用されることを恐れた。

 しかし、白亜教国の抱える黒脈シンジュラが屍を利用する禁魔法を使えると分かった以上、早急な対処が必要になった。


「胡散臭い男だ。他にもまだ何か隠しているのだろう。しかし追及している時間が惜しい」


 砦を訪問したシダールは直ちに進軍準備を整えるように命じた。

 三国同盟が成立し、なりふり構わず超短期決戦に持ち込むことになったのだという。


 フリージャとグラジスにも黒竜と三国同盟の情報が伝えられた。

 彼らは黒竜について半信半疑のようだったが、シダールと直接話したことで教国を裏切る覚悟が完全に固まったらしく、ムドーラ軍を素通りさせる言い訳作りに奔走した。


 しかし。


「今――」


 レンフィとリオル、そしてシダールと聖人たちは同時にその異変を感じ取り、南西の方角に視線を向けた。

 全身に悪寒が走る。

 たった今、とてつもなく良くないことが起こった。予感ではなく、確信があった。


「遅かったようだな」


 シダールは顔を顰め、舌打ちをした。


 翌日、教国中央部で起こった建国史上最大の異常について報告があった。

 事態の収拾を建前にして、グラジスは国境の砦を放棄。フリージャも何食わぬ顔で復帰し、全軍に教国中央への撤退の命令を出した。

 ムドーラ軍は、半日開けてからその後を追った。


「…………」


 数日後、レンフィは小高い峠からその景色を見下ろした。

 かつて自分が暮らしていた教国の都。記憶に残っていなくても、変わり果ててしまったと分かる眺望に言葉を失くした。


 灰色に燻る大気、黒く溶けた大地。

 半壊した都と、骨でできた巨大な城。

 そして。


「あれは、魔物……?」


 教国の都を取り囲むように、灰色の異形が徘徊していた。

 動物の形をしているものはまだ見られる魔物だ。中には生物の形を成していない、化け物としか言いようのない姿形のものもいた。

 目視できるだけ百体以上の魔物が蠢いている。

 都に暮らしていた人々はどうなったのか。想像するだけで恐ろしかった。


 得体のしれない骨の城も不安を煽った。魔力に似て、異なる力を感じる。レンフィの目には、今まで見た何よりも禍々しく恐ろしい化け物に映った。


 ムドーラ軍も、先に到着していたグラジス指揮下の教国軍も、都からかなり距離をとった地に陣を張って状況の確認に努めた。

 ここに来て両軍は、初めて共同戦線の協定を結んだ。世界の滅亡を想起させる光景を前に、人間同士で争っている場合ではないと兵たちを納得させたのだ。


 特に、ムドーラの軍人たちは複雑な気分になっていた。

 ずっと滅ぼそうとしていた敵国が勝手に滅びそうになっている。しかし、犠牲者の多くは都に暮らしていた無辜の民だ。全く喜べず、むしろ同情すら覚えていた。


 早速、ムドーラの幹部とグラジスとフリージャが集まり、対策会議が開かれた。グラジスが集めた情報を開示する。


「あの魔物は、灰色の霧から発生したもののようだ」


 命からがら逃げてきた都の住人から集めた証言である。

 空と大地に異変が起き、大聖堂を中心とした骨の城が築かれた途端、灰色の霧が立ち込め、魔物の群れが現れて人々を襲った、と。

 あっという間の出来事で、ほとんどの人間は咄嗟に動けず、犠牲になった。中にはヒト型の魔物もいたらしい。


「生き残った者と近隣の村の人間は強引に避難させたが、受け入れ先にだいぶ無理をさせている。これ以上災禍を広げるわけにはいかない」


 教国だけの問題では済まなかった。この数の魔物が大陸中に散れば、甚大な被害が発生する。今のところ魔物たちは都から離れる気配がないが、いつまでも大人しくしているとは限らない。

 魔物から逃げようと、難民が教国を出て行くことも考えられる。恐慌状態に陥った人々が暴れ、治安が急速に悪化しているという話も出た。


「都に常駐していた兵は壊滅状態で使い物にならん。都にいるはずの聖人たちとも、ほとんど連絡が取れていない。教主も枢機卿も、おそらくはもう……」


 ムドーラの面々はあからさまに喜ぶことなく、黙って頷いた。グラジスとフリージャにとっては有難い反応だった。


「それと、我々で何匹か引きつけて討伐を試みたが、一体が一年物の魔物相当の強さを持っていてかなり手こずった。魔石も落ちなかった」

「普通の魔物ではありませんね……魔力に似て非なる力を感じます。戦った時に、体に異変を感じませんでしたか? 具体的に言えば、息苦しかったり、霊力を使いにくかったり」


 軍に随行してきたヘイズの問いに、グラジスは険しい表情を見せた。


「それらの症状が見られた。どうも都に近づくと体が重くなり、精霊術も弱まる。これもあの灰色の霧のせいだろうか」

「我々も、魔力が使いづらいように感じます。魔力でも霊力でもない、黒でも白でもない力がこの場を支配しているようです……“灰色”は、神話の灰かぶりの神を想起させますね」


 ヘイズが興味深そうに考え込む中、フリージャが覇気のない顔でため息を吐いた。


「こんなことになるなんて……今のここにいる戦力で、あの魔物の群れに立ち向かうのは厳しいのでは? そもそも、倒してもまた霧から無限に湧き出てくる可能性があります」

「まずは戦力を揃えるべきだろう。リッシュア軍とフレウ軍から、数日のうちに合流すると連絡があった。生き残っている教国中の聖人と教国兵を集め、グラジス殿とフリージャ殿に取りまとめをお願いしたい」

「はぁ……」


 アザミの言葉に聖人二人は渋々と言った様子で頷いた。その顔は疲れ切っている。


「でもさ、全戦力が揃ったら突入ってわけにもいかないよな。灰色の霧の発生源をなんとかしねぇとキリがない」


 リオルの言葉に、その場にいる者の視線が大聖堂を覆うようにそびえる骨の城に向いた。発生源は明らかにあの禍々しい城である。


「城に見えるけど、あれは黒竜の屍だよ。もう封印がほとんど解けちゃってるね。動いたら手を付けられないかも」

「あ、ウツロギ様」

「遅くなってごめんね」


 ウツロギとイベリスが姿を現し、自己紹介をすると、グラジスとフリージャは目を丸くした。

 二人は空間転移で先行してきたという。リッシュア軍はあと一日で都に到着するとのことだった。

 ヘイズが困惑しながらウツロギに尋ねる。


「ところで、動くのですか? あの大きさの竜の屍が?」

「昔はあれに肉がついた状態で暴れまわっていたよ。シンジュラが禁魔法を使うまでもなく、封印が解けたら勝手に動き出すかもしれない。屍に魔力と呪いが十分すぎるほど残っているみたいだから」


 恐ろしい内容の割にのんびりとした口調なので、皆は静かに動揺した。大量の魔物の相手だけでも手いっぱいなのだ。巨大な竜まで加わったらどうなるか分からない。


「あれには黒竜の力に加え、“灰色”の怨念が上乗せされている。生きていた頃の黒竜と同じか、それ以上に強力な化け物になるだろうね」

「そんな……」


 そのまま絶句するレンフィに、ウツロギは優美な微笑みを返した。


「大丈夫だよ。まだ数日の猶予はある」

「打つ手があるのですか?」

「屍の骨が城の形をしているのは何故だと思う? あの中に、“王”がいるからだよ」


 リオルが低い声で呟く。


「シンジュラ・ブラッド・ルークベル」

「そう。リオルはリッシュアの地でも見たんだよね? 灰色の霧を発生させているのは、シンジュラに他ならない。彼を倒せば灰色の霧は立ち消え、魔物が増えることはないよ。竜の封印も完全に解ける前ならボクの力で修復できる」


 しかし、とアザミが小さく唸った。


「現状、城に近づくことは困難だ。魔物の総数が分からない。魔力と霊力が弱体化した状態では、全軍を投入しても魔物の群れを突破できると断言できない。聖人の生き残りがシンジュラに味方している可能性もあるし、シンジュラ自身もかなりの使い手だ……」


 黒の三国と、教国の生き残った軍が力を合わせても戦力が足りなかった。

 シダールも、他の王も、戦場には来ていない。他にやらねばならないことがあるらしい。


 とても言いにくそうにフリージャが言った。


「レンフィ様の空間転移なら、ここからでも直接城に乗り込めるのでは?」

「それが、あの霧の中には空間転移できなさそうです……ごめんなさい」

「あ、謝る必要なんてないですよ! 今のはなしで!」


 レンフィは役に立てないもどかしさに奥歯を噛みしめた。

 黙っていたガルガドが、俯く皆に喝を入れるように宣言した。


「全戦力が集まり次第突入し、魔物を蹴散らして道を作る! そして各軍から選りすぐった少数精鋭部隊を城に向かわせ、シンジュラを討つ! 戦力の計算など無駄だ! やるしかあるまい!」


 結局、それ以上の案は出てこなかった。策を立てる時間はなく、大規模な魔法を行使する準備も足りない。

 時間が経てば経つほど黒竜の復活は近づく。魔物に加えて竜までが敵に回れば、もう勝機はなかった。

 ガルガドは脅すように全員を睨みつける。


「失敗は許されぬぞ。我らが全滅すれば、もはやこの大地に戦力は残っていない。王のため、故郷のため、家族と友のため、命を懸けて敵を討つのだ!」


 剥き出しの刃を突き付けられたような気分になり、その場にいる全員が息を呑む。

 対称的に、ウツロギは神のお告げを口にするかのように穏やかに言った。


「自分たちの力を信じて。神々は見ている。世界の危機に黒と白が手を取り合って戦うのなら、また奇跡は起きるだろう。あの時代よりも進化した人々なら、今度こそ――」




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