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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第六章 聖女と忘れられたモノたち

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96 王会談


一方その頃シダールは……

 

 その夜、シダールは執務室に一人残り、机の上で石を転がしていた。

 時の聖人ウツロギからの書簡に同封されていた、白い水晶の欠片である。


 霊晶と呼ばれるそれは、魔石の対となる代物だ。

 精霊に浄化された大地にごく稀に現れると言われており、魔物が落とす魔石とは違ってほとんど世に出回らない。実際シダールも目にするのは初めてだった。


「さて」


 シダールに贈られた霊晶には、とある精霊術が施されていた。

 手紙に記されていた時間が訪れると、霊晶がほのかに光り出す。シダールは躊躇いなく光に手を伸ばした。


 白い光に視界を塗り潰され、気づけば窓も扉もない完全な密室の中にいた。

 執務机が大きな円卓に変わっている。席は全部で四つあり、その一つに自分が腰掛けており、他の席にも“客”がいた。


「ようこそ、黒脈の王たち」


 声の主はウツロギである。シダールの正面の席で儚げな笑みを浮かべている。

 他の席の二名は初めて見る人物だが、誰が誰なのかは名乗り合わなくても分かった。

 黒髪と黒い瞳に赤い光を宿す同族である。


「ふん。ようやく繋がったか」


 険しい顔でふんぞり返っているのがリッシュア王国の王――ゼルコバ・ブラッド・リッシュアゼル。


「これは便利だねぇ。ふふ、驚いてしまった。楽しい」


 女のような仕草で笑っているのがフレウ王国の王――イブキ・ブラッド・フレーレ。


「良かった。思ったよりも早く顔合わせができて。シダール陛下、レンフィたちは無事にムドーラに帰れたのかな?」


 ウツロギに問われ、シダールは笑みを深めた。


「ああ。そしてもう国境の砦に向かって旅立った。忙しないことだ」

「そう、やっぱり戦場に……少し心配だけど、今のレンフィならそう簡単に危ない目には遭わないはず」

「ああ。空の精霊術は強力だな。あの娘に扱いきれるか見ものだ。ところで、この空間を創っているのはその聖人か?」


 王たちの視線が、ウツロギの背後に立つ女性に注がれた。


「お察しの通りです。私はイベリス、空の寵愛を賜った聖人です。この空間は、元は一つだった霊晶の欠片を媒体とし、空の精霊術で生み出しました。いろいろと制限はありますが、こうして遠く離れた者同士を集めることが可能です」


 欠片を持つ者が同時に触れることで、この空間に招くことができる。

 今夜シダールが霊晶に触れるまで、二人の王は毎晩待ちぼうけを食らっていたということである。一般的な方法で遠く離れた三人の王が集まろうとすれば、もっと綿密な予定の調整とかなりの移動時間が必要になっただろう。それが分かっている二人の王は恨み言一つ言わなかった。


 丁寧に会釈をし、イベリスは粛々と宣言した。


「会談の前に、黒脈の王たちにいくつか約束していただきたいことがございます」


 この空間での殺傷行為をしないこと。

 この空間で偽りを述べないこと

 そして、この空間の外でイベリスに接触しないこと。


「縁があってウツロギ様には協力しておりますが、私はどの国にも寄与するつもりはありません。ご了承いただけますか?」


 レンフィから聞いていた通り、このイベリスという聖人は世俗との繋がりを断ってでも国家の争いに関わりたくないらしい。

 教国に所属しないのならば賢明な判断である。空の精霊術の利便性は凄まじいため、彼女を巡って争いが起こってもおかしくない。


 それらを理解していながらも、フレウ王の瞳に好奇の色が宿る。


「ちなみに、それらの約束をして破ったらどうなるのかな?」

「殺傷行為と虚偽の発言を行った場合は、この空間から強制的に排除いたします。私への接触につきましては、力の限り抵抗させていただきます、とだけ申しあげておきます」

「あら、そう。きみを怒らせるのは割に合わなさそうだね。いいよ。約束しよう」


 シダールとリッシュア王も承諾の意を返す。

 安堵したのか、イベリスは柔らかく微笑んだ。


「ありがとうございます。私の霊力ですと、この空間は数時間ほどしか維持できません。建設的にお話しをなさってくださいませ」


 イベリスが壁際に下がり、場の主導権がウツロギに移る。


「さて、あまり時間がない。自己紹介は必要かな?」

「要らん。話を進めろ」


 リッシュア王の言葉に誰からも反論がなかったため、ウツロギは苦笑した。


「話が早くて助かるよ。ここに集まってくれたということは、三国とも同盟を組む用意があるということ。その目的は白亜教国の滅亡。具体的に言えば現教主と幹部の命を奪い、白亜教自体を解体する……ということでいいかな?」


 ウツロギは、レンフィの記憶を奪った儀式の概要を知る者を抹殺したいと思っている。その見極め自体は困難だが、現在教国内で重要な役職についている者を皆殺しにすれば済む。教主を生け捕りにして拷問して情報を吐かせてもいい。


 聖人全てを殺すのは現実的ではないし、大地の浄化にも影響する。ましてや一般教徒を執拗に攻めれば、別の戦いが起こるだろう。黒の王国側の軍にも大きな被害が出る。


「全面戦争や泥沼の長期戦にならないようにしたいよね」


 三人の王はウツロギの言葉に同意を示した。

 民衆への被害を最小限に抑えた短期決戦。示し合わせたタイミングで国境線を放棄し、全力で中央に向かって進軍する。リッシュア戦線はすでに勝敗が決しており、ムドーラ戦線もレンフィの働き次第では国境線の負担はなくなる。フレウ戦線は、長年にらみ合いの膠着状態らしいので、隙を突けば軽微な被害で教国中央に進軍できるだろう、とのことだ。


「うん。じゃあ同盟を組むにあたって、条件のすり合わせをしようか」


 強かな王たちは、無償で同盟を組んで戦うつもりはなかった。

 例えば、戦後に残るだろう教国の恵まれた土地をどうするのか。被害が偏った場合の補填はどうするのか。そもそも、お互いどれだけの兵を戦いに投入できるのか。


 それらの重要な物事は、臣下が聞いたら青ざめて気絶してしまいそうなほど、いい加減に決められた。

 三人の王が求めていることは別にあったのだ。


「教国を倒したら、きっとイヤってくらい忙しくなるよねぇ。だからさ、十年くらいでいいから、この三国間での戦争は禁止にしない? 今は軍事以外のことに力を入れたいんだよね。学校も作ったばかりだし、商工会の仕組みも一新しようと思っていてね」


 それがフレウ王の望みだった。

 弱腰の発言だと受け取られかねないが、シダールは合理的な判断だと感じた。

 教国さえ滅ぼしてしまえば、脅威になる国はこの三国しかない。国同士が隣接しているならばともかく、遠く離れた距離にある国に戦争を挑むのは不毛に思える。ここで不可侵条約の類を結んでおくのは悪くない。自国の発展に努めたいのはムドーラ王国も同じであった。


「ならば、いっそのこと国交を持って貿易をするのはどうだ。戦いに出向くのは億劫だが、金と物の受け渡しなら、距離など超えられる」

「いいね、それ。教国の土地を経由できるようになれば、それほど非現実的な距離じゃないから」

「武器ではなく金を手に争うのか。性に合わんが……余も農作物には興味がある」


 シダールの望みが貿易販路の拡大であった。ムドーラ王国には、前王時代の悪政の影響で未だに貧しく暮らしている者も多く、人口も多いとは言えない。

 恵み豊かな暖かい土地も欲しいが、今は金と物が必要だ。

 以前から芋や林檎以外にも金になりそうな植物を研究しており、鉱物や木材、工芸品の生産にも力を入れ始めていた。その買い手を探していたのだ。同時に、他国の優れたものを取り入れたい。


「ムドラグナの王。白虹の聖女のことはどうなった」

「すでに我が指揮下にはない。懐柔したければ、好きにすればよい」

「では、そうさせてもらおう。今後、水の聖人や精霊術士については優先的に我が国に勧誘する。文句はないな?」


 リッシュア王は、争いで荒廃した土地の浄化を望んでいた。

 特に枯れた水源の復活は急務なのだという。ムドーラ王国は水には困っていないので、シダールに異論はなかった。


「文句はないけど、生き残った聖人の扱いについては考えておかないとね。教国を滅ぼしたことを恨まれても困る。適度に支援しつつ、囲い込みは避けた方が良いと思うけど」

「無論、聖人を独占するつもりはない。あやつらに本来の役割を与えるだけだ」

「とはいえ、“白”の管轄については、我々が話し合って決めることもなかろう」


 シダールはウツロギを一瞥した。戦後、ウツロギに聖人のまとめ役を押し付ける算段であった。

 当の本人はとぼけているのか、頬杖をついて笑っている。


「ボク、感動したよ。殺し合ってばかりだった黒脈の王が、こんなに穏やかに有意義な話し合いをしているなんて。でも、考えてみれば、きみたちは同じ黒の神の血を宿す者同士――兄弟みたいなものだ。気が合うこともあるよね」


 馴れ合いをしているつもりのない王たちは、ウツロギの発言にやや気分を害したが、あながち否定もできなかった。


 お互い、不思議なほどに考えていることが分かる。それでいて不快ではなかった。

 黒の神の血がだいぶ薄まっているからだろうか。いけ好かない、目障りだ、という感情もあるものの別段争いたいとも思わない。


 シダールが気に入ったのは、この場にいる全員が「教国に負ける」という心配を全くしていないことだ。もう滅ぼした後のことを話している。

 実際、大陸一の宗教大国が相手にも関わらず、負ける気がしなかった。

 目の前にいる二人の王は、同じ黒脈でも愚かな父や兄たちとは全く違う。己と同等の存在に出会い、シダールは珍しく気分が良かった。


「和やかな雰囲気に水を差すのは気が引けるけど、一つ懸念事項を伝えるね」


 ウツロギはどこか遠くを見るように視線を泳がせた。


「教国にいる黒脈……シンジュラ・ブラッド・ルークベルのこと。彼もまた、ここにいる皆に劣らぬ強い力を持っている。ボクとしては黒と白のバランスを取るために、殺さないでほしいと思っていた」

「却下だ。その小僧はリッシュアを侮辱した。生かしてはおけん」


 リッシュア王の低い声が円卓の間に響く。

 シダールもまた、シンジュラのことは殺すべきだと感じていた。ヘイズとマグノリアが揃ってシンジュラの魔法は脅威だと断じている。野放しにはできない。


「我が国の将軍と間抜けな密偵の話によると、シンジュラは教主の操り人形というわけではない。自らの意志で他の黒脈を滅ぼそうとしている。ならば、相手をしないわけにはいかない」

「二人とも、待った。ウツロギ殿は『殺さないでほしいと思っていた』と言ったよ。ということは今は殺すべきって考えなのかなぁ?」


 フレウ王の言葉に、ウツロギは申し訳なさそうに頬を掻いた。


「うん。考えが変わった。ごめん。教国について、きみたちに話していないことがあるんだ。話す必要はないと思っていたんだけど、そうも言っていられなくなった」


 悠久に近い時間を生きている伝説の聖人は、初心な若者のようにもじもじしながら述べた。


「マイス白亜教国の中央部は白の神が眠る聖地って言われているけど、それは嘘なんだ」


 国王たちの間に怪訝な空気が流れる。

 そのような伝承の類を本気で信じてはいないし、嘘だとしても何ら問題はない。


「あの土地には、もっととんでもないものが封印されている。シンジュラは屍を利用する禁魔法を使ったでしょう? “あれ”をその魔法に利用されると、非常にまずい……」

「勿体つけるな。“あれ”とはなんだ」


 三人の王も、壁際に佇むイベリスも、非難の意を込めた視線をウツロギに送った。

 ここまで同盟の話が具体化してから、厄介な事実を明かそうとするのは不誠実である。後に引けなくなる。


「かつて大陸全土を恐怖に陥れた黒竜の屍だよ。あれ、おとぎ話じゃないんだよね。もう少しで世界が滅びるところだった」


 イベリスとの事前の約束がなければ、ウツロギは袋叩きに遭っていただろう。


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