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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第六章 聖女と忘れられたモノたち

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91 反抗期

 


「もう良い。とんだ茶番だったな」


 半分閉じかけていた扉がゆっくりと開いた。シダールとヘイズはゆっくりと、リオルだけは慌てて部屋に入ってきた。


「無事か、レンフィ。部屋が真っ暗になった時は冷や冷やしたぜ」

「大丈夫だけど……リオルはどうしてここに?」

「あー……ごめんな。嫌な思いをさせちまって」


 リオルは気まずそうに眉尻を下げた。

 脱獄したマリーを捜しに来た、という雰囲気ではなかった。レンフィは疑惑の眼を残りの男に向ける。


「お察しの通りです。実は、そこのお嬢さんはわざと逃がしました。教国の密偵と接触した時の反応を見て、レンフィ様が戦場に向かっても問題ないか試すために……あ、陛下の発案ですよ」


 ヘイズは慣れた動作でマリーの手首に霊力封じの枷を嵌めた。彼女はもう何の抵抗もせず、鼻をすすって俯いているだけだ。

 シダールはその様子に見向きもせず、眠たそうな顔で壁にもたれ、レンフィを煽るように笑った。


「敵の言葉を鵜呑みにして逃亡の手助けをする、という最悪の選択を取らなかっただけで、とても及第点はやれぬな。お前を戦場に向かわせるのはなしだ」

「…………」


 もやっとしたものがレンフィの心に満ちた。

 シダールはいつも乱暴な手段で人を試す。その言動にきちんと理由や目的があるのは分かるが、もっと穏便で後味の悪くない方法を選べないのだろうか。他人の苦悩する姿を見て楽しんでいるだけなのではないか、と疑いたくなる。


「なんだ? 何か文句があるのか?」


 不満がそのまま顔に出ていたらしい。

 レンフィはムニムニと口を動かし、結局、なけなしの勇気を振り絞って尋ねた。


「お、教えてください。どのように対応すれば合格だったのですか?」

「攻撃されたら、返り討ちにしろ。理想を言えば、逃亡した捕虜だと判明した時点で有無を言わさず捕縛すべきであった。訓練を積んだ暗殺者が相手なら、精霊術を使う前に首を斬られている。お前が死ぬだけならまだ良いが、情報を持ち帰られたら他の者も迷惑する」


 情をかけるな。隙を見せるな。他者の足を引っ張るな。

 それができない者を戦場に置けば、自軍の不利益になりかねない。だから戦場への同行は認められない。


 シダールの理屈は分かる。何も間違っていない。しかし胸のもやもやは大きくなるばかりだった。


「まだ納得できないか」


 妖しい赤い光がシダールの瞳の中で瞬いた。鋭利な魔力が漏れ出し、レンフィは息を呑む。

 光に加えて水の寵愛を取り戻し、新たに空の寵愛を得た。無意識のうちに万能感に浸っていたのかもしれない。

 圧倒的な魔力を前に、いかに身の程知らずだったか思い知らされた。座り込みそうになるのをなんとか堪える。


「泣き出さないだけ成長したようだな。良かろう、最後の機会をやる……お前の精霊術で、この娘を殺してみよ。それができればお前の望みを聞いてやってもいいぞ」

「陛下、それは――」

「黙っていろ、リオル。お前はレンフィを危ない目に遭わせたくなかろう。ここで手を汚しておけば、戦場でも少しは動けるようになる」


 リオルはとても嫌そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。全てはレンフィに委ねられた。

 困惑しながらレンフィは蹲るマリーを見る。彼女は魔力に当てられ、息も絶え絶えになっていた。


「い、いや……こんなところで死ぬなんて……助けて……っ」


 涙がぽろぽろと零れ、床に水たまりが広がっていく。

 とても演技には思えない。


「レンフィ様、どうせこの娘の死は避けられません……ならば、あなたの手で安らかに眠らせてやるのが情けでは?」


 ヘイズの言葉にレンフィは奥歯を噛みしめる。

 シダールは何のためにこのようなことを言い出したのか、その意味を考える。

 人を殺す覚悟を決めるための通過儀礼だろうか。リオルと一緒に戦場に行けば、手を汚すことは避けて通れないのかもしれない。覚えていないだけで、レンフィはたくさんの人を手にかけてきた。今更躊躇って何になる。

 頭の隅に浮かんだ諦めにも似た選択を、レンフィは意識の果てに放り投げた。


 己の覚悟を決めるためだけに、たった今出会ったばかりのマリーの命を奪うのか。そんなこと、できるはずがなかった。


『どうか、力の使い方は自分で考えて決めて。流されないでね』


 脳裏によぎったのはイベリスの言葉だ。

 レンフィは拳を握り締めて、シダールに告げた。


「……私は、殺しません。他の人にも殺させません。マリーさんを助けます」


 シダールは白けたように、魔力の圧を弱めた。


「我に楯突くと? 戦場行きは諦めるのか?」

「いえ、許されなくても行きます。この力の使い方は自分で決めます。勝手なことを言って、ごめんなさい」


 レンフィのとんでもなくわがままな発言に、最も驚いていたのはリオルだった。


「どうした、レンフィ。反抗期か?」

「そうかもしれない。ごめんね、リオル」


 そう答えながらも、レンフィは視線をシダールから外せなかった。

 睨み合う二人を見て、リオルは口を挟めなくなった。恋人と国王、どちらに味方すべきか決めかねてしまう。


「何故そうまでして、この娘を助ける」

「マリーさんは、人を殺していません。自分自身と私以外の誰かを傷つけたことはないんです。他の“妹”たちを見捨てはしたけれど、自分の命を守るための苦渋の決断だったから……私には責められません。ここで死ぬなんてあんまりです」


 マリーはオトギリとは違う。自らの手で人を殺そうなど考えたこともない。レンフィ・スイという人物にさえ出会わなければ、普通の少女として生きていけたはずだ。


「やり直す機会があれば、きっと」


 先ほどマリーの心に触れて、感じた。どろどろとした嫉妬の渦の中に、わずかにレンフィに対する憧れと感謝の気持ちがあった。

 殺させてはいけない。彼女が生き残ったたった一人の“妹”だというのなら、過去の自分のためにも絶対に守らなければならない。

 強い衝動に突き動かされ、レンフィは恐ろしいシダール相手に食い下がった。


「教国の密偵を理由もなく生かすわけにはいかぬ」

「なら、教国を裏切ってムドーラの味方をしてもらうのはどうですか? 説得します」

「この娘を引き込んだしたところで益がない」

「何かあるはずです。私が彼女の価値を見つけます」


 辟易とした様子のシダールをレンフィは真っ直ぐ見上げた。


「シダール様、私は自分の意思で行動します。間違えて迷惑をかけないように、間違えても自分でなんとかできるように、よく考えます。それがシダール様の――」

「もう良い。その捕虜については好きにせよ。戦場にも行きたければ止めぬ。ただし、お前のせいで挽回できぬような事態になった時は、今度こそ命で責任を取ってもらう」


 レンフィはほっと胸を撫で下ろした。


「はい。分かりました。ありがとうございます」


 シダールは「本当に茶番だったな」と満足げに笑いながら部屋から出て行った。ヘイズもあっさりとその後に続く。


「陛下、最後はご機嫌だったな」

「うん。なんとなくだけど、シダール様の目的が分かった気がする……もう頼るなってことだと思う」

「ん? よく分かんねぇけど、やっぱり陛下の掌の上なのか。それにしても、お前、本当に心が強くなったな」


 リオルがレンフィを労うように抱き寄せた。本当のところギリギリで恐怖に耐えていたレンフィは、遠慮なくその腕にしがみついた。


「陛下に立ち向かったこともそうだけど、面と向かって暴言吐かれても、めそめそしなかったし……って、こいつ気絶してるぞ」

「ああ、マリーさんっ!」


 命拾いしたことで安心したのか、マリーは床に倒れ込んだまま眠っていた。その寝顔は随分と幼く見える。


「本当にこいつを助けるのか? 寝首を掻かれるかもしれねぇだろ」

「大丈夫」


 正直に言えば、レンフィはマリーのことをあまり信じていなかった。隙を見せるつもりはないし、マリーに後れを取ることもない。自信のないレンフィが断言できるほど、二人の力量には差があった。


「うぅ、お腹減った……毛皮が欲しい……」


 そんな寝言が漏れ聞こえ、レンフィとリオルは顔を見合わせて苦笑した。

 やはりマリーは自分よりもずっと強くて逞しい。そのハングリー精神を見習いたいとレンフィは強く思った。






 夜の廊下を進む主を追い、ヘイズは薄笑いを浮かべて問いかけた。


「……レンフィ様の監督権を手放してしまうのは、やはり勿体なかったのでは?」


 捕虜の時の意識が根強いのだろう。レンフィは常に周りの人間の顔色を窺って行動を選ぶ傾向が強い。基本的に求められたら拒まないし、自分の意見を無理矢理でも通そうとはしない。

 それは、非常に都合の良い思考回路だった。


「仕方がなかろう。同盟の条件だ。『聖女レンフィを占有するな』とは、リッシュア王は随分とあの娘を買っているようだな」

「あちらで派手に活躍されたのでしょう。私はいつも肝心な場面を見逃します……残念です」


 ヘイズはあの報告を聞いただけで、久方ぶりに胸にときめきを覚えた。

 戦場に癒しの雨を降らせて多くの兵を救い、空の精霊術で人殺しに長けた聖人を圧倒して見せた。

 たとえレンフィ自身が戦えなくとも、支援に回るだけで十分な脅威になる。

 リッシュア王は、レンフィの能力をムドーラ王国が独占することを嫌がり、同盟の条件としてレンフィを手放すように求めてきた。


 今は黒の王国同士で手を結んでも、白亜教国が倒れた後はどうなるのか分からない。レンフィを敵に回したくない、ということだろう。さらに言えば、慢性的な水不足に悩むリッシュア王国に招きたいと考えているようだった。


「レンフィは、人の手に余る存在にまでなった。争いの種をわざわざ我が王国に抱えておくことはない。必要な時に、使ってやればよい」

「……まぁ、手が離れても、レンフィ様が我々と敵対する心配はほぼありませんからね。リオル君と派手に喧嘩別れしない限りは……その心配もありませんね、きっと」


 シダールは鬱陶しげにため息を吐いた。


「そんなことよりも、マグノリアへの説明の方が厄介だ」


 レンフィを心底可愛がっているマグノリアに、戦場行きを認めたと話したらどうなるのか。


「ヘイズ、お前にその役を任せたいのだが」

「謹んで辞退させていただきたく」

「せめて付き合え」


 結局、全ての責任をリオルに押し付けるような説明をしたところあっさりと嘘を看破され、二人揃ってマグノリアの怒りを買った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] シダール陛下も存外甘い…と思った私が浅はかでした。 まず第一にレンフィは抑えようと思って抑えられるものではなく、 第二にレンフィを独占すれば同盟を組む他の国からのいらない嫌悪を受けかねない…
[良い点] マグノリアのレンフィ好き具合がすごく気に入ってます 2人とも叱られたかぁ(笑)
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