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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第六章 聖女と忘れられたモノたち

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89 帰国と逃亡

 



 教国の領土を大きく迂回したため、レンフィとリオルは国境の砦を通らずにムドーラに帰国した。

 既に国王直属軍が詰めているだろう砦の様子も気になるが、リッシュア王とウツロギからシダール宛の書簡を預かっていたこともあり、二人は真っ直ぐ城へと帰還することを選んだのだ。


「随分と苦労をしたようだな、リオル」

「……はい。でも、レンフィのおかげでなんとかなりました。迷惑と心配をおかけして、申し訳ありませんでした」


 通された王の執務室で、リオルがシダールに対して深く頭を垂れた。

 突然いなくなり、突然帰ってきた二人に対し、シダールはさほど驚いてはいなかった。聞けば、レンフィが書いた手紙がちゃんと届いていたらしい。

 宰相とヘイズも落ち着いており、「思っていたよりも早かったですね」「お疲れ様でした」と二人を労いさえした。


「本当に心配した! 疲れているところ悪いけど、何が起こったのか詳しく説明して!」


 最も熱烈に迎え入れてくれたマグノリアの言葉に、レンフィとリオルはリッシュア王国で体験したことを一から丁寧に説明した。

 返ってきた反応は様々だ。


「リッシュア王が同盟に前向きになってくれた点は喜ばしいですが……教国の動きが読めなくなってきましたねぇ。黒脈の姫を一人攫うためにしては、随分と大掛かりな作戦のように思います。教国内部に大きな亀裂が入ったのでは?」


 宰相は難しい顔をして考え込み、


「まさか空の寵愛をも得るとは、やはりレンフィ様は選ばれた存在だったのですね……素晴らしい。ああ、リオル君の身に起こった変化や虜囚の発言も気になります。“原初の炎”に“灰色の世界”ですか……時代が大きく動こうとしているようですね……面白い」


 ヘイズは青白い顔をいつも通り楽しそうに輝かせ、


「魔法で巨人を生み出すなんて、しっかり魔法大国ルークベルの知識を受け継いでいるようね。間違いなく禁忌の魔法……屍を利用するなんて呪法に近いかも。どんな魔法構築を使ったら、ううん、魔石だけじゃ魔力を補えないはず。一体どうやって……もしムドーラに同じ手を使われた場合の対処法を考えなくちゃ」


 マグノリアも厳しい表情で思考に浸った。

 一方、シダールは渡された書簡に素早く目を通し、気怠そうに告げた。


「調べること、準備することは山のようにある。リオルは明日には国境へ向けて発ってもらう。まだ戦端は開いてはいないが、そろそろ敵が動いてもおかしくない状況のようだ」

「はい。あ、そのことですが、一つお願いがあります」

「ほう」


 リオルの視線を受け、レンフィは勇気を振り絞り、シダールを始めとした面々を見回した。思い返せば、レンフィが自分から何かを要求するのは初めてのことだった。


「あの、わ、私も、戦場に行かせてください」


 シダールは愉快そうに口の端を歪めた。


「ふ、それほど恋人と離れたくないか?」


 リオルとの交際については報告していないのだが、シダールにはお見通しのようだった。それどころか室内の誰一人反応していない。二人の纏う雰囲気で察しているらしかった。

 今は照れている場合ではないので、レンフィは羞恥をこらえて訴えた。


「それもありますけど……私はこの力をちゃんと役立てたいんです。特に空の精霊術にはできることがたくさんあります」

「そのようだな。城から逃げて好き勝手振舞うこともできるな?」

「……できます。でも、それはしたくありません。シダール様は春まで私を生かすという約束を守ってくださいましたから」


 今ならば理解できる。シダールが最初に嘘でも「妃候補」という立場を与えていなければ、レンフィは女としての尊厳を傷つけられるような、悲惨な目に遭っていたはずだ。


 レンフィは祈るように両指を組み合わせ、シダールの答えを待った。

 シダールがちらりと窓の外に視線を向けたのを見て取って、宰相がすかさず口を挟む。


「陛下、先に申し上げておきますが、私は反対します。聖女殿の存在がリッシュアで露見した以上、我が国とも関わりがあることを知られるわけにはいきません」


 リッシュアとムドーラ、両方にレンフィの影がちらつけば、白亜教国側に同盟を気取られる可能性が高い。本来手を組むはずのない国同士が連携して動くことで、教国の虚を突こうという作戦なのに、バレては同盟の意味と価値が失われてしまう。


「悪いけど、レンフィ。わたしも反対。確かに三つも精霊の寵愛があれば自分の身は守れるでしょうし、軍の役に立てるとは思う。でも、あなたが進んで苦しい想いをする必要はないでしょう。リオル将軍たちを信じて任せることはできない?」


 マグノリアは純粋にレンフィの精神を心配していた。敵はかつてレンフィが率いていた教国兵たちだ。ムドーラが勝っても罪悪感に襲われるに違いなかった。


 レンフィは「でも」と言いかけて口を噤んだ。

 迷惑も心配もかけたくない。それでもやはり、城に閉じこもっているわけにはいかない。どうすれば納得してもらえるだろう、と頭の中で言葉を探す。


「ヘイズはどう考える?」

「レンフィ様が戦場に出るのはあらゆる意味で危ういと思います……しかし、相応の見返りが望めるとも思います。使いどころが難しい切り札ですよね……」


 皆の意見を聞き、シダールはレンフィの視線を追い払うように手を振った。


「話は分かった。少し考えてやろう。ひとまずレンフィは下がれ。リッシュアでのことは、周囲に言いふらすなよ」

「え、あの、シダール様――」


 慌てるレンフィにリオルが耳打ちした。


「大丈夫。俺がお前の味方しておくから。とりあえず、バニラたちに会ってこいよ。すげー心配してたと思うぞ」


 そう言われては引き下がるしかない。レンフィは肩を落として執務室を後にした。






「もう! この子は! どれだけあたしを心配させれば気が済むのよ!」


 リオルの言う通り、バニラはとても心配してくれていた。そしてかつてなく怒っている。

 手紙が届いたことで城の者にもレンフィとリオルの無事は伝えられたが、具体的な状況までは聞かされていなかった。

 バニラが苛立つのも無理はない。

 魔物討伐で遭難し、ウツロギの話を聞きに行って意気消沈し、さらに「楽しんで来い」と送り出した初デートで行方不明になったのだ。

 自分が反対の立場だったら、毎晩心配で眠れぬ夜を過ごしただろう。レンフィは大いに反省した。


「バニラちゃん、ごめんなさい」

「怪我はないんでしょうね!?」

「はい」

「デートは楽しめたの?」

「えっと、その……うん。あのね、私、リオルと――」


 恋人同士になった旨を伝えると、バニラはようやく溜飲を下げた。というよりも、そちらに興味が移ったようだ。


「まぁ、そうなるだろうと思ってたけど、良かったじゃない。あたしのおかげね」

「うん。本当にありがとう」

「冗談よ。もう」


 それからジンジャーを交えてお茶をしようとしたところで、オレットが訪ねてきた。帰還を聞きつけたカルナ姫から急なお茶会の誘いであった。

 全員まとめての招待だったので、断る理由はなかった。


「ふふ、おかえりなさい、レンフィ様」

「……はい。ただいま帰りました、姫様」


 楽しいお茶会の最中、「この国に帰ってきて良かった」とレンフィは心から思った。






 マリーはゆっくりと瞼を持ち上げた。

 捕らえられてから何日たっただろう。毎日毎晩、魔法士の男――ヘイズに怪しげな薬を飲まされたり、血を抜かれたり、散々な目に遭わされた上にまともな食事をとっていない。

 もう心身ともに限界だった。意識が朦朧としていて、体に力が入らない。


「あれ……?」


 ふと気づけば、霊力封じの枷が外されていた。

 油断か怠慢か、どちらにせよ、マリーにとっては好機だった。深く考える余裕もないまま、マリーは最後の力を振り絞って体を起こした。


「霊力さえ使えれば……」


 できるだけ音を立てないように、牢から脱出する。

 石の階段を上り、外の様子を窺うが、見張り一人立っていなかった。舐められているのか、人員を割く余裕がないのか、マリーにはどうでも良かった。


 殺される前に逃げなければ。

 身を潜めながら、慎重に廊下を進む。窓の外は暗い。実に好都合だ。夜の闇に紛れてしまえば、もう誰も自分を捕まえられない。


「リオル将軍がお帰りになったそうだな!」

「ああ。本当に良かった。一時はどうなることかと思ったが」


 人の声に怯え、咄嗟に柱の陰に隠れた。

 城内はどこか浮足立っている様子で、人が忙しなく廊下を行き交っている。

 一目で脱獄者だと分かる格好をしているのはまずい。どこかで着替えを調達すべきかもしれない。しかし、牢からの逃亡が露見すれば城の出入り口は閉鎖されてしまうだろう。

 マリーは時間を惜しみ、身を潜めながら少しずつ城の中を進んだ。人を避けているうちに階段を上る羽目になり、マリーは歯噛みした。


「では、確かに送り届けましたので!」

「ありがとうございます」

「いえ。今夜はゆっくりお休みくださいね」

「はい。オレットさんもおやすみなさい」


 聞き覚えのある声にマリーは息を呑む。

 女騎士がきびきびと礼をし、廊下の先に姿を消した。


「あたしたちも行くわ。今度じっくりとリオルとのこと聞かせてもらうからね」

「また女子会ですか……」

「ジンジャーったら拗ねないの。いつかみたいに、四人で町に出かける日もあるわよ」

「別にそんなんじゃないですけど……そうですね。お邪魔でなければ、また」


 侍女と年若い少年もまた、就寝の挨拶をして去っていった。

 それを見守る少女の姿を捉え、マリーは心臓に手を当てた。


 プラチナブロンドの輝く髪。どこまでも透き通った淡いブルーの瞳。

 その美しい少女は渡り廊下で繋がった先、鍵もかけられていない塔の部屋に入っていった。


「見つけた……レンフィ先輩」


 切迫した状況だということを忘れて、マリーはにやりと笑った。

 やっぱり生きていた。元はと言えば、全部レンフィのせいだ。自分は捕まってひどい目に遭ったというのに、どうしてあの女は以前と変わらぬ美しい姿のまま生き続けているのか。


 遠慮はしない。今度もまた利用してやる。

 もはやマリーにまともな判断力は残っていなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] これが他の国、いえ他の小説であれば 頭ゆるふわヒロインがまたピンチ…なのですが ムドーラ王国内において、こんなマリーに 都合が良すぎる状況が続くはずがないという安心感(笑)
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