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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第六章 聖女と忘れられたモノたち

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87 帰り路

 


 リッシュア王国の面々とウツロギたちに見送られ、レンフィとリオルはムドーラ王国への帰路に就いた。

 と言っても、移動方法は徒歩でも馬でもない。

 空の精霊術での空間転移を用いた強行軍である。距離と方角を決め、できるだけ人気のなさそうな地点に向かう。転移先の地形は感覚で察知できるため、誤って岩の中や湖の上に転移する心配はない。

 もちろん誰かに目撃される危険はあるし、予期せぬハプニングは起こり得るが、この方法が最も早く帰還できるのは間違いなかった。


「わっ」

「お」


 空間転移後、着地に失敗してよろけたレンフィを、リオルが抱き止めた。力強い腕の中に収まり、彼の鍛えられた体に密着すると、レンフィはもう平静を保ってはいられなかった。


「あ、あああありがとう……!」

「動揺しすぎだろ。どうした?」

「なんでもないよ!」


 レンフィは慌てて体を離し、熱くなった頬を手で包み込む。リオルが顔を覗き込もうとするのを、必死にくるくる回転して避けた。


「なんなんだ? てか、いつになく大きな声だな。めちゃくちゃ元気なのか、具合が悪いのかどっちだよ」

「元気。でも、少し休んでもいい? 頭がぼうっとする」

「元気じゃないじゃん。ゆっくり休め。魔物の警戒は俺がしておくから」

「ありがとう」


 周囲は深い森の中だった。事前に地図を見て決めていた通りの地点に転移できたようだ。


 イベリス曰く、「空間転移は脳への負担が大きいのよ。たとえ霊力が残っていたとしても、一回使うごとに休息を取った方が良いわ。連発すると飲み過ぎた翌朝みたいに後悔することになるから」とのことだ。

 二日酔いの経験がないレンフィにはピンとこなかったが、先輩聖人の忠告は素直に聞くべきだと判断した。


 リッシュア王に持たせてもらった荷物を解き、レンフィは毛布にくるまる。リオルはてきぱきと薪を集め、火を起こした。


 何か手伝いところだが、今は回復を優先させる。今日中にできるだけムドーラに近づき、一日でも早くリオルを連れて帰りたい。

 二人が空の精霊に強制的に転移させられてから、三週間近く経っていた。もう他の軍人たちは国境の砦に入り、敵の布陣を探っているだろう段階であった。教国の出方によっては、既に開戦している可能性もある。


「スグリの奴、どうするかな? ムドーラに来ると思うか?」

「分からないけど、プルメリス様を早く目覚めさせたいって言ってたから……」


 リオルはスグリの弓の腕をとても買っており、一緒に戦わないかと誘ったが、「考えておく。鍛え直さなければ役に立てない」と答えを保留にされた。

 国境戦に出る前、何か月も投獄されていたせいでだいぶ体が鈍っていたらしい。それでもズバズバと教国兵を射抜いていたというので、スグリが万全な状態で戦えばムドーラ軍にとって大きな助けとなるだろう。

 戦争が早く終われば終わるほどプルメリスの覚醒は早まる。きっと、近いうちにムドーラを訪ねてくるのではないか、とレンフィは予想していた。


「よし。スグリを見習って俺も鍛錬するか。うるさかったら言ってくれ」


 転移の度に消耗するレンフィとは違い、リオルは元気を持て余していた。じっとしていられないのかもしれない。熱心に剣の素振りやトレーニングをする恋人を眺めながら、レンフィはそっとため息を吐く。


「…………」


 どうしよう。意識し過ぎて、不自然な態度を取ってしまう。リオルにおかしな娘だと思われていそうだ。

 いつもどのように振舞っていたのか思い出せない。世界情勢を考えれば、個人の恋情で悩んでいる場合ではないのに、どうしてもふとした瞬間にプルメリスに聞いた話に意識が向いてしまう。

 不純な熱を振り払うように、目を瞑って意識を逸らした。


 それから何度か転移と休憩を繰り返した。見慣れぬ景色を楽しむ余裕もなく、淡々と前に進む。


「今日の転移はここまでだな。そろそろ宿を探さねぇと」

「そ、そうだね」


 日が傾いているのを見て取って、リオルがそう提案した。分かっていたことだが、やはり一日ではムドーラに到達できなかった。

 街道ですれ違った旅人に現在位置を確認し、近くの町に向かって徒歩で移動する。ムドーラからそう遠くない小国にある町で、とても有名な地名らしい。リオルなどは目を輝かせていた。


「ユバナかぁ。聞いたことあるぜ。確か天然温泉が有名な町だ」

「温泉?」

「地面から湧き出る湯を利用して、大きな風呂にしてるんだ。ムドーラの山奥にもあって、健康や美容に良いから人気なんだぜ」

「お、お風呂……」

「露店がいっぱい出て、旅芸人が集まるような観光向けの町だろうな。美味いものが食えそうだ」


 野宿や小さな村の厩舎を借りて寝泊まりすることも覚悟していたので、栄えた町に滞在できると分かって安心した。

 一方で、レンフィは密かにまた緊張し始めていた。


 町に到着する頃には、すっかり日が沈んでいた。

 ユバナは、レンフィが想像していたよりもずっと雑然とした町だった。漂う湯煙と食べ物の匂い、闇をかき消す照明の瞬き、たくさんの人々の笑い声。

 このような賑やかな夜は初めてで、レンフィは情報量の多さに気後れしてしまった。


「宿はたくさんありそうだな。ちょっと歩いてみようぜ」

「うん。あの、リオル……」


 今夜は同じ部屋に泊るのか。

 そう尋ねようとしたものの、どうしても恥ずかしくて口にできなかった。そんなレンフィの様子を見て、リオルは何かを閃いたように頷いた。


「なぁ、レンフィ。ムドーラに帰る前に、少しだけ恋人の時間があってもいいよな?」

「え? えっと……うん」


 リオルから差し出された手に、レンフィは躊躇いがちに手を重ねた。心臓の音が大きく全身に響き、ますます落ち着かない。


「そんな時間なかったけどさ、できればリッシュア王国も観光したかったよな。こんなことでもなけりゃ、行くことできなかっただろうし」

「そうだね。お城の料理、とても辛くて美味しかった。ムドーラとは全然食べるものが違ったね」

「ああ。特にスパイスの風味がすごく良かった。既に恋しい。いつかまた絶対に食いに行こうな」


 緊張しつつもリオルと二人でゆっくりできるのは嬉しく、レンフィは自然に笑顔になった。二人で過ごす時間はやはり愛しい。


 屋台で買い食いしながら歩いていると、やがて広場に辿り着いた。舞台の上に、巨大な黒い竜の張りぼてが鎮座している。無機質な赤い瞳と目が合った気がして、レンフィは背筋が寒くなった。


「これから劇をするみたいだな。多分、黒竜退治の演目だ。観ていくか?」

「黒竜?」

「大昔に暴れまわった伝説の魔物だよ。英雄に退治されるんだ」


 もうほとんど演目のあらすじを聞いてしまったが、平和な結末ならばとレンフィは頷いた。観覧料を払って長椅子に二人並んで腰かける。

 劇を観るのももちろん初めてで、レンフィは前に座っている子どもと同じようにそわそわと体を揺らして開演を待った。


「大昔、この大陸は恐ろしい黒竜に支配されていた! 山を崩して村を潰し、川を裂いて畑を水没させ、竜の息吹に大地は焼き尽くされていった!」


 語りに合わせて、舞台上で火花が爆ぜた。魔法を用いた演出にレンフィが身を強張らせると、リオルがそっと肩を抱き寄せた。緊張と安心が入り交ざり、呼吸が止まる。


「人々は剣を取り、あるいは農具を携え、力を合わせて立ち向かった! しかし竜はそれを蹴散らし、全てを破壊尽くさんばかりに暴れまわった!」


 巨大な黒い竜の張りぼてに、芸人たちが切りかかると、金属音が鳴り響き、さらに激しく炎が上がり、風が広場全体に吹き抜ける。

 あまりの迫力に、レンフィの方からもリオルの体に縋りついた。


「我こそは、かの暴虐の竜を打ち滅ぼす使命を持つ王である! 勇名を轟かせたい者がいれば、我に続け!」


 黒の王が先頭に立って討伐に出て、数多の犠牲と苦難の末、見事竜の首を落とした。しかし大陸中央は竜の血で汚れて呪われた大地になってしまう。そこに現れた白い旅人の娘が舞によって呪いを浄化し、大地を祝福した。

 花吹雪が盛大に広場に降り注ぐ。


「めでたし! めでたし!」


 話の筋は単調ながらも、魔法の演出が映える演目だった。

 女性の美しい舞に見惚れていたレンフィは、最後は熱心に拍手を送った。余韻の熱にうかされたまま、リオルに尋ねる。


「これって本当にあったお話なの?」

「うーん、どうだろう。おとぎ話だと思うけど、傭兵時代に回ったどの国でも似たような劇をやってた気がするし、何か伝承が残ってるのかも。もし本当にあった話なら、黒脈の王と聖人が協力して魔物を倒したってことか」

「昔は“白”も“黒”も仲が良かったのかな?」

「黒竜っていう共通の敵がいたから協力できただけかもしれねぇけど……教国ができるずっと前の時代なら、今より隔たりがなかったのかもな」


 今、ムドーラとリッシュアとフレウという本来なら競い合うはずの黒の王国が同盟を結び、白亜教国を打ち倒そうとしている。聖人である自分やウツロギも、黒の王国に協力している状態だ。大陸の勢力図が大きく塗り替わるかもしれない。

 他の聖人とだって状況によっては手を取り合える可能性がある。昔のように黒と白の勢力が協力して、大陸の平和を守っていけたら――。


 漠然とそんなことを考えていたレンフィの顔を、小さな女の子が覗き込んできた。


「こんばんは! 綺麗なお姉さんとカッコいいお兄さん、今夜の宿は決まってますか?」

「え、あの、私たちですか? まだです」


 少女は目をキラキラと輝かせた。


「あたしのお父さんとお母さん、宿を経営していて、今夜は珍しく一番良いお部屋が空いてます! 温泉もありますよ! いかがですか?」


 幼いながらもにこにこと商売人の笑みを見せる少女に、リオルが宿代を尋ね、交渉に入った。


「まぁ、そんなに高くはないか。風呂と朝飯が付いてるなら良心的だな」

「でしょう? お母さんのご飯、すっごく美味しいです! 食べないと絶対に損しますよ!」


 一生懸命宣伝する少女があまりにも微笑ましく、そのままの勢いで今夜の宿泊先が決定したのだった。



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