85 お見舞い
リッシュア王国を旅立つ前日、レンフィは満を持してリオルとともにとある人物を訪ねた。
「初めまして。あの、レンフィと申します。リオルさんと、お、お付き合いさせていただいていて……とてもお世話になっています!」
今日、レンフィはいつもの偽名ではなく、本名を名乗ることにした。彼に対してはどうしても嘘を吐きたくなかったのだ。
「ご、ご丁寧にどうも。リオルの……父のバジルです」
「よ、よろしくお願いします」
それきり室内に気まずい空気が流れた。緊張で萎れてしまいそうなレンフィは、助けを求めて恋人を見上げる。
リオルは満ち足りた表情でレンフィの肩を抱く。いきなりの密着にレンフィは心臓が止まってしまいそうになった。
「可愛いだろ。俺のカノジョ。すげー顔真っ赤になっちゃって」
「そ、そうだな。そうだけど……」
バジルは言葉とは裏腹に頭を抱えてしまった。
「レンフィって聞いたことがある名前だ……その子って多分教国の……本当に、信じられない神経してるな。大体、なんで今恋人とリッシュアに来てるんだよ。ムドーラも開戦直前じゃねぇか」
「うるせぇよ。いろいろ事情があるって言っただろ」
バジル・グランドは、リオルと同じ赤茶色の髪と金色の瞳を持つ男性だった。顔立ちや雰囲気はあまり似ていないが、レンフィにはリオルとバジルが違和感なく親子に思えた。喋り方の間やふとした仕草や表情が重なるのだ。
ちらちらとレンフィを見るバジルの顔色は悪い。お見舞いのせいで体調を悪化させているのでは、と心配で冷や汗が出てきた。
「ごめんなさい。リオル、さんは何も悪くなくて、私がいろいろと厄介事をムドーラに持ち込んでしまったんです。この国にいるのも私のせいで……あの、本当にごめんなさい……」
「いや、こちらこそすみません! ちょっと驚いちゃっただけで! 大変そうなことが起こっているのは察しているので!」
レンフィの声が湿っていくのを感じ取ったのか、バジルはぎこちなく笑い出した。
「はは、それにしても、こんな可愛いお嬢さんと付き合えるなんてな……やっぱりリオルは俺の子どもじゃないような気がしてきた。できが良すぎる」
バジルの不用意な発言に、レンフィは悲鳴を上げそうになった。また親子喧嘩になってしまう。
「何言ってるんだよ。親父だって、おふくろみたいな美人と結婚できたじゃん」
「は!? 確かに、ケイトは目の覚めるような良い女だった。俺には勿体ないくらいの」
「そうだな。本当にそう。おふくろだったらもっと良い男捕まえられただろうに」
「深々と頷くんじゃねぇよ! ケイト似の顔で呆れられると堪える!」
二人のやり取りをハラハラ見守っていたレンフィは、笑いをこらえきれなくなって背を向けた。
「え、何か面白かったか?」
「うん」
「じゃあ遠慮せず笑えよ」
じっと見つめられて笑えるはずもなく、レンフィはおずおずと体勢を戻した。
「あの、良かったです。仲直り、できているみたいで……」
リオルは居心地悪そうに体を揺らし、バジルもそっと目を逸らした。
瞬時に理解した。自分は余計なことを言ってしまったのだと。
「そんな死にそうな顔するなよ。大丈夫。きっかけくれてありがとな」
青ざめるレンフィの肩を叩き、リオルはそっと耳元で囁いた。
「ごめん、先に戻っていてくれるか?」
「う、うん。分かった」
レンフィはバジルに一礼する。
「あの、お大事になさってくださいね。またいつかゆっくりお話しできたら、嬉しいです」
「あ、ああ、うん。お見舞いどうもありがとう。その……またいつか機会があれば」
「はい。失礼します」
レンフィは後ろ髪を引かれる想いで病室を後にした。
仲直りは、実はまだできていない。過去の話題はできるだけ避けていた。
父と二人きりの病室で、リオルは苦々しい表情で切り出した。
「悪かった。あの時、思い切り殴っちまって……」
「謝ることはない。俺が子どもに殴られて当然のことを言ったんだ。どうかしていた」
力なく笑って、バジルは続けて言う。
「俺はお前の剣の才能に嫉妬していたんだ。お前くらい強ければ、それこそ正規の軍人になれて、ケイトに苦労させることもなく、毎日腹一杯食わせてやれたんだ。情けなくて悔しかったよ。お前が出て行った後は、正直ホッとしていた。俺は、夫としても父親としてもダメな男だ」
「…………」
「でも、図々しいものでな。数年経って、お前がムドーラの将軍になったって聞いた時には、嬉しくて、誇らしくてたまらなかったんだ。活躍と聞く度に、『どうだ、俺とケイトの子どもはすごいだろ』って、傭兵仲間に自慢して回りたかった。いや、してないけどな!」
胸に込み上げるものがあり、リオルは息を詰まらせた。
「……別にいいじゃん。自慢してくれれば」
「できるかよ。肝心な時にしくじっておいて、今更……こんな弱小傭兵が父だって話が広まったら、お前が軍で恥ずかしい思いをする」
「え? だからムドーラに帰って来なかったのか?」
「まぁ、お前と顔合わせることになったら気まずかったし、たかりに来たと思われたら嫌だし」
避けられていた本当の理由を知って、リオルは脱力した。
本当に、もっと早く捜して話し合えば良かった。時折思い出して憂鬱な気分になっていたのが馬鹿みたいだ。
「もうムドーラに帰って来いよ。傭兵は無理でも、何か親父に向いてそうな仕事を探すからさ」
「嫌だ。お前の世話になるなんて」
「それくらいの礼はさせろよ。俺は命を救われてるんだから……そのせいで親父は足を」
「王家の力で治療してもらえたんだから、もう十分だよ。それに、お前が死んだらあの場で戦える人間がいなくなると思って庇っただけだ。……全く、肝心なところで詰めが甘いところは、俺に少し似てるな」
そんなところは似たくなかった。しかしバジルが自虐的ながらも笑っているので、リオルは否定しないでおいた。
「とにかく、これ以上お前の世話にはならないし、ムドーラにも帰らない。あの国は寒いから嫌だ!」
「はぁ? わがまま言うなって感じだけど……まぁ、義足が馴染むまではこっちで療養してた方がいいか。ムドーラは遠いしな」
今年の教国との戦争は例年になく激しいものになる。最近発展し始めたばかりのムドーラよりもリッシュアの方が交通網はきちんと整備されているだろう。いざという時に避難しやすい土地にいてもらった方が安心だった。
「でもさ、落ち着いたらマジで一回帰って来いよ。墓は雪に埋まっちまったけど、おふくろの遺灰を撒いた湖があるんだ。案内したい」
「……そうか」
「もう結構忘れちまったこともあるから……俺はおふくろのこと、もっと親父と話したいんだ。レンフィのことも今度は詳しく説明するから」
「…………」
バジルは「行く」とは言わなかった。しかし「行かない」と言われなかっただけ良かった。これきりということもなさそうだ。
「じゃあ、そろそろ行く。体は大事にしろよ」
「それはこっちのセリフだ。もうあんな無茶な戦い方はするなよ。散々教えただろ?」
「戦局を見て常に退却することを考えて戦え、だろ。ガルガド元帥に言ったら張り倒されそうだけど、その教えのおかげで何とか生き延びられているからな。もう忘れない。いろいろありがとうな」
部屋を出ようと背を向けたところに、バジルが呟いた。
「お前は、できるだけ惚れた女のそばにいてやれよ。俺と同じ間違いはするな」
「……分かった」
最後の声はかろうじて聞きとれた。
「俺より先に死ぬなよ、リオル……」
小さく頷いて、リオルは病室を後にした。




