84 対峙
リオルが謁見した際、リッシュア王・ゼルコバは言った。
『白亜教国は余の代で必ず潰す。あの国は、白の神と精霊を尊ぶという大義すら失った。黒脈の王として放置はできん。世界をさらなる混沌に貶めるというのなら、なおのこと……というのは建前だ』
静かな怒りを携え、王の瞳が赤く光る。何度も死線をくぐり抜けてきたリオルですら、その殺気には冷や汗をかいた。
『戦場に現れたという屍を利用した巨人も、畑を容赦なく焼き払い、民を虐殺する行為も、許せん。プルメリスへの侮辱もだ。シンジュラとかいう小僧に命で償わせてやらねば怒りが収まらん……血祭りだ』
武を尊ぶリッシュアの王らしい物騒な発言である。よほど白亜教国とシンジュラに対し、腹を立てているようだった。
『そのためなら、時の聖人や他の国と手を結ぶことを考えてやってもいい。足を引っ張るようなら見捨てさせてもらうが』
ウツロギの話を聞き、王太子ミスルトからの進言を受け、ゼルコバは三国同盟にかなり前向きになっており、ひとまず王会談に参加することを約束してくれた。
礼を言うリオルに対し、ゼルコバは面白くなさそうにため息を吐いた。
『報告を聞く限り、感謝するのはこちらの方だ。貴殿と白虹の聖女が居合わせなければ、どうなっていたか。よって、不法に入国したことは不問とし、つつがなく帰国できるよう支援しよう。それはそれとして、他に何か望みはあるか? 此度の国境戦の第一功はリオル・グラントに与えよう。ミスルトとレドウもそれを認めた。本来ならばプルメリスを嫁に、という話だが……』
『すみません、謹んで辞退いたします』
俺にはレンフィがいるので、と正直に言うと、ゼルコバは形容しがたい顰め面で頷いた。
『ふん。ならば、代わりの望みを申してみよ』
『いえ、もう十分すぎるほど良くしていただいていますので』
リオルとレンフィを素直にムドーラに帰してくれる上に、父親の足の治療と義足の手配をしてもらった。これ以上何かを望んだら罰が当たるかもしれない。
しかしゼルコバは納得しなかった。
『足りん。相応の褒賞を与えねば、ムドーラに借りを作ることになる』
リオルは迷った末に、スグリの助命を願った。もしまた国外追放処分になるのなら、いっそムドーラで身柄を引き取りたいとも述べた。
実際、プルメリスが攫われずに済んだのはスグリの功績が大きい。黒脈の王子に立ち向かう勇気とプルメリスへの愛情の強さ、何より彼の弓の腕は称賛に値する。あれほどの戦士は戦場でもなかなか見かけない。できれば部下に欲しい。
それを飾らない言葉で伝えると、ゼルコバの眉間の皺がどんどん深くなっていったので、二人の仲を認めてやってほしい、と願うのは控えた。
『プルメリスよりもあの小僧の方を欲しがるとは……いささか不快だが、まぁ良い。あのアディニの若者の今後について、余はもう関知せぬ。好きにせよ』
『ありがとうございます』
『他の願いは?』
『え、まだ……あ! では――』
案内された独房で、リオルは鉄格子ごしにオトギリと対面した。
椅子に鎖で拘束され、目隠しまでされている。もちろん霊力封じも施されているようだ。肌と服に乾いた血がこびりついていた。傷口の治療はされていないようで、時折呻き声が漏れ聞こえてくる。
リオルは、オトギリの処遇を王会談で決めるようにゼルコバに願った。
オンガ村の件でムドーラとも禍根がある。処刑するにしても、せめてアザミに報告した後が良いと思ったのだ。
さらに、オトギリと話す時間をもらった。今後の戦いを見据え、情報を少しでも引き出したかったのだ。
レンフィがこの男と戦ったと聞いた時は肝を冷やした。空の精霊術の圧倒的性能のおかげもあってレンフィが完勝し、こうしてオトギリは拘束されて拷問を受けている。
それでもリオルは目の前の男が憎くて仕方がなかった。
この男はたくさんの人間を笑いながら殺した。
アザミの家族やオンガ村の民、リッシュアの農民も惨殺されたと聞いている。その光景を目の当たりにしたレンフィがどんな気持ちになったか、考えただけで胸が悪くなる。
「お前は楽に死んでいい人間じゃない」
オトギリが億劫そうに首を持ち上げた。
「あ? 誰だ、お前」
血を失って朦朧としているのか、声に覇気がなかった。未だに尋問でほとんど情報を吐いていないそうだが、だいぶ堪えているようだ。
「名乗るほどの者じゃねぇ。お前が殺した人間の家族の仲間だ」
「はは、そうかよ。身に覚えがありすぎて、どこの誰のことだか全く分からないが、オレより弱かったんだから、殺されても仕方がないだろう」
聞いていた通り、性根が腐っている。
リオルは小さく息を吐いた。このような相手ならば、痛ましい姿を見ても全く心が痛まない。
「じゃあ、お前も殺されても仕方ないってことか。負けて捕まったんだから」
「はっ、そうだな。相手が悪かった。まさかあの女、三指の聖人になってるとは……しかも空の寵愛とは恐れ入ったよ」
敗北を認めながらも、オトギリは吐き捨てるように言う。
空の寵愛さえなければ勝てたような物言いにリオルはカチンときた。記憶を失う前のレンフィならば、光や水の精霊術でも容易く封殺できただろう。
今のレンフィだって本気で戦えば。そう考えかけてリオルは首を横に振った。
「レンフィに感謝するんだな。お前の何十倍も強いのに、すぐに殺さないでくれたんだから」
「あ? お前はレンフィを知ってるのか?」
「ああ。俺の女だ」
オトギリは噴き出した。
「へぇ! あの女にこんなにすぐ男ができるなんてな! まぁ、利用価値はすこぶる高いから当然か」
「そんなこと考えてねぇよ。あんな可愛くて優しい子、放っておくはずないだろ」
「そうかい。見た目も最上級だしな。記憶を失って、多少は可愛げが出てきたのかね」
レンフィが記憶喪失だと知っているということは、やはりオトギリは儀式のことも把握しており、教国の暗部に詳しいようだ。
思考力が鈍っていそうな今ならば、話題によっては口を滑らせるかもしれない。
リオルは殊更明るい声を出した。
「そうだよ。今のレンフィはめちゃくちゃ可愛い。だから、鬱陶しいんだよな。シンジュラって奴。レンフィのことを『理想の奴隷』とか抜かしやがった」
「シンジュラ様にも会ったのか」
「ああ。あいつ、レンフィのなんなんだよ」
口の端を持ち上げ、オトギリは言う。
「レンフィの夫になるはずだった御方だ。そんなに昔の男が気になるのか? 小さい奴だ」
「うるさい」
リオルがわざと低い声を出すと、さらにオトギリは楽しげに笑った。
「教えてやるよ。昔のレンフィがシンジュラ様の前でどんな感じだったか。媚びて色目を使って、それはそれはみっともなかったぞ。聖女と呼ばれていながら、中身は浅ましい女だった。寝台の上ではひどく乱れるとシンジュラ様から聞いたことが――」
リオルは心を無にして聞き流していた。
オトギリの話には信憑性がない。あの戦場の気高き聖女が、シンジュラに媚びへつらうとは思えなかった。おそらくはリオルが嫌がりそうなことを言っているだけだ。
それが分かっていても、話の内容は腹立たしい。ただでさえシンジュラの存在は癪に障るというのに。
レンフィに塔で起こった出来事について話した時のことを思い出し、リオルは奥歯を噛みしめた。
『そうなんだ……』
シンジュラについては、意外なほどあっさりとした反応だった。プルメリスの呪いをどうするのかという問題の方がよほど気になるようだ。
しかし教国から逃亡していなければ、いずれ教主の息子の妻になっていたという事実は少なからずショックなはずだ。今はプルメリスへの罪悪感が上回っているのかもしれないが、ふとした瞬間にレンフィが過去に思いを馳せて嫌な気持ちになるのではないかと思うと、それだけでシンジュラと教国へ強い憤りを覚える。
やっぱり、消えてもらわないと。
「シンジュラ・ブラッド・ルークベルは俺が殺す。もう二度とレンフィには関わらせない」
リオルから漏れた静かな殺気と凄まじい魔力に、オトギリが息を呑む。しかし、しばらくして頬を引き攣らせながら笑った。
「シンジュラ様は、誰にも殺せないさ。この世界の方が先に死ぬ」
「どういう意味だ」
「さぁ? その時が来れば分かるだろう。願わくは、オレも一目拝んでみたいものだ。白も黒もない灰色の世界を……」
オトギリはそれきり何を尋ねても喋らなくなった。




