83 未知
意を決し、レンフィは口を開いた。
「やっぱり、私が呪いを解き――」
「ダメだよ。この件に関しては、きみに決定権はないんだから。大人しく彼と一緒にムドーラに帰りなさい。それが望みだったんでしょ?」
「…………」
プルメリスの言葉に、成すすべなく肩を落とす。
全快したレンフィは、あの日起こった出来事についてリオルから詳しく説明を受けた。
肉の巨人が暴れまわったことも、塔にシンジュラ・ブラッド・ルークベルが現れたことも、スグリが決死の覚悟でプルメリスを守り、駆けつけたリオルがシンジュラを追い払ったことも。
そして、レンフィの生存が露見し、プルメリスに対して呪いを残していったことも。
すぐにレンフィはプルメリスに面会を求めた。二人きりで話をさせてもらえているのは、先にプルメリスが話をつけてくれていたからだろう。
王女の寝室まで案内をしてくれたのは侍女のアンズだ。彼女の足の怪我はすっかり回復していた。
一方、呪いの影響で体力を奪われているらしく、プルメリスは今も青白い顔をしてベッドに横たわっている。
その細い首筋には、やけどのような赤黒い痕が残っていた。シダールの背につけられていたマグノリアの呪いとよく似ている。あの爪痕よりももっと複雑で冷たい印象を受けるが。
「でも、私なら、呪いを解けるんですよね」
「……あいつ、わざわざ『その呪いは僕以外の“魔法士”には解呪できない』って言っていたからね。精霊術士なら話は別ってことでしょ。でも、今は解いちゃダメ。この呪いが解けたら、きみの生存が完全にバレちゃう」
シンジュラは「確かめたいことができた」と退却していった。それはおそらく、本当にレンフィが生存しており、リッシュア王国にいるのか確認するという意味だろう。
プルメリスにかけられた呪いは魔法では解けない。しかし精霊術にはさほど耐性がなく、実際レンフィなら難なく解呪が可能であった。
何もしなければプルメリスは一か月後には死んでしまう。にも関わらず、彼女もリッシュア王もレンフィに解呪を禁じていた。
シンジュラ自身が呪いを解く条件として提示したのは、プルメリスかレンフィの身柄を差し出すこと。
リッシュアゼル王家はこの要求に従うつもりはなかった。
レンフィは、戦場に飛び出した時から教国に生存が露見することを覚悟していた。
このまま呪いを解かずにいても、戦場に降らせた癒しの雨の話を聞けば、シンジュラはレンフィの生存を確信するだろう。
それが分かっていてもなお、リッシュアゼル王家はシンジュラの思惑通りに動くことを嫌がったのだ。
「馬鹿なことは考えないでね。自分からあいつのところに行こう、とか」
「それは――」
「絶対やめて。リオル将軍が激怒する」
「……はい」
自分を犠牲にすればプルメリスを助けられる。元はと言えば、逃亡したレンフィの身代わりにするために、シンジュラはプルメリスを攫いに来たのだ。ならば自分がプルメリスを救うのは当然のこと。
しかし今のレンフィは、シンジュラの元に行くことに強い嫌悪感を抱いていた。リオル以外の男に触れられたくない。覚えていないとはいえ、相手が過去の自分を苦しめた教国の教主の息子ならなおさらだ。
「わたしも、あの男のものになるくらいなら死んだ方がマシ。本当にあり得ないよね。強い力を持つ女なら誰でもいいって態度だったよ。きみにもわたしにも失礼すぎる」
「そう、ですね。昔の私もきっと嫌がると思います」
「うん。今のきみだって、わたしと同じ立場なら同じ選択をするでしょう?」
プルメリスは困ったように笑った。
「もちろん、本当に死ぬつもりはないよ。時の聖人様が居合わせてくれた幸運に感謝しなくちゃね」
「……あの、ウツロギさんを疑うわけではないのですが、大丈夫なのでしょうか?」
レンフィは不安に駆られていた。
プルメリスは一つの選択をした。
シンジュラの要求を拒否し、レンフィによる解呪も受け入れない。しかしプルメリスが死なずに済む唯一の方法を。
「時の精霊術で、戦いが終わるまで眠りにつくなんて……とても無茶だと思います」
ウツロギの力で呪いの進行を時間ごと止める。そのためにプルメリスは眠りにつくことになった。
シンジュラ、ひいては白亜教国との戦いに決着がつくまでだ。もしかしたら何年も眠ることになるかもしれない。
「健康には悪そうだよね。でも、ウツロギ様は平然としていたし、何度か同じことをしたことがあるって言っていた。だから大丈夫。そんな顔しないで。絶対にきみのせいじゃないから」
「プルメリス様……」
「わたしはレンフィさんとリオル将軍に、本当に、心の底から感謝してるんだ。この国の兵士と民、わたしの大切な人たちの命を救ってくれた。わたしは王女なのにほとんど何もできなかった……それどころかきみの名前を敵に漏らしちゃうし。本当にごめんなさい」
「いいえ、プルメリス様のせいでは――」
プルメリスはレンフィの両手を取り、優しく包み込む。そして言い聞かせるように告げた。
「レンフィさんはわたしに構っている場合じゃないよ。この世界と大好きな人のために、やるべきことをしなきゃ。そうしてくれた方がわたしも助かる。だから……」
赤い光を宿す瞳に、レンフィはゆっくりと頷きを返した。このままではお互いに自分を責め続けてしまう。
「はい。私、頑張ります。一日でも早く、プルメリス様が目覚められるように」
「ありがとう。あ、くれぐれも無茶はしないでね!」
満足げにプルメリスは微笑み、背伸びをした。
「わたしが目覚めたら、今度はもっとゆっくりお喋りをしよう。恋バナってやつ? またしたいな」
「あ、あの……今聞いてもいいですか」
二人きりにもかかわらず、レンフィは声を潜めて尋ねた。
「スグリさんとのことはどうなったのですか?」
一命を取り留めたスグリは、王都の病院で療養していると聞いた。プルメリスを命懸けで守った功績と、リオルの嘆願によって、国から処刑を下されることはなくなった。しかしリッシュア王が二人の仲を認めた、というわけではないらしい。
プルメリスはクッションをぎゅっと抱きしめた。その顔は笑いをこらえているようにも、悩んでいるようにも見えた。
「あの後一度だけスグリと話ができたんだ。お互いの気持ちも確認した。お父様も……もう少し粘れば許してくれそうな雰囲気だった」
「そうなんですね」
良かったです、と続けた言葉は悲痛な声に遮られた。
「でも、全部片付くまでお預けだよ! 私が目覚めるまでスグリは待ってるって言ってくれて、すっごく嬉しかったけど……ああ、心配! スグリに言い寄る女が現れたらどうしよう……!」
「だ、大丈夫ですよ。スグリさんは真面目そうですから」
「分からないよ。スグリだって若い男だもん。色仕掛けされたら理性が保たないかも。あーあ! こんなことなら駆け落ちした時にわたしから押し倒しておけば良かった! 一緒の宿に泊ったのに、全然手を出してくれなかったんだよ? ひどくない?」
八つ当たりされたクッションがベッドの上を跳ねる。
レンフィははにかみながら首を傾げた。
「押し倒す……手を出す……」
「えっ? …………あ、そっか!」
「ごめんなさい。ふんわりとしか分からなくて……」
目覚めてから三か月半。十歳程度の知識しかなかったレンフィも、様々な出来事を通じて男女の仲の進展についていろいろと悟っている。
しかし具体的な事柄や世間一般の感覚については、まだ何も学べていない。未知の領域なのである。
「そ、そう。なんか、こちらこそごめんなさい。まだ彼と付き合い始めて間もないんだっけ?」
「はい」
プルメリスは頬を赤く染めながら、気まずそうに俯いていたが、やがて何かを決意したように顔を上げた。
「絶対に知っておいた方がいい。あまりにも危ういし、リオル将軍も困るだろうし……うん。今日、まだ時間はあるよね?」
「え、はい」
「恋バナ先取り! ちょっとこっち来て。あのね――」
レンフィは男女の秘め事について耳打ちされ、数分後に目を回した。
部屋に戻る途中、レンフィは平静を保っていられなかった。
これまで不思議だった生命の神秘や男女の性差の謎が氷解し、軽くパニックに陥っていた。同時に、これまでの自分の言動を思い返す。
「うぅ……」
恥ずかしくて死にたくなったり、ムドーラの男性陣に感謝したくなったり、忙しない感情に挙動が連動し、足取りがふらふらする。まっすぐに歩けない。
「大丈夫っ?」
曲がり角の向こう側から声が聞こえた。レンフィは我に返って立ち止まる。しばらくして、女性が顔を出した。
「ああ、良かった。酔っ払いか重病人が歩いてくるんだと思って、慌てちゃったわ」
「え?」
三十から四十歳くらいのおっとりとした雰囲気の見知らぬ女性である。
自分の姿は見えていなかったはずなのに、とレンフィは首を傾げ、直後に理解した。
「もしかして空の精霊術、ですか……?」
「ええ、そうよ」
レンフィはまだ完全に使いこなせていないが、空の精霊術を用いれば、空間認識ができるようになる。目を瞑っていてもどこに物体があるか大体把握できるのだ。
目の前の女性は、曲がり角の向こうでふらふらと歩く人物がいるのを感じ、心配してくれたらしい。
「あなたがレンフィさんね。私は空の聖人のイベリスといいます。ウツロギ様に依頼されてリッシュアまで空間転移でお連れしたの」
ウツロギはムドーラからリッシュアまでの旅程を、イベリスの力で短縮したのだという。新しい聖人との遭遇にレンフィは内心身構える。
「ああ、私は教国所属の聖人ではないから、安心してね。ウツロギ様にご協力いただいて、普段は家族みんなで静かな山奥に隠れて暮らしているの。この力は強力すぎるでしょう? 本当は世界の役に立ちたいのだけれど、争うことになってしまいそうだから……困っちゃうわよね」
穏やかな微笑みと温かい声音に警戒心を解き、レンフィも名乗りを返した。
「レンフィ・スイと申します。あの、どこまでご存知かは分かりませんが、私も今は教国の聖人ではありません」
「ええ、大体の事情は聞いているわ。大変だったわね……まだこんなに若いのに」
心の底から労わるような言葉に、胸がじぃんと痺れた。目の前の女性は絶対に良い人だと確信できる。
「あなたは空の精霊様から寵愛を授かって、三指の聖人になったと聞いたわ」
「あ、はい」
「それは、黒脈の王にも匹敵しうる力よ。気をつけて」
人目を気にするような素振りを見せた後、イベリスは小声で囁いた。
「ウツロギ様に盲目的に従ってはダメよ」
「え」
「誤解しないでね。あの方は決して悪人ではないわ。けれど、あなたがウツロギ様に加勢したら、きっと誰も手を付けられなくなってしまうから……まぁ、どの勢力にも肩入れしないように立ち回ることをオススメするわ」
おそらく頼りなげで意志薄弱な自分を心配しているのだろう、と判断してレンフィは素直に頷く。
イベリスは切実な表情で、諭すように繰り返した。
「どうか、力の使い方は自分で考えて決めて。流されないでね」




