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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第五章 聖女と戦場の試練

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79 高みにいる者




 ミスルトに麦畑への同行を求められ、レンフィは戸惑いながらも承諾した。

 既に戦場は落ち着き始めている。リオルの無事も確認できた。しかし、ここまで関わってしまったのだから、最後まで力の限り働くとレンフィは決意した。

 自分の精霊術ならば怪我人の治療や畑の消火に役立てるし、麦畑までは少し距離がある。空間転移で向かえば時間が節約でき、救えるものが増えるかもしれない。


 心残りがあるとすれば、プルメリスのことと、リオルとまた離れ離れになること。


『じゃあ俺は姫様とスグリの救助に向かう。レンフィ、もし余力があるなら、塔まで飛ばしてくれ』

『そんな……怪我は治したけど、魔力は戻ってないよ。それに、また治療の反動で倒れちゃうかも』


 リオルはレンフィの不安を吹き飛ばすように笑った。


『大丈夫。無理はしない。心の中でスグリのことを疑っちまったから、できればその償いをしたいんだ。あいつが姫様のこと、純粋に愛してるわけじゃないってことは分かってる。でも、いいじゃんな。どんな事情があったって、敵を本気で好きになったって』


 スグリは、レンフィが想像していたよりずっと複雑な想いを抱えているようだ。敵同士の恋、と聞いてしまうと、他人事のように思えなくてレンフィはますますプルメリスたちのことが心配になった。


『本当に気をつけてね。畑の方が落ち着いたら、すぐに塔に行くから』

『いつかと逆になっちまったな。ああ、待ってる。向こうには聖人がいる。お前も十分に気をつけろよ』


 まずはリオルを塔の方角へ転移させ、それからレンフィもミスルトの希望通りの方角と距離に移動した。

 霊力をあまり消耗しないのが不思議だった。正確には、どれだけ使っても力が湧いてくる。


 辿り着いた先でレンフィはその光景を目の当たりにした。戦場に負けず劣らず、ひどい有様だった。

 そして、暴れている聖人を見て言葉を失す。


 オトギリ。ウツロギの精霊術によって“再生”された過去の映像で見た。オンガ村で虐殺を主導していた人物で、かつての自分と面識がある。


 時の記憶と、現実の視界が重なった。

 四年前から何も変わっていない。本当に、心の底から殺しを楽しむ人間なのだ。燃える畑から、物言わぬ屍から、悲鳴と怨嗟の声が聞こえてくるような気がした。


 唐突に、どうして今日に限って霊力の消耗が少ないのか理解した。


「分かりました。やってみます」


 姿は見えないが、近くにいるだろう精霊たちに告げる。本来精霊は人間に寵愛を与えたらもう二度とその者の人生に関わらない。

 ただ、協力してくれることはあるのだと、レンフィは直感的に学んだ。


 戦場もこの畑も汚れきっている。浄化しないといけない。

 レンフィとオトギリ、同じ聖人が敵対する立場にあれば、精霊は大地を癒す者を支援する。

 オトギリの残虐な行いを止めてくれ、と精霊に訴えられているような気がした。


 呆れてしまいそうになるほどオトギリは軽薄な男だった。

 こともあろうに、レンフィを教国へ連れ帰ろうと嘘を並べる。オンガ村での殺戮を見て、今目の前で平然と有毒な空気を巻き散らしておいて、彼の言葉に頷くはずがなかった。


「私は教国には帰りません。そして、あなたも……もう教国には帰れません」


 オトギリは、レンフィが全て知っていることを知らない。

 しかし、生存を知られてしまった以上、もう帰せない。この大地の平和はもちろん、自分の未来も自分で守る。


 レンフィが戦意を見せると、オトギリは引き攣った顔で笑った。


「はっ、昔は素直で扱いやすかったのに、随分と生意気になったな。でも、弱くなってるだろう? ちゃんと戦えるのか? 体が震えているぞ」


 言われてから気づく、

 指先がすっかり冷えてしまっており、少しの衝撃で座り込んでしまいそうなほど足元がふらついた。

 相手は生きた人間。魔物でも生物兵器でもない。攻撃するのが怖かった。


 だって、簡単に殺してしまえる。相手が手練の聖人でも関係ない。

 特に空の精霊術は人間には過ぎた力だ。扱いが難しいというよりも、扱わせてはいけない類の性能だった。自分が神になったかのように錯覚してしまう。


 レンフィは、恐怖を押し殺して前を見据えた。

 直後、オトギリが風の精霊術で突風を起こす。霊力の量と密度から考えて、鉄の塊で殴られるのと同じ威力だ。

 レンフィは目を閉じて、両指を胸の前で絡めた。


「レンフィさん!?」

「大丈夫、です」


 ミスルトに返事をしてから、レンフィは霊力を空間に広げた。

 否、霊力で空間を創り出した。


 感じる。この世界の果てを。

 空の精霊が区切って造り出した大きな器が世界を抱え込んでいる。

 同じことをする力が、今の自分にはある。脳の中枢に痺れるような痛みを感じつつ、はっきりと空の精霊術の使い方を理解した。


 白と虹色の線が宙に走る。慎重に、丁寧に、世界を切り取っていった。


 オトギリは知らなかった。レンフィが三指の聖人になりかけていることを。

 風が途切れて霧散すると、オトギリは驚愕の表情を見せた。何かの間違いだと次々と精霊術を使うが、全てが空振りに終わる。


「どういうことだっ! レンフィ、お前、一体何を!?」


 もう誰にも血を流させない。戦いを強制的に終わらせる。


 レンフィは創り出した空間を急速に縮め、オトギリを閉じ込めた。空の精霊術によって彼は世界と隔絶された。そこに存在していても、もうその力が外側に伝わることはない。


「これは、まさか空の……っ!」


 オトギリは目に見えない壁に拳を叩きつける。当然、びくともしない。


 頭痛を堪えながら、レンフィは告げる。


「ごめんなさい。きっと、ここで命を奪う方があなたにとっては慈悲なのだと思います。だけど、やっぱり私にはできないから……大人しく、捕まってください」


 この男はあまりにも多くの人間を殺しすぎた。その報いを受けることになるだろう。より苦痛に塗れた死が降り注ぐに違いなかった。

 少なくともアザミは絶対にオトギリを許さない。

 当然だと思う。しかし、同時に罪悪感を抱いてしまうのだ。

 本来ならば、自分も同じように報いを受けるはずだった。幸運に恵まれ、優しい出会いに守られて、レンフィは生きることを許されている。


「本当にごめんなさい」


 オトギリの罵詈雑言から耳を塞ぎ、レンフィは申し訳ない気持ちで背を向けた。

 その圧倒的高みから憐れむ態度が、何よりもオトギリに屈辱を与えていたことには気づかなかった。






 空の精霊術によりあっという間に塔の近くに転移したリオルは、今まさに殺されそうになっているスグリを助け、黒髪の少年と相対した。

 平静を装いながらも、背中に冷たい汗が伝う。

 敵への第一印象で、こんなにも危機感を抱いたのは聖女レンフィ以来だった。


「僕の敵、か。雑魚にしては、思い切ったことを言ったものだ」


 リオルが戦場で剣を振るうようになって、雑魚扱いされたのは初めてだった。しかし怒る気になれない。

 相手が一体どれほどの魔力をその身に宿しているのか、底が見えない。シダールと同じかそれ以上の力の圧を感じる。

 しかもただの魔力ではない。寒気がするようなおぞましいものを身の内に潜ませている。


 まずい。まさかこれほどの力を持つ黒脈の男がプルメリスを攫いに来ているとは。


 レンフィのおかげで怪我は治っているが、気力と魔力は戻っていない。少し気を抜くと体がふらつくような状態だ。

 剣だけはミスルトに良いものを借りてきたが、使い慣れていないことには変わりない。

 万全の状態でも勝てるか分からない相手に、現状では勝負にならない。

 何よりネックなのは時間だ。早く治療を受けなければ、スグリが出血多量で死んでしまう。それでは駆けつけてきた意味がない。


「姫様、治癒魔法は?」

「ごめんっ、使えない! スグリ……アンズ……っ」


 プルメリスは半狂乱になりながら、スグリの傍らで涙を落としている。その奥では額に脂汗を浮かべ、悲痛な表情をしているアンズの姿があった。もうまともに動ける者はいない。


「プルメリスを……」


 スグリがかすれた声で呟く。

 姫を優先して逃がすべき、というのはリオルも理解している。しかし相手が獲物をみすみす逃すはずがない。戦いは避けられないのだ。


 その時だった。地平線からギャロップの音が聞こえてきた。


「プルメリス! 状況を説明しろ!」


 レドウが部下を四人の騎馬兵を引き連れて、駆けてきた。

 リオルには神々の助けに思えた。


「そいつはシンジュラ・ブラッド・ルークベルと名乗った! ルークベルの生き残りだよ! 高度な魔法を使う! 気をつけて!」


 プルメリスの言葉に、リオルは苦々しい気持ちになった。

 やはりこの少年がシンジュラで間違いない。マイス白亜教国の教主リンデンと、黒脈のルークベル王家の姫の血を引く者。おそらくレンフィの儀式に深く関わっているが、教国で現在どのような立ち位置にいるのかは不明だ。

 レンフィと一緒に来なくて良かったと心から思った。


 レドウを含む四つの騎馬がシンジュラを囲む。もう一体の馬から医療官の男が降りて、プルメリスに駆け寄った。

 リオルをちらりと一瞥した後、レドウが鼻を鳴らす。


「単身、我が王国の姫を攫いに来たということか。その服は、教国のものに見えるが……さては白亜教国が黒脈を傀儡にしていたのか」

「……また雑魚が一人。次から次へと面倒な」


 シンジュラは吐き捨てるように言った。

 レドウのこめかみに血管が浮き上がる。黒脈の一族の者として、雑魚扱いは看過できないのだろう。

 リオルはレドウを宥めるために声をかけた。


「挑発に乗ったらダメです。ただの強がりっすよ」

「分かっている! 貴様は下がっていろ。我々が相手をする」

「基本は任せます。でも、隙があれば俺も――」


 合図や予備動作などは一切なかった。突然、宙で閃光が爆ぜた。

 シンジュラの繰り出す雷の魔法が直撃し、全ての馬が黒い煙を上げて倒れた。騎馬兵も二人痙攣したまま地に伏せている。

 魔法に怯まなかった兵士が一人、馬から飛び降りる勢いのままにシンジュラに斬りかかった。


「鬱陶しいな」


 土の杭がその体を串刺し、鮮血が飛び散った。


 魔法の発動の速さが精霊術並みに早い。構築が必要な分、魔法はタイムラグが生じるものだが、シンジュラにはその素振りがまるでないのだ。


 リオルは舌打ちをしながら地を蹴った。鋭く伸びてきた土の杭を避けながら破壊し、シンジュラに肉薄する。今度は風の魔法に押し返されそうになった。気合で耐えて剣を振るうが、剣筋を限定されたせいで難なく避けられてしまった。

 リオルが仕留めそこなった間に、レドウが先回りして豪快に剣を振り下ろした。しかし次の瞬間には地面がシンジュラを掬うように盛り上がり、彼は軽々と宙に逃げ、また間合いが開いた。


「お前たち二人は雑魚にしてはなかなかだ。だが、僕の相手にはならない。だいぶ魔力を消耗しているな? 戦場の巨人は楽しめたか?」


 レドウは忌々し気に震え、リオルはシンジュラを睨みつけた。


「やっぱり、お前の魔法か」

「だったらどうした」

「……ムカつく」


 脳裏によぎるのは、自分を庇って負傷した父親の姿だ。

 本当は、レンフィに事情を話して治療を頼みたかった。それが無理でも様子を見に行きたかった。

 昔からしぶといからきっと死にはしない。そう強引に自分を納得させ、いろいろなことを我慢してここに来ている。


 屍を利用した非人道的な魔法兵器を暴れさせ、敵味方関係なく多くの兵の命を奪っておきながら、全く心を痛めていないシンジュラの様子に、リオルは腹の中が煮えくり返りそうになった。


「どうして!? お願い! スグリを治して!」

「申し訳ありません。たとえ姫様の命令でも、この者のために貴重な魔力を消費するわけにはいきません。レドウ様とプルメリス様の命を優先させていただきます」


 睨み合いの緊迫感を打ち消すほどの声。プルメリスと医療官の男がスグリの治療のことで揉めていた。

 リオルにも医療官の主張は理解できる。優先して守るべきは王族の命だ。魔力に限りがある以上、スグリの治療を渋るのは当然だった。


「それに……はっきり申し上げて、私の治癒魔法では彼を救うことはできません。血を流しすぎていて、もう……」

「そんな! お願い! もう何も望まないから、私の命なんてどうでもいいから、スグリだけは……!」


 プルメリスの悲痛な声に、リオルは奥歯を噛みしめた。

 スグリを塔に向かわせたのは自分だ。姫を守るという一点においてその判断に間違いはなかった。しかし、プルメリスだけが助かっても意味がない。


「お願い、お願いします……誰か、スグリを助けて……」


 リオルは葛藤する。

 今すぐレンフィに来て欲しい気持ちと、やはりシンジュラの前に姿を現さないでほしい気持ちがせめぎ合う。

 だから、プルメリスのことは責められない。


「レンフィさん……」


 縋るような涙声が、荒野に落とされる。

 その決定的な一言に、シンジュラが目を見開いた。



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