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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第五章 聖女と戦場の試練

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76 襲撃


 傭兵も軍人も、異様に甘い雰囲気で抱き合う二人を遠巻きに眺め、声を掛けられずにいた。

 恐ろしい巨人の群れをほぼ一人で殲滅した若い傭兵と、戦場全体に浄化と癒しの雨を降らせる聖人の少女。

 一体、何者なのか。規格外すぎて憶測すら口にできない。


「二人とも、無事か!」


 その甘い世界は、蹄の音で破壊された。

 ミスルトが馬から降りて、レンフィとリオルに駆け寄る。


 王太子の登場にますます周辺の傭兵たちは騒ぎ立ったが、護衛に散らされて渋々持ち場に戻った。教国兵はすっかり戦意を喪失しているものの、配置に穴をあけるわけにはいかない。


「報告は届いている。感謝するぞ、リオル殿。よく戦ってくれた! 貴殿が左翼側の巨人を根こそぎ受け持ってくれたおかげで、我が軍の壊滅は免れた……!」


 感極まった様子のミスルトに、レンフィとリオルは体を離して居住まいを正す。急激に現実に引き戻されたせいか、二人揃ってぼんやりしていた。


「恥ずかしい話、右翼側はだいぶ苦戦していた。しかしこの雨が降り始めてから巨人どもの動きがだいぶ鈍って、一気に討伐が進んだ。レンフィさんの力だったのだな。本当に、なんと礼を言えば良いのか」

「いえ、あの、お役に立てたのなら良かったです……」

「しかし、これほど広範囲に精霊術を使って、霊力は大丈夫なのか?」

「はい。まだ余裕があります。不思議とあまり消耗がなくて」

「そ、そうか……さすがだ」


 今になってレンフィは血の気の引く思いをしていた。「むやみに治癒術を使ってはならない」というサフランの教えを守らなかった。命を落とす瀬戸際の怪我人がいるかも、と思ったら自制ができなかったのだ。

 他国の戦場で勝手なことをして怒られるかと身構えていたのだが、ミスルトは労うばかりでその素振りがない。レンフィはひとまず胸を撫で下ろした。


「すまないが、簡潔に情報共有をしたい」


 先にミスルトが現状を語った。

 右翼側の巨人はほぼ制圧し、教国兵も敗走を始めている。重傷者多数だが、癒しの雨の効果もあって動ける者も増えてきた。今は騎馬隊を中心に追撃と、敵本陣の捜索を行っている。


「問題は、内部だ」


 敵の聖人がリッシュア領土内に侵入し、農村を襲い、麦畑を燃やしている。精鋭の騎馬隊を向かわせたが、未だに手こずっているという。


「ミスルト様。俺の連絡魔法は届いていますか?」

「ああ。私も陽動だと思う。敵の目的がプルメリスという可能性も、確かにあり得る。それで、塔にはレドウの隊を向かわせた。手負いなのに巨人と戦い続けると聞かなくて、ならばとつい先ほどプルメリスの迎えを命じたのだが……」


 その言葉にレンフィははっとなった。


「プルメリス様に何か? それに、そう言えば、スグリさんは?」


 今度はリオルが、バツが悪そうに事情を説明してくれた。

 ほぼ同時刻に戦場に巨人が現れ、麦畑が燃やされた。この混乱に乗じて何か良からぬことをしようという陽動作戦かもしれず、不吉な予感に従って、リオルはスグリをプルメリスの元へ向かわせたらしい。


「まだレドウから連絡がない。皆、無事だと良いのだが……」

「ヤバい。スグリとレドウ様が鉢合わせになるのも危ねぇよな。レンフィは二人とはすれ違わなかったか?」

「あ、えっと、実は――」


 最後にレンフィが説明する。

 自分は空の精霊術によって空間転移してここに来た。本当につい十数分前まで塔でプルメリスと一緒にいたが、その時は何も異変を感じなかった。


「マジかぁ。ついに三指の聖人?」

「まだ仮だよ。汝の力を示せって言われて……」


 とりあえず塔から戦場までの空間転移はできた。しかし、空の精霊術の神髄には程遠い。もっともっといろいろなことができそうだった。


「ううん、それよりもプルメリス様たちが心配。早く助けに――」

「それなのだが、レンフィさん。折り入って頼みがある」


 ミスルトは申し訳なさそうに目を伏せた。






 レンフィが窓から身を投げ、空間転移したのを見届けたプルメリスは、とある決意を固めた。


「姫様!? どうしました、悲鳴が聞こえましたが!」

「アンズ、着替え。乗馬服を出して」

「え?」


 駆け込んできたアンズにプルメリスは凛と告げた。


「わたしも戦場に行く。何か異常事態が起きているのかもしれないんだ。劣勢になっているなら、兵たちを鼓舞するのを手伝う」


 もう塔に閉じこもってはいられなかった。恋人の元へ駆けつけていったレンフィを見習う。


「え!? 姫様がそのようなことなさらなくても」

「褒賞の姫が目の前に現れれば、やる気になる男もいるでしょう? わたしだって、リッシュアゼルの女だよ。戦場に臆したりしない。……というのは建前で、様子を見に行きたいんだ。どうしても心配で」


 アンズはおろおろと迷う素振りを見せたが、結局は着替えを手伝ってくれた。小さい頃からずっと面倒を見てくれているアンズは、プルメリスにとってもう一人の姉のような存在だった。つい甘えてしまう。家族以外で心から信頼できるのはアンズだけだ。


「…………」


 スグリのことは心の底から愛している。けれど、信頼はできない。彼は本当の気持ちを教えてくれないから。

 プルメリスは慌ただしく着替えを済ませ、アンズとともに部屋を出た。

 まずは見張りの兵を説得して馬を借りる。話が通じないようなら、魔力で威圧することも辞さない。

 久しぶりに塔の外に出て、その空気を味わう間もなく簡易厩舎に向かう。


「?」


 その途中、異様な気配にプルメリスは立ち止まる。首筋がひやりとした。誰かに見られている。

 直後、首を傾げているアンズを思い切り突き飛ばして一緒に地面に倒れ伏す。風を切る音が耳をかすめていった。


「なかなか勘が良い。さすがリッシュアゼルの姫だ」


 気づくと、荒野に一人の少年が立っていた。無造作にフードを脱いだ姿に、プルメリスは息を呑む。

 透き通りそうなほど白い肌に、黒髪黒目が良く映える。非常に見目美しい少年だった。高位の聖職者が纏う純白の祭服を纏っている。


「黒脈……どうして」


 彼は血に濡れた剣を手にしていた。見れば、遠くで見張りの兵士たちが倒れている。

 レンフィやリオルとは違う、明らかな敵対行為。

 最悪の状況だと理解し、プルメリスは戸惑うアンズを背に庇いながら少年に相対する。


「きみは誰? このわたしになんの挨拶もせず、攻撃魔法を使ってくるなんて、一体なんのつもりかな?」


 声が微かに震えた。自分よりも年下の少年であったが、随分と恐ろしい相手に思える。


「大人しく僕と一緒に来い」

「な!? ……神の血を宿していながら、きみには教養がないみたい。あいにく、わたしは生まれがすこぶる良くてね。名も目的も言わない男について行くような教育は受けてない」


 気丈に振る舞いながらも、肌で彼の莫大な魔力を感じ、心が折れそうになっていた。自身はもちろん、兄や父よりもずっと強い。戦闘になったら敵わないだろう。

 彼の正体に思い当たるところがある。つい先日話を聞いたばかりだ。自分が遭遇することになるなんて、夢にも思っていなかったけれど。


 少年は面倒くさそうに顔を顰め、剣を構えた。


「……僕は、シンジュラ・ブラッド・ルークベル」


 やはり。プルメリスは静かに息を呑む。

 レンフィたちから聞いた教国で囲っている黒脈の王子だ。


「ルークベル……なぜ、亡国の黒脈が……わたしに一体何の用なの?」


 知っていることを知られてはいけない。プルメリスは不自然な反応しないように注意しつつ、相手の反応を探る。


「黒脈の王が、他国の姫を求める理由など一つしかないだろう。魔力の釣り合いを取るためだ」


 まさかと思っていたが、本当にそうなのかとプルメリスは戦慄した。

 嫌だ。全身が拒絶する。


 その反応を見て、シンジュラは吐き捨てるように言った。


「お前の感情などどうでもいい。無理矢理攫って行くだけだ」


 血濡れの剣が空を裂く。プルメリスは咄嗟に魔力で防御壁を構築した。


「くっ!」

「姫様!」


 魔法で作られた赤い刃が飛来し、防御壁をいとも容易く打ち破った。肩口が斬れて血が滲む。

 痛みをこらえ、プルメリスはアンズに小声で告げた。


「合図をしたら塔の中に逃げ込んで。わたしが足止めする。お兄様に連絡魔法を飛ばして」

「そんな、姫様、足止めならば私が――!」

「攫って行くつもりみたいだからわたしは殺されないし、アンズのことは追わないかもしれない。とにかく今は、この事態を伝えないと。お願いだから言う通りに動いて」


 アンズは泣きそうな表情で頷く。

 プルメリスは傷口を手で押さえて立ち上がった。近づいて来ようとしたシンジュラが訝しげな表情を見せる。


「まさか抵抗するつもりか? 実力が理解できていないらしい」

「リッシュアゼルは屈しない。敵わなくとも、立ち向かう」

「……馬鹿馬鹿しい」


 再び剣を構えるシンジュラを見て、プルメリスは叫んだ。


「アンズ!」


 アンズが駆け出すのと、シンジュラが魔法を発動するのはほぼ同時だった。プルメリスはアンズの盾になる位置に移動し、全ての魔力を防御壁に注ぎ込む。


「愚かだ」


 しかし、今度の魔法は血の刃ではなかった。注意が疎かになっていた地面が一気にひび割れて、足を取られる。プルメリスも、アンズもその場に倒れ込んだ。


「少し躾が必要だな。お前の行動のツケを、従者に支払ってもらおう」

「きゃあ!」


 土が蛇のように蠢き、アンズの足を締め付けた。


「やめて! アンズを離して!」


 焦るプルメリスを見て、シンジュラはぞっとするほど虚ろな瞳で微笑んだ。

 締め付けられた足から、耳を覆いたくなるような生々しい音が鳴った。アンズは絶叫し、地面をのたうちまわる。


「別に、見知らぬ女を痛めつけても愉しくはないな。分からない……」


 そう呟きながら、シンジュラは冷ややかな視線をプルメリスに向けた。


「今度は背骨を折ってみようか。その前に、あばらが砕けてしまうだろうけど」

「待って。分かった。大人しくついて行くから、これ以上はもうやめてください……お願いします」


 目の前でアンズを殺されるなど耐えられない。プルメリスは地面に伏せるように頭を下げ、必死に許しを請うた。


「つまらない。お前の矜持はそんなものか。王の娘らしく、従者など見捨ててしまえばよいものを……」


 白けたようにシンジュラは息を吐く。プルメリスに歩み寄り、その腕を無理矢理引っ張り上げた。


「しばらく眠っていてもらおうか。下手な抵抗をすれば、このまま殺す」

「うっ」


 片手で首を圧迫され、魔力を込められる。人間を昏倒させる魔法なのか、見る見るうちに視界が真っ白になり、プルメリスは恐怖と苦しさで歯を食いしばった。


 その時、蹄の音が大地に響いた。

 顔を上げたシンジュラの鼻先を矢がかすめる。それがほとんど間隙なく続き、魔法の構築が狂いそうになったのだろう。やむを得ずといった様子でプルメリスを解放して距離を取る。


 点でしかなかった騎馬が見る見るうちに近づいてきて、シンジュラとプルメリスの間に滑り込んだ。


「無事か、プルメリス!」


 プルメリスは一粒の涙を荒野に落とした。嘘みたいだった。霞む視界にスグリの背が見える。

 助けに来てくれるなんて思わなかった。

 嬉しい。しかしそれ以上の絶望が脳裏を埋め尽くす。


「っダメ! 逃げて……!」


 シンジュラが不快そうに顔を歪める。


「なんだ、貴様は。傭兵か?」

「違う。……この女は俺のものだ。手出しは許さない」


 弓を構えるスグリに対し、シンジュラは哀れむように笑った。


「そうか。では、跡形もなく消えてもらおう」



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