73 動き出す者たち
巨人が立ち上がる数十分前。
快晴の空に狼煙を上げさせた後、シンジュラは出陣の挨拶に来た聖人二人の首を剣で斬った。
完全に不意を突いており、二人とも精霊術を使う間もなく、呆気なく血の海に沈む。
天幕が真っ赤に染まるが、シンジュラ自身は水の魔法で防御して身綺麗なままだった。
「な……なぜっ」
事切れる寸前、土の聖人がそう呟いた。
シンジュラは清々しい笑顔で答える。
「この魔法を発動するためには、莫大な“魔力”が必要なんだ。お前たちは、魔石の代わりだ。尊い犠牲に感謝を」
もはや痙攣するだけの聖人たちを見下ろし、シンジュラは宙に手をかざす。
構築したのは“反転”の魔法――魔力を霊力へ、あるいは霊力を魔力へひっくり返すもの。
「“白”を“黒”へ……そして、ルークベルの禁魔法の糧となれ」
聖人二人の莫大な霊力が魔力に代わり、遺体が禍々しい黒い光を放つ。
これでルークベル王家に伝わる禁じられた魔法の発動条件が揃った。
戦場に散らばる腐乱した屍、血を吸った汚れた大地、各所に配置した一年物の魔石。
そして、聖人二人の死と引き換えに得た莫大な“魔力”。
シンジュラは躊躇うことなく、高度な構築を施した禁魔法を行使した。
「さぁ、無能な人間ども。己の屍でさらに大地を汚すといい」
力を吸い取られた聖人の死体が灰になって消えると、戦場に黒い怨念が飛んでいった。
魔法は完璧に発動した。
間もなく、魔石が死体の肉を集めて巨人を創る。感情を持たず、痛みを感じない殺戮に特化した巨人だ。
敵も味方も関係なく、動く者はみんな攻撃対象にした。殺した死体をさらに取り込み、より大型になっていく。
もちろん無敵ではない。胸の魔石が割れれば止まる。
ただし、割れた後には別の魔法が発動するように、二重の仕掛けを施しておいた。これで両軍ともに壊滅的な被害を受けるだろう。
惨劇という言葉にふさわしい光景が広がるに違いない。オトギリが見たがるのも無理はなかった。
「どうでもいいことだ……」
大魔法を発動した後だというのに、シンジュラはなんの達成感も抱かないまま天幕を出た。魔法の余波で近くにいた兵士たちは気を失っていた。眠ったまま巨人に踏みつぶされるのは、もしかしたらマシな死に方かもしれない。
意識のある馬を見つけ、またがる。目立つ黒髪をフードで隠し、誰にも見咎められることなく陣を離れた。
最初から戦争の勝敗には興味がなかった。シンジュラがこの戦場で重要視するものは一つ。
遠くに霞む塔に向かうため、静かに手綱を操った。
教国の陣で狼煙が上がったという報告を受けたしばらく後、ミスルトに驚愕の情報がもたらされた。
「麦畑が燃えている、だと?」
「はい! 近隣の農村にも被害が出ています! 物資もやられました!」
この戦場から馬で数十分の距離に、開墾したばかりの麦畑がある。昨年の戦争でわずかに領土が広がった分、民を移動させたのだ。たとえ国境に近くとも、リッシュアには土地を遊ばせておく余裕はなかった。
先ほどそこに一人の教国兵が現れ、民を惨殺し、秋蒔きの麦に火を放ったという。風に煽られて火はどんどん大きくなり、消火に手こずっているという。
村には軍の物資を一部保管していたため、常駐していた兵士が連絡魔法でそれらの情報を伝えてきた。
「敵は一人か。おそらく聖人だな。このような卑劣な真似をしてくるとは……!」
侵入を許したのはリッシュア軍の落ち度ではあるが、無辜の民に手をかけ、大地の豊穣を無に帰すとは白亜教徒にあるまじき行為だ。
最初からこのような作戦だったのか、形勢が不利と見て教義をかなぐり捨てて策を弄したのか。どちらにせよ許しがたい。
未だに敵将の正体は分からないが、外道であることは確定した。
「至急応援部隊を向かわせる。さらに内部の畑を焼かれたら事だ。念のため、王都にも連絡を」
開墾したての畑はまだいい。
そう遠くない距離にさらに広大な畑がある。そこを焼かせるわけにはいかない。夏に収穫する麦が無くなれば、周辺の多くの民が次の冬を越せなくなってしまう。
「現地にいる兵には、足止めに専念するように伝えよ」
ミスルトは胸の内にたぎる怒りを瞬時に収め、冷静に戦力を割り振る。聖人が相手ならば、それなりの数の兵士を向かわせねばならない。
敵を見失うわけにはいかないのだ。確実に仕留めさせる。陣の後方から不意に攻撃されたら、一気に形成が傾いてしまうだろう。聖人にはたった一人で戦況を覆す力があるのだ。
「予備の騎馬兵を全て出す。準備を急がせよ。それと、レドウを陣に呼び戻せ」
「はっ」
畑の燃え広がり方がどの程度なのか、情報が足りない。全滅ならば潔く諦めるが、少しでも生き残る麦があるのなら消火作業もさせたい。民の救護も必要だろう。水の魔法を使える者と医療官を何人か選抜する。
「レドウはまだか。一体何をして――」
「殿下! 大変です!」
血相を変えて監視係が天幕に飛び込んできた。
「戦場に巨人の化け物が現れ、レドウ様が負傷しました――!」
その報告により、リッシュア軍は大混乱に陥った。
リオルは腐臭に顔を顰める。
ただでさえ動き続けて苦しいというのに、呼吸も満足にできない。
図体の割に素早い巨人の一撃をかろうじて避け、その足を剣で切断する。
四肢を切り落としてもあまり意味がない。すぐにまた死肉が集まって再生してしまうのだ。しかも新しく生える手足は長さが変わるため、攻撃の度に間合いを測らねばならなかった。
しかし付け込む隙はある。
敵は俊敏で力もあるが、体を傾けられると動きが鈍るのだ。かなりの質量を二本の足で支えているからバランスが悪いのだろう。
リオルは剣を振り抜いた反動を利用して巨人に蹴りを入れ、体勢を崩した。
「っ!」
巨人が動きを止めた一瞬、矢がその胸を射抜く。動力源らしい魔石を破壊されると、ようやく巨人の体が崩壊する。
「さすが」
スグリの弓矢の腕は本当に素晴らしかった。スカウトしてムドーラに連れ帰りたいくらいだ。彼の腕ならば教国兵相手でも引き付け役ではなく、メインのアタッカーとして活躍できる。
「けほっ」
巨人の残骸は崩れてもなお酷い臭いだった。魔力の残滓が揺らぎ、さながら呪いのように灰色の瘴気を放っている。
他の傭兵たちが束になってようやく一体倒す間に、リオルとスグリの二人だけで既に四体の巨人を葬っていた。
それでもまだまだ巨人はいる。特に中央と右翼がまともに機能していないのか、先ほどから男の悲鳴ばかりが聞こえてきた。
左翼でも負傷者が多く、どんどん離脱者が出ていた。戦線が崩壊するのも時間の問題だ。
リオルは駆け寄ってきたスグリに尋ねる。
「これじゃ、キリがなさそうだな。軍からの指示は?」
「何も。だが、麦畑が燃えている、という話が聞こえた」
「はぁ? かなり混乱してるんだな」
それとも、本当に近くの畑から火が上がっているのだろうか。偶然とは思えないタイミングである。
「ま、火事はここからじゃどうにもできねぇ。俺たちにできるのはこのまま巨人を倒し続けるか、敵将を捜して殺すくらいだな……でも、魔石を動力にしてるってことは、魔法士を倒しても巨人は消えないよな、多分」
「そうなのか。俺は、魔法については全く分からない」
「俺も自信ねぇよ」
もう少し魔法の原理を勉強しておけば良かった。判断の決め手がない。
アザミやヘイズなら、あの魔石の大きさから巨人の稼働時間などを割り出せるに違いなかった。
話す間にスグリが背の矢筒から新しい矢を手に取り、弓に番える。
「あ」
その矢が音も立てずに真っ二つに縦に裂けた。こんな不吉な壊れ方をする矢をリオルは初めて見た。
「……プルメリス」
スグリは青ざめて、塔の方向を振り返った。リオルもまた、レンフィのいる塔を仰ぐ。
一見して何も変わりはない。しかし、戦場に現れた醜悪な巨人や、畑が燃えているという報せを思い返し、胸騒ぎを覚えた。さらに良からぬことが起ころうとしているのではないか。
この巨人が教国の仕業だとしたら、明らかに動きがおかしい。味方まで攻撃する必要はない。何より、教国兵たちは何も知らされないようで、リッシュアを非難する声を上げている。
分かる者には巨人が魔法で動いていると感じ取れるのだ。ならば、リッシュア側が疑われるのは当然とも言えた。
しかしリオルは知っている。
教国の中枢に高度な魔法を使える“黒”の者がいることを。
シンジュラ・ブラッド・ルークベル。
今は亡き魔法大国の黒脈の王子。
白亜教徒としては随分と無茶をすると思ったが、相手が黒脈ならば納得だ。しかし教主の息子でありながら、“白”の体裁を取り繕う気がないらしい。
彼の具体的な目的は分からない。
しかし、両軍乱れての混沌とした状況が彼の思惑通りだとしたら、戦争の勝利が目的ではないのかもしれない。
「まさか……」
陽動。
リオルはその可能性に奥歯を噛み締めた。両軍の目を欺いて、勝利以外の何かを手に入れようとしているのだとしたら。
周囲を見渡す。また新たな巨人がこちらに駆けてくる。
どう動くべきか、リオルが迷ったのは一瞬だった。
「……スグリ。今すぐ塔の様子を見てきてくれないか。できれば、アンズさんっていう侍女を呼び出して、姫様とあいつの身柄をリッシュアの本陣に移すように伝えて欲しい」
リオルは己の勘に従うことにした。
塔にプルメリスとレンフィを残しておくのは危険だ。戦場よりも、よほど。
「いきなり何を……俺に戦場から離れろというのか」
「ああ。今なら行ける」
混乱が収まる気配はなく、軍の監視が機能していない。今ならば戦場から離脱したところで誰にも咎められないだろう。既に、何人か戦闘を放棄して逃げ出しているが、追いかける者はいなかった。
「向こうの様子が気になるんだ。でも、俺はここを離れるわけにはいかない」
「そ、それは俺も同じだ。戦功を挙げなければ」
「集中して戦えるのか? 手、さっきからずっと震えてるぜ」
「!」
スグリは壊れた矢を握り締め、逡巡した後、頷いた。
「……すぐに戻る」
「そうしてくれると助かる。頼む。気をつけてな」
「それはこちらの言葉だ」
スグリは主を失くした馬を捕まえ、すぐに手懐けて駆けさせた。
その背を見送りながら、リオルは心から安堵していた。ここでスグリが己の武功よりも、プルメリスの危機を優先してくれたから。
「はぁ……でも、ここから一人かよ」
リオルは改めて剣を構え、新たな巨人と対面する。
手を抜く余地はなかった。仕方がない。リオルは抑えていた魔力を全身に滾らせる。
振り下ろされた拳から巨人の体を駆け上がり、一閃。
胸の魔石を粉々に砕くと、自らの剣にもヒビが入った。
「げ!」
着地と同時に巨人が倒れる。しかしまた新しい巨人がこちらに向かってきた。
仕方なく、転がっている死体の剣を拝借し、構え直す。
「悪いな。仇を取ってやるから貸してくれ」
慣れない武器、思惑の見えない敵、信頼できる仲間のいない戦場。
リオルは神経を削り取られるような戦いを余儀なくされた。




