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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第五章 聖女と戦場の試練

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71 姫と狩人の馴れ初め


 開戦から二日が経った。

 リッシュア軍優勢の報せを受けて、レンフィはプルメリスとともに安堵の息を漏らした。リオルとスグリも無事らしい。


「平野なら騎馬兵が活躍できるし、それほど苦戦はしないと思っていたけど……でもまだ聖人が出てきてないなら油断はできないね」


 プルメリスの言葉に頷き、レンフィは拳を握り締めた。

 今のところ教国軍の動きは消極的だ。いたずらに兵を消費するばかりで何を考えているのか分からない。どこか不気味な気配があった。


「ところで、レンフィさん……それ、何個目?」

「ちょうど四十個目です。あと追加で十個くらいならいけます」


 レンフィは今、樽に霊力を込めていた。

 正確には、空っぽの樽に霊力から生み出した水を注いでいる。塔の中でただ待っているだけではなく、何か役に立てることがしたかったのだ。水の供給ならお手の物である。


「これだけじゃ、あまり意味がないかもしれませんが……」

「そんなことありません! すごく助かりますよ!」


 追加の樽を運んできたアンズは、興奮した様子で言った。


「枯れた井戸を復活していただけたのも嬉しいです。本当にありがとうございます」


 早朝、塔の近くにある古井戸を浄化してきた。

 水脈自体が弱っていたので、しばらくしたらまた水が出なくなってしまう。それは説明したのだが、アンズは飛び上がって喜んでくれた。今までは洗濯や料理もままならなかったそうだ。

 水源に恵まれたムドーラとは違い、リッシュアは水に値段が付く国だ。特に飲み水にも怪我の治療にも使える透明度の高い水は、大きな価値を持つという。


「雨が降ってくれればいいんですけど、こればかりは分かりませんからね。水を蓄えておけば、いざという時にも安心です!」


 アンズの仕事を増やしてしまって申し訳なく思っていたが、本人は嬉々として水の入った樽に板で封をし、魔力による筋力強化によって、軽々と樽を運び出していく。折を見て軍人に取りに来てもらうそうだ。


「霊力は平気なの?」

「はい。いつでも怪我の治療ができるくらいは残しています。大丈夫です」


 プルメリスは呆れていた。


「あまり役に立たない方が良いんじゃないかな? こんなことは言いたくないけど、有能すぎると帰してもらえなくなるかもしれないよ。ミスルトお兄様は、国のためなら冷酷になれる人だ」


 ムドーラ王国で散々自分の価値を推し量られてきたレンフィにも、それは容易に想像できた。水の精霊術を自在に使えるというのは、この国では大きな価値を持つ。


「心配してくださってありがとうございます。でも、いいんです。今は少しでも戦っている方たちの役に立ちたい」


 今は自分の身の安全よりも、戦士たちの渇きや怪我を癒せることの方が大切だ。命懸けで戦っているリオルたちのためにできることは何でもしたかった。水があって困ることはないだろう。


 開戦初日、リオルからミスルトの部下を通じて言付けが届いた。


『ごめん。会いに行けない。怪我はないから心配するな』


 たったそれだけのメモを渡され、レンフィは消沈した。

 会いに来られないくらい疲労困憊なのだろうか。それとも陣を離れられない雰囲気なのか。もう少し詳しく状況を教えてほしかった。これでは余計に心配するに決まっている。


「わたしも少しは便利な魔法を覚えておけば良かった。これじゃ使ってもらえないかも。全然上手く作れない」


 一方プルメリスは革の手袋をして、矢を制作していた。

 一から作るのではなく、戦場で拾われたものの矢尻や矢羽をつけ直している。材料は傭兵たちに依頼して戦場で拾い集めてもらっていたものだ。


「一応スグリに作り方を習ったんだけど、やっぱりすぐにはできないね」

「あ、でも、だんだん上手になっているような気がします。これなんか、真っすぐでよく飛びそうです」

「……ありがとう」

「あの、私もあとで手伝いましょうか」

「ううん、いい。これは一人でやりたいんだ」


 最初レンフィは一階の備品庫で作業をしようとしたのだが、プルメリスが「この部屋でやって」と命じたのだ。やはり一人になると気が滅入るらしく、やたらとレンフィを部屋に留まらせようとする。彼女の目の下のクマを見てしまうと断り難い。

 全ての樽に水を詰め終え、運び出された後も引き止められる。


「終わった? じゃあ休憩しようか」

「は、はい」


 用意されたお茶を、レンフィは木箱の上に腰掛けてちびちびと飲んだ。


「ねぇ、レンフィさんから見て、スグリはどうだった?」

「え、えっと」

「ただの雑談だよ。気軽に答えて」


 レンフィは先日顔を合わせて青年を思い浮かべて、正直に述べた。


「あの、本当に少ししかお話ししてないので、よく分かりません。ただ、見た目の印象よりも怖い人ではなさそうだな、と思いました」

「ふふ、そうか。確かに見た目は怖いかも。わたしも初めて会った時はそう思った。でも、すごく格好良くない?」

「う、えっと……そ、そうですね」

「何その反応」

「あ、違うんです。普通に格好良い方だと思ったんですけど、リオルが」


 他の男性を褒めると、恋人が拗ねる。そう遠回しに説明すると、プルメリスは苦笑した。


「きみの彼氏は独占欲が強いよね。ちょっとだけ羨ましいけど」

「スグリさんは違いますか?」

「結構あっさりしてるよ。わたしばかりが好きみたいで少し不満」

「そ、そんなことは……」


 否定しようと思っても、レンフィは二人の関係について深く知らなかった。それどころか世間一般の恋人がどのように愛を育むのかも分からない。


「あの、そもそもお二人はどのように知り合って、どのように恋人になったのですか? もし良ければ教えてください」


 それからプルメリスは、ぽつりぽつりとスグリとの馴れ初めを話してくれた。


 アディニ族は森の奥でひっそりと暮らす少数民族だ。

 その森の所有権を巡ってリッシュア王国と何度も対立していたが、森の入り口でリッシュアの民が採集をする分には絡んでこなかった。

 それほど実害はなく、追い出すまでの存在ではなかった。むしろ適度に獣と魔物を間引いてくれていたため、歴代の国王たちは彼らの存在を半ば黙認していた。


 ある日、毛皮と魔石を町に売りに行ったアディニ族の若い娘が行方不明になり、後日遺体で見つかった。

 犯人はリッシュアゼル国王の弟とその部下たち。堂々と「あの娘が我らに不敬を働いたから償わせた」と発言し、酒場で笑っていたという。


 アディニ族は怒り、報復のために街道で彼らを襲った。

 激しい戦いの末、スグリの矢が王弟を射殺した。


「お父様はひどくお怒りになった。今となっては叔父様が殺されたことに怒っていたのか、黒脈のくせにあっさりと殺された不甲斐なさに怒っていたのか、分からないけどね。どちらにせよ、アディニ族をそのままにしておくわけにはいかなかった。リッシュアゼル王家へ反逆した者を野放しにはできないから」


 リッシュアの軍はアディニ族が住んでいた森を囲んだ。

 貴重な緑の森だ。できれば荒らしたくはなかった。だから脅しをかけることにした。


「『アディニの族長と王弟殿下を射殺した男を差し出せば、後の者の命は助けてやる』ってね。族長とスグリは一族のために自ら出頭して、わたしが暮らす王城に連行されてきたんだ」


 拷問の末、見せしめとして処刑される。それは容易に予想できた。


「謁見の間に引き立てられた二人を、わたしも見た。殺された女の子は族長の娘だったみたいで、お父様のことをずっと罵っていたよ」


 族長が喚いている間、スグリは静かに控えていた。

 プルメリスと目が合うと、不快そうに顔を顰めたという。彼もまた反省も後悔もなく、静かな憎悪を王家に向けていた。


「すごく怖かった。でも今思えば、一目惚れだったのかも。睨まれた時、胸がきゅんとした」

「え!?」

「だってわたしを見る男たちは、見惚れるかいやらしい目を向けてくるかのどちらかだったから新鮮だったんだ」


 プルメリスは、退屈な日々を送っていた。

 剣にも魔法にもあまり興味が持てず、数少ない趣味は乗馬と文官の真似事。それらが下手な男よりもできたものだから「可愛くない」と噂され、求婚者は黒脈の姫としては多くなかった。

 プルメリス自身もつまらない男ばかりで飽き飽きしており、恋愛に興味がなかったという。


 生まれて初めて、異性として意識したのがスグリだった。

 このまま処刑されてしまっては面白くない。


「そもそもわたしは、叔父様のことがあまり好きじゃなかった。ううん、正直に言う。大嫌いだったな。『女の分際で生意気だ』って会う度に因縁をつけられたり、下品な話を聞かされたり、臣下が一生懸命節約しているのに税金で飲み食いしたり……お父様が何も言わないのをいいことに城でも好き放題振舞っていた。だから、殺されたって聞いても全然心が痛まなかったし、スグリたちのことを助けることに全然抵抗がなかったんだ。ひどい姪だよね」


 プルメリスは王弟が今までしでかしたことを調べ上げた。被害者たちが一丸となってアディニ族の助命を訴えれば、国王の心を動かせるかもしれないと思ったのだ。

 そうしたら次から次へと犯罪が明るみになった。思っていた以上に権力と暴力で脅して、たくさんの人間を不幸にしていたのだ。特に、城勤めの侍女たちが酷い目に遭わされていたことが分かると、王妃が激怒した。


「お父様の唯一の弱点がお母様なんだよ。めったに怒らない穏やかな人なんだけど、その分怒ると手がつけられなくて」


 王妃の機嫌を取るため、アディニ族の二人よりも生き残っていた王弟の部下たちの処刑を国王は優先させた。


「処刑までの猶予ができて、わたしは何度も牢に足を運んだ。スグリと話してみたかったんだ。最初は口を利いてくれなかったけど、少しずつ反応を返してくれるようになって……嬉しかったな。いつの間にかすっかり恋に落ちていた」


 同時にプルメリスは、スグリたちの釈放を国王に願った。

 このことに関しては母が味方をしてくれたので、可能性はあった。

 この国では強い者こそが正義。弓矢は卑怯な武器ではない。王弟に勝ったスグリを権力で殺してしまっては、どちらが卑怯か分からない。


「お父様は悩んでいるみたいだった。すごく慎重な人でいろいろ考えているとは思うんだけど、周りには何も話してくれないから……」


 国王から決定的な沙汰が下らず、アディニ族の二人は牢屋に繋がれたまま何か月も過ごした。その間もプルメリスはスグリに会いに行き続け、徐々に打ち解けて想いを通わせていった。


「スグリは処刑されると思い込んでいたから、ずっとわたしに素っ気なかったけどね。ダメもとで告白しても馬鹿にされちゃった」

「そ、そうなんですか」

「うん。それでもしつこく付きまとったら、なし崩しに答えてくれたよ。『生き残ったらな』って」


 プルメリスは言質を取って喜んだ。ますますスグリに夢中になったという。


 しかし事件が起こる。

 族長が獄中で自殺したのだ。


 殺される覚悟で出頭したものの、いざ生き残る可能性が出てくると欲に目が眩む。そのうち憎きリッシュアゼルに命乞いをしてしまうかもしれない。飼い殺され、心を折られるのは真っ平だ。

 そんなことになるくらいなら、自らの手で幕を引く。壁に血文字でそう記されていた。


「その後しばらくして、スグリの釈放が決まった。表向きはお姉様の結婚による恩赦だったんだけど、実際はもう処刑する意味がなくなったからだと思う」


 時は人の感情を風化させる。国王のアディニ族に対する怒りは、族長の自死によって鎮められたのだ。


「スグリは森には帰らず、国を出ると言った。一人だけでは帰れないし、もうこの国にはいられないって。わたしは一緒に連れて行って欲しいと頼んだ。心配だったんだ。族長の死を知ってから彼はずっとぼんやりしていて……怖かった。ここで別れたら、きっともう二度と会えなくなると分かったから」


 スグリは「一緒に来て欲しい」と答えた。スグリの方からプルメリスを求めたのは、初めてのことだった。 

 プルメリスは身分を捨てて、駆け落ちすることを選んだ。父にスグリとの関係を告げることはできなかった。告げたら考えが一変して、またスグリを処刑すると言い出すのではないかと不安だったのだ。

 母にも相談できなかった。前々から遠回しに釘を刺されていたのだ。その恋に未来はない、と。


 しかし、初めて恋の喜びを知ったプルメリスは自制することができなかった。家族よりも唯一の男を選んだ。

 スグリの手を取り、二人で王都から出奔した。


 そのまま二人は国境付近まで逃げ延びたが、結局捕まった。そして、この戦線に放り込まれたのだ。


「本当に馬鹿だよね。結局わたしのわがままで、スグリの命を危険に晒すことになった。もしもお父様に正直に告げていたら、どうなっていたかな? お父様が怒ったのは、わたしが筋を通さなかったせいでもあると思うんだ」


 プルメリスは短く息を吐き、窓の外に視線をやった。

 ここからでも戦場に舞う土埃が見える。


「後悔しても遅いよね」


 レンフィが言葉を探していると、プルメリスは目を伏せた。


「王女としても、恋人としても、中途半端で何もできない。空回りばかりだよ」


 何もできないもどかしさに共感を覚え、レンフィも一緒に俯いた。



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