70 開戦
リッシュア王国とマイス白亜教国が南北に布陣し、睨み合うこと三日。
未だ様子見を続ける教国に対し、ついにリッシュアが攻勢を見せた。
戦いの舞台は一面の荒野。
わずかに岩や枯れ木が点在するほか、障害物はほとんどない。となれば、策を弄する隙間はなく、力と力のぶつかり合いになる。
「進め!」
リッシュア自慢の騎兵部隊が先陣を切り、歩兵がその後に続く。
教国兵は土属性を始めとした精霊術で防御壁を出現させるが、騎馬の勢いを完全に殺すことはできなかった。歩兵たちも合流し、次々と教国兵を討ち取っていく。
しかしマイス白亜教国は大陸一の大国である。数の上では敵わない。やがて前が詰まり、騎馬の足が止まると、教国側からの反撃が始まる。
開戦初日にして両軍は激しくぶつかり合った。
最初の激突から数刻。
リッシュア軍の総大将を務めるミスルトは、後方の天幕で続々と集まる戦況の報告を受け、大きく息を吐いた。
今のところリッシュアの方が優勢だ。敵は前に出られず、徐々に数を減らしている。
「やはりプルメリス姫の存在が我が軍の士気を挙げているようですな。例年とは勢いが違います」
「……それもあるだろうが、それだけではあるまい」
下卑た笑みを浮かべる部下に対し、ミスルトは無表情のまま言葉を返す。
「向こうは聖人を出し渋っているのか? 去年はいきなり“星砂の聖人”が罠を仕掛けていて冷や汗をかいたものだが」
「そのようですな。対策に用意した魔法士部隊が肩透かしを食らって嘆いております」
「まだ活躍の場はあるだろう。とにかく階級の高そうな兵を捕らえて連れてこい。敵将の情報が欲しい」
「はっ」
今年は騎馬に有利な荒野から戦争が始めることができた。この勢いのまま敵の第一陣を蹴散らし、どんどん北上していきたい。
リッシュアの軍は瞬間的な攻撃力は優れているが、持久力に難があった。
強力な騎馬隊を抱えるゆえに、兵の食糧だけではなく馬の飼料も大量に用意せねばならない。戦いが長引けば長引くほど、物資に不安が出てくるのだ。
また、兵士の質はお世辞にも素晴らしいとは言えない。気性が荒く、我慢が利かない者が多いのだ。厳しい軍規で縛り付けても、仲間同士で頻繁に喧嘩する。そういう者に限って戦場で活躍するのがミスルトの悩みであった。多少素行が悪くとも褒賞を与えねばならない。個の強さを偏重するあまり、指揮しづらい集団が形成されてしまっている。
対して教国は、豊かな土壌で大量の農作物を育てている。兵糧の心配は全くない。いくらでも補給されるため、持久戦が続いても常に士気が高い。
兵士の質でも群を抜いている。日頃から健康的な生活をしているのだろう。体格に優れている者が多く、体力もある。教国兵たちは我慢強く、同じ信仰の下に統一されているため団結力も高かった。
長期戦になればなるほど不利になるのは明白だ。
早急に敵の指揮官を討ち取りたいし、可能ならば物資を略奪したい。
しかし、今年の教国側の将については未だに情報を得られていなかった。
昨年まで苦戦させられていた“星砂の聖人”と“烈風の聖人”は、ムドーラ戦線に引っ張られて行った。代わりにどの聖人が参戦してくるのか、情報が全く漏れ聞こえてこない。
表向きは聖女レンフィの死亡による配置換えのはずだが、ミスルトはどこか不気味なものを感じていた。
ここにきてその予感は確信に変わりつつあった。近いうちに歴史が大きく動き出すだろう。
何せ、死んだと思われていた聖女レンフィが生きており、宿敵と名高いムドーラの若き将軍とともにリッシュアに現れたのだ。何が起こっても不思議ではない。
教国上層部の陰惨な所業と、怪しげな動き。亡国の黒脈の血筋を囲っているという話も聞き捨てならなかった。“白”の暴走と増殖を止めるために、伝説的な存在だった時の聖人ウツロギが表舞台に現れ、有史以来初かもしれない黒脈の王国同士の同盟の提案が成されるという。
自分の知らないところで“白”と“黒”がうねり、互いに世界を塗り替えようとしている。
教国が世界を完成させるためさらに黒脈を絶やそうとしているのなら、一番先に狙うのはどの王国だろう。
リッシュア、フレーレ、ムドーラ。選択肢は三つしかない。リッシュアが狙い撃ちにされる可能性は十分にあった。
この戦場に何か仕掛けられていないとも限らない。いつになく先を見据えた采配が必要となる。三国同盟が成る前に世界情勢の均衡を崩すわけにはいかない。
忙しなく報告に訪れる軍人たち。天幕の中に腹心の部下のみしかいない僅かな時間に、ミスルトは確認を取った。
「陛下からの返事はまだか」
「はい」
「そうか。早めに決断をしてもらいたいが」
ミスルトはリオルたちから聞いた話を、情報源を秘匿して国王ゼルコバに伝えていた。
疑い深く、リッシュアゼルの男にしては慎重な性格の父を、少しでも同盟に前向きにさせるためだ。時の聖人から初めて同盟について聞かされるよりも、事前に別の情報筋から同じ話を聞いていた方が信憑性も高まるというもの。
ミスルトとて、リオルたちの話を全てそのまま信じたわけではないが、疑いを挟む隙は少なかった。全く国交のなかったムドーラが、リッシュアに対して謀略を張り巡らせる理由など考えられない。
リオルとレンフィの人柄を見ても、策を弄する人物には見えない。黒脈の血を宿す者として、人を見る目は肥えているという自負があった。
「彼……今はリィオだったか。戦いぶりはどうだ」
監視に付けていた部下の一人が、引きつったような笑みを浮かべた。
「実力の底が見えません」
「ほう……さすがムドーラ最強と噂されることはある。随分と活躍しているようだな」
「いえ、そういうわけではないのです。もちろん立ち回りは素晴らしいのですが、トドメはほとんど例のアディニ族の若者に譲っているようなので、目立ちはしません。ただ、彼の周りでは全く自軍の兵が死んでいません。軍人も傭兵も関係なく、戦いやすそうです」
リオルに対する評価を改めるべきか、とミスルトは苦笑を零した。
自分だけが先行して戦場を突っ走る男かと思いきや、きちんと周囲を見渡してバランスを取っている。
将軍の位にいる者なら当たり前の配慮だが、慣れない戦場でも初日から自然とそのように動ける辺り、人を率いる素質が高いのだろう。
「周囲を気にせず、全力で戦ったらどれほどの力があるのでしょう?」
部下の目には憧憬の色が宿っている。
本来ならばリオルは無色の人間であるはず。しかし黒脈の血を持つレドウに怯まず、力でも引けを取らない。その戦いぶりで人の心を惹きつける。
確かに彼は英雄の片鱗を持っている。
「惜しいな……聖女殿と合わせて我が国に欲しい」
ミスルトとて善人ではない。
正直に言って、二指の聖人であるレンフィに対しては目が眩んでいる。叶うならば己の側室に迎え入れたいくらいだ。
毎年干ばつの心配が絶えないリッシュア王国にとって、水の寵愛はこれ以上ないほど魅力的であった。あの霊力で大地を潤わせてくれたら、どれだけ国の助けになるか。その価値は計り知れない。
もしもプルメリスが強く庇わず、同盟の話さえ聞いていなければ、強引にでもレンフィを手に入れようとしただろう。
「あの生意気な小僧は要らないでしょう。しかし聖女が欲しいのなら、戦場に紛れて背を狙って捕らえれば良いかと。人質にすれば、難なく手にできる」
許可なく天幕に入ってきたレドウが、嘲笑混じりに言い放った。前線で戦ってきただけあって、かなりの返り血を浴びている。補給と馬を換えるついで、情報収集に来たのだろう。
「不可能だ。そうだな?」
「はい。隙はありません」
部下が強く頷くと、レドウは鼻を鳴らした。
「やる前から決めつけるなど、軟弱な」
背を狙う、人質を取る、という発想自体が軟弱だ。黒脈の矜持はどうした、とミスルトは思ったが、口にするのは避けた。レドウに限らず、人を斬り殺してきた後は気が昂る。暴れられては迷惑だ。
「今の状況で彼に手を出すのは許さんぞ。目の前の教国兵に集中しろ」
「……分かっています」
「それで、手応えはどうだ?」
「敵が弱すぎて話になりません。早く聖人に出張ってきてもらいたい」
水を得た魚のようにレドウは目を爛々と輝かせている。その圧倒的な力で敵兵を蹴散らしているらしい。
「殿下には申し訳ありませんが、手加減はできませんよ」
「……別に構わない。敵将を見つけたら、捻り潰せ」
「はっ」
獰猛な笑みを浮かべ、レドウは天幕から出て行った。
血と脂の臭いを風の魔法で吹き飛ばし、ミスルトは深く長い息を吐いた。
レドウには粗野な面もあるが、ある意味でリッシュアゼル王家を体現したような男だ。
武力こそが全て、強き者が価値あるものを手に入れる。それが悪いとは思わないし、レドウの人格を否定するつもりはない。気に入った女を手あたり次第攫って弄ぶ叔父よりは随分とマシだ。
ただミスルトは、妹とレドウが結婚することに対しては、あまり祝福できそうになかった。二人は何もかもが合わないし、これまでの経緯から考えてプルメリスが幸せになれるとは思えない。
黒脈は、愛し合った相手と結ばれるべき。
自身が恋愛結婚をしたミスルトとしては、妹にも幸せな結婚をしてほしいのだ。正直に言って妹を連れ去ろうとしたスグリの印象はあまり良くないが、それでもレドウよりはいい。
レドウはスグリへの報復のためにプルメリスを手に入れ、痛めつけるだろう。それくらいは予測できる。
何よりプルメリスがレドウや他の男を受け入れるとは思えない。最悪、舌を噛み切るか塔から身を投げるに違いなかった。
それが分かっているからこそ、ミスルトはリオルの参戦を認めた。
スグリでなくても良い。リオルが敵将を討ち取れば、少なくともレドウが花婿となることはなくなる。
しかし、最も優先すべきことは戦争の勝利。
妹が犠牲になるとしても、レドウを前線から下げるわけにはいかない。心苦しいが、仕方がないことだ。プルメリスの幸せは、男たちの武運に委ねるしかない。
教国を滅ぼす。それは曽祖父の代から続くリッシュアの悲願だ。
プルメリスが指摘した通り、民の暮らしは決して楽ではなく、国の財政も年々逼迫している。このままだらだらと戦争を続けるのは避けたかった。
水源を取り戻し、豊かな土地を手に入れる。
願わくは、自分が玉座に就く頃には、軍事以外の分野に力を入れて国力を伸ばしたい。
遠い未来を見つめかけた瞳を閉じ、ミスルトは集中を取り戻す。
また新たにもたらされた情報に耳を傾け、速やかに指示を出した。




