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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第五章 聖女と戦場の試練

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69 開戦前夜


 

 日が沈みかけているのを見て、レンフィは出かける準備をした。約束の時間だ。

 薄い布地を頭から被り、アンズと一緒に塔を出た。見張りの兵には既に話が通っているのだろう、誰にも咎められることはなかった。


「こちらです。あ、もういらっしゃいますね」


 見上げるほど大きな岩の裏に、二人の青年が立っていた。

 今日の進捗を報告し合おうと、予めリオルと待ち合わせをしていたのだ。


「私は一度塔に戻りますね。またしばらくしたら迎えに来ます」

「あ、ありがとうございます、アンズさん。お手間をおかけします……」

「いいえ。姫様の力になってくださっているんですから、これくらいのこと気になさらないでください」


 柔らかい笑みに見送られ、レンフィはリオルの元へ駆け寄った。


「遅くなってごめんなさい」

「全然。早めにここに移動してきたんだ。陣の側だと、もう注目されっぱなしで……」


 リオルは傍らに立つ青年をちらりと見た。

 目つきの鋭い男だった。服の上からでも分かる鍛えられた体をしている。その独特の雰囲気にレンフィは圧倒され、無意識にリオルの服を掴んでいた。


「こいつがスグリだ。で、この子は……ここではスイレンっていう名前で通す。俺のだから気安くするなよ」


 牽制するように手を引かれ、レンフィはたじろいだ。人前で恋人を名乗るのがこんなにも照れ臭いとは知らなかった。


「は、初めまして。よろしくお願いします」


 スグリは興味なさそうに目を逸らす。


「子どもみたいだ」

「あ?」

「貧相。ちゃんと食べているのか?」

「…………」


 レンフィはゆっくり息を吸い、吐き出した勢いのまましょんぼりと俯いた。

 今まで誰からも指摘されたことはなかったが、薄々気づいていた。体つきに女性としての魅力がないことを。

 ようするに、自分には色気がない。


「お前、戦争の前に死にたいのか? 第一声で言うことじゃねぇだろ」


 リオルがいつになく低い声で呟いた。


「何を……あ、あー、違う。細い。体が弱いのか? 肌も白すぎる」


 スグリはどこか慌てた様子で言葉を紡ぐ。


「ん? なんだよ、体調の心配をしてくれてたのか?」

「心配、ではない。別に」


 どうやらスグリはレンフィのスタイルにダメ出しをしたわけではなく、病気を患っていないか確認したかっただけらしい。

 病弱に見えるというのも問題だが、「貧相」が思っていた意味と違ったことでレンフィは救われた。


「これでも少し肉がついた方だ。初めて抱きかかえた時なんか重さがなかったんだぜ。まぁ、今も軽いんだけど、健康には問題ない。なぁ?」

「恥ずかしいから、もうやめて……」


 抱きかかえられている時に重さや肉付きを意識されていたのだと思うと、顔から火が出そうだった。

 スグリも「どうでもいい」とため息を吐いた。


「俺は、文字は少し読めるが、書けない。喋るのも苦手だ。よく言葉を間違える……わ、悪かった」

「あ、大丈夫です。気にしてません。ごめんなさい」


 レンフィがぎこちなく微笑むと、スグリは居心地が悪そうに眉根を寄せた。人と喋るのが苦手というのは本当らしい。

 リオルはスグリの左腕を指し示し、バツが悪そうに頭を掻く。


「さっき軽く手合わせしたんだけど、ちょっと腕を痛めさせちまって……ごめん。治療を頼んでいいか?」

「もちろん」


 レンフィは念のため左右を見渡し、人気がないことを確認すると、できるだけ治癒の光を抑えてスグリの腕に霊力を注ぎ込んだ。


「……どうですか?」

「痛みが引いた」


 腕を曲げたり伸ばしたりして、スグリは頷く。魔法や精霊術で治療を受けたことがないらしく、劇的な効果に目を瞬かせている。


「他に調子が悪いところはありませんか?」

「ない」

「そうですか。もし今後何かあれば遠慮なく言ってくださいね」

「いや、だが、見ず知らずの人間を、頼れない」


 レンフィはスグリを真っ直ぐ見上げる。


「どうかそんなことを言わず、私に治療をさせてください。私には今、これしかできないんです」

「……………………分かった」


 返事があるまで無言で訴えたところ、スグリはため息交じりに頷いた。

 リオルとスグリはお互いに命を預け合うことになる。二人とも万全の状態で戦ってほしい。


「もう行く」


 スグリは遠目で塔を眺めてから、躊躇いがちに口を開いた。


「プルメリスに、伝えて欲しい。『大人しく待ってろ、俺のことは心配するな』と」

「……分かりました。必ず伝えます」


 レンフィが頷くと、スグリは背を向けて去っていった。

 見た目ほど怖い人ではない。不器用なだけで、むしろ優しい人なのではないだろうか。レンフィはプルメリスの恋路を心から応援したくなった。


「ああいう男、レンフィも格好良いと思うか?」

「え、うん」

「…………」


 リオルはやさぐれたように小石を蹴飛ばした。虚しい音が夕焼けの荒野に響く。

 レンフィは気づいた。素直に頷いてはいけなかったのだと。


「あ、でも私がす……好きなのは、リオルだから。私にとってはリオルが一番格好良い」

「本当に?」

「本当だよ。リオル、怒ってるの?」


 レンフィがおろおろし出すと、リオルは首を横に振り、力なく笑う。


「悪い。全然怒ってない。ただ……ちょっと疲れたっ」


 突然だった。リオルはおもむろにレンフィを抱きかかえると、そのまま岩にもたれるように座った。膝の上に収まり、レンフィは身を縮こまらせる。


「わ、どうしたの?」

「お前の服が汚れると困るだろ。嫌か?」

「……嫌じゃないよ。でもドキドキする。」


 リオルには何度も抱きしめられているが、その度に心臓の鼓動が激しくなる。なかなか慣れない。先ほど体重に関する話が出たのでなおさら恥ずかしい。

 レンフィの反応を見て、リオルは満足そうだった。


「そうだ、手紙は書けたか?」

「うん。あ、それがね。不思議なことが起こったの」


 書き上がった手紙が消えたことを話すと、苦笑が聞こえた。


「そのうち何が起きても驚かなくなりそうだな。空の精霊は、どこまで仕組んで……」

「リオル?」


 口を開きかけたが、リオルは答えなかった。疲れたというのは本当のようで、いつもよりも覇気がない。


「何かあったの?」

「……いや、姫様とスグリの噂が、傭兵たちの間にも広まっていてさ。すげー見られるんだよ。『正気か?』みたいな顔をされた」


 プルメリスと駆け落ちしようとして国王の怒りを買ったスグリを、傭兵たちは腫れ物に触るように遠巻きにし、あるいは面白がって賭け事の対象にしていたらしい。

 殺された王弟の評判は国民にも最低で、スグリに対する感嘆や同情する声も聞こえた。しかし、国王とレドウの怒りを買うのを恐れてか、こき下ろす風潮の方が強かった。


 そんな孤立無援のスグリに声をかけたリオルに、傭兵たちの注目が集まってしまった。おかげでずっと落ち着かなかったようだ。


「それは……大丈夫なの? 味方に狙われたりしない?」

「ああ、平気平気。大して強そうな奴はいなかったよ。スグリの弓の腕も思った以上だったし、頼りになる。囲まれても余裕だ」


 囲まれる事態にならないことを心から願った。


「リオルが疲れたのはそれが理由?」

「ん? ああ、うん」


 どこか歯切れの悪い返事。レンフィはかろうじて追求の言葉を飲み込んだ。きっと伝えづらいことが起こったのだ。なんでも話してくれるリオルが躊躇うような何かが。

 無理に聞き出したら、リオルの心を余計に乱してしまいそうで怖かった。


 リオルの負担を少しも肩代わりできない。何もしてあげられない。彼と釣り合う存在になりたいと願っているのに、志とは裏腹にどんどん惨めな気持ちになっていく。


「ごめんな、そんな暗い顔させて……」


 今も気を遣われている。レンフィは首を横に振った。


「私の方こそ……何も役に立てなくて、ごめんなさい」

「そんなことはねぇよ。いろいろ助かってる。それに俺は今、猛烈に癒されているぜ。明日からすごく頑張れそうだ」


 無理に出した明るい声に胸が痛んだ。

 レンフィはリオルの肩口に額をつけて、自棄になって呟く。


「これでリオルの元気が出るなら、ずっとくっついてる。好きなだけ癒されて……」

「はは、言ったな。じゃあ遠慮なく……俺、お前のほっぺ好きなんだよな」


 指先が頬に触れ、そのまま良い様に弄ばれる。

 くすぐったくて少し目を閉じた瞬間、額に軽くキスをされた。


「やっぱり俺、お前といると幸せだな。本当に元気出るよ」


 不意打ちに言葉を失くす。


「言えてなかったんだけどさ、デート、楽しかった。またたくさん二人で出かけような」

「……うん」


 レンフィは思い切って、彼の頬に唇を寄せた。そして想いが止まらなくなる前に膝から降りて立ち上がる。リオルからは不満の声が漏れた。


「こ、これ以上はダメ」

「はぁ、分かったよ。でも、全部終わったら……」

「終わったら?」


 珍しくリオルは言い淀み、誤魔化すように笑った。


「……我慢できなくなったら言う」

「? うん」


 お互いに名残惜しかったが、もうすぐ日が暮れる。

 リオルは傭兵に貸し出されている天幕で夜を明かすそうだ。いろいろ情報を集めたいというので、泣く泣く別れた。


「戦況によっては会いに来られないかもしれねぇけど、不用意に出歩くなよ。皆殺気立ってるから」

「……リオルの方こそ、気をつけてね」

「おう。じゃあおやすみ」


 リッシュアの陣営に向かっていく背を、レンフィは岩陰でずっと見つめていた。


 大丈夫。リオルは強いから、絶対に死なない。

 自分にそう言い聞かせるも、不安は心にこびりついたまま消えそうになかった。






 塔に戻り、レンフィは早速プルメリスにスグリの言葉を伝えた。


「無茶ばかり言うんだから……」


 恋人からの伝言に顔を輝かせることもなく、プルメリスは夕闇の空を見上げた。

 気持ちはレンフィにも痛いほどわかった。

 スグリは「心配するな」と言っていたが、絶対に無理だ。この世界で最も大切な人が戦争に参加するのに、平気でいられるわけがない。

 リオルに至っては、むしろこちらの心配していた。過保護にも程がある。


「男って、本当に勝手だよね」

「……はい」


 守ってもらえて、大切にされて、嬉しい。命を懸けるほど愛されていると知って感動しないわけではない。

 ただ、愛する人が傷つくかもしれない明日が怖い。想像するだけでもう息が苦しくなる。

 何もできないのなら、せめて心配くらいさせてほしい。


「ごめんなさい、レンフィさん……あなたの大切な人を巻き込んでしまって」


 プルメリスは深々と頭を下げた。レンフィはただ首を横に振る。

 無力さを噛みしめながら、二人はそれぞれ眠れない夜を過ごした。



数日更新をお休みして書き溜めます。

申し訳ありません。

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